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後編
復讐の連鎖
しおりを挟む目の前に立つアリシア様の姿に絶望感が心を支配し、嫌な汗が背を伝う。
アリシア様は、いつからミーシャ様と私の会話を聞いていたのだろうか。
もし、アリシア様が何も知らずに今の話を聞いてしまったとするなら、彼女の心中は計り知れない。
「あ、あの……、アリシア様、これは……」
どう言葉を紡いでいいか分からず口ごもる私の耳に笑い声が聴こえ、思わず上げた視線の先に見たアリシア様の表情に愕然とした。
なぜ、笑っているの?
悲しむなり、怒るなり、困惑するなり、負の感情を抱くなら、まだわかる。
誰だって、母だと思っていた人は、母ではなく。実母は、実父に殺され、憎む対象である義母の行いは、自分を守るためだったと知り、混乱しない者はいない。そこから起こる感情は、負のものであってしかるべきなのに、目の前に立つアリシア様は笑っているのだ。しかも、心底可笑しいとでも言うように。
その奇妙な光景に、得体の知れない恐怖が背を震わす。
「……、アリシア様、なぜ笑っているの?」
「笑っている? それは、そうでしょう。こんな可笑しなことってあるかしら。王妃殿下ともあろう方が、涙ひとつで、毒婦の嘘に騙されるんだから。笑わずには、いられないでしょ」
「ミーシャ様が、嘘を言っていると仰りたいの?」
「当たり前じゃない。あんなに元気だったお母さまが自殺なんてあり得ないわ。しかも、私達兄妹を虐げていたのは、お母さまの遺言だった? 笑わせないでよ!!」
一瞬で笑みを消したアリシア様が、血走った目をこちらへと向ける。
「ミーシャ様との会話を聞いていたのですね?」
怒りの感情を向けられた私は、未だにうずくまり泣きじゃくるミーシャ様を庇うように前へと立つ。そして、アリシア様を真っ向から見つめ、言葉を紡ぐ。
「だから、何なのよ!」
「それなら理解出来るはずです。ミーシャ様の言葉が嘘ではないと」
「嘘じゃない? そんなのいくらでも偽装出来るわ。自分の罪を逃れるために、死んだお母さまに罪をきせるなんて、どこまで性根が腐っているのよ!」
「いいえ、ミーシャ様の発言だけならアリシア様の仰っている通り偽装は出来ましょう。しかし、ミーシャ様の告白が真実だと裏づける証拠が揃っています。彼女の告白が偽装と証明する事の方が難しい」
「そ、そんなの簡単に出来るわ。ミーシャはズル賢い女ですもの。人を使って文書を偽装するなんて造作もなくやるわ。お母さまの病名だって、後からカルテに――――」
「もう、やめましょう! アリシア様。貴方がミーシャ様を信じられないのは、よく分かります。幼き頃より虐げられ続けた身、今更信じろと言われても無理な話です。でも思い出してみてください。ミーシャ様は、この公爵邸、いいえバレンシア公爵の目の届かない場所で、あなたを虐げたことがありましたか? そして、ミーシャ様がキツい態度を取っていたのは、アリシア様、貴方がルドラ様と行動を共にしていた時だけだったのではありませんか?」
「えっ!? …………」
バレンシア公爵家の闇。
それは、近親愛。
妹君サーシャ様に対するバレンシア公爵の異常な執着愛。その愛がなければ、サーシャ様も、オリビア様も死ぬことはなかった。石化症を患ったとしても、自死という残酷な最期をオリビア様は選ばずに済んだかもしれない。
ミーシャ様にとって、近親愛は耐え難いほどに憎むべきものだったのだ。
だからこそ、許せなかった。
バレンシア公爵と同じ轍を踏むルドラ様も、そんなルドラ様を庇うアリシア様も。
しかし、ミーシャ様の努力も虚しく、彼女が虐げれば虐げるほど、二人の仲は強固なものになっていく。そして、ミーシャ様が気づいた時には、取り返しのつかないところまで二人の仲は進んでいた。
これは私の憶測でしかないのだけれども。
ミーシャ様はオリビア様からの『遺言』を今でも持っている。
大切な姉からの最期の言葉を、オリビア様を崇拝するほど愛していたミーシャ様が捨てるはずがないのだから。
衣装台へと近づき、散乱した衣類の中に埋もれていた古びた木箱を手にとる。
そして中に収められていた古びた封筒を手に取ると、それをアリシア様へとかざす。
「ミーシャ様、これはオリビア様からの最期の手紙ですね」
「「えっ……」」
「ま、待って。それは、ダメ!」
取り返そうと伸ばされたミーシャ様の手が宙をかく。
「やはり、オリビア様からの。ミーシャ様、覚悟を決めなさい。これを見る権利が、アリシア様にはあります」
私はアリシア様に近づき、古びた手紙を手渡す。そして、手渡された手紙を食い入るように読み始めたアリシア様を、ただジッと静かに見守った。
オリビア様からの最期の手紙を読み判断するのはアリシア様だ。真実を知り、ミーシャ様を許すのか、それは私にも分からない。
ただ、願わくば、苦しみ続けたミーシャ様。そして、何も知らずバレンシア公爵家の闇に翻弄され続けたアリシア様とルドラ様が、真実を知ることで救われればと思う。
そんな願いを込めてアリシア様を見つめていた私の耳に絶望を告げる残酷な言葉が響いた。
「……、はは……、もう遅いのよ。何もかもが、遅かったのよ。計画は止まらない」
オリビア様の手紙がアリシア様の手から滑り落ちる。そして、まるで幽鬼のようにフラフラと力なく立つアリシア様が言葉を発したとき、後ろでドサッと音が響いた。
「ミーシャ様!?」
反射的に振り向いた先には、青白い顔をしてミーシャ様が横たわっている。先ほどまでとは明らかに違う様子に慌てて側に駆け寄れば、息苦しそうに荒い息をしている。
なに!? この甘い香りは?
「……、だめ……、すっては……、ブラック……」
私の袖を掴み、何かを訴えようと途切れ途切れの言葉を紡ぐ、ミーシャ様の意識が落ちる。
意識を失い力なく横たわるミーシャ様を唖然と見下ろし、彼女が言わんとしていたことを悟った時には手遅れだった。
窓を開けようと踏み出した足が崩れ、身体が地面に落ちる。打ったはずの身体に痛みはなく、手足に力が入らない。
「ふふふ、王妃様。ブラックジャスミンの毒はいかがかしら? 痛みはないでしょ。でも、死ぬのは時間の問題ね」
倒れた私を見下ろしアリシア様の口元が笑みを浮かべる。それはまるで死に行く者を嘲笑うかのような、それでいて憐れんでいるかのような不思議な笑みだ。
なぜアリシア様が、そんな笑みを私に向けるのか、理解出来ない。
「王妃様……、私が貴方様を殺そうとしているのか、理解出来ないって顔ね。簡単な話よ。ルドラと私、二人の幸せな未来には、王妃たる貴方の死が必要だったってだけのことよ」
王妃たる私の死が必要だった?
意味がわからない。
「あら? まだ、わからないの。お飾り王妃でも、王妃は王妃でしょ。貴方が死ねばアルザス王国内は、一気に混乱する。バレンシア公爵の身内が王妃殺害に関与したとなれば、公爵家は取り潰し。公爵家の後釜を狙う貴族共で国は混乱し、その間に隣国はアルザス王国に攻め入る機会が得られる。何しろ貴方は、隣国との国境を守るルザンヌ侯爵家の姫君。大切な娘を失ったルザンヌ侯爵は、アルザス王国を見限り、あとはわかるでしょ」
「……、りんこくと……、取り引き、を……」
「あら、まだしゃべれるのね。なら、この際だから冥土の土産に全て話してあげるわ。そうよ、オルレアン王国の間者と取り引きをしたの。貴方を殺す代わりに、ルドラと私をオルレアン王国に亡命させてくれるってね。貴方とミーシャが一緒に死ねば、ミーシャが貴方を殺し、自殺したように見えるでしょ。あらっ、ミーシャの方が先に、こと切れたかしら」
クスクスと笑いながらミーシャ様に近づいたアリシア様が、ミーシャ様の頭を容赦なく踏みつけると、くぐもったうめき声があがった。
「あら、残念。まだ、死んでなかったの。まぁ、時間の問題だけど。本当、馬鹿な女。赦されると本気で思っていたのかしら。どんな理由があれ、ルドラにした仕打ち、赦すはずないじゃない!」
激情のまま振り下ろされた足が、何度もミーシャ様の頭を踏みつける。その行為の残酷さに、止めに入ろうと思っても、力の抜けた身体ではどうすることも出来ない。
「やめ……、やめ……、て……」
私の声にミーシャ様を踏みつけていたアリシア様の暴挙がやみ、やっとこちらへと顔を向けた。そのことに安堵したのも束の間、怒りも露わに鬼の形相で近づいて来たアリシア様に、腹を蹴られ壁へと飛ばされる。
「何様のつもりよ!! この死に損ないが! あんたを見ていると虫唾が走るのよ!」
髪を掴まれ、頬を殴られる。
鬼の形相で頬を殴り続けるアリシア様の暴挙に疑問だけが、頭を巡っていく。
「ど、どう……、して……」
「なぜ自分が殴られているか分からないって? あんたの全てが憎いからよ! 愛され、望まれ、それを手にしておいて、捨てた。恵まれた環境にいながら、それに気づかず、騙されて、死にそうになっているなんて、本当、愚かな女ね、あんたは。だから、死になさいよ」
何発か腹を蹴られるが、自由を奪われた身体に痛みはない。
なぜ、そんな悲しい目をして罵るの……
時間が経つにつれ霞んでいく思考に、漠然と死ぬのだと感じ、瞼を閉じる。
その時だった。
「――――、ティアナ!」
幻聴まで聴こえるのね。
身体を揺すられ、僅かに開いた瞳が、ぼやけた人影を捉える。
レオン様なの?
幻覚まで見えはじめ、いよいよ死ぬのだと悟った。
「ティアナ、しっかりしろ!! 目を閉じるな! くそっ!! ティアナ、ティアナ……」
「……レオ……さま……」
「あぁ、そうだ俺だ。ティナ、星の雫は、どこだ?」
星の雫?
「……む、ね……」
「誰か、早く水を持って来い! ここだな……、すまん!」
ビリっと、ドレスが破れる音が遠くで聴こえるが、もう意識を保っているのが難しく、頭は霞がかる。そんな私の意識を保たせるように、身体が揺すられる。
「ティアナ、これを飲め。――――、くそっ、ダメか!」
焦った声に、私の名を叫ぶ声。
意識が深淵へと落ちる寸前、唇に押し当てられた温もりと共に、入ってきた水を飲み込む。
レオン様とのキス。結婚式以来かしら……
二回目のキスが死ぬときだなんて、皮肉ね。
『愛する人の腕の中で死ねるなら幸せな人生だったのかもしれない』なんて、そんなどうでもいい事を考えながら、私の意識は闇へと沈んだ。
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