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疎外感

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「――ダミアンか」

「ダミアンかではありません。仕事がまりに溜まっているというのに、こんな所でサボりだなんて、いい加減にしてください!」

 扉を開け入って来た人物を認め、眉間にシワがよる。

 艶やかな黒髪をひとつに結び、仕立ての良い黒のジャケットにスラックスという出立いでたちの彼は、『ダミアン・ノワール』と言う。

 荒くれ者ぞろいの軍には似つかわしくない妖艶な雰囲気を醸し出す彼は、もちろん軍所属ではない。アルフレッド殿下のお目付役として、陛下がつけた側近だ。

 スラッとした線の細い体つきに、艶やかな黒毛の耳と長い尻尾を持つ彼は、猫の獣人だ。その妖艶な姿に、今も扉の隙間からこちらをこっそりと覗く不埒な輩が数人見え隠れしている。

「別にサボっていた訳ではない。ユリアスに毛繕いをしてもらうのも大切な仕事だ」

「毛繕いが仕事ですって! そんなもの、殿下付きの侍女にでもしてもらえばよろしい」

「いいや、ユリアスの毛繕いは、俺の体調管理も兼ねているというか……」

「体調管理? それこそ王家お抱えの侍医がいます。彼はあくまで軍所属の医者であって、貴方様の体調管理は仕事に入っていません」

 怒り心頭のダミアンが、ヒステリックに叫びながら私を指差す。

 アルフレッド殿下が、ここに出入りするようになってから、日に日にダミアンのヒステリックがひどくなっていると感じるのは気のせいではないだろう。

 ダミアンにとって、私の存在は邪魔者でしかない。殿下の仕事を邪魔する厄介者というだけでなく、殿下を惑わす性悪とでも思われているのだろう。

 私にその気が無くとも、何かと理由をつけて此処に居座る殿下の態度は、恋人であるダミアンにとっては悪でしかない。しかも、相手は最下層の草食獣人だ。自分より、身分も力も弱い存在が、アルフレッド殿下の側にいること自体許せないと思っていても不思議ではない。

――こんな爺さんに、殿下が横恋慕する事自体あり得ないのにな。

 しかも、自分は男だ。力の強い肉食獣人とは違い、多種族との間に子をもうけるだけの生殖能力がある訳ではない。

 基本的に、男の生殖能力は自分よりも力の弱い者にしか適応されない。国の頂点に立つ狼獣人なら女だろうと男だろうと、どんな種族だろうと選び放題だろうが、草食獣人の男は同じ種族か、女性とでなければ子をもうける事ができない。

 まぁ、ダミアンが私に嫉妬していると考える事自体、おこがましいのかも知れないがな。

 ただ単純に、自分より見劣りする者に目をかける殿下の態度が許せないだけと考えるのが妥当だろう。

「ダミアンさん、申し訳ありませんでした。お手間を取らせました」

「そうですね。ユリアス先生もお忙しいのでしょうから、殿下が来たらさっさと追い出してください。さすれば、私の仕事もひとつ減る。アルフレッド殿下、行きますよ!」

 こちらへ侮蔑ぶべつの視線をよこし、嫌みを放つダミアンの言葉に胸がきしむ。ただ、その理由がわからない。

 ダミアンがヒステリックに叫べば叫ぶほど、心の痛みは強くなっていく。

 ズキズキと痛みを訴える心をどうする事も出来ず、ただ仲睦まじく言い合いを続ける二人を見ていることしか出来ない自分。

 この感情がいったい何なのかわからない。

 前世の記憶を持ったまま生まれ変わっても、人の感情というものはわからないことばかりだ。

 爺さんの時はよかった。感情の波に振り回されることもなく、穏やかな時を過ごしていた。側には、自分を癒してくれる動物達が居て、寂しいと感じることもなかった。ポチに、タマに……

 彼らは今もどこかで幸せに暮らしているのだろうか?

 爺さんの記憶を持ったまま生まれ変わったとしても、自分はまだまだ年若い。

 感情とは心の乱れでもある。頭で感情をコントロールしようと思っても、心がそれを受け入れることが出来なければ、それが波となり心に刻まれ、さらなる感情を生み出してしまう。

 爺さんの頭と若者の心か……。厄介なものを与えられ、生を受けたものだ。

 心が頭に追いつけば、爺さんの時のように、感情の波に心を乱されなくなるのだろうか?

 そもそも、こんな感情を抱くこと自体間違っているのかもしれない。肉食獣人の頂点である殿下と最下層の自分とでは、はなから住む世界が違うのだから。

 ダミアンに急かされ、医務室を出ていくアルフレッド殿下を見つめ、もの悲しい気持ちに支配される。それを顔に出さないように、笑みを浮かべ、言い合いながらも仲睦まじく出ていく二人を見送る。

「そうそう、ユリアス先生。身辺には十分にお気をつけください。世の中には、珍しい草食獣人を手に入れたいと考える不埒な輩も多いですから」

 不敵な笑みを浮かべ、忠告とも脅しとも取れる言葉を残しダミアンが扉を閉め出ていく。

――そろそろ潮時かもしれないな。

 自分の居場所は此処にはないという思いが、脳裏を掠め消えていった。




 それから数日後、ある一通の手紙が医務室へと届けられた。

『王室主催の婚約パーティーへ同伴してもらいたい』

 短い一文が書かれた手紙と一緒に届けられたパーティースーツを見つめ、悟る。

 とうとう、アルフレッド殿下の婚約者が正式に決まるのだ。この手紙にはお相手の名前は記されていないが、噂の通り婚約相手は猫獣人のダミアンで間違いないだろう。

 殿下との付き合いも長い。きっと自分の晴れ舞台を見て欲しいのだ。

 案外、殿下も可愛いところがある。まるで、息子の晴れ舞台を見守る母親の気分だな。

「――そうか……」

 やっと、わかった。

 殿下に対するこの気持ちは、親離れしようとする子に対し、寂しく感じる親の気持ちと同じだ。私はずっとアルフレッド殿下に、『ポチ』を重ねて見ていたのだ。急に居なくなってしまったポチを。

 だからこそ、殿下を失うのが怖かった。そして、彼を奪おうとするダミアンの存在が恐ろしかったのだ。

 子離れをする時が来たようだ。そして、ポチへの想いに決着をつける時が……


 
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