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振り振られ【颯馬side】
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「――ったく、何が抱いてほしいだ」
スヤスヤと可愛い寝顔を晒し寝入る彼女を見つめ、自身の心が昂るのを感じていた。しかも、バスローブからわずかに除く胸の谷間が否応なしに己を煽る。このままご希望通り、奪ってやろうかと何度思ったことか。その度に、自身の理性と闘う羽目に陥っている自分は哀れでしかない。
目についたシティホテルの一室に二人で入ったまではよかった。バスローブ姿でベッドに座る彼女を残し浴室になど行かなければよかった。シャワーを浴び、寝室へ戻ってきた時の絶望感は想像を絶していた。
据え膳食わぬは男の恥というが、食う前に寝落ちされる男ほど虚しいものはない。
そんなどうでも良いことを考えていなければ焼き切れそうになる理性を繋ぎ止めておくことなんて出来ない。
大きなため息をこぼし隣で眠る彼女を見下ろす。
「――穂花……」
初めて呼んだ彼女の名前が心に甘い響きを残し、静けさに包まれた部屋へと溶けていく。
彼女が言った『好き』という言葉が、本心ではないことくらいわかっている。自棄を起こし全てから逃げ出したいと願うほど追い詰められていたのかと思うと、今まで自分がしてきた行動に罪悪感すら覚える。
アイドルの家族というものがどれほどの制約を受け生活をしているかはわからない。ただ、以前の彼女は極端に人の目を気にして生きていたように思う。目立たない地味な格好をして、黒縁メガネをかけた彼女の姿は、アイドルの姉というだけで擦り寄ってくる輩から身を守るための自衛本能だったのかもしれない。
長過ぎる前髪を手ですき額を露わにすれば、スッと通った鼻筋と上気した頬、そしてぷっくりとした肉感的な唇が魅力的に映る。影を落とすほど長いまつ毛に覆われた煌めく瞳が閉じられている事が、残念でたまらない。
「妹さんより、穂花の方が魅力的なのにな……」
そんな事を感じている自分に苦笑がこぼれる。自分の中にあった『鏡レンナ』に対する興味は、とうの昔に失せていた。
「花音と鏡レンナは同一人物ではない」
その言葉を口に出せば、それが正しいような気がする。
――では、『花音』はいったい誰なのだ? もう、その答えを自分は知っている。
隣で眠る愛しい人の頬を撫で、指先で彼女の唇をなぞる。
「穂花……、君が『花音』なんだろう?」
穂花と話せば話すほど、そして行動を共にすればするほど増していく『花音』との既視感は、『鏡レンナ』と出会ったことで確信へと変わった。Vチューバーである花音は顔を晒すことはない。だからこそ、穂花は『鏡レンナ』の影武者として、『花音』としての活動を続けられた。そう考えれば、全ての違和感の理由が説明できる。
同一人物であるはずの『花音』と『鏡レンナ』の違い過ぎる印象も、花音の代表歌を鏡レンナがライブで披露しない理由も。
『花音』ではない鏡レンナに、あの歌は歌えない。どんなにファンがあの歌の歌唱を待ち望んでいようともだ。
「君は、自分が『花音』だと絶対に明かさないんだろうね」
鏡レンナと穂花の関係性が露見してなお、自分が『花音』だとは認めなかった。
なぜ穂花は自分の存在を隠そうとする?
『花音だって劣等感の塊だよ……』
俺の全てを変えた彼女の言葉が脳裏を過ぎる。
『Vチューバー花音』の実写版『鏡レンナ』のデビュー話は、穂花に来ていたと考えるのが妥当だろう。ただ、顔を出して『鏡レンナ』としてデビューする事を、穂花は受け入れられなかった。顔を隠しているからこそ自分を曝け出す事が出来る。彼女の性格を考えれば、世間に顔を晒す事は恐怖でしかなかっただろう。そこで白羽の矢が立ったのが穂花の妹、美春さんだった。
少し話しただけでもわかる美春さんの社交性は天性のものだ。まさに対外向け。ただ、『花音』の知名度の方が圧倒的に高かったデビュー当初は『花音』としての活動を重視せざる負えない。しかし、美春さんに『花音』としての活動まで移せば、ファンに入れ替わりが気づかれる可能性がある。だからこそ、穂花は『花音』としての活動を止めることが出来なかった。その結果、表の『鏡レンナ』と、裏の『Vチューバー花音』という構図が出来上がった。そして、『鏡レンナ』の知名度が『花音』の知名度を上回った現在も変わらずに、その関係性は続いている。
その結果、表の『美春』と裏の『穂花』という関係性が、プライベートをも支配するようになってしまった。
バーでぶつけられた言葉が穂花の本心だとするならば、今の現状に彼女は不満を抱いている。決して、鏡レンナの影武者としての自分の立場を受け入れている訳ではないのだ。ただ、今の穂花にその関係性を打破するだけの勇気も、気力もない。だからこそ、自分が『花音』だということを誰にも打ち明けられず、苦しんでいるのだろう。
「一歩を踏み出す勇気をくれた人か――」
自我を殺し現状を受け入れることしか出来なかった穂花を変えたのが俺だと、彼女は言った。
兄と比べられ、周りの期待に怯え、全てを諦めた過去の俺と穂花が重なる。
『花音』が過去の俺を救ってくれたように、彼女を救う事は出来ないのかもしれない。ただ、背中を押してあげる事は出来る。
穂花が自分らしく生きていけるように。
そのために何をするべきか――
ベッドサイド脇のチェストからスマホを取るとメール画面を開く。
『一色さん、今日は姉がご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。そのお詫びと言ってはなんですが、今度ご飯でもいかがですか? 二人きりで……』
文面を見つめ、嫌悪感から顔が急速に強張っていく。
あからさまな誘いをかけるあたり、一色グループの御曹司という立場でしか人を見ない輩と同じ匂いがする。ただ、初めて顔を合わせた時、一瞬だけ見せた憎悪の感情が引っかかる。
その感情の発露がなんなのか?
ただの姉に対する嫉妬なのか、それとも――
「――穂花、……」
トンッとぶつかってきた衝撃に見下ろせば、寒かったのか身動いだ穂花が身体を寄せて来ていた。その愛くるしい態度に、思考の波は一瞬で停止してしまう。スヤスヤと寝息を立て眠る彼女の唇がわずかに開く。
「――好きって言った言葉、もう撤回出来ないからな」
わずかに赤い舌が覗く唇に、深く唇を合わせた。
スヤスヤと可愛い寝顔を晒し寝入る彼女を見つめ、自身の心が昂るのを感じていた。しかも、バスローブからわずかに除く胸の谷間が否応なしに己を煽る。このままご希望通り、奪ってやろうかと何度思ったことか。その度に、自身の理性と闘う羽目に陥っている自分は哀れでしかない。
目についたシティホテルの一室に二人で入ったまではよかった。バスローブ姿でベッドに座る彼女を残し浴室になど行かなければよかった。シャワーを浴び、寝室へ戻ってきた時の絶望感は想像を絶していた。
据え膳食わぬは男の恥というが、食う前に寝落ちされる男ほど虚しいものはない。
そんなどうでも良いことを考えていなければ焼き切れそうになる理性を繋ぎ止めておくことなんて出来ない。
大きなため息をこぼし隣で眠る彼女を見下ろす。
「――穂花……」
初めて呼んだ彼女の名前が心に甘い響きを残し、静けさに包まれた部屋へと溶けていく。
彼女が言った『好き』という言葉が、本心ではないことくらいわかっている。自棄を起こし全てから逃げ出したいと願うほど追い詰められていたのかと思うと、今まで自分がしてきた行動に罪悪感すら覚える。
アイドルの家族というものがどれほどの制約を受け生活をしているかはわからない。ただ、以前の彼女は極端に人の目を気にして生きていたように思う。目立たない地味な格好をして、黒縁メガネをかけた彼女の姿は、アイドルの姉というだけで擦り寄ってくる輩から身を守るための自衛本能だったのかもしれない。
長過ぎる前髪を手ですき額を露わにすれば、スッと通った鼻筋と上気した頬、そしてぷっくりとした肉感的な唇が魅力的に映る。影を落とすほど長いまつ毛に覆われた煌めく瞳が閉じられている事が、残念でたまらない。
「妹さんより、穂花の方が魅力的なのにな……」
そんな事を感じている自分に苦笑がこぼれる。自分の中にあった『鏡レンナ』に対する興味は、とうの昔に失せていた。
「花音と鏡レンナは同一人物ではない」
その言葉を口に出せば、それが正しいような気がする。
――では、『花音』はいったい誰なのだ? もう、その答えを自分は知っている。
隣で眠る愛しい人の頬を撫で、指先で彼女の唇をなぞる。
「穂花……、君が『花音』なんだろう?」
穂花と話せば話すほど、そして行動を共にすればするほど増していく『花音』との既視感は、『鏡レンナ』と出会ったことで確信へと変わった。Vチューバーである花音は顔を晒すことはない。だからこそ、穂花は『鏡レンナ』の影武者として、『花音』としての活動を続けられた。そう考えれば、全ての違和感の理由が説明できる。
同一人物であるはずの『花音』と『鏡レンナ』の違い過ぎる印象も、花音の代表歌を鏡レンナがライブで披露しない理由も。
『花音』ではない鏡レンナに、あの歌は歌えない。どんなにファンがあの歌の歌唱を待ち望んでいようともだ。
「君は、自分が『花音』だと絶対に明かさないんだろうね」
鏡レンナと穂花の関係性が露見してなお、自分が『花音』だとは認めなかった。
なぜ穂花は自分の存在を隠そうとする?
『花音だって劣等感の塊だよ……』
俺の全てを変えた彼女の言葉が脳裏を過ぎる。
『Vチューバー花音』の実写版『鏡レンナ』のデビュー話は、穂花に来ていたと考えるのが妥当だろう。ただ、顔を出して『鏡レンナ』としてデビューする事を、穂花は受け入れられなかった。顔を隠しているからこそ自分を曝け出す事が出来る。彼女の性格を考えれば、世間に顔を晒す事は恐怖でしかなかっただろう。そこで白羽の矢が立ったのが穂花の妹、美春さんだった。
少し話しただけでもわかる美春さんの社交性は天性のものだ。まさに対外向け。ただ、『花音』の知名度の方が圧倒的に高かったデビュー当初は『花音』としての活動を重視せざる負えない。しかし、美春さんに『花音』としての活動まで移せば、ファンに入れ替わりが気づかれる可能性がある。だからこそ、穂花は『花音』としての活動を止めることが出来なかった。その結果、表の『鏡レンナ』と、裏の『Vチューバー花音』という構図が出来上がった。そして、『鏡レンナ』の知名度が『花音』の知名度を上回った現在も変わらずに、その関係性は続いている。
その結果、表の『美春』と裏の『穂花』という関係性が、プライベートをも支配するようになってしまった。
バーでぶつけられた言葉が穂花の本心だとするならば、今の現状に彼女は不満を抱いている。決して、鏡レンナの影武者としての自分の立場を受け入れている訳ではないのだ。ただ、今の穂花にその関係性を打破するだけの勇気も、気力もない。だからこそ、自分が『花音』だということを誰にも打ち明けられず、苦しんでいるのだろう。
「一歩を踏み出す勇気をくれた人か――」
自我を殺し現状を受け入れることしか出来なかった穂花を変えたのが俺だと、彼女は言った。
兄と比べられ、周りの期待に怯え、全てを諦めた過去の俺と穂花が重なる。
『花音』が過去の俺を救ってくれたように、彼女を救う事は出来ないのかもしれない。ただ、背中を押してあげる事は出来る。
穂花が自分らしく生きていけるように。
そのために何をするべきか――
ベッドサイド脇のチェストからスマホを取るとメール画面を開く。
『一色さん、今日は姉がご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。そのお詫びと言ってはなんですが、今度ご飯でもいかがですか? 二人きりで……』
文面を見つめ、嫌悪感から顔が急速に強張っていく。
あからさまな誘いをかけるあたり、一色グループの御曹司という立場でしか人を見ない輩と同じ匂いがする。ただ、初めて顔を合わせた時、一瞬だけ見せた憎悪の感情が引っかかる。
その感情の発露がなんなのか?
ただの姉に対する嫉妬なのか、それとも――
「――穂花、……」
トンッとぶつかってきた衝撃に見下ろせば、寒かったのか身動いだ穂花が身体を寄せて来ていた。その愛くるしい態度に、思考の波は一瞬で停止してしまう。スヤスヤと寝息を立て眠る彼女の唇がわずかに開く。
「――好きって言った言葉、もう撤回出来ないからな」
わずかに赤い舌が覗く唇に、深く唇を合わせた。
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