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変わりゆく心
しおりを挟む目の前に座る二人の男の目が見開く。
「おいおい、ちょっと待て。高尾花魁って……、俺の聞いた話と違う」
「やはり、そうでありんしたか。宗介様の思う黒幕は、高尾花魁の妹遊女、薄雲ではありんせんか?」
「あ、あぁ。薄雲って名の花魁に小刀を渡されたと、あの侍は自白した」
「菊花をけしかけたのも、その薄雲でやす」
「――――、出来すぎていますね」
ずっと黙って雛菊と宗介の会話を聞いていた銀次が口をはさむ。なぜ自分がここに呼ばれたのか、銀次は今正確に理解したことだろう。
「出来すぎでありんす。銀さん、薄雲って遊女は、どんな娘かい?」
「そうですね。良くも悪くも目立ちたがり屋でしょうか。しかし、高尾花魁との仲は良いですよ。薄雲も懐いていますしね。もし、本当に高尾花魁が黒幕であるなら、薄雲は捨て駒にされたと言うことでしょう」
銀次の言葉に、雛菊の臓腑が怒りで沸々と煮えくりかえる。
どんな理由があったにせよ、妹花魁を捨て駒にするなど許せるものではない。
遊女にとって妹花魁は、苦楽を共にする家族同然の存在なのだから。
高尾花魁に対する怒りを燃料に闘志を燃やしている雛菊へと宗介が問いかける。
「そんなら、黒幕が高尾花魁だとして、雛菊はどう落とし前をつけるつもりだ?」
宗介の問いに『くくく』と黒い笑みを浮かべた雛菊が手招きをする。そして、耳元で告げた言葉に宗介は逃げを打った。
「いや……、ちょっと待て!? そんな約束出来ん!!」
「なしてですか? 今回の刃傷事件、元を正せば宗介様の責任も大きいと思いんす」
「いやぁ……、確かにそうだが……」
焦った様子の宗介に、雛菊は最後の切り札を出した。
「お願いを聞いてくださらねぇんなら、『愛想尽かし』いたしんしょうかねぇ」
「ちょっと、待て!? 愛想尽かしって、おめぇ」
「宗介、あきらめな。これも身から出た錆。雛菊に愛想尽かされるよりマシでしょう」
銀次の言葉に宗介は頭をガシガシとかく。綺麗に整っていた髪が乱れていく様が、見慣れた宗介に戻っていくようで、雛菊の心がキュと疼く。
(あっちは、こっちの宗介様の方が好きでありんす)
「あぁぁ、わかったよ! ただ、俺が大事なんは雛菊ただ一人だ。そこんとこ忘れんなよ!」
大声を張り上げた宗介が、がんっと椅子を蹴倒し立ち上がると、踵を返し店を出ていく。
きっちりと支払いまで済ませ店を後にした律儀な男の背を見送り、雛菊は心が満たされていくのを感じていた。
♢
「それで雛菊は私に何をさせたいのかな?」
優しい笑みを浮かべ雛菊を見つめる銀次が、ただの優しいだけの男ではないことは、雛菊もわかっている。でも、彼の協力が得られなければ、高尾花魁をやり込めることは難しいことも事実だ。
「銀さん、後生でありんす。どうかあっちに力を貸してくんなんし」
雛菊はその場へと立ち上がると深々と頭をさげる。銀次には、なんの徳もない話だ。しかも奉公先の花魁を嵌めるとなれば、己の立場が危うくなる可能性すらある。
沈黙を保つ銀次に雛菊は言葉を続ける。
「銀さんには、なんの徳もありんせん。それどころか、沖ノ屋の花魁を裏切るとなれば、立場も悪くなりんしょう。でも、貴方さまの協力がなければ落とし前はつけられん。あっちがあげられるもんなら、なんだってあげんす、だから――」
「――、君の『春』を欲しいと私が言ってもかい?」
「えっ……」
銀次の言葉に時が止まる。
「なして……、知って……」
「やはりね。二人の様子を見ていればわかりますよ。肌を重ねているはずなのに、君たち二人の間に流れる空気は、男女のソレじゃない。まるで子供のままごと。だから、高尾なんかに付け入る隙を与えた。違うかい?」
銀次の言葉が心に突き刺さる。
ぐうの音も出ない。銀次の言葉は正論だ。
今回の刃傷事件の発端は、宗介の昔馴染みだった高尾花魁の嫉妬だ。雛菊と宗介が馴染みを交わしたことで捨てられた高尾花魁の嫉妬が引き起こした復讐に他ならない。
「銀さん……、高尾花魁はあっちが春を散らされていないと気づいているんすかね?」
「でしょうね。男女の閨に敏感な遊女なら、気づく者は気づきます。だから、我慢ならなかったんじゃないですか。ままごとみたいな恋をしている二人がね」
「ままごとみたいな恋、でやんすか……」
宗介との関係は、契約から始まった。
はじめは春を散らされずに済むと、操を守るためだけの契約だった。
自分の心が変わり始めたのは、いつだったか。
銀次が好きで、彼の心に自分はいないと気づき絶望した。
女として見られていないことに絶望したはずなのに、銀次に『春』が欲しいと言われたのに、心は凪いでいる。
喜びもなければ、悲しみもない。ましてや、今さら何を言い出すのかという怒りすらない。
「ねぇ、雛菊。君の心にいるのは誰なんだい?」
トンっと銀次に胸を突かれ、雛菊の身体に痺れが走る。
「雛菊、君の頼みだ。協力はしますよ。私も、高尾には思うところがあるからね。じゃあ、また」
手をヒラヒラと振り銀次が去っていく。
椅子へと腰掛けた雛菊は去っていく背を見つめ、心の中から銀次の存在が消えていたことに、今やっと気づいた。
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