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前に進む勇気
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「あれ? 穂花、なんか今日機嫌悪い?」
目の前に置かれたデスクトップの画面を睨みながら、キーボードを力任せに打ち鳴らす。キーボードから鳴るカチカチというクリック音ですら逆立った神経には不快に感じる。
「そんな事ないわよ……」
心配して声をかけてくれた心菜にも、冷たい言葉しか返せない自分が嫌になる。
こんなにも心が荒んでいるのには理由があった。数日前に突然、妹が言い出した事が原因だ。
社長と参加した『鏡レンナ』のライブ、あの日からすでに一ヶ月が経とうとしていた。その間、何のアクションも起こさなかった妹に、あのライブに行っていた事はバレなかったと楽観視していた。最前列に座っていたが、妹は私の存在に気づかなかったと。それが突然、あのライブの日の事を言い出したのだ。
『隣に座ってペンライトを振っていた超絶イケメンは誰なんだ』と。
始めはライブになど行っていないと言い張ったが、無理だった。ライブ映像を見せられ血の気が引いていく。社長の隣に座るジーパンにパーカー姿の自分の姿が、映像にバッチリ写っていたのだ。よくも悪くも、最前列に座り、スーツ姿でペンライトを振る超絶イケメンの姿は、カメラマンの興味をひいてしまったのだろう。確かにアレは絵になる。
言い訳も誤魔化しも出来なくなった私に、妹は追撃を放った。あの日、ライブへの参加を断った理由は、会社への呼び出しだったのではないかと。
とうとう、最悪な形で社長との関係を妹に暴露する結果となってしまった。
会社のエレベーターホールでの出会いから、マスコットを拾ってもらったのがきっかけで『Vチューバー花音』の推し活を手伝うはめになった事まで知られてしまった。社長に会わせろと無理難題を言い出した妹に、花音の中身が私だと露見する危険性を諭し、なだめたまではよかった。しかし、あの妹は社長に紹介しない代わりに、明日行われる『鏡レンナ』の握手会に、スタッフとして協力するように要求して来たのだ。あわよくば、私を介して社長と接触しようと考えているのだろう。
握手会には、社長も参加すると言っていた。憂鬱でしかない。
その握手会を明日に控え、私の精神状態は荒れに荒れていた。
「そうかなぁ? 最近は、黒縁メガネも返上して、服装もちょっぴり明るくなって、女子力も上がって来たって言うのにね。穂花、死にそうな顔しているよ。目の下の隈もひどいし」
「大丈夫。最近ちょっと寝られなかっただけだから」
「そう……。あまり無理しないんだよ」
そう言って、手を振りつつ自分の席へと戻っていく心菜を見つめ、ため息をこぼす。
ここ一ヶ月で社長との関係がどうなったかというと、簡単に言えば、推し活友達のような関係が続いていた。たまに、メールで送られてくる『花音』に関する心配事の相談を受けたり、次に参加すべき『鏡レンナ』のイベントをどれにするか決めたりと、推し活は順調に進んでいるようにみえる。もちろん、明日行われる握手会へも誘われた。ただ、これ以上身バレする危険性を考えると承諾も出来ず、断ることにした。
『そうか……。清瀬さんは、行かないのか』と寂しそうに笑った社長の顔が脳裏をよぎる。
あの日、彼の言葉に背中を押され、前を向く決意をした。内面を隠す鎧だった黒縁メガネを外し、髪を巻き、お化粧をし、ワンピースを着て街に出た。前を向き、一歩を踏み出したとき、劣等感の塊だった心が少し解放された。自分が少し変われたような気がしたのだ。
徐々に自分の中で大きくなる社長の存在。始めは、彼の言動に振り回され、変な男に絡まれた程度の認識だったはずなのに、彼と関われば関わるほど、自分の中の価値観や常識がくつがえり、劣等感で凝り固まった心が解放されていく。それを心地よく感じている自分が確かにいるのだ。
自分の境遇に絶望し、進むことを諦めた私の背中を押してくれた人。
彼の存在が特別になればなるほど、感じる不安感。彼もまた、妹に奪われてしまうという不安は日に日に大きくなっていく。だからこそ、『鏡レンナ』を知ろうと努力する彼の行動を純粋に応援できない。
ただの嫉妬だ。何でも奪っていく妹に対する嫉妬。
ふふ、何言っているんだろう。全て、自分が悪いというのに……
結局、妹に責任転嫁しているだけなのだ。全てを妹のせいにして逃げ続けたのは自分。妹がいるから恋人が作れない、アイドルをしている妹がいるから身バレする訳にはいかない、どうせ私は妹の影武者。
妹が全てを奪っていく。そんな事あるわけないのにね。
今の境遇を作ったのは自分自身だ。一歩を踏み出す勇気がなかった自分が招いた結果。それを妹のせいにすることでしか、劣等感でいっぱいだった心を慰める方法を知らなかった。彼に出会うまでは……
一歩を踏み出す勇気を教えてくれた人。
変わりたいと願い、前を向く決意をした。それなのに、また下を向くというのか。
時計の針は終業時間をとうに過ぎていた。デスク周りを片付け立ち上がると、総務部を出る。エントランスホールを横目に夕暮れ時の街へと足を踏み出せば、冷たい風が頬を撫でていった。
目の前に置かれたデスクトップの画面を睨みながら、キーボードを力任せに打ち鳴らす。キーボードから鳴るカチカチというクリック音ですら逆立った神経には不快に感じる。
「そんな事ないわよ……」
心配して声をかけてくれた心菜にも、冷たい言葉しか返せない自分が嫌になる。
こんなにも心が荒んでいるのには理由があった。数日前に突然、妹が言い出した事が原因だ。
社長と参加した『鏡レンナ』のライブ、あの日からすでに一ヶ月が経とうとしていた。その間、何のアクションも起こさなかった妹に、あのライブに行っていた事はバレなかったと楽観視していた。最前列に座っていたが、妹は私の存在に気づかなかったと。それが突然、あのライブの日の事を言い出したのだ。
『隣に座ってペンライトを振っていた超絶イケメンは誰なんだ』と。
始めはライブになど行っていないと言い張ったが、無理だった。ライブ映像を見せられ血の気が引いていく。社長の隣に座るジーパンにパーカー姿の自分の姿が、映像にバッチリ写っていたのだ。よくも悪くも、最前列に座り、スーツ姿でペンライトを振る超絶イケメンの姿は、カメラマンの興味をひいてしまったのだろう。確かにアレは絵になる。
言い訳も誤魔化しも出来なくなった私に、妹は追撃を放った。あの日、ライブへの参加を断った理由は、会社への呼び出しだったのではないかと。
とうとう、最悪な形で社長との関係を妹に暴露する結果となってしまった。
会社のエレベーターホールでの出会いから、マスコットを拾ってもらったのがきっかけで『Vチューバー花音』の推し活を手伝うはめになった事まで知られてしまった。社長に会わせろと無理難題を言い出した妹に、花音の中身が私だと露見する危険性を諭し、なだめたまではよかった。しかし、あの妹は社長に紹介しない代わりに、明日行われる『鏡レンナ』の握手会に、スタッフとして協力するように要求して来たのだ。あわよくば、私を介して社長と接触しようと考えているのだろう。
握手会には、社長も参加すると言っていた。憂鬱でしかない。
その握手会を明日に控え、私の精神状態は荒れに荒れていた。
「そうかなぁ? 最近は、黒縁メガネも返上して、服装もちょっぴり明るくなって、女子力も上がって来たって言うのにね。穂花、死にそうな顔しているよ。目の下の隈もひどいし」
「大丈夫。最近ちょっと寝られなかっただけだから」
「そう……。あまり無理しないんだよ」
そう言って、手を振りつつ自分の席へと戻っていく心菜を見つめ、ため息をこぼす。
ここ一ヶ月で社長との関係がどうなったかというと、簡単に言えば、推し活友達のような関係が続いていた。たまに、メールで送られてくる『花音』に関する心配事の相談を受けたり、次に参加すべき『鏡レンナ』のイベントをどれにするか決めたりと、推し活は順調に進んでいるようにみえる。もちろん、明日行われる握手会へも誘われた。ただ、これ以上身バレする危険性を考えると承諾も出来ず、断ることにした。
『そうか……。清瀬さんは、行かないのか』と寂しそうに笑った社長の顔が脳裏をよぎる。
あの日、彼の言葉に背中を押され、前を向く決意をした。内面を隠す鎧だった黒縁メガネを外し、髪を巻き、お化粧をし、ワンピースを着て街に出た。前を向き、一歩を踏み出したとき、劣等感の塊だった心が少し解放された。自分が少し変われたような気がしたのだ。
徐々に自分の中で大きくなる社長の存在。始めは、彼の言動に振り回され、変な男に絡まれた程度の認識だったはずなのに、彼と関われば関わるほど、自分の中の価値観や常識がくつがえり、劣等感で凝り固まった心が解放されていく。それを心地よく感じている自分が確かにいるのだ。
自分の境遇に絶望し、進むことを諦めた私の背中を押してくれた人。
彼の存在が特別になればなるほど、感じる不安感。彼もまた、妹に奪われてしまうという不安は日に日に大きくなっていく。だからこそ、『鏡レンナ』を知ろうと努力する彼の行動を純粋に応援できない。
ただの嫉妬だ。何でも奪っていく妹に対する嫉妬。
ふふ、何言っているんだろう。全て、自分が悪いというのに……
結局、妹に責任転嫁しているだけなのだ。全てを妹のせいにして逃げ続けたのは自分。妹がいるから恋人が作れない、アイドルをしている妹がいるから身バレする訳にはいかない、どうせ私は妹の影武者。
妹が全てを奪っていく。そんな事あるわけないのにね。
今の境遇を作ったのは自分自身だ。一歩を踏み出す勇気がなかった自分が招いた結果。それを妹のせいにすることでしか、劣等感でいっぱいだった心を慰める方法を知らなかった。彼に出会うまでは……
一歩を踏み出す勇気を教えてくれた人。
変わりたいと願い、前を向く決意をした。それなのに、また下を向くというのか。
時計の針は終業時間をとうに過ぎていた。デスク周りを片付け立ち上がると、総務部を出る。エントランスホールを横目に夕暮れ時の街へと足を踏み出せば、冷たい風が頬を撫でていった。
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