上 下
37 / 49

加速する想い

しおりを挟む
ありきたりな日常が過ぎていく………

キーボードを打つタイプ音もガサガサと鳴る書類の音も、ひっきりなしに掛かってくる電話の音やガヤガヤと忙しなく響くフロア内の騒めきも全てが普段通り。

何も変わらない仕事風景が流れていく社内で私の心の変化に気づく者などいないだろう。

そして、『橘真紘』と私の関係が終わった事に気づく者も誰もいない。

会社内で彼との関係を隠すように強要したのは私だった。それが今となっては自分自身を苦しめる。

営業部内で広まりつつある噂が私の胸の傷をジクジクと傷ませる。

『橘君と麻里奈ちゃん、付き合い始めたらしいよ………』

彼の手を離したのは私自身なのに、その噂を耳にするたびに、思い知らされる彼への想いと嫉妬心。

そんなドス黒い感情を自覚する度に、自分自身が嫌いになっていく。

ーーー本当の私は嫉妬深くて女々しい女………

仲睦まじい二人を見ているのも嫌で、席を立つと、足早にフロア内から退室した。





「鈴香さん!こんばんわ。
昨夜ぶりですねぇ。今夜は何にしますか?」

カウンターの一番奥の席に腰掛け、目の前に立ち人懐っこい笑みを浮かべるバーテンダーに視線を投げる。

黒のカマーベストにスラックスを着て、蝶ネクタイをつけた目の前の彼の格好は、初対面を知っているだけに大人っぽく映る。

ーーー人って変わるものよね………

金髪に片耳にズラッとピアスをつけ何処ぞのチンピラみたいな格好をしていた彼とは別人のようだ。

まぁ、人好きのする笑顔は変わらないけどね………

目の前でシェイカーを振る彼こと『ゆう』との再会は偶然だった。あのクリスマスイブの夜に橘と過ごしたBARに入ろうと思ったのはほんの気まぐれだったのだろう。一人誰もいない部屋に帰るのも寂しくて、フラフラと街を歩いていた時に、気づいたらあのBARの前にいた。

ちょうど橘と麻里奈ちゃんの噂が営業部内で流れ始めた頃で、自身の感情に振り回され自棄になっていたのかもしれない。

良い意味でも悪い意味でも私にとっては謂くつきのBARだ。そんな所で飲もうだなんて、あの日の私の精神状態は最悪だった。

ーーー橘との接点を捨てきれず、こんな所に通ってしまうなんて………

自嘲的な笑みがひとつ溢れ、暗澹たる気持ちを振り払うように目の前の彼に話かける。

「そうね。今日は何にしようかな?
オススメはある?」

「オススメですか?じゃあ………
メリィ・ウィドーなんてどうですか?」

「メリィ・ウィドーって貴方………
カクテル言葉知って言ってるのよね?」

「もちろんそうですよ。もう一度恋を………
鈴香さん、最近落ち込んでいるみたいだし、失恋でもしたのかなって。女性がヤケ酒するのは大抵失恋した時ってね。
俺なんてどうですか?優良物件ですよ。顔良し、性格良し、あと家事全般こなせるんでヒモに如何でしょうか?」

目の前でニッと笑う優を見て、あからさまなため息をついてやる。

「はぁぁ、初対面の女を酔わせて襲おうとしていた奴と付き合う訳ないでしょ。
クラブでの事、忘れた訳じゃないからね!」

「ははっ、冗談ですよ。真紘さんがいるのに貴方に手なんて出せませんよ。で、真紘さんと何があったんですか?そろそろ教えてくれてもいいでしょ」

優の口から突然出た橘の名前に、心臓が大きく跳ね上がる。

「た、橘君は関係ないでしょ。別に彼とは何でもないのよ。何でもない………」

「そうですか?俺にはそう見えなかったけどなぁ。女の事で怒りを露わにした真紘さんなんて初めて見たもん。
あの時は、マジで殺されるかと思いましたよ。目で人を射殺すっていうのか、今思い出しても冷や汗が出る。基本、あの人女の事はどうでもいいと思っている節があるし、あの見た目でしょ、寄ってくる女は後をたたず、より取り見取りのくせに今までどんな女にも執着しなかったんですよ。まぁ誘われれば相手もするし、ワンナイトラブなんてザラで、来る者拒まず、去る者追わずの態度だったから、連んでいた奴等ですら、今まで誰かに執着する真紘さんなんて見た事ないと思う。それにあの日以来、クラブにも来なくなったし、俺はてっきり鈴香さんが本命かと思っていたけど、違うの?」

「………ただの同僚よ」

疑わし気な視線を投げる優に、愛想笑いを浮かべ逃げをうつ。

「そうかなぁ?絶対怪しい………
真紘さんの仲間内の中では、まだ付き合いが浅い方だけど、それでも二年以上は連んでいる俺の知る限り恋人が居たなんて話も今まで聞いた事なかったし、ましてや女性をお姫さま抱っこして、クラブから連れ出すなんて初めて見たしね。それで、ただの同僚ですって言われてもなぁ。じゃあ、まさかの真紘さんの片想い⁈」

「まさかぁ………
もう、これ以上詮索しないの!仮にも私はお客様です‼︎
それより、橘君とは長い付き合いなのね。なかなか二年も連んでいるなんて、今時の男の子は普通なの?」

「今時の男の子って、大して鈴香さんと年齢変わらないでしょ。10歳も変わらないでしょうに」

「三十路のオバサンと二十歳はたちそこそこの子じゃ、上る話題すら違うでしょ。貴方は間違いなく今時の男の子ですよぉ」

「そうかなぁ?年齢なんて関係ないと思うけど。今だって楽しく鈴香さんと会話出来てるし、話題に困る事もない。人好き合いするのに大切なのは、年齢じゃなくて相手とフィーリングが合うかどうかじゃないかな。同世代だって知らない事や合わない話だってある。別々の人間なんだし、興味を持つ分野も人それぞれ。それこそフィーリングが合う人なら老人とだって意気投合出来るでしょ。
よく今時の若者は~とか、老害の戯言は~とか言うけど、年齢関係なくない?って俺は思う。人それぞれでしょ」

ーーー橘にも同じような事を諭された………

『………年齢とは関係なく、あかの他人なんだから始めは知らない事だらけだ。それを知っていくのが男女関係の第一歩なんじゃない。お互いの考え方や価値観、生活スタイル、果ては性癖まで知っていく中で、相手の事を理解し、嫌なところも含めて好きになっていく。そこに年齢は関係ない』

私はいつまで経ってもダメダメだ。

橘と年齢的にも釣り合いの取れる『麻里奈ちゃん』と言う存在に気後し、自身の気持ちに蓋をして彼女の要求に従ってしまった。

先輩風を吹かせ、彼女と橘を二人きりにしたのは自分自身だと言うのに、理不尽な八つ当たりをした挙げ句、彼の手を離す選択をした。なのに未だに愚痴愚痴と嫉妬してヤケ酒に走っている。

よっぽど目の前の優の方が大人だ。

私はあの時から何も変わっていない。周りの目を気にして、『橘真紘』という存在に向き合おうとはしなかった。

ーーーそして、逃げ出した。

橘からも麻里奈ちゃんからも………

「こんな話、鈴香さんにして良いのか分からないけど………
真紘さんって、たぶん鈴香さんが思っている以上に優しくて芯のある人だと思うよ。確かに女癖悪いし、性に奔放な態度取るから普通の女性からしたら、クズ男に見えるかもしれないけど、仲間内ではかなり評判良いって言うか、簡単に言うと兄貴肌な所があるんだよ。本気で困っている仲間は見捨てないんだよ、あの人。まぁ、俺も真紘さんに救われた口なんだけどね。馬鹿やったせいで、バイトもクビになって、明日の生活にも困窮していた俺に、ココで働けるように口利きしてくれたのも真紘さんなんだ。当時、知り合って半年も経っていない俺にさ。もちろん中には、真紘さんの顔目当てで寄ってくる女のおこぼれを狙う奴らもいるけど、あの人の周りには、真紘さんの性格や漢気に心酔して側にいる奴らも一定数いるのも事実で………」

ーーー彼の優しさなんて知っている………

一緒にいる時間が増えれば増える程、変わっていった印象。

『優しくて芯のある人』

目の前の彼が語る『橘真紘』が本来の姿だって今なら分かる。

「優しい人………」

「だからこそ不思議なんだよなぁ?
女性に対する扱いが雑というか………
どこか遊び相手の女に向ける視線が冷たいんだよ。たぶん、言い寄ってくる女達を軽蔑していたんじゃないかな。いい雰囲気になった女が、他の男に言い寄られようが、お持ち帰りされようがガン無視だったしね。それが鈴香さんだけは違ったからさ、仲間内では真紘さんの本命現わるって一時大騒ぎになってたんだよ」

確かに、をしていた時の橘の態度は悲惨だった。相手の事を思いやるなんて事は皆無で、やりたいように振る舞う暴君そのもの。遊び相手の女達も気に入らなければ簡単に切り捨てて来たのだろう。


ーーーあの空虚な瞳に魅せられた………

全てを諦めたような空虚な瞳から覗く、苛立ちや悲しみを私は確かに感じ取っていたのだ。

『橘真紘』の過去には、女という生き物を軽蔑し恨むほどの何かがあった。

「橘君は、昔から女性にはそんな態度だったの?」

「俺が出会った頃の真紘さんと今の真紘さんはあまり変わらないと思います」

「そう………
昔、何かあったのかしらね?」

「さぁ?
たぶん誰も知らないと思う。真紘さん、過去を話したがらないから………」

空になったグラスの中で溶けた氷がぶつかりカラッと音を立てる。

「ご馳走さま。また来るわね」

席を立つと、目の前の彼に手を振り店を後にした。





しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

推活♡指南〜秘密持ちVtuberはスパダリ社長の溺愛にほだされる〜

湊未来
恋愛
「同じファンとして、推し活に協力してくれ!」 「はっ?」 突然呼び出された社長室。総務課の地味メガネこと『清瀬穂花(きよせほのか)』は、困惑していた。今朝落とした自分のマスコットを握りしめ、頭を下げる美丈夫『一色颯真(いっしきそうま)』からの突然の申し出に。 しかも、彼は穂花の分身『Vチューバー花音』のコアなファンだった。 モデル顔負けのイケメン社長がヲタクで、自分のファン!? 素性がバレる訳にはいかない。絶対に…… 自分の分身であるVチューバーを推すファンに、推し活指南しなければならなくなった地味メガネOLと、並々ならぬ愛を『推し』に注ぐイケメンヲタク社長とのハートフルラブコメディ。 果たして、イケメンヲタク社長は無事に『推し』を手に入れる事が出来るのか。

病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない

月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。 人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。 2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事) 。 誰も俺に気付いてはくれない。そう。 2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。 もう、全部どうでもよく感じた。

イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?

すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。 「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」 家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。 「私は母親じゃない・・・!」 そう言って家を飛び出した。 夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。 「何があった?送ってく。」 それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。 「俺と・・・結婚してほしい。」 「!?」 突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。 かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。 そんな彼に、私は想いを返したい。 「俺に・・・全てを見せて。」 苦手意識の強かった『営み』。 彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。 「いあぁぁぁっ・・!!」 「感じやすいんだな・・・。」 ※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。 ※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 それではお楽しみください。すずなり。

イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?

すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。 翔馬「俺、チャーハン。」 宏斗「俺もー。」 航平「俺、から揚げつけてー。」 優弥「俺はスープ付き。」 みんなガタイがよく、男前。 ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」 慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。 終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。 ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」 保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。 私は子供と一緒に・・・暮らしてる。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 翔馬「おいおい嘘だろ?」 宏斗「子供・・・いたんだ・・。」 航平「いくつん時の子だよ・・・・。」 優弥「マジか・・・。」 消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。 太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。 「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」 「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」 ※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。 ※感想やコメントは受け付けることができません。 メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。 楽しんでいただけたら嬉しく思います。

あまやかしても、いいですか?

藤川巴/智江千佳子
恋愛
結婚相手は会社の王子様。 「俺ね、ダメなんだ」 「あーもう、キスしたい」 「それこそだめです」  甘々(しすぎる)男子×冷静(に見えるだけ)女子の 契約結婚生活とはこれいかに。

私の婚活事情〜副社長の策に嵌まるまで〜

みかん桜(蜜柑桜)
恋愛
身長172センチ。 高身長であること以外はいたって平凡なアラサーOLの佐伯花音。 婚活アプリに登録し、積極的に動いているのに中々上手く行かない。 名前からしてもっと可愛らしい人かと…ってどういうこと? そんな人こっちから願い下げ。 −−−でもだからってこんなハイスペ男子も求めてないっ!! イケメン副社長に振り回される毎日…気が付いたときには既に副社長の手の内にいた。

隠れオタクの女子社員は若社長に溺愛される

永久保セツナ
恋愛
【最終話まで毎日20時更新】 「少女趣味」ならぬ「少年趣味」(プラモデルやカードゲームなど男性的な趣味)を隠して暮らしていた女子社員・能登原こずえは、ある日勤めている会社のイケメン若社長・藤井スバルに趣味がバレてしまう。 しかしそこから二人は意気投合し、やがて恋愛関係に発展する――? 肝心のターゲット層である女性に理解できるか分からない異色の女性向け恋愛小説!

英国紳士の熱い抱擁に、今にも腰が砕けそうです

坂合奏
恋愛
「I love much more than you think(君が思っているよりは、愛しているよ)」  祖母の策略によって、冷徹上司であるイギリス人のジャン・ブラウンと婚約することになってしまった、二十八歳の清水萌衣。  こんな男と結婚してしまったら、この先人生お先真っ暗だと思いきや、意外にもジャンは恋人に甘々の男で……。  あまりの熱い抱擁に、今にも腰が砕けそうです。   ※物語の都合で軽い性描写が2~3ページほどあります。

処理中です...