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第2章
恋心と不安
しおりを挟むリアムと過ごす船旅の最終日。
アイシャは朝から侍女の手により、船旅最後の夜に開かれる仮面舞踏会に向け、身体をピカピカに磨かれていた。贅沢にも部屋に備えつけのバスタブにゆっくりと浸かり、キラキラと輝く海面を小さな丸窓から眺め、リアムと過ごした日々を思い出す。
この船旅が始まる前までは、自らの意思でリアムにキスをする日が来るなんて、思ってもみなかった。己の趣味を暴露し、彼が認めてくれた日、心の奥底で燻っていた恋心を自覚したのだと思う。
腐女子であることを言うのが怖かったのも、趣味を暴露し彼に笑われた時、悲しみで怒りが沸き起こったのも、それが誤解だと知り、心が喜びに満たされたのも、全てリアムが好きだったから。
恋を自覚してしまえばリアムの言動に、一喜一憂してモヤモヤしていた理由もわかる。
(まるっきり、恋する乙女の反応よね)
『男女の駆け引きに疎い私を揶揄って遊んでいるだけ』と思うたび、心の奥底で感じていた痛みも、女として見られていないと悲しかったから。
リアムからの好意を、素直に受けとるようになってからのアイシャは、幸せだった。二人だけの食事も、デッキチェアに寝そべり、たわいない会話をするのも、ロイヤルスウィートのソファで昼寝をするリアムに、膝枕をするのも、二人で一緒に過ごす時間は幸せに満ちていた。
今日の夜会を最後に、リアムとの船旅が終わってしまうのかと思うと寂しくて仕方がない。
(でも、下船してからの方が、色々と忙しくなるわね)
まずは両親に、リアムからのプロポーズを受けたと伝え、許してもらう必要がある。そして一番の難関、ノア王太子との一週間。時間的にも、反故にすることは出来ないだろうから、リアムと婚約すると伝え、納得してもらわなければならない。もちろんアナベル様とノア王太子をくっつける事が出来たら万々歳だ。
そして、キースへも、お断りをしなくてはならない。ナイトレイ侯爵領で過ごした日々は、温かな思い出として心に残っている。キースとのわだかまりもなくなり、今では友と呼べる関係にまで成れたと思っている。誠意を持って、リアムとのことを伝えなければダメだ。
「アイシャ様、そろそろ湯船から上がった方がよろしいかと思います。夜会の準備も致しませんと。それに、のぼせてしまいますわ」
侍女の声に、思いの外ゆっくりしていた事に気づき、慌てて湯船から上がる。
「ごめんなさい。すぐ出るわ」
「バスローブをご用意してありますので、ゆっくりお越しくださいませ」
慌てて浴室から出たアイシャは、待ち構えていた侍女総出でマッサージを施され、ピカピカの身体で私室のソファへと座わった。浴室に行く前まではなかった箱が、いくつもテーブルの上に置かれている。
「アイシャ様、こちらはリアム様からのプレゼントでございます」
そばで控えていた侍女から、メッセージカードを受け取り開ける。
『今夜は、船旅最後の仮面舞踏会ですね。私はきっと、地上に舞い降りた小悪魔に魅了されてしまうのでしょう。仮面の下の美しい瞳に恋をした哀れな私の願いを、叶えてはくれないだろうか。舞踏会場でお待ちしております。私の愛しい人』
なななななんて、恥ずかしいメッセージを送ってくるのよぉ。
みるみると熱を持ち始めた頬を冷ますべく、手で顔を仰ぐが、一気に燃え上がった熱が治まる気配はない。
「アイシャ様はリアム様から、とても愛されているのですね。わたくし、長年ウェスト侯爵家に仕えておりますが、リアム様が令嬢にメッセージカード付きのプレゼントをお贈りするのを初めてみました。侍従の話ですと自らプレゼントもお選びになったとか。そちらの箱もぜひ開けてみてください」
侍女に勧められるまま、一番大きな箱のリボンを解き蓋を開ければ、中からコバルトブルーのドレスが出てきた。
「なんて、素敵なドレスなの……」
胸元はシンプルなコバルトブルーの生地だが、腰から足元にかけて、幾重にも重ねられたドレープは、鮮やかな青から深い藍色へと変化するグラデーションが施されている。そして、美しい海を思わせる青色のドレスの表面には、大小様々なスパンコールがキラキラと輝き、贅沢の一言に尽きる。
このドレスを着て歩けば、足元の生地が揺れるたびに、キラキラと輝き、とても綺麗だろう。
アイシャはドレスを胸元に抱き寄せ、その滑らかな生地の感触に、しばし陶然とする。
「アイシャ様、こちらも素敵ですわ」
うっとりとドレスを抱きしめていたアイシャが、侍女の声に振り向けば、ビロードの生地に覆われたジュエリーケースを手渡された。そして、ケースを開ければ、大粒のブルーサファイアのネックレスと、おそろいの涙型のイアリングが入っている。
「さすが、リアム様ですわ。このネックレスとイアリングを身につけるなら胸元はシンプルなデザインのドレスでないと合いませんわ」
「確かに、そうね」
「きっと、アイシャ様がこのドレスを身につけ、着飾った姿を想像して用意なさったのね。リアム様は、今夜の仮面舞踏会でアイシャ様と過ごされることを、乗船前から楽しみにしていらしたんだわ」
侍女の言葉に、ずっと前から、リアムがアイシャのことを想い、準備を重ねてきてくれていたと知り嬉しくなる。
こんな凝った作りのドレス、たった数日で用意出来る代物ではない。何日も、何週間も、何ヶ月も前から準備をしなければ、今回の船旅に間に合わせる事は出来なかっただろう。
社交界の寵児と言われ、今までもたくさんの女性を虜にして来たリアム。夜会で彼を取り囲む令嬢達の反応が、それを物語っていた。そんな煌びやかな令嬢達ではなく、昔馴染みのアイシャをリアムは選んでくれた。そのことが、何よりも嬉しかった。
だからこそ、不安にもなるのだ。
リアムからの好意を疑ってはいない。しかし、超優良物件の彼に、今まで女性の影がなかったのかは正直わからない。
社交界デビューを果たしたばかりのアイシャでは、リアムが貴族の中で、どのような立ち位置にいるのか、そして過去の女性関係がどうなっていたのかなど、わからないことだらけだ。
好きだからこそ、不安になってしまう。
(婚約した途端、昔の女がしゃしゃり出てきたらどうしよう……)
「あのね、リアム様には、今まで婚約者とか恋人とか、想い人はいなかったのかしら?」
「わたくしの口からは何とも、お伝え出来ないプライベートな事ですのでご容赦くださいませ」
「ま、そうよね。守秘義務があるものね」
「では、一点だけ。リアム様が女性をウェスト侯爵家にお連れになったことは一度もございません。ですので、今回の船旅に、アイシャ様を招待されると知った時は、驚きましたわ。リアム様、直々に専属侍女を任命された時も、『とても大切な女性だから、しっかり仕えて欲しい』と言われ、アイシャ様こそ、リアム様の想い人なのだと、確信致しました」
「それは、本当なの? 信じられないわ。いつだってリアム様は、わたくしを揶揄ってばかりで、恋愛感情があるだなんて、最近まで知りませんでしたの」
「まぁ。愛しい人ほど苛めたくなってしまうのが、男の性と言いますし」
「そういうものなのね」
そんな、たわいない会話をしながら、アイシャは侍女に青のドレスを着付けてもらい、揃いのジュエリーを身につける。
「素敵ね……」
鏡に写ったアイシャは、文句なしの出来栄えだった。
コバルトブルーから深い藍色へとグラデーションが施されたドレスは、動くたびに光を反射して、ほのかに輝いて見える。ドレスに合わせて作られたブルーサファイアのネックレスは、シンプルな胸元を華やかに彩り、涙型のイヤリングも揺れるたびにキラキラと輝く。
「アイシャ様、仕上げでございます」
「まぁ、素敵な仮面」
侍女から手渡されたのは、精緻な細工が施された銀色の仮面だった。鏡をそっとのぞき見ると、そこには目元を仮面で隠した魅惑的な女性が写っている。
(これが、私なの? こうして見ると金髪もハーフアップにして、キツめの目元も仮面で隠すと美女風になるのね)
キツめの目元と金髪が妙な迫力を醸し出し、性格悪そうな女に見えるのが悩みの種だったアイシャには、鏡に写った自分の変身ぶりに驚く。
支度を手伝ってくれた侍女の腕に、ただただ感心するばかりだ。
「アイシャ様、とっても素敵ですわ。これなら、リアム様も惚れなおすかと思います」
「ありがとう。貴方の腕がとても良いからだわ。あとは素敵なドレスのおかげかしら。では、行ってくるわね」
侍女の見送りを背にアイシャは、舞踏会場へ向け歩き出した。
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