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第1章
王族の責任【ノア視点】
しおりを挟むクレアの登場に、さっさとお茶会を辞去してきたノアは、私室に置かれたソファへと腰掛け、ある令嬢のことを思い出していた。
「アイシャ・リンベル伯爵令嬢か……」
黄金色の髪と、ちょっと勝ち気なコバルトブルーの瞳を持つ少女。
あのダニエルが溺愛する妹がいるらしいと噂で聞いたのはいつだったか。
なにかと理由をつけては王城へとやって来る煩い令嬢達には見向きもしないアイツが可愛がる妹。そんな存在がいる事に、単純に興味がわいた。
エイデン王国には変わった慣習がある。貴族家の女児は、七歳の披露目を迎えるまで外へ出してはならない。しかし、こんな慣習、守っている貴族家などほぼいない。そんな古びた慣習を守る貴族家の一つが、王妃である母の妹君が嫁いだ家でもあるリンベル伯爵家だ。
かの家は、王族との繋がりを欲しがる貴族から公爵家と縁の深い高位貴族まで様々な貴族家と交友関係を持っている。もちろんリンベル伯爵家には、そんな貴族家から客がひっきりなしに訪れていた。それなのに、誰もアイシャと会ったことがないという。
厳重に存在を隠されたリンベル伯爵家のご令嬢。そんな秘密めいた令嬢が、七歳を迎える誕生日にお披露目されるという話を聞き、興味がわいた。
名目はアイシャの披露目の誕生日パーティーだが、実際は将来の婚約者を見定める為に開かれるパーティーである事は、招待された家々は言われなくてもわかっていただろう。公爵家から嫁ぎ、王妃を姉に持つルイーザ夫人を娶ったリンベル伯爵との関係を結びたい貴族家は、アイシャとの婚約を是が非にも成立させたいと、あの披露目の会へと参加した。
しかし、あの披露目の本来の目的を知っていた者が、あの場にどれほどいたのか。
「白き魔女と、それを守る両翼……」
(まぁ、おとぎ話と切って捨てて仕舞えば、それまでか。僕には関係ない)
胸に去来したわずかな痛みを無視し、テーブルに置かれたお茶を一気に飲み干す。
あの日、ルイーザ夫人に伴われ、子息の輪へと挨拶に来たアイシャの印象は最悪だった。ゴージャスな金髪の巻き毛につり目がちな目元、濃い目に施された化粧は、七歳にしては迫力ある美人に仕上がっていた。
大輪の薔薇のような、華やかな印象のアイシャを見て、我がもの顔で振る舞っていた、かつての婚約者候補たちとアイシャの印象が重なり、嫌悪感が増していく。
周りの子息もまた、迫力ある美人に気圧されていたのではなかったか。
和やかな雰囲気をぶち壊して登場したアイシャの存在に、その場の空気が硬いものへと変わる。そんな中、挨拶を述べたアイシャが緊張からか噛んだのだ。
誰もが気づかない振りをしようとした。しかし、その微妙な空気を破り、予想外のアイツが言葉を発した。
まさかリアムが令嬢の失敗を笑うとは思わなかった。奴もまたダニエルと同じく女に全く興味がない。いいや、誰に対しても興味がない奴だ。だからこそ、リアムは興味がない奴ほど、丁寧に紳士的に振る舞う。
その社交辞令的な態度に惑わされる者が後を絶たないが、それを見て内心バカにして遊んでいることは、古い付き合いの僕もダニエルも気づいていた。
そんなリアムが、公衆の面前でパーティーの主役であるアイシャを貶めるなんて信じられなかった。
目の前で唇を噛みしめ怒りで震えるアイシャを立場上、無視することも出来ない。面倒だとは思いつつ、気遣いから名乗り出たわけだが、まさかあの場面で握った手を引っこ抜き、あまつさえ後退する女性がいるとは思わなかった。
放心状態のノアを置き去りに場の状態は変化していき、我に返った時にはアイシャは消えていた。
「不思議な少女……」
ただ興味があるというだけでは収まらない感情が、心の中で渦巻いているのを感じる。
(さて、アイシャとクレアの対決。見ものだな)
アイシャを王城へ招待した事をどこで聞きつけたのか、数日前からクレアは荒れていると報告が上がっていた。今日のお茶会は一波乱あるなと思っていたが、想像通りクレアが乱入してきた時は、思わず笑ってしまった。
甘やかされて育ったクレアは、七歳にもなるのに王族としての自覚もなくワガママし放題だ。気に入らない事があれば手当たり次第に当たり散らし、そのトバッチリで辞めていった侍女も数知れず。
『王族の恥さらし、ワガママ王女クレア』、王城で働く者達の間で、そう噂されているのは知っている。
そんなクレアを矯正するために、やっと重い腰を上げた母でさえ困惑するほどのワガママっぷりだと聞いた。
(まぁ、僕にとっては無害でバカな可愛い妹だから放置しているけど。今後邪魔になれば切り捨てればいいだけの話だ)
そんなバカな妹とアイシャが、今、対峙している。どんな騒動に発展するか、楽しみで仕方ない。
ソファから立ち上がったノアは、サイドテーブルへと近づき、置かれていたポットからお茶をカップに注ぐと、一口のむ。
(そろそろ、クレアが駆け込んでくる頃か)
そう考えていれば、自室をノックする音が聴こえる。ノック音に、わずかな違和感を覚えつつも、入室の許可を出せば、想像した通りの人物がいて、笑みを浮かべる。
(不思議なこともあるものだ。いつもはノックすらしない妹が、ノックをするとは……)
『アイシャとの間に何かあったな』という期待感が増し、さらに笑みが深くなる。
「お兄さま、お話がありますの。よろしいかしら?」
神妙な顔つきのクレアが入ってくる。心なしか頬が赤いように見えるが、何があったのか。
「どうしたんだいクレア?」
「わたくし、アイシャとお兄さまとの結婚なら認めてあげられるかもしれない」
「はっ!? 結婚?」
(クレアは何を言っているんだ?)
それだけを言い捨て部屋を出て行くクレアに、ノアの頭の中は疑問符でいっぱいになる。
(お茶会で何があったんだ?)
今更ながらに、お茶会の席を辞した事を後悔するが後の祭りだ。
(仕方がない。気は進まないが、あの人に聞くしかない)
早る気持ちを抑え、王妃に会うため自室を後にした。
♢
「ノア、先ほどは逃げましたわね?」
「ははは、ご冗談を。女性同士のお茶の席に、男は無粋でしょう。だから辞去させてもらっただけですよ」
「まぁ、そういう事にしといてあげましょう」
王妃の間を訪ねたノアは、勧められるまま母の対面のソファ席へと座り、さっそく本題を切り出した。
「ところでクレアはどうしてしまったのですか? 昨日まではアイシャ嬢を散々罵っていたと思いましたが。お茶会で何かありましたか?」
「やっぱり、それが聞きたくてわざわざ来たのね。ノアも悪い子ね、クレアもアイシャも、貴方の遊び道具じゃなくってよ」
「何をおしゃっているのですか、母上。遊び道具だなんて、それこそ二人に失礼ですよ」
「よく言うわよ。お茶会で一悶着あるのは予想していたでしょ。それを全部、母に押しつけて、自分は高みの見物だなんて……、ふふ、ふふふ、でも面白いものを見せてもらったから、不問に処すわ。実わね――――」
そしてノアは、お茶会でのアイシャ嬢とクレアのやり合いを驚愕の面持ちで聞く事となった。
お茶が不味いとメイドに当たり散らしたクレアの頭からアイシャがお茶をかけ、怒り狂ったクレアに平手打ちをかまし、説教したとは。
「また随分と思い切った事をしましたねアイシャ嬢は。紅茶をかけ、平手打ちとは……」
「先に手を出したのはクレアよ。頬を叩かれたアイシャは一切文句も感情に任せ、やり返す事もしなかった。あの娘が感情を表に出したのはクレアがメイドに紅茶の入ったカップを叩きつけた時だけよ」
「ほぉぉ、それはまた」
「下位の者に対する上位の者が振る舞う行動の責任の重さを説くアイシャは、まさしく王者の風格。たった七歳の子が、最も大切な王族としての心構えを理解し、クレアに訥々と説く姿は、信じられない光景だったわ。あの娘は大きく化けるわよ。末恐ろしい少女よ……」
母が獲物を見つけたハンターのように不敵に笑う。
「母上は随分アイシャを気に入ったようですね」
「そういうノアはアイシャの事をどう思っているのかしら?」
「母上の話を聞き、益々興味が湧いたとだけ、言っておきます」
「そう……、でも深入りはダメよ。あの子が、十八歳になるまでは」
「わかっていますよ。古の契約ですか」
「えぇ。あれが、ある限りアイシャが十八歳となり成人を迎えるまで、誰もあの子と婚約を結ぶことは出来ない。口惜しいことだわ」
「そうですね……」
あんな『お伽話』さっさと廃れて無くなれば良いのにと願うノアの心の内が、明かされることはない。
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