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後編
覚悟
しおりを挟む『ティアナ王妃殿下、お言葉に従い全貴族令嬢の署名、確かにお渡し致します』
数日前、王妃の間を訪れたメイシン公爵夫人から手渡された書類。そこには、アリシア嬢を除くすべての貴族女性の署名がなされていた。
私からの無理難題を、この短期間で成し遂げたメイシン公爵夫人の手腕は流石としか言いようがない。褒めたたえた私に、彼女は『侍女ティナの働きがなければ、短期間で署名を集めることは不可能だった』と言った。かつて、侍女ティナを通して『王妃の間の恋のキューピッド』に助けられた者達が、協力を申し出たと。
色々と問題も起こしたが、当時、侍女ティナとなり活動したことは無駄ではなかった。そう知れただけで、私の心は救われた。
「ティアナ様、もうすぐですね」
「えぇ……」
アリシア様の裁判が行われるまで、あと数日。
彼女を助けるために奔走した日々が、走馬灯のように脳裏をよぎる。
「ルアンナ、ルドラ様の居場所はわかった?」
「はい。ノートン伯爵領にいらっしゃいます」
「そう……、会えるかしら?」
「はい、手筈は整えてございます」
バレンシア公爵家での夜会以降、レオン様にはお会いしていない。ただ、いつからか陛下付き侍女の任にもついているルアンナから私の無事は陛下に伝わっているはずだ。
そして、自由にさせてくれている。
無謀な行動を起こし、三度もレオン様の命を危険に晒した愚かな私を責めることも、咎めることも、詰ることもせず、見守ってくれている。
信じてくれている。
私のすることを信じ、待ってくれている。そう考えるだけで、心が温かくなり、勇気が湧いてくる。
必ず、アリシア様を救ってみせる!
ただ、それにはルドラ様の協力が絶対条件。果たして、彼を説得することができるのか……
悩んでいても仕方がないわね。当たって砕けろって、ね。
「ルアンナ、では参りましょうか。ノートン伯爵領へ」
♢
『話すことはない』と言ったきり、こちらを見ようともしないルドラ様を見つめ、ため息がこぼれそうになる。
ほんと、子供ね。図体ばかり大きな子供と一緒……
王命にて、ノートン伯爵家別邸にて謹慎処分となったルドラ様の元を訪ねて数時間、私の顔を見るなり、だんまりを決め込んだ彼を見て呆れ返っていた。ただ、このまま何も話をせず帰るわけにもいかない。
これ見よがしに、大きなため息をこぼせば、窓の外を眺めこちらを見ようともしないルドラ様の肩がわずかに揺れた。
ルドラ様も、わかっているのだ。このままでは埒があかないと。
「はぁぁ、ルドラ様。私はあなた様と違い時間がないのです。建設的な話し合いを致しませんこと?」
わざと彼の神経を逆撫でするように言ってやる。案の定、私の傲慢な物言いに、怒りを孕んだ目で睨まれた。
「やっと、こちらを見ましたね」
「何が言いたい!?」
「癇癪をおこした子供じゃあるまいし、私を拒絶したところで私は帰りませんことよ」
「じゃあ、私が出ていく!」
「ふふふ、おかしなことを。扉の外には、あなた様を見張るための衛兵がいるというのに、どう出ていくと言うのです?」
グッと言葉をのみ唇を噛み締めたルドラ様が、ドカッと元いた椅子へと腰掛ける。
さて……、そろそろ本題に入りましょうか。
「少しは私の話を聞く気になりましたか?」
「勝手にしろ」
「では、勝手にさせてもらいますわ。ルドラ様、あなた様はアリシア様を助ける気がございますか?」
「なんだと!?……アリシアを助ける? 馬鹿にするのも大概にしろ!!」
私の言葉に、そっぽを向いていたルドラ様が怪訝な視線を投げかけ、次の瞬間にはテーブルをバンっと叩き怒声を放つ。
「いいえ、馬鹿になどしておりません。私は、本気でアリシア様を救おうと考えております」
「なにを言っている……、仮にもアリシアは、お前の命を狙ったのだぞ。意味がわからない」
確かに彼からしてみれば、自分の命を狙った犯人を被害者が助けようとしているだなんて、信じられないことだろう。なにか、裏があると考えるのが妥当だ。ただ、ルドラ様に、その理由を教えるつもりはない。きっと、話したところで意味はない。アリシア様を助ける選択をしたのは私のエゴだからだ。
彼女は言った。すべてを手にしながら捨て去った王妃ティアナが憎いと。
アリシア様を凶行に走らせた要因の一端が過去の私の『行い』であるなら、彼女を死なせる訳にはいかない。
「アリシア様を助けるのに意味なんて必要? 私の都合など、ルドラ様は興味がないでしょ」
「確かにな……、ただ、アリシアを助けられるのであれば、なんでもやる」
ルドラ様が、その場に膝をつき頭を下げる。
「――――どうか、アリシアを助けてやってくれ」
頭を下げ続けるルドラ様の切ないほどの想いが私の胸を痛ませる。
ルドラ様には残酷な未来が待っている。
彼は、なにも知らない。
アリシア様とルドラ様に血の繋がりがないことも。
ルドラ様を虐げていたミーシャ様の態度が偽りだったことも。
オリビア様の死が、自死だったことも。
そして、ルドラ様に起こった悲劇はすべて母オリビア様が仕組んだことだったことも。
ルドラ様が真実をすべて受け入れられなければ、アリシア様を助けることは出来ない。計画を実行に移せば、アリシア様を助けることは可能だろう。しかし、彼女の心は救えない。
アリシア様を救うことができるのはルドラ様だけ。
ルドラ様の愛を忘れるためだけに、陛下の元へと嫁ごうとしていた過去のアリシア様は救えない。
「ルドラ様、あなた様にすべてを受け入れる覚悟はありますか?」
未だに膝をつき頭を下げるルドラ様の両手を掴み、顔を上げさせる。私の言葉に彼の瞳が揺れている。
「ブラックジャスミンの花畑で交わした密約を覚えていますか? ミーシャ様の弱みを握る代わりに、オリビア様の死の真相を教えて欲しいと。オリビア様は、ブラックジャスミンの毒を飲み死んだ。あの晩、ベッドの中に隠れていたルドラ様は、眠るオリビア様の口へとミーシャ様が毒を流し込むのを見た」
「やめ、やめて、くれ……」
真っ青な顔をしてブルブルと震え出したルドラ様を、そっと抱きしめる。彼にとっては怖ろしい記憶。震えるほどの恐怖が、ルドラ様を縛り続けてきた。オリビア様の思惑通りに。
「しかし、その記憶が刷り込みだったとしたら。ルドラ様の見たオリビア様の死の記憶、あれは本当に真実だったのでしょうか?」
「……、なに、を言っている?」
怯えた瞳が、私を見つめる。
「ブラックジャスミンの香りが引き起こした記憶のすり替え。オリビア様が死んだ夜、ベッドへと一緒に入ったルドラ様は、確かにミーシャ様を見ていた。しかし、彼女はオリビア様を殺してはいなかった」
「そんな、そんなことはない!! あの晩、確かに……」
「ルドラ様が見たのは、ナイフを持ったミーシャ様だった、違いますか?」
ルドラ様の瞳孔が見開き、驚きからか言葉を失う。
「あの晩、オリビア様の寝室にはブラックジャスミンの香りが漂っていたはずです。そして、あの香りの毒性の一つ、幻覚作用があの刷り込みを引き起こした」
ブラックジャスミン。満月の夜にだけ咲く世にも美しい花。
芳しい香りに誘われ、近づけば深い眠りへと落とされる。決して満月の夜に出歩いてはならぬ。さもないと、ブラックジャスミンの香りを纏し死神に連れ去られる。
あの伝承は、ブラックジャスミンの幻覚作用を示したものだった。
「では、誰が……、誰が母を…………、自殺……」
「そうです。オリビア様は自らの手で死を選びました」
「……どうして……、どうして……」
地面を見つめ、『なぜ』を繰り返すルドラ様に、一冊の書類を渡す。
「これは、バレンシア公爵家で起きた今までの事件をまとめた物になります。この中には、私の推察も含まれていますが、ミーシャ様の告白と、当時の状況証拠とオリビア様の遺言から、ほぼ真実に近い物であると確信を持っています。アリシア様を助けたいというお気持ちがあるなら、どうぞお読みください」
恐る恐る書類を手にしたルドラ様が、一枚、一枚とページをめくる。
震える指先の奏る音が沈黙を保つ部屋に静かに響く。
「明日、もう一度お伺いしますわ。その時に、お聞かせください。あなたの覚悟を?」
ペラペラとページをめくる音を聴きながら、その場を後にした。
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