【Ｒ18】豹変年下オオカミ君の恋愛包囲網〜策士な後輩から逃げられません！〜

本音と建前

「須藤課長ご馳走様でした。お寿司と日本酒、久々に素晴らしい食事にありつけました。あの店って、一見さんお断りの老舗寿司屋ですよね？」

「いやぁ、よく知らん。以前お得意様とあの店で飲んでからの付き合いかな。気難しい大将に何故か気に入られてね。それ以来、仕事でもプライベートでもお世話になってるな」

　だから、真奈実や双子の事も大将は知っていたのか。

　課長に連れられ入った寿司屋の評判は、以前から噂では聞いていた。メディアの露出が一切なく、常連客の紹介無しでは入店すら出来ない幻の寿司屋があるらしいと。各界の著名人がこぞって名を上げる幻の寿司屋『響ひびき』の外観だけは、テレビや雑誌などでも紹介され一時話題になっていたので、私もその幻の寿司屋の外観だけは知っていたのだ。

　課長とタクシーに乗り、着いた先の一軒の店を見て、暫しポカンと口を開けてしまう程には驚いた。そして、呆然と立ち竦む私を尻目にさっさと暖簾を潜り、入り口から手招きする課長を見て、彼の凄さを改めて認識し直す事となった。

　出された品は全て一級品で、お寿司の美味しさもさる事ながら、酢の物などの小鉢料理から焼き物、椀物に至るまで、どれを食べても感嘆の声が漏れるほどの美味さで、一緒に出された日本酒との相性も抜群とくれば、お酒の量も進みフワフワとほろ酔い気分のまま、上機嫌で店を出る。

「冬野、まだ時間あるか？もし、よかったら少し歩かないか？」

「あっ、はい」

　課長の言葉に頷き、横を並んで歩く。広く取られた歩道は、人も疎らで二人並んで歩いていてもすれ違う人の邪魔になる事はない。

　橘とも二人並んで歩いた。

　まだ彼に脅されて恋愛契約を結んでいた時だ。ビルの壁面に映る東京タワーの夜景を一緒に見た帰り道、大きな道路沿いの歩道を手を繋いで歩いた。

　あの時、すでに私の心は彼に囚われていたのだと今なら分かる。脅迫されて仕方なく付き合っているのだと言い訳をしなければ橘に惹かれていく心を律する事など出来なかった。あれから彼への想いも徐々に変わっていった。

　年の差を理由に彼へと惹かれていく心を抑えようと足掻く、私の頑なな意識をぶち壊した彼の言葉の数々を思い出す度、溢れそうになる涙が私の本心を代弁する。

　愛していると。

「須藤課長……
年齢を重ねれば重ねるほど臆病になっていくのはどうしてだと思いますか？若い頃は一歩を踏み出すのに勇気なんて必要なかったのに、今じゃその場に立ち竦んで身動きすら取れない。その一歩を踏み出さなければ後悔すると分かっていても、鎖で繋がれている様に動けないんです。どうしてだと思いますか？」

「あまりに抽象的過ぎて答えに詰まるな。ただ、年を重ねれば重ねるほど柵しがらみが増えていくからじゃないかな。仕事を持てばプライベートでの行動が仕事に影響を与える事もあるし、家庭を持てば守らなければならない人達が出来る。年を重ねる度に広がっていく人間関係こそが柵そのものじゃないかな。世間体もあるし、身近な人達の事を考えれば自分勝手な行動は取れなくなる。確かに、若い頃に比べれば思い切った行動は出来なくなったかな」

「そうですね。やはり、世間体というか周りの目は気になります。30歳過ぎれば、世間一般的にはおばさんの範疇に入りますし、下手な行動は出来ないと言いますか……」

「確かにね。社会的な目は気になり出す頃だよな。会社でも中間管理職だし、上司と部下の間に挟まれ下手な事は出来ない。ストレス発散するにも若い頃のような無茶は出来ないだろ。家庭を持てばなおさらか。奥さんの目って言うのもあるしな」

「あら？課長は真奈実に内緒で火遊びでもするつもりがお有りで？」

「やめてくれ。冗談でも、火遊びしたいだなんて言わないよ。俺は妻ひと筋だ！」

「そうですよねぇ。なんだかんだ言って夫婦仲、良いですもんね！……そういえば、課長と真奈実の馴れ初めって？確か、当時気づいたら二人が付き合っていたんですよ。いつの間にか」

「はっ⁈お前、覚えてもいないのかよ」

「覚えているって、何を？」

　額に手を当て項垂れる課長を見て、頭の中が疑問符で埋め尽くされる。

　真奈実から何か聞いていたっけ？

「あぁぁ、冬野は知らんでいいよ。というか俺の存在って、お前にとってその程度だったんだと再認識する羽目になろうとはなぁ」

　心底呆れたという目を向けられ何故か頭に血が上る。

「はぁ？どういう事ですか⁈その目、完全にバカにしてますよね！話すまで帰しませんよ‼︎」

「はぁぁ、わかったわかった、話すから離せって！」

　思わず掴みかかっていた手を慌てて離し、距離をとる。

「あぁぁぁ、覚えられてもいないなんて、マジで黒歴史だわぁ。はぁぁ、当時な、俺は冬野が好きだったんだよ。ただ、お前には彼氏がいたし、アプローチ出来ずにいたのを目敏く真奈実が感づいたんだ。それからだな、色々相談するようになったのは。真奈実も冬野の浮気性の彼氏のクズ男加減に、俺が横槍になれば良いと考えて、協力を申し出たらしいがな。まぁ、今の様子じゃ俺達の行動は全くお前に効いてなかったみたいだ。俺が告白したことも覚えていないだろ？」

「嘘でしょ⁈告白したって……
そんな事あったかしら⁇」

「やっぱりかぁ。本当、昔から男女の機微に疎いというか、こりゃ橘も苦労するわな」

「はっ⁈何でそこで橘の名前が出てくるんですか⁇」

　課長の口から飛び出た橘の名前にドキリっと心臓が脈打ち、内心焦り出す。

「冬野さぁ、あれで気づかれないとでも思っていたのか？橘を物憂げに見つめてため息ばかりついていれば何かあったと思うのが普通だろ。橘の態度も態度だしなぁ」

「ウソ……私、そんな事してましたか？」

「まぁ、気づいているのは、お前とも腐れ縁の奴らばかりだがな。さっきの身動き取れないとか溢していたのも、どうせ橘と近藤の事だろう。さしずめ、年齢差がどうとか、自分より年下の男に本気になるのはどうとか、色々悩んでいるんだろうけど、ハッキリ言って時間の無駄だぞ。橘は、冬野を諦めないだろうし、さっさと腹括って、アイツの事受け入れた方が良い」

「どうしてそんな事、課長が分かるんですか？橘と麻里奈ちゃんは付き合っているって、営業部内で噂になっていますし、実際にそうかもしれません。もし、仮に私が橘を好きでも、付き合っている二人を引き裂いてまで彼を奪おうとは思えません」

「それが綺麗事だって言ってんだよ。冬野さぁ、今までもそうだったんじゃないのか？元彼の事だって、そうやって相手の顔色ばかり伺っていたから相手がつけ上がったんじゃないのか？今だって、周りの目を気にし過ぎて身動き取れなくなっているのが事実だろう。自分の気持ちに正直になった方がいい。特に男女関係は。俺はあの時、お前に告白して良かったと思っている。玉砕覚悟で、案の定振られたというか、お前の中では告白された事にもなっていなかったようだが、前には進めた。いい子のフリするのは、もう止めろ。みっともなくとも、なりふり構わず行動する事も時には必要だ。でなければ、きっと後悔する。特に男と女はな」

　なりふり構わずか。そう出来たらどんなにいいだろうか……

『愛している』と自覚した今、このまま何もせず指を咥えて二人の成り行きを見ているだけでいいのだろうか？それで、自身の気持ちは納得するの？

　二人が付き合っているとかいないとか、そんな事はどうでもいい。自分の気持ちに正直に行動するべき時が今なのではないだろうか。

　グルグルと頭の中を巡る思考の渦に翻弄され、一歩が踏み出せない。

「課長、年を取るって嫌ですね。変化を嫌って、現状維持の居心地の良さから抜け出せなくなる。それが年々酷くなっていく。本当、嫌になる」

「そんな事もないと思うぞ。踏ん切りさえつけば、あとは行動あるのみ。今までの経験があるからこそ、若い奴等よりも上手く立ち回れる事もある。あまり考え込むと本当に動けなくなるぞ。深く考えず気持ちのまま突っ走ってみたらどうだ」

　気持ちのまま突っ走ってみるか……

　ヒラヒラと手を振り、課長の背が遠ざかって行く。

　今のままでは、きっとダメだ。そんな事は分かっている。

　分かっているのだ、充分過ぎる程には。