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前編
母
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「アリシア様にとって亡くなられた母君は、本当に特別な方だったのですね」
「はい。母が亡くなったのは五歳の時でしたし、想い出も僅かですが、優しく温かな人だったのを覚えています」
アリシア様の決意を聞き、今後のやり取りについて話を詰めている中、ふと彼女の母親について何の情報もない事に気づいた。
調査書にも、オリビア様についてはあまり記載がない。ノートン伯爵家の出身で、後妻に入ったミーシャ様の姉君と言う事くらいしか書かれていなかった。
アリシア様が『母の愛するバレンシア公爵家を崩壊させたくない』とまで言わしめる大切な存在だ。きっと、素敵な女性だったに違いない。
「オリビア様が健全な時分のバレンシア公爵家は、とても素晴らしかったのですね」
「はい。母はとても素朴な女性でした。公爵夫人としては地味だったかもしれませんが、芯のある強い女性だったと記憶しております。兄を連れ、公爵家へ嫁ぎ風当たりも強かったと思いますが、わたくし達の前では、弱い姿を見せる事は一度もありませんでした」
貴族社会では、結婚相手となる女性の素性や過去、果ては性に関する事まで調べあげ婚約するのが常だ。ましてや、過去に結婚歴があり子供までいるとなると、大抵は嫁ぎ先が下位貴族であろうと断られるケースが多い。しかも、公爵家ほどの高位貴族であれば尚更だ。
どう言った理由があったにせよ、オリビア様が結婚された当初は、きつい風当たりがあったのは想像に難くない。そんな中で、公爵夫人として立ち回るのは、かなりの覚悟と忍耐を要した事だろう。
「芯のある強い女性だったとしても結婚当初は、とても苦労なされたのではないですか?」
「わたくしも幼かったので、人伝てに聞いた話になりますが、公爵家に嫁いだばかりの頃は、使用人以下の扱いを受ける事もあったそうです。高位貴族家の使用人はプライドだけ高い、扱い難い人種もいますから。ただ、母は負けなかったそうです。毅然とした態度を取り続け、理不尽な行いをした者には容赦しなかった。ある意味、苛烈な人だったのだと思いますが、私達には優しかった。よく遠駆けもしました。湖畔や見晴らしの良い丘の上で、地面に敷き物をひいて、母の手作りのお弁当を食べたものです。柔らかい草の上で、兄と転げ回って、いつの間にか母まで一緒に寝転がって、今考えれば公爵夫人としては褒められた行動ではありませんが、幼心に嬉しかったと記憶しております」
「オリビア様は、とても活発な女性だったのですね。なかなか、女性で遠駆けまで出来る方は、そういません。乗馬が趣味でらっしゃったのかしら?」
「はい。愛馬の世話も他人任せにせず、自身でやっていたそうです。公爵夫人としては、ちょっと変わっていたかもしれませんね」
そう言って、アリシア様は胸元に仕舞っていたロケット型のペンダントを出し、中を見せてくれた。
美しく輝く緑色の瞳を持つ女性の絵姿だった。
「この方が、オリビア様ですか?」
「はい」
「とてもお美しい方ですね。素敵な方……」
辺境の領地で駆けずり回っていた過去を持つ私には、苦い過去がある。
乗馬や剣術、狩りなどは貴族男子の嗜みとして貴族社会でも浸透しているが、それを女性貴族がやるとなると話は変わってくる。大抵は、野蛮な女として後ろ指を指される事は必至だ。
辺境のルザンヌ侯爵領で伸び伸びと育った私は、王都の社交界に馴染むのに苦労した。厳しい淑女教育を受けていたためマナーは完璧だったが、田舎育ちというだけで散々陰口を言われたものだ。
そんな過去を持つ私にとっては、乗馬を嗜んでいたというだけで、オリビア様の株は急上昇だ。親近感すら湧いてくる。
ただ不思議にも思う。そんな活発な女性がアリシア様を産んで、たった五年で亡くなるだなんて、そんなことあるのだろうか?
「アリシア様、つかぬ事をお伺いしますがオリビア様は病気でお亡くなりになられたのですか?」
「はい。わたくしは、そう聞いております。ただ、詳しくは知りません。子供という理由だけで、母の死に目にすら会わせてもらえませんでしたから」
「そうですか」
やはりおかしな話だ。乗馬を趣味とするような活発な女性が突然病死するなんて。
「込み入った話をお聞きしますが、オリビア様がお亡くなりになられる前に、事故などありませんでしたか?不思議でなりませんの。乗馬を趣味となさるほど、活発だった女性が突然病死なさるなんて。事故による後遺症が悪化して、とかなら理解出来ますが」
「いいえ。わたくしの知る限り、そのような事故が起きた記憶はございません。ティナ様も不思議に感じられるのですね?」
「えぇ。オリビア様の死には何か得体の知れないものが関与しているのではと疑いたくもなります」
「わたくしも母の死には疑問を持っております。ただ、母の死の真相を調べるにも五歳の時の出来事ですし、情報を得るのも困難で。当時の事を知る使用人も義母が、全て解雇してしまいましたし」
「では、今バレンシア公爵家に仕えている使用人は、オリビア様が亡くなられた後に雇われた者達という事ですね」
つまり、オリビア様の死の真相を知る者は、夫であった公爵様と息子のルドラ様。そして、オリビア様が亡くなられて直ぐに後妻として入ったミーシャ様のみと言うことだ。そして、当時を知る使用人は全て解雇されている。
オリビア様の死の裏に何かがあると見て間違いないだろう。
果たして、誰がオリビア様を手にかけたのか?
ーーふふ、そんな簡単な陰謀そうそう転がってないわね。考え過ぎかしら……
ただ、気にはなる。オリビア様の死の真相は、果たして。
「アリシア様。当事者ではない第三者の目で物事を見ると何か発見があるかもしれませんよ。お会い出来る当時の使用人の方はいらっしゃいませんか?」
「ティナ様、えっと。それは、母の死の真相を……」
「お節介かもしれませんが、これも何かのご縁です。アリシア様がお嫌でなければ、協力させて頂けないでしょうか?」
「嫌だなんてそんな。ありがとうございます。わたくしの力だけでは、もう無理だと諦めておりました」
私の手を優しく握ったアリシア様のキラキラと輝く藍色の瞳から涙が一粒零れ落ちた。
「はい。母が亡くなったのは五歳の時でしたし、想い出も僅かですが、優しく温かな人だったのを覚えています」
アリシア様の決意を聞き、今後のやり取りについて話を詰めている中、ふと彼女の母親について何の情報もない事に気づいた。
調査書にも、オリビア様についてはあまり記載がない。ノートン伯爵家の出身で、後妻に入ったミーシャ様の姉君と言う事くらいしか書かれていなかった。
アリシア様が『母の愛するバレンシア公爵家を崩壊させたくない』とまで言わしめる大切な存在だ。きっと、素敵な女性だったに違いない。
「オリビア様が健全な時分のバレンシア公爵家は、とても素晴らしかったのですね」
「はい。母はとても素朴な女性でした。公爵夫人としては地味だったかもしれませんが、芯のある強い女性だったと記憶しております。兄を連れ、公爵家へ嫁ぎ風当たりも強かったと思いますが、わたくし達の前では、弱い姿を見せる事は一度もありませんでした」
貴族社会では、結婚相手となる女性の素性や過去、果ては性に関する事まで調べあげ婚約するのが常だ。ましてや、過去に結婚歴があり子供までいるとなると、大抵は嫁ぎ先が下位貴族であろうと断られるケースが多い。しかも、公爵家ほどの高位貴族であれば尚更だ。
どう言った理由があったにせよ、オリビア様が結婚された当初は、きつい風当たりがあったのは想像に難くない。そんな中で、公爵夫人として立ち回るのは、かなりの覚悟と忍耐を要した事だろう。
「芯のある強い女性だったとしても結婚当初は、とても苦労なされたのではないですか?」
「わたくしも幼かったので、人伝てに聞いた話になりますが、公爵家に嫁いだばかりの頃は、使用人以下の扱いを受ける事もあったそうです。高位貴族家の使用人はプライドだけ高い、扱い難い人種もいますから。ただ、母は負けなかったそうです。毅然とした態度を取り続け、理不尽な行いをした者には容赦しなかった。ある意味、苛烈な人だったのだと思いますが、私達には優しかった。よく遠駆けもしました。湖畔や見晴らしの良い丘の上で、地面に敷き物をひいて、母の手作りのお弁当を食べたものです。柔らかい草の上で、兄と転げ回って、いつの間にか母まで一緒に寝転がって、今考えれば公爵夫人としては褒められた行動ではありませんが、幼心に嬉しかったと記憶しております」
「オリビア様は、とても活発な女性だったのですね。なかなか、女性で遠駆けまで出来る方は、そういません。乗馬が趣味でらっしゃったのかしら?」
「はい。愛馬の世話も他人任せにせず、自身でやっていたそうです。公爵夫人としては、ちょっと変わっていたかもしれませんね」
そう言って、アリシア様は胸元に仕舞っていたロケット型のペンダントを出し、中を見せてくれた。
美しく輝く緑色の瞳を持つ女性の絵姿だった。
「この方が、オリビア様ですか?」
「はい」
「とてもお美しい方ですね。素敵な方……」
辺境の領地で駆けずり回っていた過去を持つ私には、苦い過去がある。
乗馬や剣術、狩りなどは貴族男子の嗜みとして貴族社会でも浸透しているが、それを女性貴族がやるとなると話は変わってくる。大抵は、野蛮な女として後ろ指を指される事は必至だ。
辺境のルザンヌ侯爵領で伸び伸びと育った私は、王都の社交界に馴染むのに苦労した。厳しい淑女教育を受けていたためマナーは完璧だったが、田舎育ちというだけで散々陰口を言われたものだ。
そんな過去を持つ私にとっては、乗馬を嗜んでいたというだけで、オリビア様の株は急上昇だ。親近感すら湧いてくる。
ただ不思議にも思う。そんな活発な女性がアリシア様を産んで、たった五年で亡くなるだなんて、そんなことあるのだろうか?
「アリシア様、つかぬ事をお伺いしますがオリビア様は病気でお亡くなりになられたのですか?」
「はい。わたくしは、そう聞いております。ただ、詳しくは知りません。子供という理由だけで、母の死に目にすら会わせてもらえませんでしたから」
「そうですか」
やはりおかしな話だ。乗馬を趣味とするような活発な女性が突然病死するなんて。
「込み入った話をお聞きしますが、オリビア様がお亡くなりになられる前に、事故などありませんでしたか?不思議でなりませんの。乗馬を趣味となさるほど、活発だった女性が突然病死なさるなんて。事故による後遺症が悪化して、とかなら理解出来ますが」
「いいえ。わたくしの知る限り、そのような事故が起きた記憶はございません。ティナ様も不思議に感じられるのですね?」
「えぇ。オリビア様の死には何か得体の知れないものが関与しているのではと疑いたくもなります」
「わたくしも母の死には疑問を持っております。ただ、母の死の真相を調べるにも五歳の時の出来事ですし、情報を得るのも困難で。当時の事を知る使用人も義母が、全て解雇してしまいましたし」
「では、今バレンシア公爵家に仕えている使用人は、オリビア様が亡くなられた後に雇われた者達という事ですね」
つまり、オリビア様の死の真相を知る者は、夫であった公爵様と息子のルドラ様。そして、オリビア様が亡くなられて直ぐに後妻として入ったミーシャ様のみと言うことだ。そして、当時を知る使用人は全て解雇されている。
オリビア様の死の裏に何かがあると見て間違いないだろう。
果たして、誰がオリビア様を手にかけたのか?
ーーふふ、そんな簡単な陰謀そうそう転がってないわね。考え過ぎかしら……
ただ、気にはなる。オリビア様の死の真相は、果たして。
「アリシア様。当事者ではない第三者の目で物事を見ると何か発見があるかもしれませんよ。お会い出来る当時の使用人の方はいらっしゃいませんか?」
「ティナ様、えっと。それは、母の死の真相を……」
「お節介かもしれませんが、これも何かのご縁です。アリシア様がお嫌でなければ、協力させて頂けないでしょうか?」
「嫌だなんてそんな。ありがとうございます。わたくしの力だけでは、もう無理だと諦めておりました」
私の手を優しく握ったアリシア様のキラキラと輝く藍色の瞳から涙が一粒零れ落ちた。
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