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夢うつつ
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遠くから聴こえるチャイムの音に闇へと落ちた思考が浮上する。
誰だろう?
何度も鳴らされるチャイム音を無視する事も出来ず、ズシリと重い体を叱咤しベッドから出る。フラつく足に何度か壁にぶつかり、やっとの事で玄関扉までたどり着くと、来客者が誰かを確認する事もせず、扉を開く。
「どちらさま?」
「……鈴香」
発せられた聴き覚えのある声に、慌てて扉を閉めようと手を引くが遅かった。私の反応を予想していたのか、寸前で扉の縁にかけられた指先に力がこもり、扉を開け放たれてしまう。反動で前のめりに倒れ込んだ私の体を包む力強く優しい腕に囚われ、懐かしい香りが鼻腔を抜け切なさで胸がキュッと痛み出す。
「帰って……」
何も言葉を発しない相手に焦れて抱き締められた体を捩り、逃げを打つが、熱が上がり体に力の入らない私の抵抗など無いに等しかった。溢れ出しそうになる想いを否定するかのように頭を振れば、グラっと目が回り視界が暗転しそうになる。抵抗らしい抵抗など出来ず、橘の腕の中に囚われている事しか出来ない自分自身が不甲斐ない。
グルグルと回る視界に、体の力も徐々に抜けていく。溢れ出した涙に視界も奪われ、諦めの境地に達した私は残っていた体の力を抜く。
もうどうでもいい……
「……入るぞ」
玄関扉が閉じられ、力の抜けた私を抱き上げ橘がリビングへと繋がる廊下を歩く。抱き上げられた体に伝わる心地良い振動に、徐々に滲んだ視界が暗転していく。意識を失った私が、次に気づいたのはベッドの中だった。
間接照明に照らされた室内には、私以外の気配はない。
あれは夢だったのだろうか?
扉の向こうに橘が居るなんて現実あるはずない。全てが夢だったのかもしれない。恋しいと想う気持ちが見せた幻だったのだろう。
彼に愛されたいと叫ぶ心が見せた幻でも、彼に抱き締められ囚われた一瞬は、私に確かな幸福を与えていた。
確実に悪くなっていく体調は、私の心の鍵を外してしまったのかもしれない。
夢の世界なら心のままに……
『ガチャ』と鳴ったドアノブを回す音とともに現れた橘もきっと幻なのだ。
「具合はどう?」
額の上に乗せられた冷たい手が心地良い。
「……まだ高いな。タオル濡らしてくる」
冷んやりとした心地良い手が離れていく。
夢の中くらい……
寂しいと訴える心のまま離れていく手を捕まえる。
「行かないで…側にいて……」
見上げた先の彼の顔が一瞬、戸惑いの表情を見せたが、捕らえた手を引くと諦めたのか指先を絡めキュっと握り直してくれた。
冷たい指先が私の熱で徐々に温まっていく。いつしか冷たさはなくなり熱を持ち始めた彼の指先を感じ、嬉しさが込み上げてくる。
「何がおかしいんだよ?ほらっ、口元笑ってるんだけど」
「嬉しくって。手を繋いでいる事が嬉しくって」
繋いだ指先が震える。
「正気じゃないんだろうな。でも、今だけは……」
ボソッと呟かれた彼の言葉は、熱で朦朧としている私の耳には届かない。
「なぁ、鈴香。俺の事、好き?」
「……好きよ」
「そうか。俺も好きだ」
「そう……」
夢が見せる幻想だとしても、自分の本心を彼に伝えられた事が嬉しくて仕方なかった。彼を好きだという嘘偽りのない本心を。
心を満たす幸福感と満足感に安心したのか急に襲ってきた眠気に目を閉じれば直ぐに睡魔は訪れ、意識が混濁していく。
最後に、唇に感じた狂おしいほどの熱は、きっと夢が見せた幻想なのだろう。そんな幸せな妄想を抱きながら、私の意識は再び闇の深淵へと落ちた。
カーテンの隙間から差し込む陽射しに目を覚ます。ビッショリとかいた汗が気持ち悪く、身体を起こせば思いの外、頭も身体もスッキリしている。どうやら熱は下がったようだ。
ゆっくりと辺りを見回している自分に気づき苦笑が漏れる。無意識のうちに橘が居た痕跡を探そうとしていた。
やはり、あれは夢だった。
彼が私を心配して来るなんて事、あるはずないじゃないか。関係を断ち切ったのは私自身なのだ。
胸に去来した僅かな落胆を振り払うようにベッドから起き上がり、寝室の扉を開けリビングへと入る。喉の渇きを潤すためキッチンへ入り、冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出そうとしてーー
『あまり無理すんなよ』
少し癖のある字で書かれたメモが貼られたタッパを見つめ、涙が込み上げる。
夢じゃなかった………
熱でうなされた私が見た幸せな夢ではなかったのだ。確かに橘は、ココにいた。
額に触れた冷たい手の平も、繋がれた熱い指先も、『好きだ』と言われた事も夢じゃなかった。
そして、『好きだ』と伝えた事も。
彼が好きだと叫ぶ心を偽る事は、もう出来ない。
カッコ悪くたっていい。
たとえ惨めに振られる未来が待っていようとも、心を偽って何もしないよりはマシだ。
ありのままの私で……
メモを握り締め、くず折れた私は床にうずくまり溢れ出した想いのまま泣き続けた。ある決意を胸に抱き。
誰だろう?
何度も鳴らされるチャイム音を無視する事も出来ず、ズシリと重い体を叱咤しベッドから出る。フラつく足に何度か壁にぶつかり、やっとの事で玄関扉までたどり着くと、来客者が誰かを確認する事もせず、扉を開く。
「どちらさま?」
「……鈴香」
発せられた聴き覚えのある声に、慌てて扉を閉めようと手を引くが遅かった。私の反応を予想していたのか、寸前で扉の縁にかけられた指先に力がこもり、扉を開け放たれてしまう。反動で前のめりに倒れ込んだ私の体を包む力強く優しい腕に囚われ、懐かしい香りが鼻腔を抜け切なさで胸がキュッと痛み出す。
「帰って……」
何も言葉を発しない相手に焦れて抱き締められた体を捩り、逃げを打つが、熱が上がり体に力の入らない私の抵抗など無いに等しかった。溢れ出しそうになる想いを否定するかのように頭を振れば、グラっと目が回り視界が暗転しそうになる。抵抗らしい抵抗など出来ず、橘の腕の中に囚われている事しか出来ない自分自身が不甲斐ない。
グルグルと回る視界に、体の力も徐々に抜けていく。溢れ出した涙に視界も奪われ、諦めの境地に達した私は残っていた体の力を抜く。
もうどうでもいい……
「……入るぞ」
玄関扉が閉じられ、力の抜けた私を抱き上げ橘がリビングへと繋がる廊下を歩く。抱き上げられた体に伝わる心地良い振動に、徐々に滲んだ視界が暗転していく。意識を失った私が、次に気づいたのはベッドの中だった。
間接照明に照らされた室内には、私以外の気配はない。
あれは夢だったのだろうか?
扉の向こうに橘が居るなんて現実あるはずない。全てが夢だったのかもしれない。恋しいと想う気持ちが見せた幻だったのだろう。
彼に愛されたいと叫ぶ心が見せた幻でも、彼に抱き締められ囚われた一瞬は、私に確かな幸福を与えていた。
確実に悪くなっていく体調は、私の心の鍵を外してしまったのかもしれない。
夢の世界なら心のままに……
『ガチャ』と鳴ったドアノブを回す音とともに現れた橘もきっと幻なのだ。
「具合はどう?」
額の上に乗せられた冷たい手が心地良い。
「……まだ高いな。タオル濡らしてくる」
冷んやりとした心地良い手が離れていく。
夢の中くらい……
寂しいと訴える心のまま離れていく手を捕まえる。
「行かないで…側にいて……」
見上げた先の彼の顔が一瞬、戸惑いの表情を見せたが、捕らえた手を引くと諦めたのか指先を絡めキュっと握り直してくれた。
冷たい指先が私の熱で徐々に温まっていく。いつしか冷たさはなくなり熱を持ち始めた彼の指先を感じ、嬉しさが込み上げてくる。
「何がおかしいんだよ?ほらっ、口元笑ってるんだけど」
「嬉しくって。手を繋いでいる事が嬉しくって」
繋いだ指先が震える。
「正気じゃないんだろうな。でも、今だけは……」
ボソッと呟かれた彼の言葉は、熱で朦朧としている私の耳には届かない。
「なぁ、鈴香。俺の事、好き?」
「……好きよ」
「そうか。俺も好きだ」
「そう……」
夢が見せる幻想だとしても、自分の本心を彼に伝えられた事が嬉しくて仕方なかった。彼を好きだという嘘偽りのない本心を。
心を満たす幸福感と満足感に安心したのか急に襲ってきた眠気に目を閉じれば直ぐに睡魔は訪れ、意識が混濁していく。
最後に、唇に感じた狂おしいほどの熱は、きっと夢が見せた幻想なのだろう。そんな幸せな妄想を抱きながら、私の意識は再び闇の深淵へと落ちた。
カーテンの隙間から差し込む陽射しに目を覚ます。ビッショリとかいた汗が気持ち悪く、身体を起こせば思いの外、頭も身体もスッキリしている。どうやら熱は下がったようだ。
ゆっくりと辺りを見回している自分に気づき苦笑が漏れる。無意識のうちに橘が居た痕跡を探そうとしていた。
やはり、あれは夢だった。
彼が私を心配して来るなんて事、あるはずないじゃないか。関係を断ち切ったのは私自身なのだ。
胸に去来した僅かな落胆を振り払うようにベッドから起き上がり、寝室の扉を開けリビングへと入る。喉の渇きを潤すためキッチンへ入り、冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出そうとしてーー
『あまり無理すんなよ』
少し癖のある字で書かれたメモが貼られたタッパを見つめ、涙が込み上げる。
夢じゃなかった………
熱でうなされた私が見た幸せな夢ではなかったのだ。確かに橘は、ココにいた。
額に触れた冷たい手の平も、繋がれた熱い指先も、『好きだ』と言われた事も夢じゃなかった。
そして、『好きだ』と伝えた事も。
彼が好きだと叫ぶ心を偽る事は、もう出来ない。
カッコ悪くたっていい。
たとえ惨めに振られる未来が待っていようとも、心を偽って何もしないよりはマシだ。
ありのままの私で……
メモを握り締め、くず折れた私は床にうずくまり溢れ出した想いのまま泣き続けた。ある決意を胸に抱き。
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