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悪魔のささやき
しおりを挟む「奇遇でございますね。レオナルド様も、観劇を観にいらしたの?」
なぜ、彼がここにいるのだ?
燃えるような赤髪をなびかせ目の前に立つ人物を見て、エリザベスの頭の中で警鐘が鳴り響く。
今すぐにこの場を立ち去れと。
王太子妃主催のお茶会でレオナルドと接触してから、エリザベスはマレイユ伯爵家について出来うる限りの手を尽くし調べた。しかし、調べても調べても、不思議なくらい悪い噂が出てこないのだ。
品行方正という名が相応しい貴族家。領地経営、街の商会との繋がり、税金の納め方、果ては交友関係まで、全てにおいて見本となるべき貴族家の様相を呈していた。
だからこそ、気持ち悪いのだ。
ベイカー公爵家の情報網を使えば、貴族家の内情や交友関係、商会との繋がりは簡単に知ることができる。
大抵の貴族家は大なり小なり、やましい事を抱えている。たとえ上手く隠していたとしても、噂となり秘密の片鱗は見えてくるものだ。
マレイユ伯爵家は、悪い噂が一切ない。それはエリザベスにとって違和感でしかなかった。
「えぇ、友人に誘われましてね。市井で大流行りの観劇があるから、観に行かないかと。しかし、驚きました。エリザベス様をエントランスでお見かけするとは。今夜は、ハインツ様とですか?」
「なぜ、ハインツ様と一緒だと思われるのですか?」
「えっ? あぁ、申し訳ありません。女性に対してする質問ではありませんでしたね。いやね、サロンで見かけたもので、もしかしてと思いまして」
レオナルドが言っていることが事実だとしても、プライベートを詮索するのは紳士としてのマナーがなっていないと言われても仕方がない。
しかも、街の劇場で知り合いを見かけたとしても知らないふりをするのが貴族社会の暗黙のルールだ。
それなのに、こんな人気のないバルコニーでわざわざ声をかけるなど、常識がないと罵られても文句は言えない。
(さっさとこの場を去るべきね。万が一、他の人に見られでもしたら、いらない憶測を生みかねないわ)
今はまだ、ハインツとエリザベスは婚約者同士。他の男と密会していたと噂にでもなれば、エリザベスの立場はますます悪くなる。今後の事を考えれば、それだけは避けなければならない。
ハインツに一矢報いるためにも。
「そうですか。では、これで失礼いたします」
「――よろしいのですか? このまま帰っても」
「なんですって?」
レオナルドの挑発的な言葉に、エリザベスの足が止まる。
「ですから、このまま帰ってよろしいのですかと言っています。貴方の様子がおかしかったから、何かあったかと思い追いかけて来ましたが……、ハインツ様も酷な事をなさる。ウィリアム殿下に捨てられ、市井では悪女と揶揄されている公爵令嬢に、あの婚約破棄騒動を題材にした観劇を観せるなど、正気を疑う。エリザベス様に、自分の立場をわからせるために連れて来たとしか思えない。自分の立場を弁え、口を出すなとね」
言葉が出てこなかった。
(いつから私の様子を伺っていたの? まさか、泣き崩れたところまで見られていたなんてことは……)
「あ、貴方には関係ないでしょ!」
「関係ない……、ですか。そう言われても、エリザベス様にはハインツ様の手綱をしっかり握っていてもらわねばならないのですよ。今後、王太子派にマレイユ伯爵家が切り込んでいくにはね」
「そんなの貴方の勝手でしょ。私を巻き込まないで」
「確かにそうですね。ただ、エリザベス様はそれで良いのですか? このままハインツ様の思い通りに動かされ、利用価値が無くなれば捨てられるだけの存在に成り果てる。それで良いのですか?」
利用価値が無くなれば捨てられるだけの存在。
その言葉が、エリザベスの胸を軋ませる。
「エリザベス様、私と手を組む事に躊躇いがあるのは理解しています。ただ、そんな些末な事に悩んでいる時間が貴方様にはあるのですか? 悩んでいるうちに、足元をすくわれますよ」
不敵に笑うハインツと修道女服に身を包んだ女が抱き合う映像が脳裏をかすめ、エリザベスの心が揺れる。
(レオナルドと手を組めば、ハインツ様に一矢報いることが出来るかもしれない……)
エリザベスの頭の中で、悪魔がささやく。それに抗うだけの冷静さは、ハインツに裏切られたエリザベスには残っていなかった。
「レオナルド様……、貴方の望みは何ですの?」
「エリザベス様の望みが叶った暁には、マレイユ伯爵家が王太子派へ鞍替え出来るよう口添えをお願い致します」
「わかったわ……」
悪魔がささやくままに、エリザベスはレオナルドの手をとってしまった。
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