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突拍子もないお願い
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男が手に持つキーホルダーを見つめ、血の気が引いていく。水色の髪に、黄色のキラキラおメメも可愛い女の子キャラが、大きな音符を持ったマスコット。キーホルダー部分を持ち、右に左に、それを揺らす美男というギャップに引いている場合ではない。
どうして、アレを彼が持っているのよ!! あの時か――
そこではたと気づいた。今朝の出来事を。しかも、お礼も言わず逃げ出した事をすっかり忘れていた。
「あああ、あの……それ……」
「清瀬さんが、今朝落としていったモノですね」
詰んだ。私の社会人人生も終わった。
なぜ、あんなモノがカバンに入っていたかという疑問はさておき、二十五歳のいい大人が、学生が持つようなキーホルダーを会社に持参している。ただそれだけで、後ろ指をさされても文句は言えない。しかも、アニメキャラが描かれたキーホルダーを持っている時点で、ヲタクだと認識される。
決して、ヲタクを否定している訳ではない。Vチューバーをしている私は、ヲタクの皆様を心の底から尊敬している。彼らがいるからこそ、『花音』は、あの世界で生きられるのだから。ただ、一般的な話をすると、ヲタク文化はまだまだ一般人には受け入れ難い分野だ。
どう見ても、目の前の男はヲタクではないだろう。だからこそ、どんな反応を返されるか怖くて仕方がない。
「えええっと、そうですね……はは、ははは……」
ここは笑って誤魔化すべきだ。いっそのこと、中学生の妹がいる設定にして、たまたま紛れ込んでしまった事にすればいいのでは。
そんな姑息な手段を練っていた私に、更なる爆弾が投下される。
「やはり、そうでしたか……。貴方も、カノンのファンでしたか」
「は?」
今、目の前の男は『カノン』と言ったか? 言ったよな……。聞き間違いではない?
妙な冷や汗が、背を伝う。
そんな馬鹿な話あるはずない。誰が、どう見てもイケてる男が、ヲタクだなんて……。信じられるはずない。
「このマスコット『Vチューバーの花音』でしょう? 俺、ファンなんですよ」
マジか……。
抱いていた希望的観測は、見事に打ち砕かれ、私の心は変な意味で瀕死の状態となる。
このイケメンがヲタク、ヲタク、ヲタク……。もう何が何だかわからない。
許容範囲を超えた脳は、すでにパンクしている。
放心状態で、社長を見る私に、トドメの一発が落とされた。
「清瀬さんも、花音のファンなんですね?」
ウンともスンとも言わない私を尻目に、笑み崩れ『花音』への愛を語り出す社長。その愛の言葉が、右から左へと耳を流れていく。
「ところで、清瀬さん。そのキーホルダーどこで手に入れたんですか?」
「えっ?」
突然かけられた言葉に、死にかけた意識が戻り、社長へと顔を向け固まった。
こちらを眼光鋭く見据える社長は、満面の笑みを浮かべ『花音』への愛を語っていた男と、同一人物だとは到底思えない。豹変とも呼べるほどの変わりように背筋がゾワッと怖気立つ。
「だから、このキーホルダー、どこで手に入れたか聞いているんです。貴方を呼び出したのは、それを聞き出すためです」
「えっと……」
彼の手に持たれ、プラプラと揺れるキーホルダーを見て、思案する。
あれだけ深く『花音』への愛を語っていた男だ。下手に嘘をついたところで、バレるだろう。確か、あのデザインは、今回のライブツアーで作られた物だ。ただ、運が悪いことに、あのデザインは非売品で、スタッフ関係者に配られたモノだ。つまりは、ただのファンでは、アレは手に入らない。
妹が、『鏡レンナ扮するVチューバーの花音』だとバレる訳にはいかない。一か八かか――
「それですか……。まさか知らない?」
「何がだ?」
「アレだけ花音への愛を語っていた癖に大した事ないんですね」
「何だと!?」
「だって、それ。今回の鏡レンナのライブツアーを観たファンの中で、抽選でしか当たらない代物ですもの。しかも、抽選結果は、秘密裏に知らされる。ライブの入り口で配られた無料の販促品の中に紛れてました。まさか、社長! ライブでもらう販促品捨てちゃったとか?」
「いやぁ、そのぉ……。実は、ライブに行った事が無いんだ」
「はっ? ライブに行ったことがない?」
「あぁ、ない。あまり、三次元の鏡レンナに興味が湧かなかったというか」
「嘘でしょ。鏡レンナに興味がない……」
その言葉が、心に染みていく。社長は、鏡レンナではなく、Vチューバー『花音』のファンだと言っているのだ。『アイドル鏡レンナ』である妹ではなく、『Vチューバー花音』である私のファン。
Vチューバー花音を嫌い、全ての活動を私に押しつけた妹に、この時ばかりは心から感謝した。
私のファンが目の前にいる。その事実がこれほど嬉しい事だなんて知らなかった。
「俺にとっては、花音だけが特別だからな……」
えっ? 花音だけが特別?
そんな疑問も、次に発せられた言葉に霧散する。
「それで、お願いなんだが……。清瀬さん、『花音』を応援する同じファンとして、頼みたい! 俺の『推し活』に協力してくれ!」
ガバッと、私に向かい頭を下げる社長の態度に面食らう。
「はっ? ――推し活!?」
♦︎♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢
夜の帳が下りた街を、駅へと向かい歩く。トボトボと歩く私の足取りは重い。
とんでもない約束をしてしまった……
社長と交わした約束を思い出し、今さらながら後悔の念が込み上げる。
『――俺の推し活に協力して欲しい』
あの言葉にも衝撃を受けたが、誰もがうらやむ勝ち組であろうイケメンからのヲタク発言に勝る衝撃はないだろう。
しかも彼は『花音』のファンなのだ。
あの時、言われた言葉を思い出し、心が浮き足だつ。
『花音だけが特別』
あの言葉がなかったら血迷ったりなど、しなかっただろう。それだけ、深く私の心を射抜いた言葉だった。
今さら、お断りなど出来ないだろう。手元に戻ってきた、マスコットを見て、大きなため息を吐く。
彼に協力するリスクもわかっている。花音のファンと言うことは、Vチューバーとしての私の活動を熟知していると言うことでもある。隠し通せる自信がない。
それに、妹の存在。彼女が、アイドル『鏡レンナ』だと、知られる訳にはいかない。
あぁぁ、どうしたらいいのよ!
堂々巡りする思考に、とうとう匙を投げた。どうにかなるかと、半ば諦めの境地で、腕時計に視線を落とし気づいた。
「八時? 嘘でしょ!」
定期配信まで、あと一時間しかないことに気づいた私は、慌てて駅への道を走った。
どうして、アレを彼が持っているのよ!! あの時か――
そこではたと気づいた。今朝の出来事を。しかも、お礼も言わず逃げ出した事をすっかり忘れていた。
「あああ、あの……それ……」
「清瀬さんが、今朝落としていったモノですね」
詰んだ。私の社会人人生も終わった。
なぜ、あんなモノがカバンに入っていたかという疑問はさておき、二十五歳のいい大人が、学生が持つようなキーホルダーを会社に持参している。ただそれだけで、後ろ指をさされても文句は言えない。しかも、アニメキャラが描かれたキーホルダーを持っている時点で、ヲタクだと認識される。
決して、ヲタクを否定している訳ではない。Vチューバーをしている私は、ヲタクの皆様を心の底から尊敬している。彼らがいるからこそ、『花音』は、あの世界で生きられるのだから。ただ、一般的な話をすると、ヲタク文化はまだまだ一般人には受け入れ難い分野だ。
どう見ても、目の前の男はヲタクではないだろう。だからこそ、どんな反応を返されるか怖くて仕方がない。
「えええっと、そうですね……はは、ははは……」
ここは笑って誤魔化すべきだ。いっそのこと、中学生の妹がいる設定にして、たまたま紛れ込んでしまった事にすればいいのでは。
そんな姑息な手段を練っていた私に、更なる爆弾が投下される。
「やはり、そうでしたか……。貴方も、カノンのファンでしたか」
「は?」
今、目の前の男は『カノン』と言ったか? 言ったよな……。聞き間違いではない?
妙な冷や汗が、背を伝う。
そんな馬鹿な話あるはずない。誰が、どう見てもイケてる男が、ヲタクだなんて……。信じられるはずない。
「このマスコット『Vチューバーの花音』でしょう? 俺、ファンなんですよ」
マジか……。
抱いていた希望的観測は、見事に打ち砕かれ、私の心は変な意味で瀕死の状態となる。
このイケメンがヲタク、ヲタク、ヲタク……。もう何が何だかわからない。
許容範囲を超えた脳は、すでにパンクしている。
放心状態で、社長を見る私に、トドメの一発が落とされた。
「清瀬さんも、花音のファンなんですね?」
ウンともスンとも言わない私を尻目に、笑み崩れ『花音』への愛を語り出す社長。その愛の言葉が、右から左へと耳を流れていく。
「ところで、清瀬さん。そのキーホルダーどこで手に入れたんですか?」
「えっ?」
突然かけられた言葉に、死にかけた意識が戻り、社長へと顔を向け固まった。
こちらを眼光鋭く見据える社長は、満面の笑みを浮かべ『花音』への愛を語っていた男と、同一人物だとは到底思えない。豹変とも呼べるほどの変わりように背筋がゾワッと怖気立つ。
「だから、このキーホルダー、どこで手に入れたか聞いているんです。貴方を呼び出したのは、それを聞き出すためです」
「えっと……」
彼の手に持たれ、プラプラと揺れるキーホルダーを見て、思案する。
あれだけ深く『花音』への愛を語っていた男だ。下手に嘘をついたところで、バレるだろう。確か、あのデザインは、今回のライブツアーで作られた物だ。ただ、運が悪いことに、あのデザインは非売品で、スタッフ関係者に配られたモノだ。つまりは、ただのファンでは、アレは手に入らない。
妹が、『鏡レンナ扮するVチューバーの花音』だとバレる訳にはいかない。一か八かか――
「それですか……。まさか知らない?」
「何がだ?」
「アレだけ花音への愛を語っていた癖に大した事ないんですね」
「何だと!?」
「だって、それ。今回の鏡レンナのライブツアーを観たファンの中で、抽選でしか当たらない代物ですもの。しかも、抽選結果は、秘密裏に知らされる。ライブの入り口で配られた無料の販促品の中に紛れてました。まさか、社長! ライブでもらう販促品捨てちゃったとか?」
「いやぁ、そのぉ……。実は、ライブに行った事が無いんだ」
「はっ? ライブに行ったことがない?」
「あぁ、ない。あまり、三次元の鏡レンナに興味が湧かなかったというか」
「嘘でしょ。鏡レンナに興味がない……」
その言葉が、心に染みていく。社長は、鏡レンナではなく、Vチューバー『花音』のファンだと言っているのだ。『アイドル鏡レンナ』である妹ではなく、『Vチューバー花音』である私のファン。
Vチューバー花音を嫌い、全ての活動を私に押しつけた妹に、この時ばかりは心から感謝した。
私のファンが目の前にいる。その事実がこれほど嬉しい事だなんて知らなかった。
「俺にとっては、花音だけが特別だからな……」
えっ? 花音だけが特別?
そんな疑問も、次に発せられた言葉に霧散する。
「それで、お願いなんだが……。清瀬さん、『花音』を応援する同じファンとして、頼みたい! 俺の『推し活』に協力してくれ!」
ガバッと、私に向かい頭を下げる社長の態度に面食らう。
「はっ? ――推し活!?」
♦︎♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢
夜の帳が下りた街を、駅へと向かい歩く。トボトボと歩く私の足取りは重い。
とんでもない約束をしてしまった……
社長と交わした約束を思い出し、今さらながら後悔の念が込み上げる。
『――俺の推し活に協力して欲しい』
あの言葉にも衝撃を受けたが、誰もがうらやむ勝ち組であろうイケメンからのヲタク発言に勝る衝撃はないだろう。
しかも彼は『花音』のファンなのだ。
あの時、言われた言葉を思い出し、心が浮き足だつ。
『花音だけが特別』
あの言葉がなかったら血迷ったりなど、しなかっただろう。それだけ、深く私の心を射抜いた言葉だった。
今さら、お断りなど出来ないだろう。手元に戻ってきた、マスコットを見て、大きなため息を吐く。
彼に協力するリスクもわかっている。花音のファンと言うことは、Vチューバーとしての私の活動を熟知していると言うことでもある。隠し通せる自信がない。
それに、妹の存在。彼女が、アイドル『鏡レンナ』だと、知られる訳にはいかない。
あぁぁ、どうしたらいいのよ!
堂々巡りする思考に、とうとう匙を投げた。どうにかなるかと、半ば諦めの境地で、腕時計に視線を落とし気づいた。
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