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第3章
薔薇園での誓い
しおりを挟むナイトレイ侯爵家で過ごすのも今日で最後かぁ……
アイシャは、居間でお気に入りの本を読みながら、ナイトレイ侯爵家で過ごした日々を思い出していた。
(キースは、ずっと私に付きっきりだったわね。本当、慣れって怖い……)
始めは、キースの過度なスキンシップに、いちいち真っ赤になっていたアイシャだったが、今ではフォークに刺さった果物を目の前に差し出され、反射的にパクッと食べてしまえるくらいには、動じない精神力がついてしまった。
ナイトレイ侯爵家へ来てからの数週間で、キースの術中にはまり、掌の上でコロコロと転がされているような気もするが、今さらである。しかも、アイシャとキースの恥ずかしいやり取りを、ナイトレイ侯爵や夫人、はたまた使用人の皆様にまで、生温かな目で見守られていたとは、今考えても、恥ずかしさで憤死する。
そして、昨晩の夕食の席、明日、ナイトレイ侯爵家を去るアイシャへと、侯爵夫人から熱烈アプローチという名の爆弾が投下された。驚きでアイシャがひっくり返りそうになったのは、ここだけの話だ。
『リンベル伯爵家へ戻っても、直ぐにナイトレイ侯爵家へ戻って来て下さいね。わたくし、お嫁に来る方の花嫁衣装を一緒に考えるのが夢でしたの。すでに、デザイナーからお針子さんまで最高の技術者を調達済みですのよ。あぁ~、真っ白なウェディングドレスを着たアイシャ様、想像するだけで涙が出そう。あら? 何だったらこのまま花嫁修行もここですれば良いじゃない。善は急げね。リンベル伯爵家へ伝令を――』
急展開に唖然と夫人を見つめることしか出来ないアイシャと、その隣で、ニコニコと夫人の暴走を眺めるキース。そして、執事が夫人の命令を実行しようとして、やっと暴走を止めに入った侯爵という、ある種異様な雰囲気の中、進む食事。そんな家族団欒を微笑ましく見つめる使用人の皆様の温かい目。
もちろん、アイシャの背を大量の冷や汗が流れていったのは、言うまでもない。
侯爵に嗜められ、ブー垂れていた夫人の恨めしげな瞳が、アイシャをロックオンしていたが、ソッと目を逸らし、夫人の視線を回避するしか、残された道はなかった。
(侯爵夫人怖過ぎる。ナイトレイ侯爵家、怖過ぎる……)
「アイシャ様、キース様から『庭園を散歩しませんか』との、お誘いですが如何されますか?」
昨夜繰り広げられた恐怖の晩餐を思い出し、身震いしていたアイシャに、専属侍女が声をかける。
「庭園の散策?」
「はい、薔薇園の散策をと」
ナイトレイ侯爵家へ滞在するようになってから、キースと共に歩行練習がてら、薔薇園の散策をするようになったアイシャは、赤色、黄色、紫色、白色……、色とりどりの薔薇が咲き誇る庭園での散歩が大のお気に入りだった。入り組んだ迷路のように造られた生垣がある薔薇園は、歩いているだけでも楽しい。
(あの薔薇園も見納めね)
「ご一緒すると、キース様に伝えてもらえる?」
「かしこまりました」
キースとも最後なのよね……、たくさん迷惑をかけた。心配もたくさんかけてしまった。最後くらい、きちんとお礼を言わなくちゃね。
退室する侍女を見送ったアイシャは、ソファから立ち上がると、準備に取り掛かった。
♢
「この薔薇園も見納めですのね。ナイトレイ侯爵邸は、本当に庭園が美しい。ここの薔薇園も素敵ですが、柔らかな陽ざしが差し込む木立のトンネルを歩くのも好きでしたわ」
キースの腕に手を添えて、色とりどりの薔薇が植えられた生垣の道を歩く。
「よく、木陰でのんびりと、読書をしましたわね。気持ちよくって、うたた寝もたびたび、キース様に何度も起こしてもらいましたわ」
「そうだったな。俺にとっても、あの時間は特別だった。アイシャの寝顔を間近で見れる貴重な機会だったから」
「ふふふ、おかしなキース様。私の寝顔など、見ていても楽しくありませんのに」
「そんなことはないぞ。幸せそうな寝顔を見る度に、どんな夢を見ているのか考えていた。夢の中に、俺が出てくることを願いながら、ね」
さらっと、言われた甘い言葉にも、アイシャは頬をわずかに染めるだけで、ここへ来た当初のように慌てることは、もうない。ナイトレイ侯爵家に来て、数週間。それだけ長く、濃密な時間をキースと過ごして来た証でもあった。
「明日で、木陰での読書も終わりかと思うと、寂しいですわね。この薔薇園とも……。ナイトレイ侯爵家の皆様には、本当に良くして頂きました。たくさんご迷惑をお掛けしましたのに、嫌な顔ひとつせず接して下さり感謝しております」
「なんだか、このままアイシャがナイトレイ侯爵家とは疎遠になってしまうのではないかと、心配になってしまう口ぶりだね」
「えっ!? そんなつもりでは……、長い間、迷惑をかけたのは事実ですし、皆様に良くして頂きましたのでお礼をと思いまして。それにキース様には本当に心配ばかりかけてしまって。ナイトレイ侯爵家の皆様のおかげで、そしてキース様のおかげで、辛く、苦しかった日々が楽になりました。本当にありがとうございました」
アイシャはキースの腕から手を離し、深々と頭を下げる。
「ねぇ。アイシャ、顔をあげて」
下げていた頭を上げたアイシャの目の前には、真剣な眼差しを自分に向け膝まずく、キースの姿があった。
「――――えっ!? あのぉ……」
私どうしたらいいのよぉぉぉぉぉ……
これどっかで見たことある。まさかのプロポーズってやつ?
ははは、まさかぁ~、…………冗談よね??
ひとり脳内ノリツッコミを展開しながらアワアワしていたアイシャを見上げ、彼女の左手を取ったキースが話し出す。
「アイシャ、真剣に聞いて欲しい。貴方の心にリアムが居るのは分かっている。しかし、俺はどうしても貴方を諦める事なんて出来ない。今は、リアムの身代わりだって構わない。いつか貴方はリアムを忘れられる日が来る。いや、俺が忘れさせる。これからの人生、俺と歩む道を真剣に考えて欲しい」
目の前に跪き、自分を見つめるキースの熱い眼差しに囚われ、身動きが取れない。キュッと握られた左手から伝わる熱が全身を巡り、アイシャから言葉を奪う。真剣な眼差しを向けるキースを、ただ見つめることしか出来ない。
「リアムのことで悲しむ貴方をもう見ていたくない。俺の側で笑うアイシャをずっと見ていたいんだ。もう貴方を一人で悲しませたりしない。俺がずっと側にいる。――――アイシャ、結婚して欲しい」
キースに握られた左手の薬指に、ゆっくりと指輪が通され、キスが落とされる。
見事なブルーサファイアを中心に左右に小さなアクアマリンの石が配されたシルバーの指輪。キースの瞳の色とアイシャの瞳の色が配された指輪。その指輪の意味をアイシャは知っている。
『誓いの指輪』
結婚を約束した婚約者へと最後に贈る指輪。男性側の瞳の色の宝石を配した指輪を女性側が受け取る行為は、貴方との結婚を承諾したという意味になる。
エイデン王国では、結婚の最終判断は女性に委ねられる。『誓いの指輪』を受け取らなければ、結婚を承諾した事にはならない。しかし、この指輪を受け取ってしまえば、滅多な事がない限り、結婚を反故には出来ない。それ程、重要な指輪なのだ。
左手の薬指でキラキラと輝く青い石に、己の顔が写り、心が揺れ動く。心の奥底に閉じ込めたはずの淡い想いが、キースの手を取ることをためらわせ、頭を混乱させる。
『誓いの指輪』にキスを落とせば、了承の意になることもわかっている。
このままキースと結婚する未来。
(リアムを忘れられる日は、本当に来るのだろうか?)
そんな疑問が頭の中をクルクルと回り、身動きが取れない。
キースと過ごした日々は、幸せに満ちていた。自分のことを一番に優先してくれるキース。ナイトレイ侯爵家へ来てからというもの、鬱々とした日々が嘘だったかのように楽しい毎日だった。彼の紡ぐ言葉に嘘、偽りはない。リアムに裏切られた心を癒せたのはキースが、ずっと側にいてくれたから。
彼との結婚生活は、きっと幸せに満ちている。そして、ナイトレイ侯爵家の皆様にも結婚を歓迎されている今、何をためらう必要があるのだろうか。
(リアムは私を裏切り、苦しめた男よ! キースと幸せな家庭を築こう。楽しくて、笑いの絶えない家庭を……)
きっと忘れられる。きっと…………
アイシャは、握られていた左手の薬指へと唇を持っていき、青く輝く『誓いの指輪』へとキスを落とした。
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