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前編(ミレイユ視点)
⑥
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背後からかけられた声に、心臓が激しい音をたて跳ねる。想像すらしていなかった恋しい声が鼓膜を揺らし、足が止まる。まるで、その場へと縫い付けられてしまったかのように身動ぎすら出来ない私へと、声の主がゆっくりと近づいてくる。
「ミレイユ、私は『どこへ行くつもりか』と聞いている?」
問いかけにすら声を発する事が出来ない私に焦れたのか、声の主は私の肩へと手を置き、反転させる。その反動で、声の主と目が合った私は、衝撃で目を見開く事しか出来なかった。
闇夜に溶け込んだかのように黒く真っ直ぐな長い髪と頭上で輝く月のように赤く光る瞳。自分が恋焦がれた御方が目の前にいるという現実が、俄には信じ難く、言葉が出ない。
しかし、長年しみついた主人への忠誠の証は、簡単に消えるものではない。身体が反射的に礼の形を取る。片膝を地面へとつき、片手を胸へとあて頭を垂れる。
「ディ、ディーク様におかれましては、――――」
「ミレイユ、意味のない口上は不要です。何処へ行くのかと、聞いているのです? 私を置いて」
いつにない不穏な空気を感じ、背がビリビリと震える。いつも穏やかな空気を纏い、丁寧な態度を崩さなかったディーク様。今はその丁寧口調が、かえって私の恐怖心を煽る。
怒らせるような事をした自覚はある。ディーク様に許可も得ず、独断で護衛騎士の任を解いてもらう決断をしたのだから。彼の立場に立ち考えれば、たかがオークの女戦士といえども、長年側にいた者が突然消えれば混乱もするだろう。
ディーク様は、お優しい御方だ。真の魔王様におなりになられてからも、一介の護衛の存在を気にかけてくださる。
自分の心情しか考えていなかった事に思い至り、罪悪感が去来する。
「ディーク様、長年に渡りお側に仕える栄誉を賜り、誠に幸せな日々を過ごすことができました。しかし、真なる魔王へとなられたディーク様のお側に侍る護衛騎士に私では分不相応でございます」
「だから、私の元を去ると言うのですか?」
「ディーク様のお役に立つことを望み、それを叶えるだけの能力を持つ魔族は大勢います。私をこのまま登用し続ければ、要らぬ禍根を生みましょう」
「そんな声、すぐに無くなる。それだけの力を私は得たのです。ミレイユが言う憂いなど、一掃してみせます。だから、――――」
「――――、ディーク様。もう、良いのです。真の魔王となられた今、貴方様より力もない私を護衛騎士にする必要は無いのです。ましてやオーク族である私には、魔力がない」
「そんな些末な事、どうでもいい。魔力を持っていなくとも、力がなくとも、関係ない。私は、ミレイユだから、貴方だからこそ、側に居て欲しいと思うのです」
ディーク様の言葉が心に響き、震わせる。
ミレイユだから、私だから、側に居て欲しいと言ったディーク様の言葉が、どれほどの喜びを私に与えたかなんて、きっと彼は分かっていない。ただ、その言葉の持つ意味合いは、親愛の感情。離れていく私に、亡くなった前魔王様を重ね執着しているだけなのだ。離れていく母に子が縋るように。だからこそ、私はディーク様のお側に居るべきではない。
子が母を恋しいと思う感情はいつかは消える。そうなった時、ディーク様にとっての私の存在は、ただの足枷にしかならないだろう。
彼が、伴侶を得た時、私の存在は邪魔になる。
伴侶となるお妃様が、私の存在を疎んだとしても、お優しいディーク様のことだ、長年仕えた私を妃の頼みとはいえ、無下に切り捨てることは出来ないだろう。そうなれば、高位魔族になればなるほど、嫉妬深いと言われる女魔族の怒りを買い、次期後継問題へと発展する可能性すらある。だからこそ、私は去らねばならない。
私は、心に去来する思慕の念を押し込め、ディーク様の足先へと口付けを落とす。
「親愛なる魔王様。ミレイユは、魔王ディーク様へ未来永劫の忠誠を誓います。その対価として、どうか愚かな私の願いを聞き入れてくださいませ」
『未来永劫の誓い』
下級魔族が、強者へと忠誠を誓う代わりに、その対価として願いを一つ聞き入れてもらう魔族同士の契約。この契約の本質は、下級魔族の命乞いだ。己の命を、敷いては一族の命を助けてもらう代わりに、契約を交わした高位魔族に未来永劫、隷属することを誓う。本来であれば、護衛騎士を辞めるという願いを聞き入れてもらうために使うような代物ではない。ただ、私にとってディーク様は、彼の護衛騎士の任を命じられた時から、命を賭して仕えてきた、ただ唯一の主人なのだ。昔も今も、その思いは変わらない。だからこそ、私の本気をディーク様に理解してもらえるのであれば『未来永劫の誓い』を持ち出すことに、なんの躊躇いもない。
「ミレイユ……、貴方は『未来永劫の誓い』を持ち出してまで、私の元を去るというのですね」
ブワッと広がった殺気に、ディーク様の眼前に跪いていた私の全身が総毛立つ。殺気に耐性のない者なら一瞬で気を失ってしまうほどのオーラを放つディーク様に、彼の怒りを買ったことを瞬時に理解した私は覚悟を決める。
ディーク様に殺されるなら本望だ。この命散ることで、彼が『母』という存在を断ち切れるのであれば……
静かに瞳を閉じ、審判の時を待つ。
「わかりました、ミレイユ。貴方の覚悟しかと受け取りました。『未来永劫の誓い』の対価として、貴方の護衛騎士の任を解きましょう」
ディーク様の言葉に、張り詰めていた息を吐き出し、最後に主人の顔を脳裏に焼きつけるため、顔を上げた時だった。主人の赤い瞳が怪しく輝き出す。その瞳を美しいと感じた瞬間、私の意識は弾け飛んだ。
「ミレイユ、私は『どこへ行くつもりか』と聞いている?」
問いかけにすら声を発する事が出来ない私に焦れたのか、声の主は私の肩へと手を置き、反転させる。その反動で、声の主と目が合った私は、衝撃で目を見開く事しか出来なかった。
闇夜に溶け込んだかのように黒く真っ直ぐな長い髪と頭上で輝く月のように赤く光る瞳。自分が恋焦がれた御方が目の前にいるという現実が、俄には信じ難く、言葉が出ない。
しかし、長年しみついた主人への忠誠の証は、簡単に消えるものではない。身体が反射的に礼の形を取る。片膝を地面へとつき、片手を胸へとあて頭を垂れる。
「ディ、ディーク様におかれましては、――――」
「ミレイユ、意味のない口上は不要です。何処へ行くのかと、聞いているのです? 私を置いて」
いつにない不穏な空気を感じ、背がビリビリと震える。いつも穏やかな空気を纏い、丁寧な態度を崩さなかったディーク様。今はその丁寧口調が、かえって私の恐怖心を煽る。
怒らせるような事をした自覚はある。ディーク様に許可も得ず、独断で護衛騎士の任を解いてもらう決断をしたのだから。彼の立場に立ち考えれば、たかがオークの女戦士といえども、長年側にいた者が突然消えれば混乱もするだろう。
ディーク様は、お優しい御方だ。真の魔王様におなりになられてからも、一介の護衛の存在を気にかけてくださる。
自分の心情しか考えていなかった事に思い至り、罪悪感が去来する。
「ディーク様、長年に渡りお側に仕える栄誉を賜り、誠に幸せな日々を過ごすことができました。しかし、真なる魔王へとなられたディーク様のお側に侍る護衛騎士に私では分不相応でございます」
「だから、私の元を去ると言うのですか?」
「ディーク様のお役に立つことを望み、それを叶えるだけの能力を持つ魔族は大勢います。私をこのまま登用し続ければ、要らぬ禍根を生みましょう」
「そんな声、すぐに無くなる。それだけの力を私は得たのです。ミレイユが言う憂いなど、一掃してみせます。だから、――――」
「――――、ディーク様。もう、良いのです。真の魔王となられた今、貴方様より力もない私を護衛騎士にする必要は無いのです。ましてやオーク族である私には、魔力がない」
「そんな些末な事、どうでもいい。魔力を持っていなくとも、力がなくとも、関係ない。私は、ミレイユだから、貴方だからこそ、側に居て欲しいと思うのです」
ディーク様の言葉が心に響き、震わせる。
ミレイユだから、私だから、側に居て欲しいと言ったディーク様の言葉が、どれほどの喜びを私に与えたかなんて、きっと彼は分かっていない。ただ、その言葉の持つ意味合いは、親愛の感情。離れていく私に、亡くなった前魔王様を重ね執着しているだけなのだ。離れていく母に子が縋るように。だからこそ、私はディーク様のお側に居るべきではない。
子が母を恋しいと思う感情はいつかは消える。そうなった時、ディーク様にとっての私の存在は、ただの足枷にしかならないだろう。
彼が、伴侶を得た時、私の存在は邪魔になる。
伴侶となるお妃様が、私の存在を疎んだとしても、お優しいディーク様のことだ、長年仕えた私を妃の頼みとはいえ、無下に切り捨てることは出来ないだろう。そうなれば、高位魔族になればなるほど、嫉妬深いと言われる女魔族の怒りを買い、次期後継問題へと発展する可能性すらある。だからこそ、私は去らねばならない。
私は、心に去来する思慕の念を押し込め、ディーク様の足先へと口付けを落とす。
「親愛なる魔王様。ミレイユは、魔王ディーク様へ未来永劫の忠誠を誓います。その対価として、どうか愚かな私の願いを聞き入れてくださいませ」
『未来永劫の誓い』
下級魔族が、強者へと忠誠を誓う代わりに、その対価として願いを一つ聞き入れてもらう魔族同士の契約。この契約の本質は、下級魔族の命乞いだ。己の命を、敷いては一族の命を助けてもらう代わりに、契約を交わした高位魔族に未来永劫、隷属することを誓う。本来であれば、護衛騎士を辞めるという願いを聞き入れてもらうために使うような代物ではない。ただ、私にとってディーク様は、彼の護衛騎士の任を命じられた時から、命を賭して仕えてきた、ただ唯一の主人なのだ。昔も今も、その思いは変わらない。だからこそ、私の本気をディーク様に理解してもらえるのであれば『未来永劫の誓い』を持ち出すことに、なんの躊躇いもない。
「ミレイユ……、貴方は『未来永劫の誓い』を持ち出してまで、私の元を去るというのですね」
ブワッと広がった殺気に、ディーク様の眼前に跪いていた私の全身が総毛立つ。殺気に耐性のない者なら一瞬で気を失ってしまうほどのオーラを放つディーク様に、彼の怒りを買ったことを瞬時に理解した私は覚悟を決める。
ディーク様に殺されるなら本望だ。この命散ることで、彼が『母』という存在を断ち切れるのであれば……
静かに瞳を閉じ、審判の時を待つ。
「わかりました、ミレイユ。貴方の覚悟しかと受け取りました。『未来永劫の誓い』の対価として、貴方の護衛騎士の任を解きましょう」
ディーク様の言葉に、張り詰めていた息を吐き出し、最後に主人の顔を脳裏に焼きつけるため、顔を上げた時だった。主人の赤い瞳が怪しく輝き出す。その瞳を美しいと感じた瞬間、私の意識は弾け飛んだ。
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