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「よしっ! 終わった」
そんな私のつぶやきに応える者は、この部署にはいない。数えるほどしか社員がいない総務課は、一色コーポレーションの中でも縁の下の力持ち的存在だ。備品管理から、資料整理、社内で行われる企画の外部委託手続きなど、仕事は多岐に渡るくせに、総務課に配属された人数は数える程しかいない。その理由は、はっきりしている。少数先鋭と言えば聴こえが良いが、その実態は少人数でもこなせる仕事しか舞い込まない日陰部署。いわゆる雑用係だ。
だからこそ、仕事も定時で帰れるし、ほぼ残業もない。この部署は、私生活で色々と隠さねばならない秘密を持つ私にとっては、居心地の良い場所だった。
今夜も、定期配信が待っている。妹のスケジュールも確認済みだ。この定期配信だけは、『鏡レンナ』のVチューバー姿ではなく、『Vチューバー花音』として、素の自分でいられる唯一の時間だった。だからこそ大切にしている。
遅れる訳にはいかない。定時で上がれば、九時から始まる定期配信には余裕で間に合うだろう。帰宅して、夕飯を食べて、お風呂に入って……。今日も、妹の帰りは遅くなる。だから、ゆっくり過ごそう。
帰宅後の事を思案していた私に、課長から声がかかる。
「お~い、清瀬! 内線入っているぞ」
「えっ? 私にですか?」
「あぁ、秘書室からだ」
「え、えぇぇ! 秘書室ですか!?」
「そうだぞ~。早く出ろ、待たせると悪い」
課長が手に持った受話器を振る。あの、のんびり屋の課長がいつになく焦っている。つまりは、電話口の相手は、それなりの地位にいる人。日陰部署の総務課職員が待たせていい人物ではない。
慌ててデスクの電話の受話器を持つと、保留ボタンを解除する。
「お待たせ致しました。総務課の清瀬穂花です」
『清瀬さんですか? まだ、居てよかった』
心底ホッとしたとでも言うように紡がれた言葉に若干の違和感を覚えつつ、相手の言葉を待つ。
「えっと、それで。私に何かご用でしょうか?」
『あぁ、すまない。就業時間外に電話をしてしまい申し訳ない。私は、社長秘書をしている朝霞という者です』
「えっ……社長秘書、ですか」
私の小さな叫びを耳ざとく聴きつけた心菜が近づいてくる。それを手を振り追い返そうとしたが、そんな事で怯む彼女ではない。側で耳をそばだてる心菜を無視し、電話に集中する。
『そうです、社長秘書です。それでご相談なのですが、この後空いていますか?』
「はっ? 空いている??」
『えぇ……。あぁ、誤解しないでください。用事があるのは私ではなく……』
嫌な予感をヒシヒシと感じる。そして数秒後に、その予感がバッチリ的中する。
『実は、社長がですね。貴方に会いたいと』
「えっ……社長ですか!?」
今度こそ、大きな叫び声を上げた私に、部署内の視線が集まる。その様子に焦り、慌ててしゃがみ込む。
「えっと、ごめんなさい。言っている意味がよく分からないのですが。どなたか別の方と間違えては?」
『それはないです。念のため聞きますが、清瀬さんは、今朝ロビーホールで転んだ女性で間違いないですよね』
最後の希望を込め聞いた言葉は、朝霞さんの言葉で一刀両断にされてしまう。つまりは――
脳裏に浮かんだ解答が正解な気がする。もう、諦めるしかないだろう。
「えぇ、そうです。ロビーで転んだ女で間違いないです」
『そうですか、間違えてなくてよかった。それで、この後お時間は?』
もう逃げられない。お礼も言わず逃げた報いか。
「大丈夫です。特に予定はありませんので」
『では――――』
社長秘書の朝霞さんと、二言三言交わし電話を切る。
「それで、穂花。どうしたの?」
心菜の顔を見て泣きそうになっていた。
「心菜あぁぁ、どうしよぉぉぉ。社長室に呼び出されたぁぁ……」
「やっぱりね」
「やっぱりって、どう言うことよぉ」
「そりゃ、そうでしょう。我が社の王子様、一色颯真の目の前でスッ転べばねぇ。しかも、お礼も言わずに逃げ出したら、そりゃ誰だって何だコイツって思われても仕方ないんじゃない」
「えぇぇ、やっぱり王子様って社長の事だったのね……」
「知らない穂花の方が、我が社では珍獣扱いです。毎朝の女性陣のお出迎えだって、日常茶飯事の光景よ。王子様は歯牙にも掛けてないけど」
「ししし、知らなかった」
「毎日、始業一時間前には出社している穂花が知らないのも無理はないけど……。まぁ、あきらめて謝って来なさいな」
私、社長の前ですっ転んで、謝らなかっただけで呼び出しくらうの。そんなの理不尽だ。
「どうしよぉ……。助けてもらってお礼も言えない社員なんて、我が社にはいらないって、クビにされたら」
「それは大丈夫だと思うけど……。ただ不思議よね。今まで女に全く興味なさそうだったのに。眼鏡を外した素顔を見て、惚れちゃったとか?」
そんな心菜のつぶやきは、この後の展開を猛烈に思案していた私には届かない。
この会社をクビになる訳にはいかないのだ。絶対に――
そんな私のつぶやきに応える者は、この部署にはいない。数えるほどしか社員がいない総務課は、一色コーポレーションの中でも縁の下の力持ち的存在だ。備品管理から、資料整理、社内で行われる企画の外部委託手続きなど、仕事は多岐に渡るくせに、総務課に配属された人数は数える程しかいない。その理由は、はっきりしている。少数先鋭と言えば聴こえが良いが、その実態は少人数でもこなせる仕事しか舞い込まない日陰部署。いわゆる雑用係だ。
だからこそ、仕事も定時で帰れるし、ほぼ残業もない。この部署は、私生活で色々と隠さねばならない秘密を持つ私にとっては、居心地の良い場所だった。
今夜も、定期配信が待っている。妹のスケジュールも確認済みだ。この定期配信だけは、『鏡レンナ』のVチューバー姿ではなく、『Vチューバー花音』として、素の自分でいられる唯一の時間だった。だからこそ大切にしている。
遅れる訳にはいかない。定時で上がれば、九時から始まる定期配信には余裕で間に合うだろう。帰宅して、夕飯を食べて、お風呂に入って……。今日も、妹の帰りは遅くなる。だから、ゆっくり過ごそう。
帰宅後の事を思案していた私に、課長から声がかかる。
「お~い、清瀬! 内線入っているぞ」
「えっ? 私にですか?」
「あぁ、秘書室からだ」
「え、えぇぇ! 秘書室ですか!?」
「そうだぞ~。早く出ろ、待たせると悪い」
課長が手に持った受話器を振る。あの、のんびり屋の課長がいつになく焦っている。つまりは、電話口の相手は、それなりの地位にいる人。日陰部署の総務課職員が待たせていい人物ではない。
慌ててデスクの電話の受話器を持つと、保留ボタンを解除する。
「お待たせ致しました。総務課の清瀬穂花です」
『清瀬さんですか? まだ、居てよかった』
心底ホッとしたとでも言うように紡がれた言葉に若干の違和感を覚えつつ、相手の言葉を待つ。
「えっと、それで。私に何かご用でしょうか?」
『あぁ、すまない。就業時間外に電話をしてしまい申し訳ない。私は、社長秘書をしている朝霞という者です』
「えっ……社長秘書、ですか」
私の小さな叫びを耳ざとく聴きつけた心菜が近づいてくる。それを手を振り追い返そうとしたが、そんな事で怯む彼女ではない。側で耳をそばだてる心菜を無視し、電話に集中する。
『そうです、社長秘書です。それでご相談なのですが、この後空いていますか?』
「はっ? 空いている??」
『えぇ……。あぁ、誤解しないでください。用事があるのは私ではなく……』
嫌な予感をヒシヒシと感じる。そして数秒後に、その予感がバッチリ的中する。
『実は、社長がですね。貴方に会いたいと』
「えっ……社長ですか!?」
今度こそ、大きな叫び声を上げた私に、部署内の視線が集まる。その様子に焦り、慌ててしゃがみ込む。
「えっと、ごめんなさい。言っている意味がよく分からないのですが。どなたか別の方と間違えては?」
『それはないです。念のため聞きますが、清瀬さんは、今朝ロビーホールで転んだ女性で間違いないですよね』
最後の希望を込め聞いた言葉は、朝霞さんの言葉で一刀両断にされてしまう。つまりは――
脳裏に浮かんだ解答が正解な気がする。もう、諦めるしかないだろう。
「えぇ、そうです。ロビーで転んだ女で間違いないです」
『そうですか、間違えてなくてよかった。それで、この後お時間は?』
もう逃げられない。お礼も言わず逃げた報いか。
「大丈夫です。特に予定はありませんので」
『では――――』
社長秘書の朝霞さんと、二言三言交わし電話を切る。
「それで、穂花。どうしたの?」
心菜の顔を見て泣きそうになっていた。
「心菜あぁぁ、どうしよぉぉぉ。社長室に呼び出されたぁぁ……」
「やっぱりね」
「やっぱりって、どう言うことよぉ」
「そりゃ、そうでしょう。我が社の王子様、一色颯真の目の前でスッ転べばねぇ。しかも、お礼も言わずに逃げ出したら、そりゃ誰だって何だコイツって思われても仕方ないんじゃない」
「えぇぇ、やっぱり王子様って社長の事だったのね……」
「知らない穂花の方が、我が社では珍獣扱いです。毎朝の女性陣のお出迎えだって、日常茶飯事の光景よ。王子様は歯牙にも掛けてないけど」
「ししし、知らなかった」
「毎日、始業一時間前には出社している穂花が知らないのも無理はないけど……。まぁ、あきらめて謝って来なさいな」
私、社長の前ですっ転んで、謝らなかっただけで呼び出しくらうの。そんなの理不尽だ。
「どうしよぉ……。助けてもらってお礼も言えない社員なんて、我が社にはいらないって、クビにされたら」
「それは大丈夫だと思うけど……。ただ不思議よね。今まで女に全く興味なさそうだったのに。眼鏡を外した素顔を見て、惚れちゃったとか?」
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