初恋に敗れた花魁、遊廓一の遊び人の深愛に溺れる

湊未来

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賽は投げられた

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 陽気な三味線の音に、芸者の艶やかな声が唄に花をそえる。金蘭豪華な襖絵ふすまえを見つめながら雛菊は身を引き締めた。

(この襖の向こう側に、宗介様がいる。そして、高尾花魁も……)

 最近出回り始めた噂を思い出し、雛菊はほくそ笑む。『雛菊花魁、吉原一の遊び人に捨てられる』、そんな見出しの瓦版を雛菊も最近見たばかりだ。
 守備は上々、この襖を隔てた反対側の座敷には、宗介の贔屓を取り戻した高尾花魁が愉悦に浸っていることだろう。

(そろそろでありんすな)

 芸者唄が終盤へとさしかかり、雛菊は畳へと両手をつき頭を下げる。そして、唄声と三味線の音が鳴り止むと同時に目の前の襖がゆっくりと開いた。
 雛菊から見えはしないが、花魁の突然の登場に高尾花魁の目が見開かれる。

「宗介さま、この度は玉屋雛菊をお呼びくださりありがとうござりんす」

 雛菊は下げていた頭をあげ、上座へと視線を走らせニコリと笑う。上座には宗介が座り、その横には紫色の打ち掛けに真っ赤な牡丹をあしらった帯をまとった花魁が座っていた。

「宗介さま……、いったい、これは……」
「あぁ、高尾すまんな。あの花魁が、どうしてもと縋るんでな。高尾より秀でていると言ってきかんのだよ。格の違いってやつを見せつけてやってはくれんか?」

 宗介は高尾の手を取ると甲に口づけを落とし耳元で何かを囁く。すると高尾の頬が赤く染まった。そんな二人の密なやり取りを見る雛菊の心は、散々に乱れていた。
 高尾を嵌めるための作戦とはいえ、宗介と高尾とのやり取りを目に入れなければならない今の立ち位置は心に刺さるものがある。そこまで宗介に毒されていたのかと気づけば、なんとも面白くない。

 必然的に目がすわっていく雛菊を見て、宗介の腕に腕を絡ませた高尾が勝ち誇ったような笑みを浮かべる。

「宗介さま。あい、わかりんした。身のほど知らずの女に格の違いってもの見せてあげんしょう。はて、何をしんしょうか?」
「そうさなぁ……、高尾の舞は見事と聞く。おい、そこの花魁、舞は踊れんのか?」
「舞で、ござりんすか。嗜み程度には」
「なら、決まりだな。二人一緒に舞えば、格の違いもわかるだろう。高尾、それでいいか?」

 雛菊へ対する時の冷たさとは打って変わり、優しく問いかける宗介の言葉に、高尾の頬は益々赤く染まる。

「あい、宗介さま」

 頬を染め立ち上がった高尾は静々と畳の上を進み、雛菊の前へと立つと、鬼のような形相で睨み下ろした。

(想い人の前とえらい違いでありんすね)

 高尾は、ふんっと雛菊から視線を逸らすと、打ち掛けの裾が雛菊を打つように踵を返した。
 しかし、そんな嫌がらせで怯むような雛菊ではない。高尾の存在を無視し、じっと宗介を見続ける雛菊の態度に、高尾の方が煽られていた。

 雛菊の隣に、高尾が座り二人同時に頭を下げれば、三味線の音が鳴りだす。節に合わせて芸者が唄い始めれば、二人の花魁は頭を上げ踊りだした。
 三味線の音に合わせて、見事な蝶が舞う。しかし、唄が進むにつれ焦った様子を見せ始めた高尾の舞は、明らかに三味線の節に合っていない。
 一拍子、二拍子と二人の舞がずれていく。そして、腰を低く回転した時、焦りを見せた高尾が着物の裾を踏みつけ転んだ。

 唄と三味線の音色が消え、静けさに包まれた部屋の中、宗介の凛とした声がひびく。

「おう、高尾どうした? 舞の名手の名が泣くぜ」

 上座に座し、こちらへと鋭い視線を投げた宗介の言葉に、高尾の喉がひゅっと鳴った。

「ま、待っておくんなんし! わっちは嵌められたんでありんす。この女狐に!!」

 怒りも顕に立ち上がった高尾は、雛菊を指差し鬼の形相で叫ぶ。

「雛菊……、高尾はそう言っているが、そうか?」

 舞が中断し畳の上へと座していた雛菊は、宗介へと頭を下げ言葉を続ける。

「あっちは、なんもしておりやせん」
「嘘おっしゃい!! 三味線の節をわざと速めんしたじゃないの!!!!」
「それこそ、おかしな話でありんす。こちらさんの芸者衆は、沖ノ屋お抱えでありんしょう。なして、面識もないあっちが節を速めることができんしょうか?」
「そ、それは……、あんたが芸者衆と裏で通じて……」

 苦しい言い訳を続ける高尾花魁に、雛菊の目もすわっていく。

(よくもまぁ、あんな戯言、お世話になっている芸者衆の前で言えますなぁ)

 吉原遊廓に花を添える芸者衆は、決して花魁や遊女よりも格が下な訳ではない。いつの世も対等に扱われるべき大切な仲間だ。しかし、花魁の中には高尾のように、芸者衆を下に見て無理難題を押しつける者もいる。

「なら、聞いたらようござりんす。廓遊びに精通なさっている宗介様ならわかりんしょう。芸者衆が弾いた三味線の節は、速うなっていんしたか?」
「いんや、俺が知っている節の速さと同じだな」

 高尾の顔がみるみると青ざめていく。そんな彼女の様子を横目に雛菊は銀次から言われた言葉を思い出していた。
 高尾花魁が舞の名手と謳われていたのは、沖ノ屋お抱えの芸者衆がいてこそ成せる技だったのだ。癖の強い高尾の舞が最も美しく優雅に見えるように三味線の節を調節してくれていた。
 しかし、高尾は舞の名手と呼ばれた事で驕り、己の失敗ですら芸者衆のせいにした。日々の無理難題に疲弊し、高尾に愛想を尽かしていた芸者衆は、銀次の誘いにのった。高尾花魁にひと泡ふかせるために。

 窮地に立たされた高尾花魁は慌てふためき、宗介に助けを求める。しかし、縋る目を向けた宗介から放たれた視線の冷たさに、高尾はやっと理解したのだろう。

「宗介さま……、雛菊、貴様!! わっちを嵌めんしたね」

 怒りも顕に突進して来た高尾に胸ぐらを掴まれても雛菊は動じなかった。振り上げられた手が雛菊の頬を打つ。一回、二回と打たれても雛菊は動じない。そして、三回目の手が振り下ろされた時、初めて雛菊は動いた。
 高尾の手を強く握り、不敵に笑ってやる。

「気が済んだでありんすか? 高尾花魁」

 雛菊の煽り言葉に、高尾の沸点も上がっていく。真っ赤な顔をして暴れ出した高尾の頬を間髪入れずに打った。
 頬を打たれた高尾が、その場へと泣き崩れる。

(一発叩かれたくらいで泣き崩れるなんざ、大それた事をする割に根性がありんせん)

 畳へと伏し、おいおいと泣き叫ぶ高尾にその場にいる誰もが白けていた。

「皆して、わっちを騙して、ひどい。ひどい!!」
「何がひどいんでござんしょうな。高尾花魁に嵌められて、沙汰を待つ下級武士さんの方がよっぽど泣きたいでありんしょうに」

 雛菊の言葉に泣き叫んでいた高尾の肩がビクッと揺れる。

「そう、思いせんか? 高尾花魁」

 泣き顔を晒した高尾花魁が、キッと雛菊を睨む。しかし、その瞳の奥には怯えが見え隠れしていた。

「何が、言いたいの?」
「あらっ? 高尾花魁はご存知ありんせん? 仕掛けて来たのはそちらさんでありんしょうに。小刀まで持ち出して、よっぽどあっちが憎かったんやね」
「言いがかりはやめなんし!! それじゃ、何かい! わっちがその侍をけしかけたとでも!」
「あら? 違うんすか? 捕まったお侍さまは沖ノ屋の遊女に小刀を渡されたと自白なさったとか。あっちは、てっきり高尾花魁とばかり。 ……だってあんさんは、そのお侍さまの雇い主と馴染みでありんしょう」

 ちらっと高尾へと視線を投げれば、己の馴染みの名を出された高尾は顔を真っ青にして震え出した。

「ち、違う……、わっちじゃない。わっちじゃ」

 スッと立ち上がった雛菊は、青い顔して震える高尾の前へと進み出る。雛菊の着物の裾が目に入ったのだろう、恐る恐る顔をあげた高尾と雛菊の目が合う。雛菊は高尾の目を見て、それはそれは美しい笑みを浮かべて見せた。

「じゃあ、誰なんです? 小刀を渡したのは?」
「わっちじゃない、う、薄雲さ。薄雲が!!」

 青い顔して叫ぶ高尾の顔を見下ろし、雛菊の顔から笑みが消えた。

(この女には、花魁としての矜持も、妹花魁への愛すらもないんすね)

 雛菊の心に宿った憐憫は、決して高尾に対するものではない。高尾が全ての罪を薄雲に着せようと画策していたと知ってなお、姉花魁を信じていた妹花魁に対する憐憫だ。
 どこかで高尾の言葉を聞いているであろう薄雲の気持ちを考えると雛菊の心はやるせ無さでいっぱいになる。

「ほぉ、小刀を渡したのは薄雲と」
「えぇ、えぇ。そうでありんす、宗介さま」

 割って入った宗介の声に、高尾は弾かれたように宗介へと縋るような目を向ける。しかし、宗介から放たれた言葉は死刑宣告にも等しいものだった。

「なぁ、高尾よ。どうして、お前が小刀を渡した遊女の名を知ってんだ? 遊女の名を知ってるんは、侍と取り引きした、俺以外にいないんだがな」
「えっ?」
「なぜ、役人すら知らねぇ情報を、高尾おめぇが知ってんのか説明してくれや」

 宗介の言葉に高尾は諦めたように力なく笑い出す。

「はは……、ははは……、ぜんぶ、お前が悪い。わっちから宗介様を奪ったお前が憎い」

 宙を見つめ狂ったように笑い続ける高尾へと雛菊は静かに言葉をつむぐ。

「高尾花魁、あんたは間違っちゃいない。あっちは恨まれたって仕方ねぇことをした。あんたから大切な人を奪った。恨まれたって仕方ねぇ」

 雛菊には高尾の気持ちがわかる。
 心から愛する人に振り向いてもらえない切なさ。
 愛する人が違う誰かを見ていると気づいてしまった絶望感。雛菊は、宗介がいたから銀次への想いを捨て去ることが出来た。しかし、その陰で、宗介への想いを捨てきれず泣いた遊女がいることを雛菊は知らなかった。いいや、知ろうとしなかった。

「ただ、なして人を巻き込みなすった。高尾花魁、あんたが巻き込んだ人達は、あんたにとって大切な人だったんじゃねぇのかい。家族だったんじゃねぇのかい」

 虚空を見つめ茫然と座る高尾の目に涙が浮かび頬を伝い流れていく。

「あっちは、高尾花魁、あんたを許せない。自分のことしか目に入らねぇ、あんたは花魁として失格さ。 ……でも、そんなあんたでも慕う遊女はいる。もう、その娘を裏切るような真似だけはしなさんな」

 雛菊の言葉に一瞬だけ高尾の顔が辛そうにゆがむ。

「薄雲……、すまねぇ……」

 やるせない気持ちを残し雛菊は退室する。そんな雛菊と入れ替わるように入ってきた遊女が駆け出す。その姿を最後に廊下へと出た雛菊は襖を閉め、膝をつく。床板へと両手をついた雛菊は、深々と頭を下げ、その場を後にした。奥の座敷から微かにもれる二人の遊女の泣き声を聴きながら。
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