【Ｒ18】豹変年下オオカミ君の恋愛包囲網〜策士な後輩から逃げられません！〜

溢れ出す想い

「ここって……」

「えぇ。初めて鈴香さんを脅したBARの個室ですね。少し落ち着きましたか？」

　降ろされたソファーに座り直し、辺りを見回せば見覚えのあるBARカウンターに橘が入っていくのが目に入った。

「何か飲みますか？」

「えっと、何でも……」

「……そうですか。適当に作りますね」

　シャカシャカと鳴る心地よいシェイカーの音が混乱した頭を冷やしてくれる。

　これで元彼との関係は終わったのだろうか？

　正直、橘が来てくれなければ奴との関係を断ち切ることは出来なかっただろう。あのタイミングで橘が現れたのが偶然だったのか、それとも計画的だったのかはわからない。ただ、彼を見た瞬間に湧き上がった感情は、今でも私の心を満たしてくれている。

　『恋人ですよ』あの言葉が、その場限りの方便だったとしてもただただ嬉しかった。

「どうぞ……」

「……これって？」

　スッと出されたグラスは見事なオレンジ色に染まっている。スクリュードライバー……

「スクリュードライバー。初めて鈴香さんに作ったのもコレでしたよね。全ては、このカクテルから始まった。良い思い出も悪い思い出も」

「そうね……」

『貴方に心奪われた』スクリュードライバーのカクテル言葉。あの日から全てが変わっていった。騙されて、脅されて、振り回されて、色々な事があった。私を弄もてあそぶ橘が大っ嫌いだった。ただ、憎めなかった。そして、あっという間に心を奪われてしまった。

　性格が最悪だとか、年下だとか……
　彼に惹かれ出す心を否定するために言い訳を積み重ねたところで奪われた心を取り戻すことは出来なかった。

　彼が好き…真紘が好き…………

　もう自分の気持ちを誤魔化さない。

「勝手なことしてすみませんでした。ただ、放っておけなかったんです」

「ううん。いいの、貴方が来てくれなかったら元彼と手を切れなかったと思う。ありがとね」

「いいえ……」

　会話が途切れ、静けさに包まれる。何か言わなければと思うのに、何も出てこない。

「鈴香さん。あの夜……
あの夜、言った言葉は本心ですか？熱にうなされ、うわ言のように呟いた言葉。好きだと言った言葉は本心ですか？」

「えっ⁉︎……」

　やっぱりあの夜、橘は居たのだ。夢ではなかった。朦朧とする意識の中、好きだと言われた言葉も。

「あの夜、来てたんだね。熱が高くて意識も朦朧としていたからはっきり覚えてないの」

「そうですか……」

「ただね。橘に言った別れの言葉は本心ではなかった。馬鹿よね。騙されて、脅されて、弄ばれて、それでも嫌いになれないなんてね。いつの間にか、橘の存在が大きくなっていた。元彼の存在すら忘れる程にね。ただね、怖かった。貴方に惹かれていく心を律する事も出来ない自分自身が怖かった。だから、言い訳ばかり積み重ねて自分の心を誤魔化していた。離れてから後悔しても遅いのにね。あの夜、酷い言葉をぶつけて本当にごめんなさい。今さら謝ったところで、もう遅いのも分かっている。でも、最後の足掻きはさせて欲しいの」

　溢れ出した涙が、頬を伝い流れていく。きっと酷い顔をしている。滲んでぼやけた視界では橘の表情すらわからない。でも、もう下は向かない。最後くらい彼を見つめて言いたい。

「もう自分の心は誤魔化せないの。好きなの貴方が……
橘真紘、貴方を愛している」

「……」

　唇に感じた狂おしいほどの熱が、全身を震わせる。

ーーあぁ…コレが欲しかった……

「鈴香、愛しているって言葉は本心なんだね」

「えぇ……」

　上手く笑えただろうか？

　彼との関係は、これが最後かもしれない。ただ、どんな結果になろうとも笑って別れようと思う。最後くらい、笑顔の私を残したい。

「そっか……
長かったなぁ。やっと手に入れた。やっと俺の気持ちが通じた。ずっと、俺の事信じていなかっただろ？まぁ、出会い方がアレじゃ、信じろって言う方が無理があるかもしれないけど、正直しんどかった。今だって、心のどこかで別れを意識してそうだし」

「えっ⁉︎………」

「だって、そうだろう。そんな笑い方するなんて、自分だけスッキリして去ろうとしている笑い方だもんなぁ。ただ、そう簡単には手放さないけど」

「……いや、あの…………」

「しかも、後輩に良い顔して結局振り回されて、近藤先輩の思惑通り別れを切り出すなんて、本当どうしてやろうかと思った。まぁ、鈴香じゃ彼女を上手くかわす事なんて無理だっただろうけどね。あの人、俺並みに策士だから」

「えっ⁇ま、麻里奈ちゃん？」

「そう、近藤先輩。どうせ、俺との仲を取り持って欲しいとか言われていたんだろ？あんな幼稚な牽制に引っかかるのなんて、鈴香くらいだろうけど。案の定、まんまと踊らされているし」

「……えっと…あのぉ…………すみません」

　なぜ、私が謝らねばならないのか釈然としないが、橘の呆れ顔と胡乱な視線に晒され諦めた。

ーー確かに、私が悪い……

「まぁ、俺も近藤先輩が流した噂を利用した時点で同類だけどね。社内で流れている近藤先輩と恋人って言う噂、アレがなかったら鈴香は絶対動かなかったでしょ？」

「えっ⁉︎……」

　そう…あの噂だ…………

　橘と麻里奈ちゃんが恋仲という噂が出回らなければ、私はあそこまで追い詰められなかった。そして、自身の気持ちに正直になろうと決意することもなかっただろう。

「あの、そのぉ……麻里奈ちゃんとは？」

「近藤先輩とですか？あぁ、今日告白されました。ただ、断りましたよ」

「えっ⁉︎今日、告白された？」

「はい。彼女も薄々、気づいていたんでしょうね。このままじゃ、らちが明かないと。だから、仕掛けて来た。まぁ、俺の鈴香に対する気持ちにも感づいていたようですし、捨て鉢の告白だったみたいですけど。スッキリした顔で立ち去って行きましたよ。さっきの鈴香みたいな笑みを残してね」

「そう……」

「で、俺の前から消えようと心の片隅で思っていそうな鈴香は、俺と向き合う決心がついたと思っていいのかな？」

「……えぇ…はぁ、まぁぁ……」

「何、その歯切れの悪い感じ。自分の気持ちに決着がついたなら、もう一度ちゃんと告白して」

「えっ⁉︎もう一回⁇」

「そう。俺を散々振り回したんだからそれくらいしてくれてもいいと思うけどなぁ～」

「いやぁぁ…あのぉ………」

　ガッシリと腰をホールドされている状態に逃げる事も叶わない。見上げた先の橘の笑みは、明らかに黒かった。

　もう、逃げないと決めた。気持ちに正直になると決めた。彼とちゃんと向き合うと決めたのだ。

「好きよ。誰よりも貴方を愛している」

「そっかぁ……」

ーーな、なんて顔して笑うのよぉ……

　視界に飛び込んできた、彼の満面の笑みに心臓の鼓動が早鐘を打ち始め、ギュッと抱き締められた腕の強さが、彼の気持ちを表しているようで、止んだはずの涙が溢れ出す。

「……鈴香…愛している」

ーー泣いているの……？

　震えるような掠れ声を聞き、堪えきれず頬を涙が伝う。彼もまた泣いていた。