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罪悪感
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マンションのエントランスを飛び出した私は当てもなく歩く。夕闇に包まれた街並みは、街灯が灯り始め、辺りをほんのりと照らす。
頬をとめどなく流れ続ける涙を拭うこともせずに歩く私を通りすがりの通行人がチラチラと見て行くが、そんな些細な事に気をとめている余裕などない。
美春の人生を台無しにしてしまった。
その罪悪感に押しつぶされた心がジクジクと痛む。
私が花音を引退するなんて言わなければ、美春は怪我をすることもなかった。
美春の影としての立場に不満を抱かなければ、彼女の華々しい人生を台無しにすることもなかった。
颯真さんと出会っていなければ――
彼との思い出が走馬灯のように頭を巡り、あふれ出した涙が次から次へと落ちていく。
颯真さんと出会ってしまった事を自分は後悔しているのだろうか?
彼と出会わなければ、希望を持つこともなかった。
だけど――
自由に生きたいと思って何が悪いの。
心の中で燻り続けた思いが噴き出しそうでつらい。
「――もう……、いや……」
このまま家に帰らない訳にはいかない。ただ、今夜は彼女と顔を合わせたくはなかった。
ふと目線を上げた先に、公園が見える。
閑静な住宅街にある公園だ。今夜くらい野宿しても大丈夫かな。
ただただ、あの家には帰りたくない。
その一心で吸い寄せられるように公園の中へと入っていくと、手近にあったベンチに座り俯く。ポタポタと落ちた涙が地面に跡を残し消えていく。
「……ひっく……、うぅ……限界……」
「こんなところにいたら危ない」
突然頭上から響いた声に顔を上げることが出来ない。
なんで……、なんでいるのよ……
肩へとかけられたコートの温もりと、ふわっと香ったグリーンノートの香りに、次から次へと涙が込み上げて止まらなくなる。
もう、我慢なんか出来なかった。身体が勝手に動き、彼の腕の中へ飛び込んでいた。
「颯真、さん……」
彼の胸へ額を当て泣きじゃくる私の身体を優しい温もりが包んでくれる。静かな公園の中、泣きじゃくる私の嗚咽だけが響いていた。
♦︎♢♦︎♢♦︎♢
「――落ち着いた? カフェオレでよかったかな?」
颯真さんに渡された缶の温もりが手へと伝わりホッと息をつく。彼の胸で泣きじゃくる私を連れ、近くに停めてあった車に乗せると、わざわざ飲み物まで買いに走ってくれたのだ。
感情の昂りが落ち着いて来れば、冷静さも戻ってくる。
だいぶ彼に迷惑をかけてしまった。
手に持った缶のプルトップをあけ、コクリと一口カフェオレを飲めば芯まで冷え切った身体がほんのり温かくなった。
「颯真さん……、ありがとうございました」
「いや、それはいいよ。それよりも、あんなところに一人でいたら危なかったよ。何があったかは何となくわかるからこれ以上は言わないけど……、とにかく無鉄砲にもほどがある」
硬い口調で紡がれる言葉に、ムッとする。確かに、冬に上着もなく野宿するなど自殺行為だったかもしれない。ただ、今の精神状態で美春のいる家に帰るなんて出来なかった。
「颯真さんには関係ないでしょ」
「関係ないだって!? 昨日の配信だって……、あぁ! よくそんなこと言えるな! どれだけ心配したと思っているんだ」
「心配した? そんなこと、あるわけ――」
気づいてしまった。
なぜ、颯真さんはここにいる? 怪我をした美春ではなく、私のそばに……
「……なんで、いるのよ」
「なんでかって、そんな薄着でマンション飛び出して行ったら追いかけるに決まっているだろ」
「違うの、そうじゃない。なんで颯真さんがここにいるのかって話。だって、美春とデートだったんでしょ」
「美春さん? 彼女なら、律季君に預けたけど」
「そうじゃないの。そうじゃない……、だって颯真さんが私を追いかけて来る理由がない」
そう、彼が私を追いかけて来る理由なんてどこにもないのだ。
彼は美春が怪我をした事も知っている。もしかしたら、二人がデート中に襲われたのかもしれない。
本当だったら、美春の側にいたいだろう。
やっと一ファンの立場から、特別な存在へとなれたのだ。いくら颯真さんが極度のお人好しだとしても、怪我をしている本命を残し、その姉を追いかける理由はない。
じゃあ、なんで彼はここにいるの?
胸の中で突如膨らんだ期待が身体を震わす。
「なんで……、颯真さんは怪我した美春じゃなくて、私のそばにいるの?」
「あぁ!! そんなの決まっているだろ! 穂花が大切だからだよ」
美春より、私が大切。その言葉が心を震わせ、止まっていたはずの涙が一粒こぼれ落ちる。
「なんで……、どうして……、だって美春は、ずっと颯真さんが追いつづけた人なんでしょ」
「確かに、一般的なファンならば、ずっと追いつづけた人が目の前に現れれば、浮かれもするだろう。でもね、美春さんとプライベートで会っていたのは、彼女が『花音』なのか確信を得るため。だけど、もうそんなのどうでもいいんだ。俺の心にいる『花音』に美春さんは絶対に勝てないとわかったから」
「それは、美春が『花音』ではなかったということ?」
「美春さんが『花音』かどうかはわからない。でもね、そんなこと、もうどうでもいいんだ。美春さんが『花音』だろうと、なかろうと関係ない。それよりも大切な人を見つけてしまったからね」
「えっ……」
颯真さんの言葉に、運転席に座る彼を振り返ると真剣な眼差しに晒され、鼓動が跳ねる。彼の言葉の続きを期待している自分がいる。
――大切な人……
その人は、誰?
「穂花……、君を見ているとたまらないんだ。危なっかしくて、目が離せなくなる。君の心を蝕むすべてのものから守り、囲ってしまいたくなる。でも、それは俺のエゴであって、何の解決にもならない。だから、見守るって決めたのに、すぐ手を差し伸べたくなってしまう。ダメだな、俺……」
そう言って項垂れている颯真さんを見つめ、胸が切なく痛む。
彼は美春でもなく、『鏡レンナ』でもなく、『花音』でもなく、私自身のことを大切だと言ってくれているのだ。その事実が、どれほどの喜びを私に与えたなんて、彼は気づきもしないのだろう。
「――本当、かっこ悪いわぁ」
「……颯真さん、あの――」
心の中で膨らみ続ける想いを伝えたくて言いかけた言葉は、彼の口から出た予想外の言葉に遮られてしまった。
「ちょっと、付き合ってくれる。どうしても穂花を連れて行きたい場所があるんだ」
「連れて行きたい場所?」
「あぁ、俺の原点」
そう言ったきり何も言わなくなった颯真さんは車のエンジンをかける。流れていく夜景はドキドキと高鳴り出した鼓動を落ち着かせてはくれなかった。
頬をとめどなく流れ続ける涙を拭うこともせずに歩く私を通りすがりの通行人がチラチラと見て行くが、そんな些細な事に気をとめている余裕などない。
美春の人生を台無しにしてしまった。
その罪悪感に押しつぶされた心がジクジクと痛む。
私が花音を引退するなんて言わなければ、美春は怪我をすることもなかった。
美春の影としての立場に不満を抱かなければ、彼女の華々しい人生を台無しにすることもなかった。
颯真さんと出会っていなければ――
彼との思い出が走馬灯のように頭を巡り、あふれ出した涙が次から次へと落ちていく。
颯真さんと出会ってしまった事を自分は後悔しているのだろうか?
彼と出会わなければ、希望を持つこともなかった。
だけど――
自由に生きたいと思って何が悪いの。
心の中で燻り続けた思いが噴き出しそうでつらい。
「――もう……、いや……」
このまま家に帰らない訳にはいかない。ただ、今夜は彼女と顔を合わせたくはなかった。
ふと目線を上げた先に、公園が見える。
閑静な住宅街にある公園だ。今夜くらい野宿しても大丈夫かな。
ただただ、あの家には帰りたくない。
その一心で吸い寄せられるように公園の中へと入っていくと、手近にあったベンチに座り俯く。ポタポタと落ちた涙が地面に跡を残し消えていく。
「……ひっく……、うぅ……限界……」
「こんなところにいたら危ない」
突然頭上から響いた声に顔を上げることが出来ない。
なんで……、なんでいるのよ……
肩へとかけられたコートの温もりと、ふわっと香ったグリーンノートの香りに、次から次へと涙が込み上げて止まらなくなる。
もう、我慢なんか出来なかった。身体が勝手に動き、彼の腕の中へ飛び込んでいた。
「颯真、さん……」
彼の胸へ額を当て泣きじゃくる私の身体を優しい温もりが包んでくれる。静かな公園の中、泣きじゃくる私の嗚咽だけが響いていた。
♦︎♢♦︎♢♦︎♢
「――落ち着いた? カフェオレでよかったかな?」
颯真さんに渡された缶の温もりが手へと伝わりホッと息をつく。彼の胸で泣きじゃくる私を連れ、近くに停めてあった車に乗せると、わざわざ飲み物まで買いに走ってくれたのだ。
感情の昂りが落ち着いて来れば、冷静さも戻ってくる。
だいぶ彼に迷惑をかけてしまった。
手に持った缶のプルトップをあけ、コクリと一口カフェオレを飲めば芯まで冷え切った身体がほんのり温かくなった。
「颯真さん……、ありがとうございました」
「いや、それはいいよ。それよりも、あんなところに一人でいたら危なかったよ。何があったかは何となくわかるからこれ以上は言わないけど……、とにかく無鉄砲にもほどがある」
硬い口調で紡がれる言葉に、ムッとする。確かに、冬に上着もなく野宿するなど自殺行為だったかもしれない。ただ、今の精神状態で美春のいる家に帰るなんて出来なかった。
「颯真さんには関係ないでしょ」
「関係ないだって!? 昨日の配信だって……、あぁ! よくそんなこと言えるな! どれだけ心配したと思っているんだ」
「心配した? そんなこと、あるわけ――」
気づいてしまった。
なぜ、颯真さんはここにいる? 怪我をした美春ではなく、私のそばに……
「……なんで、いるのよ」
「なんでかって、そんな薄着でマンション飛び出して行ったら追いかけるに決まっているだろ」
「違うの、そうじゃない。なんで颯真さんがここにいるのかって話。だって、美春とデートだったんでしょ」
「美春さん? 彼女なら、律季君に預けたけど」
「そうじゃないの。そうじゃない……、だって颯真さんが私を追いかけて来る理由がない」
そう、彼が私を追いかけて来る理由なんてどこにもないのだ。
彼は美春が怪我をした事も知っている。もしかしたら、二人がデート中に襲われたのかもしれない。
本当だったら、美春の側にいたいだろう。
やっと一ファンの立場から、特別な存在へとなれたのだ。いくら颯真さんが極度のお人好しだとしても、怪我をしている本命を残し、その姉を追いかける理由はない。
じゃあ、なんで彼はここにいるの?
胸の中で突如膨らんだ期待が身体を震わす。
「なんで……、颯真さんは怪我した美春じゃなくて、私のそばにいるの?」
「あぁ!! そんなの決まっているだろ! 穂花が大切だからだよ」
美春より、私が大切。その言葉が心を震わせ、止まっていたはずの涙が一粒こぼれ落ちる。
「なんで……、どうして……、だって美春は、ずっと颯真さんが追いつづけた人なんでしょ」
「確かに、一般的なファンならば、ずっと追いつづけた人が目の前に現れれば、浮かれもするだろう。でもね、美春さんとプライベートで会っていたのは、彼女が『花音』なのか確信を得るため。だけど、もうそんなのどうでもいいんだ。俺の心にいる『花音』に美春さんは絶対に勝てないとわかったから」
「それは、美春が『花音』ではなかったということ?」
「美春さんが『花音』かどうかはわからない。でもね、そんなこと、もうどうでもいいんだ。美春さんが『花音』だろうと、なかろうと関係ない。それよりも大切な人を見つけてしまったからね」
「えっ……」
颯真さんの言葉に、運転席に座る彼を振り返ると真剣な眼差しに晒され、鼓動が跳ねる。彼の言葉の続きを期待している自分がいる。
――大切な人……
その人は、誰?
「穂花……、君を見ているとたまらないんだ。危なっかしくて、目が離せなくなる。君の心を蝕むすべてのものから守り、囲ってしまいたくなる。でも、それは俺のエゴであって、何の解決にもならない。だから、見守るって決めたのに、すぐ手を差し伸べたくなってしまう。ダメだな、俺……」
そう言って項垂れている颯真さんを見つめ、胸が切なく痛む。
彼は美春でもなく、『鏡レンナ』でもなく、『花音』でもなく、私自身のことを大切だと言ってくれているのだ。その事実が、どれほどの喜びを私に与えたなんて、彼は気づきもしないのだろう。
「――本当、かっこ悪いわぁ」
「……颯真さん、あの――」
心の中で膨らみ続ける想いを伝えたくて言いかけた言葉は、彼の口から出た予想外の言葉に遮られてしまった。
「ちょっと、付き合ってくれる。どうしても穂花を連れて行きたい場所があるんだ」
「連れて行きたい場所?」
「あぁ、俺の原点」
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