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前編
想い
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「陛下、いったい此処は何処でしょう?」
彼との攻防の末、やっと解放された私は、床にへたり込んだまま、頭に浮かんだ疑問を口にしていた。
「そうだなぁ、隠し部屋と言ったところか?」
同じように床に胡座をかき座る陛下が、辺りをグルっと見回し答える。
転倒した拍子に、隠し扉から隠し部屋へと運悪く突入してしまったらしい。
辺りを見回しても出口らしき扉は見当たらない。唯一、外界と繋がっているのは頭上高くに設られた天窓くらいだ。
今は、その窓から入る灯りで室内の様子は分かるが暗くなる前に、この部屋から脱出しなければ一大事になる。
「見たところ扉も有りませんし、閉じ込められたと言う事でしょうか?」
「そうなるなぁ」
「どうしましょう。わたくしは兎も角、陛下が居なくなったと分かれば大事になります。明るい内に出口を見つけませんと」
「いや、俺は別に構わないが。ここで一夜をティアナと過ごすのも、また楽しそうだしな」
「なっ⁈ ななな、何を仰って。ご冗談も、時と場所を選んでください!」
「冗談ではないぞ。王宮では、完全に二人きりになるのは難しいであろう。この部屋に閉じ込められた事は誰も知らない。完全なる二人きりだ。不幸中の幸いと言うか、チャンスは有効に使わねば、もったいない」
目の前で、ニコニコと笑みを浮かべる陛下を見て、背を冷や汗が伝っていく。
おかしい。
無表情鉄仮面がデフォルトの筈の陛下に有るまじき言動の数々。極めつけは、破壊力増し増しの笑顔付きとはいったいどう言う了見だ。
確かに、侍女ティナと近衛騎士レオ様の時は、親しい友人と言えるまでに発展した。ティナとして陛下に接している時の彼の様子を見る限りでは、笑顔を溢す事もあれば、冗談を言い合う事もある。初めて会った時に比べて、かなりの進歩を遂げていた。
ただし、それは侍女ティナに対してであって、今は王妃ティアナなのである。
本気とも冗談とも言えない軽口を、陛下は王妃ティアナに言っているのだ。
緊急事態に陥り、頭のネジが一本弾け飛んだのだろうか?
そう自分を納得させなければ、今の状況を処理し切れない。
「へへへ、陛下!兎に角、出口を探しませんと」
「そうだな。このままと言う訳にも行くまいな。そろそろ、異変に気づいた側近達が騒ぎ出す頃か。あまり、大事になるのも避けたいところか」
「そうですね。早めに脱出致しましょう!」
「……なんか、釈然としないな。ティアナは、この状況をさっさと解消したいと見える。そんなに二人きりになるのが嫌か?」
「い、いいえ。滅相もございません。しかし、この状況は緊急事態ですし……はい」
どんどんと尻窄まりになる言葉に、ズイッと近づかれた距離感に、頭の中はパニック寸前だ。
『陛下は私に何をしたいのよぉぉ』と言う、叫びは眼前に近づく美しい顔を持つ高貴な方へは伝わらない。
ジリジリと後退っただけ、近づく距離感。
とうとうパニックを起こした脳は、こちらをジッと見つめる陛下の視界から外れる事を選択したらしい。
四つん這いで逃げ出した私は、近くにあったイーゼルを倒してしまった。
ガタンっと大きな音をたて、立て掛けられていた画材が落ちる。
「おいっ!危ない。無闇に動くな」
誰のせいだと思っているんだ!
ただ、周りの状況を見れば、所狭しと置かれたイーゼルや画材の数々に注意して進まなければ、全てをなぎ倒し兼ねない。
「取って食ったりしないから、少し落ち着け」
少々納得はいかないが、言質も取った事だし陛下を信じる事にしよう。
「陛下、少々取り乱しました。申し訳ありません。ただ、緊急事態である事に変わりありません。さっさと、出口を探しましょう」
「そうだな。まぁ、飛び込んで来た方向を考えれば出口の検討はついている」
だから、あんな軽口を言えるくらいには焦っていなかったのか。
本当、いい性格をしている。
ただ、侍女ティナに接する時のようなフランクな言動が、心地良く感じているのも事実で、その心地良さのせいで落ち着かなくなっていた。
「出口が分かるんですか⁈ じゃあ、さっさと出ましょう」
「……ははは…そんなに焦らなくとも」
目の前でクスクスと笑う陛下を見つめ、心の内のモヤモヤはさらに深くなっていく。
なぜ、私が振り回されなければならないのだ。
陛下は、私の事を恨んでいるのではなかったのか。愛するアリシア様との仲を引き裂いた悪女と、嫌っていたからこそ、無視をしていたのではないのか。
陛下の態度の意味がわからない。
いつにない近い距離感に戸惑い、陛下の一挙手一投足に敏感に反応してしまう。そして、心に広がる温かな想い。
期待してしまう。
「貴方様にとって、わたくしがどんな存在なのかは十分に理解しております。愛しい女性との仲を引き裂いた憎っくき相手である事も十分理解しております。だったら、最後までそれを貫いてくださいませ。友のように、わたくしに接するのはお辞めください」
でなければ、期待してしまう。まだ、愛される未来があるのではないかと……
「ティアナ!違う……
貴方をそんな風に想った事など一度もない。憎むなんて、そんな」
「陛下は嘘つきですね。では、なぜ目も合わせてくれなかったのですか?」
「それは……」
「……ほらっ。答えられない。それが、答えなのです。アリシア様と、どうかお幸せになってください」
「ティアナ、そうではない。誤解なんだ!」
「誤解?何が誤解だと言うのですか?陛下の今までの態度が全てを物語っているではありませんか。アリシア様が側妃になった暁には、わたくしは一線から身を引くつもりです。どうかお二人で、素晴らしい治世を築いてください」
「俺の前から消えると言うのか?」
「はい。許されるなら、どこか遠くへ隠居したいものです。離縁して下さっても構いません。わたくしは、あの自然豊かなルザンヌ侯爵領へ戻りたい」
そうだ。あの自然豊かな地で、何にも縛られず自由に暮らしたい。きっと、父も許してくれる。
「……そんな事、許せる筈ない!」
身体を震わす程の怒声に、ハッと前を向いた私の目に飛び込んで来た彼の姿に息をのむ。
激情を瞳に宿し、唇を噛む陛下の姿。
なぜ、そんな顔をするの?
陛下にとって私は邪魔な存在の筈だ。私と離縁をすれば、アリシア様を王妃に迎える事だって可能だ。昔と違い、ルザンヌ侯爵家の力はほぼないと言っていい。離縁したところで、何の支障もないのだ。
なのに、なぜそんな辛そうに顔を歪めるの?
「身勝手な事を言っているのも分かっている。貴方の立場を貶めた原因が自分の態度にあるのも理解している。ただ、貴方を手放す選択だけは出来ない。ティアナを失えば、俺は全てを失ってしまう」
すがるように伸ばされた手に捕まり、かき抱かれる。
「――頼む。俺から離れるなんて言わないでくれ」
切ない言霊が鼓膜を震わせ、心を揺らす。
陛下にとって王妃ティアナとは――
脳裏に有り得ない考えが過ぎり、慌てて頭を振る。
陛下にとっての王妃ティアナの存在なんて分かりきっている。憎むべき相手である以外の何者でもない。今までの言動も全て私を惑わせ、さらに精神的に追い詰める作戦に違いないのだ。
でなければ、勘違いしてしまう。
ーー愛されていると。
「陛下、今は緊急事態です。私情を持ち込む時ではありません」
私を抱き締める彼の胸を、意志ある強さで押せば彼もまた分かっていたのだろう。何の抵抗もなく温もりが離れていく。
「取り乱しまして申し訳ありませんでした。今は、バレンシア公爵家にもノートン伯爵家にも弱味を見せる訳には行きませんの。お分かり頂けますね。陛下が行方不明となり、隠し部屋に監禁されていたなどと噂が広まれば、アリシア様との結婚にも影響が出ます。そして、その場に居合わせた私の立ち場も大きく変わりますでしょう」
「あぁ。理解している。この状況を逆手に取る事もバレンシア公爵家には出来る」
「はい。たまたま見つけた隠し部屋に陛下を監禁し、それをノートン伯爵家、敷いてはバレンシア公爵家に罪を着せるため、王妃が暗躍したと噂が流れれば、私の立場は地に落ちます。ご理解頂けますね。陛下の御心に、まだ多少の良心がお有りでしたら、一刻も早くココを脱出する努力をして下さい」
わたくしの事を少しでも想って下さっているのなら……
そんな、僅かな希望を抱き、目の前の彼を見つめる。
陛下は、どんな答えをくれるのだろうか。
彼との攻防の末、やっと解放された私は、床にへたり込んだまま、頭に浮かんだ疑問を口にしていた。
「そうだなぁ、隠し部屋と言ったところか?」
同じように床に胡座をかき座る陛下が、辺りをグルっと見回し答える。
転倒した拍子に、隠し扉から隠し部屋へと運悪く突入してしまったらしい。
辺りを見回しても出口らしき扉は見当たらない。唯一、外界と繋がっているのは頭上高くに設られた天窓くらいだ。
今は、その窓から入る灯りで室内の様子は分かるが暗くなる前に、この部屋から脱出しなければ一大事になる。
「見たところ扉も有りませんし、閉じ込められたと言う事でしょうか?」
「そうなるなぁ」
「どうしましょう。わたくしは兎も角、陛下が居なくなったと分かれば大事になります。明るい内に出口を見つけませんと」
「いや、俺は別に構わないが。ここで一夜をティアナと過ごすのも、また楽しそうだしな」
「なっ⁈ ななな、何を仰って。ご冗談も、時と場所を選んでください!」
「冗談ではないぞ。王宮では、完全に二人きりになるのは難しいであろう。この部屋に閉じ込められた事は誰も知らない。完全なる二人きりだ。不幸中の幸いと言うか、チャンスは有効に使わねば、もったいない」
目の前で、ニコニコと笑みを浮かべる陛下を見て、背を冷や汗が伝っていく。
おかしい。
無表情鉄仮面がデフォルトの筈の陛下に有るまじき言動の数々。極めつけは、破壊力増し増しの笑顔付きとはいったいどう言う了見だ。
確かに、侍女ティナと近衛騎士レオ様の時は、親しい友人と言えるまでに発展した。ティナとして陛下に接している時の彼の様子を見る限りでは、笑顔を溢す事もあれば、冗談を言い合う事もある。初めて会った時に比べて、かなりの進歩を遂げていた。
ただし、それは侍女ティナに対してであって、今は王妃ティアナなのである。
本気とも冗談とも言えない軽口を、陛下は王妃ティアナに言っているのだ。
緊急事態に陥り、頭のネジが一本弾け飛んだのだろうか?
そう自分を納得させなければ、今の状況を処理し切れない。
「へへへ、陛下!兎に角、出口を探しませんと」
「そうだな。このままと言う訳にも行くまいな。そろそろ、異変に気づいた側近達が騒ぎ出す頃か。あまり、大事になるのも避けたいところか」
「そうですね。早めに脱出致しましょう!」
「……なんか、釈然としないな。ティアナは、この状況をさっさと解消したいと見える。そんなに二人きりになるのが嫌か?」
「い、いいえ。滅相もございません。しかし、この状況は緊急事態ですし……はい」
どんどんと尻窄まりになる言葉に、ズイッと近づかれた距離感に、頭の中はパニック寸前だ。
『陛下は私に何をしたいのよぉぉ』と言う、叫びは眼前に近づく美しい顔を持つ高貴な方へは伝わらない。
ジリジリと後退っただけ、近づく距離感。
とうとうパニックを起こした脳は、こちらをジッと見つめる陛下の視界から外れる事を選択したらしい。
四つん這いで逃げ出した私は、近くにあったイーゼルを倒してしまった。
ガタンっと大きな音をたて、立て掛けられていた画材が落ちる。
「おいっ!危ない。無闇に動くな」
誰のせいだと思っているんだ!
ただ、周りの状況を見れば、所狭しと置かれたイーゼルや画材の数々に注意して進まなければ、全てをなぎ倒し兼ねない。
「取って食ったりしないから、少し落ち着け」
少々納得はいかないが、言質も取った事だし陛下を信じる事にしよう。
「陛下、少々取り乱しました。申し訳ありません。ただ、緊急事態である事に変わりありません。さっさと、出口を探しましょう」
「そうだな。まぁ、飛び込んで来た方向を考えれば出口の検討はついている」
だから、あんな軽口を言えるくらいには焦っていなかったのか。
本当、いい性格をしている。
ただ、侍女ティナに接する時のようなフランクな言動が、心地良く感じているのも事実で、その心地良さのせいで落ち着かなくなっていた。
「出口が分かるんですか⁈ じゃあ、さっさと出ましょう」
「……ははは…そんなに焦らなくとも」
目の前でクスクスと笑う陛下を見つめ、心の内のモヤモヤはさらに深くなっていく。
なぜ、私が振り回されなければならないのだ。
陛下は、私の事を恨んでいるのではなかったのか。愛するアリシア様との仲を引き裂いた悪女と、嫌っていたからこそ、無視をしていたのではないのか。
陛下の態度の意味がわからない。
いつにない近い距離感に戸惑い、陛下の一挙手一投足に敏感に反応してしまう。そして、心に広がる温かな想い。
期待してしまう。
「貴方様にとって、わたくしがどんな存在なのかは十分に理解しております。愛しい女性との仲を引き裂いた憎っくき相手である事も十分理解しております。だったら、最後までそれを貫いてくださいませ。友のように、わたくしに接するのはお辞めください」
でなければ、期待してしまう。まだ、愛される未来があるのではないかと……
「ティアナ!違う……
貴方をそんな風に想った事など一度もない。憎むなんて、そんな」
「陛下は嘘つきですね。では、なぜ目も合わせてくれなかったのですか?」
「それは……」
「……ほらっ。答えられない。それが、答えなのです。アリシア様と、どうかお幸せになってください」
「ティアナ、そうではない。誤解なんだ!」
「誤解?何が誤解だと言うのですか?陛下の今までの態度が全てを物語っているではありませんか。アリシア様が側妃になった暁には、わたくしは一線から身を引くつもりです。どうかお二人で、素晴らしい治世を築いてください」
「俺の前から消えると言うのか?」
「はい。許されるなら、どこか遠くへ隠居したいものです。離縁して下さっても構いません。わたくしは、あの自然豊かなルザンヌ侯爵領へ戻りたい」
そうだ。あの自然豊かな地で、何にも縛られず自由に暮らしたい。きっと、父も許してくれる。
「……そんな事、許せる筈ない!」
身体を震わす程の怒声に、ハッと前を向いた私の目に飛び込んで来た彼の姿に息をのむ。
激情を瞳に宿し、唇を噛む陛下の姿。
なぜ、そんな顔をするの?
陛下にとって私は邪魔な存在の筈だ。私と離縁をすれば、アリシア様を王妃に迎える事だって可能だ。昔と違い、ルザンヌ侯爵家の力はほぼないと言っていい。離縁したところで、何の支障もないのだ。
なのに、なぜそんな辛そうに顔を歪めるの?
「身勝手な事を言っているのも分かっている。貴方の立場を貶めた原因が自分の態度にあるのも理解している。ただ、貴方を手放す選択だけは出来ない。ティアナを失えば、俺は全てを失ってしまう」
すがるように伸ばされた手に捕まり、かき抱かれる。
「――頼む。俺から離れるなんて言わないでくれ」
切ない言霊が鼓膜を震わせ、心を揺らす。
陛下にとって王妃ティアナとは――
脳裏に有り得ない考えが過ぎり、慌てて頭を振る。
陛下にとっての王妃ティアナの存在なんて分かりきっている。憎むべき相手である以外の何者でもない。今までの言動も全て私を惑わせ、さらに精神的に追い詰める作戦に違いないのだ。
でなければ、勘違いしてしまう。
ーー愛されていると。
「陛下、今は緊急事態です。私情を持ち込む時ではありません」
私を抱き締める彼の胸を、意志ある強さで押せば彼もまた分かっていたのだろう。何の抵抗もなく温もりが離れていく。
「取り乱しまして申し訳ありませんでした。今は、バレンシア公爵家にもノートン伯爵家にも弱味を見せる訳には行きませんの。お分かり頂けますね。陛下が行方不明となり、隠し部屋に監禁されていたなどと噂が広まれば、アリシア様との結婚にも影響が出ます。そして、その場に居合わせた私の立ち場も大きく変わりますでしょう」
「あぁ。理解している。この状況を逆手に取る事もバレンシア公爵家には出来る」
「はい。たまたま見つけた隠し部屋に陛下を監禁し、それをノートン伯爵家、敷いてはバレンシア公爵家に罪を着せるため、王妃が暗躍したと噂が流れれば、私の立場は地に落ちます。ご理解頂けますね。陛下の御心に、まだ多少の良心がお有りでしたら、一刻も早くココを脱出する努力をして下さい」
わたくしの事を少しでも想って下さっているのなら……
そんな、僅かな希望を抱き、目の前の彼を見つめる。
陛下は、どんな答えをくれるのだろうか。
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