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第1章
あぁ、無情
しおりを挟む一陣の風が吹き抜ける中、アイシャは短剣を構えキースと睨み合っていた。
「とうとう血迷ったのか。そんな短剣で俺に勝とうなんて、馬鹿につける薬はないな。今日で目障りなお前が、俺の前から消えるかと思うと、せいせいする。精々がんばるんだな」
(なんとでも言えばいい。絶対に証明してみせる。今までの努力は、ムダじゃなかったって)
師匠とお姉様方、そしてリアムが見守る中、アイシャは短剣を握り直し、走り出した。
突進してくるアイシャをかわしたキースの容赦ない一撃が振り下ろされる。しかし、短剣の刃でなんとか、それを受け止める。
(相変わらず重い剣だこと)
手がビリビリ痛むが必死に堪え、刃を滑らせ下からキースの懐に飛び込み肘鉄を喰らわせるが、所詮女の力では限界がある。
鋼のような固い筋肉に阻まれ、大したダメージは与えられない。しかも、反対に肘鉄を喰らわした腕を取られ、捻り上げられてしまった。
「うっ、わぁぁぁ……」
苦痛に歪むアイシャの顔を見たキースが意地の悪い笑みを浮かべる。
「そろそろ諦めて降参したらどうだ?」
「――――ま、まだよ」
「そうか、なら死ねばいい」
背後からキースに突き飛ばされ、地面を転がる。ハッと気づいた時には目の前に剣の刃が迫っていた。
すんでのところで身体を反転させ交わし、地面を転がる。
「さっさと諦めて、令嬢は家で刺繍でもやってろ!」
長剣を肩に担ぎ、高笑いをかますキースにも腹が立つが、十年間の努力と女性を見下したかのような物言いに、アイシャの中の怒りが爆発した。
(アイツには逆立ちしたって勝てないのはわかっている。でも、自分なりに努力してきたのよ)
師匠やお姉様方、そしてリアム。
皆が協力してくれてここまで来れたのだ。そんな協力者の事までキースは侮辱した。
(私のことは、殺したいほど憎んでいたっていい。でも私の大切な人達を侮辱したことは絶対に許さない)
アイシャの中の怒りが、闘争心を掻き立てる。
(ここで負けるわけにはいかない! 一矢報いるまでは!!)
吹っ飛ばされ、地面に叩きつけられて痛む身体を叱咤し立ち上がる。
重く動かない足を引きずり、ゆっくりとキースとの間合いを詰める。再度構え直したキースの長剣が目に入ると同時に、アイシャは最後の力を振り絞り駆け出した。
(相討ちでも構わない)
短剣の柄を強く握り直し、キースに突進する。
振り下ろされる長剣をギリギリで避け、勢いのままキースの懐に剣を打ち込んだ。
――――もう、限界だった。
気づいた時には短剣を握りしめたまま地面に倒れていた。
(やっぱり、負けたのか……)
「勝者、アイシャ!」
「えっ!?」
勝利を告げた師匠の声に、重い身体を起こせば、地面に倒れたキースが見えた。
(何が起こったの?)
自分の目に写るものが信じられない。
(キースが倒れている)
その場に居合わせた全員が倒れたキースを見つめる中、いち早く我に返った師匠がキースに駆け寄り、状態を確認する。
「すまんが、このまま救護室へ向かう」
意識のないキースを背負い師匠が立ち去ると、アイシャもまた緊張の糸が切れたのか、そのまま意識を手放した。
♢
(ここ、どこかしら?)
アイシャの目には、真っ白な天井が見える。そしてわずかに視線を横へとずらせば、開け放たれた窓から爽やかな風が吹き込みカーテンが揺れる。
起き上がろうとして身動いだが、身体の節々が痛み諦めた。
(あの後、私どうしたのかしら?)
キースが倒れ、意識がないアイツを師匠が背負い。
記憶がそこで途切れている。
(わたし、本当にキースに勝ったのかしら? でも不思議よね……)
確かにあの時、自分の中から溢れ出した力を感じた。きっと怒りで火事場の馬鹿力を発揮したのだろう。
まぁ、最後に一矢報いる事が出来た。これで悔いなく立ち去ることが出来る。
(結局、キースが何故わたしをあそこまで憎んでいたのかは分からず仕舞いね。 アイツは過去の人、さっさと忘れましょう!)
「アイシャ、入るぞ」
扉を開け、入って来たのは師匠だった。
「身体は大丈夫か?」
「ははは、全身痛いですぅ」
「まぁ、あれだけやり合えば仕方ないだろうなぁ。でも最後にキースに勝てたんだ。今まで頑張って来た甲斐があったな」
「私、本当にキースに勝てたのですか? あの時は無我夢中で、気づいたら地面に倒れていて、アイツも倒れていた。どうなったか、全く覚えていないんです」
「あの時……、アイツの懐に飛び込んだアイシャの短剣の一撃が腹に入ったんだろう。アイツが咄嗟に長剣の刃で短剣の刃を防いでいなければ、模擬刀でも大怪我をしていた。アイツの長剣の刃は完全に折れていた」
「そうですか。どうしてあんな力が出たのか? 人間、切羽つまると火事場の馬鹿力が出るもんなんですねぇ~」
「はっ!? お前、何も気づいていないのか?」
「何がですか?」
「まぁいい。知らん方が幸せな事もある。気にするな。それよりも、アイシャはキースと仲違いしたまま別れてもいいと思っているのか?」
「私は会った時からキースには何の感情も抱いておりません。あちらが一方的に私に敵対心を抱いているだけかと思いますが」
「まぁ、そう思うのが普通か」
「毎回、殺意のこもった目で見られ、酷い言葉を浴びせられれば、嫌いにもなります。今さらアイツと話すことなんて何もありません」
「アイシャはキースがどうしてそこまで君を嫌っているのか知りたいとは思わないのか?」
「私を嫌っている理由ですか? 別に……」
「俺はキースの兄でもあり、剣の師匠でもあったんだ。弟子が仲違いしたままなのは寂しい。出来ればこの機会に歩み寄れないだろうか?」
「私が何をしても、アイツの気持ちが変わらない限りどうしようもないと思いますが」
「実は外にキースを待たせている。アイツもアイシャと話をしたいそうだ。二人で話し合ってくれ!」
「えっ!? し、師匠? 待ってくださいぃぃぃぃぃ」
それだけを言い残し、師匠が去っていく。
(アイツが私と話したいなんて嘘でしょ!! 逃げたい……)
思うように動かない身体を恨めしく思いながら、アイシャは天を仰いだ。
♢
(何か言ったらどうなのよぉ!)
師匠と入れ替わりに入って来たキースだったが、無言のまま部屋に置いてある椅子に座わり、沈黙している。
(起き上がることも、部屋を出る事も出来ないんだから、ダンマリしているならさっさと出て行け!)
そんなアイシャの憤りも虚しく、数十分が経過し、今だに何も言わないキースに焦れたアイシャがきれた。
「話す気がないなら出て行ってくださるかしら?」
「………」
(無視ですか。あぁぁぁイライラする!!)
「黙ってないで何か言ったらどうですか? ルイス様に言われて来たのでしょ。話す気がないならさっさと出て行って!」
「お前のせいで……、お前のせいで兄上はナイトレイ侯爵家の跡取りになれなかったのに。お前さえ生まれて来なければ兄上は俺に跡取りの座を譲らなくて済んだんだ! しかも格下のマクレーン伯爵家に婿入りするなんて! 兄上を不幸にしたのは、全部お前だ!!」
憎悪の篭った目で睨まれるが、キースの意味不明な戯言にアイシャの怒りのボルテージも上がる。
「はぁぁ!? 貴方、なに言ってるの? ナイトレイ侯爵家のお家事情に私を巻き込むのはやめてください。全く、関係ないじゃない。そんな事で私を憎んでいたと言うの! バカバカしい」
「何がバカバカしいんだ!! リンベル伯爵家にお前さえ生まれなければ、ナイトレイ侯爵家は兄上が継げたんだ。お前が生まれたから、リンベル伯爵家と姻戚関係を持ちたい父上は、年の近い俺を跡継ぎに代えたんだ。兄上の未来を奪っておきながら、弟子にもなるなんて厚かましい。どうせ弟子の座だってリンベル伯爵家の力でも使ったんだろ!!」
(なんだその身勝手な言い分は!?)
キースのボルテージが上がれば上がる程、冷静になっていく。
「私との婚約がどうとかと言っておられましたが、それは置いておきましょう。今の話は全くもって私には関係有りませんよね。もし仮に私の存在が本当にルイス様の跡取りの座を奪ったとしても、それでルイス様が不幸になったと言えるのですか?」
「兄上は格下のマクレーン伯爵家に婿入りすることになったじゃないか!」
「一度でもルイス様にマクレーン伯爵家に婿入りして不幸だったか聞いたことがあるのですか?」
「…………」
視線を逸らしたキースを見て、アイシャは大きなため息をつく。
(この分だと、聞いたことすらなかったのね)
「私から見たルイス様と奥様はとても仲睦まじく幸せそうなご様子でした。あのご夫婦ほど、お互いを信頼し合い、仲睦まじいカップルはいらっしゃらないかと」
「えっ!?………………」
キースの目が、驚きに見開かれる。
「それに貴方がナイトレイ侯爵家の跡取りに相応しくない、ルイス様こそ跡取りに相応しいと思っているなら、どうしてそれをルイス様やナイトレイ侯爵様に言わないのですか? しかも、ルイス様と奥様の普段の様子すらご存知ないですよね?」
唇を噛みしめ、言葉を発しないキースを見て、アイシャもまた、あきらめの境地に達する。
ただ、師匠のことを思えば、このままキースを放っておくことも出来ない。
キースの気持ちなど、どうでもいいが、誤解されたまま、兄弟がすれ違ってしまうのは、あまりにも悲しい。
(仕方ないわね)
「キース、もし貴方が、お二人をきちんと理解し、奥様とも交流を持たれていれば、ルイス様がマクレーン伯爵家への婿入りをどう思っているか分かったはずです。貴方の抱いている私に対する憎悪は、ただの八つ当たりです。何の行動も起こさない人から十年間も八つ当たりされ続けた私の立場も考えて頂きたい。話はそれだけです。貴方と話す事はもう有りません。お帰りください!」
項垂れ肩を落としたキースが退室していく。
あの憎悪が兄に対する罪悪感から来る八つ当たりだったなんて、本当バカバカしい。
自分の殻に閉じこもり、周りの意見に耳を塞ぎ、アイシャへの恨みを募らせ、心に溜まった鬱憤を晴らすため、何も知らないアイシャを、キースはサンドバッグ代わりにしていた。
(本当に最低なヤツ。少しは反省してもらいたいわ)
そんなやるせない気持ちを抱え、悶々としていたアイシャの耳に扉を叩く音が聴こえる。
「アイシャ、リアムだ。入るぞ」
部屋に入って来たリアムを見て、先程までのキースに対するモヤモヤが晴れていく。
「身体の状態は大丈夫か?」
「まぁ、全身痛いわねぇ。ここに運んでくれたのはリアム様?」
「あぁ。気を失ったからな。ここは、医務室内の個室だ。動けるようになるまで居て大丈夫だ。ところで、さっきまでキースが来てたのか? アイツとは和解出来たのか?」
「和解って……、ないわね。結局私は十年間ずっとキースの八つ当たりを受けていたらしいわ」
「はぁ? 何だそれ?」
アイシャは、事の顛末をリアムに全て話していた。
「くくっ、ははは。アイツもルイス様の事になるとバカになるらしい。八つ当たりとは、傑作だ」
隣で爆笑するリアムに、ジト目になる。
「ちょっと笑い過ぎよ! 理由もわからず十年間も翻弄された私の身にもなってよね!」
「まぁ、アイツの馬鹿な八つ当たりのおかげで、アイシャとの二人だけの時間を取れたのは幸運だったけどな」
「えっ?? 何か言った?」
椅子から立ち上がり近づいて来たリアムに肩を優しく掴まれ引き寄せられる。
「本当鈍感なんだから。何とも思ってない奴に十年間も付き合うわけないだろう」
「――――っ!?」
リアムに見つめられ、優しいキスが落とされる。
「アイシャ覚えておいて。君の事を誰よりも愛しているのは私だという事を」
最後にアイシャを優しく抱きしめリアムが、部屋から出ていく。
(愛している??)
「えっ!? えぇぇぇぇ!!!!」
静かな医務室にアイシャの大絶叫が響き渡った。
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