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銀のかんざし
しおりを挟む雛菊は打ち掛けを落とし、小袖の裾をたくしあげ走る。階段を登ることさえもどかしく着物の乱れを気にしている余裕はない。
銀次に言われた奥座敷へと雛菊が着いた時には、息もあがり、髪も乱れていた。
はやる気持ちを抑えることが出来ない雛菊は、部屋の主人の許可を得ることなく襖をあける。
無作法をした雛菊を咎めもせず、部屋の主人は障子窓にもたれ、茜色の空をぼんやりと眺めていた。
「宗介さま……」
雛菊は衝動のままに駆け出し、いまだ空を見続ける宗介の胸へとぶつかるように飛び込み押し倒す。そして、畳の上へと倒れ込んだ宗介と目が合った瞬間、雛菊は噛みつくような口づけを彼へと落とした。
唇と唇が深く交わり、含みきれなかった唾液が顎を伝い首筋へと落ちていく。離れていた時間をうめるかのように激しく交わる口淫は、甘く淫らに雛菊を花開かせる。息をも奪い激しさを増していく口淫に、雛菊が根をあげたことでようやく二人の唇は離れた。
「やっと……、やっとだ。やっと、雛菊の心を手にいれた。もう離さねぇ、もう離してやれねぇ」
畳へと転がった雛菊の胸へと宗介が顔を埋ずめ、強く、強く雛菊を抱きしめる。そして、絞り出すように紡がれた言葉に雛菊の心が燃えあがり、眦から涙がこぼれ落ちた。
「えぇ、えぇ。もう、離さないでおくんなまし。あっちの心も身体も、宗介さまのものですから」
万感の想いを込め、雛菊が宗介の身体を抱きしめると、滲む視界の先に見える彼の顔が泣き笑うように歪んだ。
雛菊の頬を包んだ宗介の手が、優しく涙を拭う。その手に手を重ねれば、その温もりに雛菊の涙はあふれ止まらなくなった。
「雛菊、もう泣くな。おめぇに泣かれると昔から俺は弱えぇんだ」
雛菊の頬を次から次へと流れる涙を拭いながら苦笑をもらす宗介の目が優しく細められる。ざんばら髪から覗く、その瞳に雛菊の胸が締めつけられるが、その理由がわからない。
ずっと、不思議だった。
時折り感じる宗介からの視線。昔を懐かしむように細められる彼の瞳の意味を、ずっと知りたいと願っていた。
宗介様は、あっちの初恋の人ではありんせんか?と。
「なして……、なして、そんな切なそうにあっちを見るんでやすか? 昔を懐かしむようなその瞳の意味を、どうして教えてはくれないのですか?」
雛菊は心のままに宗介に問いかけていた。
「あっちの、命を救ってくれたのは宗介様ではありんせんか?」
雛菊の頬を撫でていた宗介の手が止まる。その手を捕まえ雛菊は、己の胸へと押し当て言葉を紡ぐ。
「あっちの心にいるのは、宗介様でありんす。それは変わりようのない事実。ただ、命を救ってくれた御方が誰かも知らず生きていくのは辛うございます。心の中にいるあの童子は、辛い日々の中で生きる遊女にとっての生きがいでありんした。あの人がいたから、あっちは遊女として生きてこられたのです」
雛菊の中には、ある確信が生まれていた。
ずっと、初恋の人は銀次だと思っていた。しかし、銀次との縁談話があがってから募っていった違和感は、いつしか確信へと変わって行った。
銀次は、初恋のあの人ではない。命を救ってくれた童子が、『遊女と男の間に恋なんか生まれない』と、そんな悲しいことを言うはずがない。
そして、気づいた宗介の存在。日に日に、宗介と初恋の人の姿が重なっていく。しかし、確信は持てなかった。宗介の掌には、かんざしで傷つけた傷跡がない。
宗介の掌に視線を落とす。厚い掌には一片の傷跡すらない。雛菊はありったけの願いを込め、宗介の掌を両手で包み口づけを落とした。
「どうか、お願いでございます。あっちの命を救ってくださったのは、宗介様ではありんせんか?」
縋るように紡がれた雛菊の言葉は涙声だった。
数秒、数分と沈黙が落ちる中、その時は突然に訪れた。雛菊の手をぎゅっと握った宗介に手を引かれ胸へと抱き込まれる。
「雛菊、おめぇの涙には弱えぇって、いったじゃねぇか。あぁ、言うつもりはなかったんだがよ」
雛菊を抱いていた腕を解いた宗介は、袂から黒漆の箱を取り出し雛菊の手に握らせる。
「……これは?」
「開けてみろや」
宗介の言葉に、赤い結び帯を解き箱を開けた雛菊は衝撃に言葉を失った。次から次へと涙があふれ落ちていく。
黒漆の箱に収められた銀のかんざしは、紛れもなく雛菊の想い出そのものだった。
「なして、なして……、言ってくれなかったの」
雛菊は宗介の胸に飛び込むと責めるように彼の胸を叩く。
『初恋の人が宗介だと知っていたら、こんなにも悩まなかった。もっと早く、素直になれていたのに』となじる雛菊に落とされた宗介の言葉に、胸を叩いていた手を止める。
「雛菊、もし知って、おめぇの心は変わったか? 俺たちの出会いは喧嘩腰で、雛菊、おめぇの心には銀次がいた。俺は、おめぇに認識すらされていなかった。そんな状態で、俺がおめぇを助けた恩人と言って、おめぇの心は変わったか?」
確かに宗介の言う通りだ。
宗介との出会いは最悪で、負の感情しかなかった。宗介が命の恩人だと知って、自分の心は今のように宗介に傾いたのだろうか?
今、雛菊の心に宗介がいるからこそわかる。宗介が初恋の人と知っても、あの時の雛菊から恋心は生まれなかった。
「俺は、雛菊の心を手に入れたかった。想い出の人としてではなく、今の俺自身を見て、好いてもらいたかったんだよ」
ぶっきらぼうに紡がれた言葉が、雛菊の心にしみる。背を向け座る宗介の耳がほんのり赤くなっていることに気づき、雛菊の心に何とも言えない切なさが込み上げた。
雛菊は心のままに宗介ににじり寄ると、その背に頬を寄せる。そして、ありったけの想いを込め願いを口にした。
「宗介さま……、どうか、あっちの春をもらってくんなんし」
闇夜に月が浮かぶ頃、行燈の火に照らされた二つの影が豪華な屏風絵に写る。決して離れることのない二つの影は、交わり、重なり、時に艶かしい声を響かせ、爆ぜる。
今宵、見事な花を咲かせ、美しく散らした吉原一の花魁の髪には、数十年の時を経て帰ってきた銀の簪が燦然と輝いていた。
【完】
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