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予想外の行動
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ここで待っていればいいのよね?
数日前に、社長から送られてきたメールを再度開き、待ち合わせ場所が合っている事を確認する。チケットの手配を全て任せてしまったが、今夜のライブは、中規模会場で行われる。ファンクラブ会員限定のライブではあるが、チケット入手の倍率は、相当高い。ライブに行った事がない社長では、あの狭き門をかい潜るスキルを持ってはいないだろう。
私が、チケットを確保すべきであったと思う一方、チケットが取れなかったら取れなかったで、その方が好都合と思っている自分がいる。
今朝交わした妹との会話を思い出し気分が沈む。
「ライブ、急な仕事が入って行けないの」
そんな私の言葉に訝しげな視線を投げ、首を傾げていた妹。彼女にとっては、私が自分のライブに来るのは当たり前のことで、まさか断られるとは、考えてもいなかったのだろう。『ライブと仕事、どっちが大切なのよ』と最後まで食い下がっていたが、次の握手会を手伝う事で手を打った。
だからこそ、社長とライブに参加している姿など見つかる訳にはいかないのだ。
見つかりでもしたら、色々と面倒な事になる。昔から、恋人はおろか、友達ですら、妹に取られてきた過去がある。私の交友関係で、昔から付き合いのある人物など、従兄弟の『伊勢谷律希』くらいだろう。まぁ、付き合いがあると言っても、妹のマネージャーだから接点があるくらいの繋がりでしかないのだが。
そんな事を考えつつ、ビルの壁に背をつけ車が行き交う道路をボーッと見つめる。その時だった。一台の黒塗りの車が、スーッと音もなく前方に停車した。見るからに、高級車という外観に嫌な予感が頭をよぎる。
まさかね……
運転席からスーツを着た男性が降り、後部座席へと移動し、扉を開ける。ピカピカに磨かれた黒の革靴がアスファルトを踏み、スッと道路へと降り立った美丈夫。漆黒のスーツに、赤の蝶ネクタイ姿の彼は、雑多な街にあって異様な雰囲気を放っていた。そこに居合わせた全ての人が、唖然と彼を見つめる。会場入りするファンの長い列が出来ているにも関わらず、静まり返る周囲。そんな中、声をかけようと思うものは誰もいないだろう。
彼の両手に握られた違和感ありありの代物のせいではない。手作りと思しきうちわと、ペンライトのせいでは決してない。違和感を凌駕するほどの存在感に、圧倒されているのだ。そんな異様な雰囲気に気づいているのか、いないのか、ぐるっと観衆を見回した彼が、目的の人物を見つけ、笑みを浮かべる。
その笑みに心臓を撃ち抜かれたらしい女性の悲鳴に近い叫びが上がる。歩みを進める彼の一挙手一投足に、誰しもが注目していた。
「清瀬さん、こんばんわ。迷わなかった?」
逃げ出したい。目の前で、爽やかな笑みを浮かべありきたりな挨拶を言う男に殺意すら覚える。痛いほどの視線に晒される事に慣れていない私は、社長の言葉に何も返せない。
「清瀬さん、大丈夫? 顔が真っ青だ。具合でも悪い」
誰のせいだと思っているのよ!
スッと伸びた指先が、俯き顔にかかった前髪に触れる。その繊細な手つきに一瞬、心臓の鼓動が跳ね上がったなんて絶対に言えない。
慌てて彼の手を掴んだ私は全速力で駆け出した。
「社長! 何ですか、その格好!?」
人目につかない裏路地へと駆け込み、開口一番怒鳴りつける。
「格好? 何か可笑しなところがあるか? 最低限のマナーを守り蝶ネクタイを締めて来たのだが」
「そもそも、その認識が誤っています。ライブに一張羅で来るファンなどいません!」
「そうかぁ? 愛する推しのために、出来る範囲のお洒落をして来るのは、普通の事だろう」
確かに、推しに会いに行くのだから、自分の出来る最高のファッションで参加するのが、マナーと言われれば、そうかもしれない。ただ、社長の格好は度を超えている。
蝶ネクタイなんて、結婚式の新郎くらいしか着けない代物だろうに。
しかも、ダダ漏れるイケメンオーラ。いいや、オーラだけの似非イケメンではない。実際に超絶イケメンでもあるのだ。黒塗りの高級車から降り立った時の、観衆のどよめきは、芸能人並みだ。今も、ミーハーな女子がスマホ片手に、社長を探している事だろう。完全に、どこぞの大物芸能人と間違えている。
「確かに推しに会うためにオシャレをするファンもいます。ただ、TPOは弁えています。飛んで、跳ねて、叫ぶライブにドレスやスーツで来るファンなんていませんよ。動きにくい」
「そうだな……。この格好だと、本気で応援は出来なさそうだ」
自分の格好を見下ろし、社長が気まずそうに笑み崩れる。それを見て、少しずつ怒りが収まり、冷静になっていく。
ちょっと、言いすぎたかもしれない。彼は、ライブ初心者なのだ。ライブの格好なんて知る訳ないか。
「すいません、社長。言い過ぎました」
「いいや、俺ももう少しリサーチしてこればよかったよ。すまない」
ショボンと肩を落とす社長を見て、罪悪感が込み上げる。
「あの、その……。社長……」
「そう言えば、清瀬さん。その社長というのも、そろそろやめないか?」
「えっ?」
「いやね。仕事でも社長と言われ、プライベートでも社長と言われるのは、何だか公私混同しているようで落ち着かないんだよ」
確かに、ライブ中ずっと社長と呼び続けるのも、何だか違うような気がする。
「では、なんとお呼びすればいいですか?」
「そうだなぁ……。一色さん、いちさん、いっちゃん、そうさん……。よし! そうちゃんで」
「そうちゃん!! いやいや、無理ですって。社長をそんな友達みたいに言えません」
「もう友達みたいなものではないか。同じ花音のファンとしてね」
そう言って笑う社長の顔が、あまりにも無邪気で、胸の鼓動がわずかに跳ね上がる。それと同時に、体温まで上がってくるようで落ち着かない。
社長があんな事、言うからいけないのだ。
「とにかく、社長をそ、そ、そうちゃんだなんて呼べませんから!」
「そう言うものかな? じゃあ、颯真さんで手を打とう」
「えっ!? それも無理ですって……」
「無理じゃない! っと……。もうこんな時間か。ライブが始まってしまう。行くよ!」
不毛な押し問答を遮るように、私の手を掴んだ社長が走り出す。
掴まれた手が、いつもより熱く感じていたなんて、きっと気のせいだと思いたい。
数日前に、社長から送られてきたメールを再度開き、待ち合わせ場所が合っている事を確認する。チケットの手配を全て任せてしまったが、今夜のライブは、中規模会場で行われる。ファンクラブ会員限定のライブではあるが、チケット入手の倍率は、相当高い。ライブに行った事がない社長では、あの狭き門をかい潜るスキルを持ってはいないだろう。
私が、チケットを確保すべきであったと思う一方、チケットが取れなかったら取れなかったで、その方が好都合と思っている自分がいる。
今朝交わした妹との会話を思い出し気分が沈む。
「ライブ、急な仕事が入って行けないの」
そんな私の言葉に訝しげな視線を投げ、首を傾げていた妹。彼女にとっては、私が自分のライブに来るのは当たり前のことで、まさか断られるとは、考えてもいなかったのだろう。『ライブと仕事、どっちが大切なのよ』と最後まで食い下がっていたが、次の握手会を手伝う事で手を打った。
だからこそ、社長とライブに参加している姿など見つかる訳にはいかないのだ。
見つかりでもしたら、色々と面倒な事になる。昔から、恋人はおろか、友達ですら、妹に取られてきた過去がある。私の交友関係で、昔から付き合いのある人物など、従兄弟の『伊勢谷律希』くらいだろう。まぁ、付き合いがあると言っても、妹のマネージャーだから接点があるくらいの繋がりでしかないのだが。
そんな事を考えつつ、ビルの壁に背をつけ車が行き交う道路をボーッと見つめる。その時だった。一台の黒塗りの車が、スーッと音もなく前方に停車した。見るからに、高級車という外観に嫌な予感が頭をよぎる。
まさかね……
運転席からスーツを着た男性が降り、後部座席へと移動し、扉を開ける。ピカピカに磨かれた黒の革靴がアスファルトを踏み、スッと道路へと降り立った美丈夫。漆黒のスーツに、赤の蝶ネクタイ姿の彼は、雑多な街にあって異様な雰囲気を放っていた。そこに居合わせた全ての人が、唖然と彼を見つめる。会場入りするファンの長い列が出来ているにも関わらず、静まり返る周囲。そんな中、声をかけようと思うものは誰もいないだろう。
彼の両手に握られた違和感ありありの代物のせいではない。手作りと思しきうちわと、ペンライトのせいでは決してない。違和感を凌駕するほどの存在感に、圧倒されているのだ。そんな異様な雰囲気に気づいているのか、いないのか、ぐるっと観衆を見回した彼が、目的の人物を見つけ、笑みを浮かべる。
その笑みに心臓を撃ち抜かれたらしい女性の悲鳴に近い叫びが上がる。歩みを進める彼の一挙手一投足に、誰しもが注目していた。
「清瀬さん、こんばんわ。迷わなかった?」
逃げ出したい。目の前で、爽やかな笑みを浮かべありきたりな挨拶を言う男に殺意すら覚える。痛いほどの視線に晒される事に慣れていない私は、社長の言葉に何も返せない。
「清瀬さん、大丈夫? 顔が真っ青だ。具合でも悪い」
誰のせいだと思っているのよ!
スッと伸びた指先が、俯き顔にかかった前髪に触れる。その繊細な手つきに一瞬、心臓の鼓動が跳ね上がったなんて絶対に言えない。
慌てて彼の手を掴んだ私は全速力で駆け出した。
「社長! 何ですか、その格好!?」
人目につかない裏路地へと駆け込み、開口一番怒鳴りつける。
「格好? 何か可笑しなところがあるか? 最低限のマナーを守り蝶ネクタイを締めて来たのだが」
「そもそも、その認識が誤っています。ライブに一張羅で来るファンなどいません!」
「そうかぁ? 愛する推しのために、出来る範囲のお洒落をして来るのは、普通の事だろう」
確かに、推しに会いに行くのだから、自分の出来る最高のファッションで参加するのが、マナーと言われれば、そうかもしれない。ただ、社長の格好は度を超えている。
蝶ネクタイなんて、結婚式の新郎くらいしか着けない代物だろうに。
しかも、ダダ漏れるイケメンオーラ。いいや、オーラだけの似非イケメンではない。実際に超絶イケメンでもあるのだ。黒塗りの高級車から降り立った時の、観衆のどよめきは、芸能人並みだ。今も、ミーハーな女子がスマホ片手に、社長を探している事だろう。完全に、どこぞの大物芸能人と間違えている。
「確かに推しに会うためにオシャレをするファンもいます。ただ、TPOは弁えています。飛んで、跳ねて、叫ぶライブにドレスやスーツで来るファンなんていませんよ。動きにくい」
「そうだな……。この格好だと、本気で応援は出来なさそうだ」
自分の格好を見下ろし、社長が気まずそうに笑み崩れる。それを見て、少しずつ怒りが収まり、冷静になっていく。
ちょっと、言いすぎたかもしれない。彼は、ライブ初心者なのだ。ライブの格好なんて知る訳ないか。
「すいません、社長。言い過ぎました」
「いいや、俺ももう少しリサーチしてこればよかったよ。すまない」
ショボンと肩を落とす社長を見て、罪悪感が込み上げる。
「あの、その……。社長……」
「そう言えば、清瀬さん。その社長というのも、そろそろやめないか?」
「えっ?」
「いやね。仕事でも社長と言われ、プライベートでも社長と言われるのは、何だか公私混同しているようで落ち着かないんだよ」
確かに、ライブ中ずっと社長と呼び続けるのも、何だか違うような気がする。
「では、なんとお呼びすればいいですか?」
「そうだなぁ……。一色さん、いちさん、いっちゃん、そうさん……。よし! そうちゃんで」
「そうちゃん!! いやいや、無理ですって。社長をそんな友達みたいに言えません」
「もう友達みたいなものではないか。同じ花音のファンとしてね」
そう言って笑う社長の顔が、あまりにも無邪気で、胸の鼓動がわずかに跳ね上がる。それと同時に、体温まで上がってくるようで落ち着かない。
社長があんな事、言うからいけないのだ。
「とにかく、社長をそ、そ、そうちゃんだなんて呼べませんから!」
「そう言うものかな? じゃあ、颯真さんで手を打とう」
「えっ!? それも無理ですって……」
「無理じゃない! っと……。もうこんな時間か。ライブが始まってしまう。行くよ!」
不毛な押し問答を遮るように、私の手を掴んだ社長が走り出す。
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