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夢のまた夢のお告げ
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夢のまた夢のお告げ
景司君は三月に十八歳になったばかりなのに、最悪の日々を送っていました。
高校の成績はまずまずだったのですが大学入試は全敗、仲の良い友達がみんな大学生になったのに、自分はなんてついていないんだろうと引きこもっていました。
受験勉強もせず、かといって専門学校に通ったり、就職活動もしてません。日永パソコンに向かい、あるいは読書をして過ごしていました。
両親や兄弟姉妹も遠巻きに眺めるだけです。腫れ物にさわるような扱いで景司君はますます閉じこもってしまいました。
昼夜反対の毎日、それでも社会は動いて行く、自分は何の役にも立っていない。いなくたって平気だ。もうどうにでもなれと景司君は密かに死を願うようになりました。
それでも自分から死ぬ勇気はありません。
悶々として布団に入り、それでも眠れず、いや眠っていたのかもしれないけれど、それが現実なのか、夢なのか、夢の中で夢を見ているのか、この夢が覚めてもまだ夢の中かもしれない、そんな錯乱状態に陥っていました。
そんな時、景司君は考えました。
そうだ、来年の自分がどうしているか夢の中なら行けるかも知れない。もし来年十九歳の自分が大学生になっていたら、今からでも受験勉強してみよう。いや大学生になっているのなら受験勉強なんかしなくても合格間違いないぞ、ふふふ。いや、待てよ、見に行くのは面倒くさいな、それより来年十九歳の自分がそれを教えに来てくれないか、毎年の自分が来てくれたらもっと便利だ、どっちも自分だから同じことかもしれないが、とにかく今は動きたくない。少しでも楽したいなあ。そんな横着なことをなんとなく考えていました。
けれど、簡単なことじゃない、むしろ現実離れしているんだ、でもまあいい、時間はいくらでもある。それまではのんびりと世間で話題のパワースポットにでも行って気分転換してこよう。そう考えました。
両親に旅行がしたいと相談したところ予想に反して大賛成、このまま引きこもりになるのを心配していたところだったので、十分な旅費を渡して喜んで送り出してくれました。
数日、各地のパワースポットで霊気を感じようとしましたが元来鈍感なのか何も感じません。そんな旅を続けていましたが、ある旅館の浴場で白髪の老人に出会いました。その老人は自分よりも少し背が低いくらいなので若いころは当時としては大柄だったんだろうと思いました。でも、どこかで会ったようななつかしい感じがしました。この旅で初めて自分から声をかけました。老人はにこにこしていましたが無口でした。それでも何というか気も合いました。相手がしゃべらないので、ただ気が合うと思っていただけかもしれません。問わず語りで入試に失敗して、自分探しという名目で旅に出たが、本当は未来の自分からの一言に巡り合いたくて旅をしていると話しました。他の人に話したら、何を夢みたいなことを考えているんだと笑われたり、そんなこと考えている暇があったら勉強するなり働きなさいと怒られるのがおちだと思っていました。だから誰にも話したことがなかったのです。なぜ、出会ったばかりの老人に自分の願いを話してしまったのか、景司君も不思議でした。ところが老人はそんな夢物語をうなずきながら静かに聞いていました。
湯気がもうもうとしている中、景司君は湯あたりがしたのか風呂から上がることにしました。ふと気づくと老人がいません。あれ、いつのまに、年寄りなのにすばやいなあと思っていました。ところが脱衣所にも老人の姿はありません。景司君はもしかしたら老人が風呂に沈んでいたらたいへんと再び風呂に入りましたが老人はいませんでした。
「私と話をしていたおじいさんを知りませんか?」
と周りの人にききましたが、
「おじいさんなんて見てないよ。君はさっきから湯船に浸かって独り言を言っていたじゃないか。」
景司君は驚きよりも恐ろしさを感じました。
大急ぎで風呂を出て部屋に戻り布団をかぶってがたがた震えていました。
こんな恐ろしい目に遭ったことはない、とても寝ちゃいられない、と繰り返しながら寝入ってしまいました。
夜中のことです。
夢なのか、それとも起きているのか、確かに自分の泊まっている旅館の部屋の片隅に風呂で会った老人がにこにこ微笑みながらこちらを見ているのに気づきました。
「申し訳ありません。申し訳ありません。」
景司君は恐ろしさのあまりただ謝罪を繰り返しました。別に何をしたということもないし、謝る意味も無いのは分かっていましたが、謝らずにはおられませんでした。
老人は静かに言いました。
「何も謝ることなんかないぞ。それより、よく訪ねてきてくれた。そのお礼が言いたくてまた出てきてしまったんだ。ささやかだけど、願いをかなえてあげよう。だけど、答えはいつも一言だけだから、それを心して聞くように。それから、もう願いがいらないなら、またこの旅館の風呂に来るといい。じゃあ元気で、あっ。」
老人は何かを言いかけた途中で消えていなくなりました。
景司君は何が何だか分からなくなりました。
朝ごはんを済ませると、その足で家に帰りました。
昨日あったこと、夢の話、こわかった思い、誰かに相談しようと思いましたが、そんな話を誰が信じてくれようか、一笑に付されると黙っておくことにしました。夜、夢に老人が出てきたらこわいと思いましたが、旅の疲れからか寝入っていました。
夜中のことです、「景司君」と名前を呼ばれた気がして目を覚ますと、日に焼けた自分が立っていました。そして自分が寝ている自分に語りかけました。
「十九歳の僕だよ。旅暮らしだが元気だよ。」
景司君は叫びました。
「え、僕は大学生になっているんじゃないの?」
十九歳の景司君は何も答えず微笑みながら消えていきました。
景司君はがっかりしました。受験に失敗したのか、もともと受験しなかったのか、もうどうでもいいや。大学に行かないのなら勉強はやめようと思いました。
意気消沈して、ぼんやりと一日を過ごしました。
その晩のことです。
今度は二十歳の自分が現れました。
「二十歳の僕だよ。今、遠い外国で井戸掘りをしているよ。毎日が充実して楽しいよ。」
そう言うとまた消えていきました。
景司君は思いました。
「なんで、僕が井戸掘り?それも外国で何やってるんだろう。絶対楽しくなんかあるもんか。」
もうやけだって感じでふてくされました。
まあ、それでも毎年どんなに成長していくのか、堕落して行くのか、今度は両親や兄弟のことを話してくれないかな、そんな気楽な気持ちになりました。楽しみではないけれど今晩はどんな夢か、どんな一言かと夜を待ちました。
三日目の夜が来ました。よい夢を見ますようにとつぶやいて目をつぶりました。目を開けると朝になっていました。しまった夢を見忘れた、もしかしたら見たのに忘れてしまったのかもしれない。そうだ、そうにちがいない。おじいさん、申し訳ない、今日見せてくれたんだろうけれど、ついうっかり見た夢を忘れてしまいました、今晩、再放送をお願いします。あれ、なんで変なことを言っているんだろうと笑ってしまいました。
四日目の夜、昨晩の夢をもう一度と意気込んで眠りにつきましたが、またしても夢は見ませんでした。あららと思い、少しあせってきました。夢を見たのを忘れたんじゃなくて見てないんじゃないかと思いました。そのうち、いやな考えが浮かんできました。夢で告げにくるはずの二十一歳の僕はこの世にいないんじゃないか、ぞっとしてきました。そうだ、そうにちがいない。僕は病気か事故か事件か分からないけれど二十歳で死んでしまうんだ。親よりも先に死んでしまうなんて、もっと人生を楽しみたかった。絶望だ。
景司君は悶々として朝を迎えました。
真っ青な顔の景司君を見て家族は心配しましたが、景司君は両親に申し訳ない気持ちでまともに顔を見られません。
景司君は朝から再びあの旅館に向かいました。
ああ、未来なんか知らなければ良かった、後悔しても仕方ない。もしあの老人が神様なら今までのことは無かったことにしてもらおう。あんな夢を見させてくれる力があるのだから神様に違いない。そうだ、最悪キャンセルしてもらおう。不幸になるのが分かっていて夢を見させるなんて神様の風上にも置けない、そんなことを言いながら旅館に着き、早めに風呂に入らせてもらいました。
「どうかお願いします。私がわがままでした、夢なんか見たくありませんでした。願いはいりません。勝手とは思いますが、どうかキャンセルでお願いします。」
すると湯気の中から老人が出てきました。
「そうか、願いはもういらんのか。だが今まで見た夢はほんものだ。」
老人は残念そうに消えて行きます。
景司君は必死で呼びかけました。
「待ってください。なんとかキャンセルしたいんです。もっと生きたいんです。」
景司君は絶望を感じました。あの老人も一言だけしか話してくれないのか。もう望みは無い。このまま死んでしまおう。
ぶくぶくぶく。
「おおい、誰かが風呂で溺れているぞ。」
気づいた入浴客が、風呂に沈んでいた景司君を助け出してくれました。
意識を取り戻した景司君は号泣しました。
どうして死ねなかったんだろう。こんなに死にたいのに、それまで、生きたいと言っていた真逆の言葉をつぶやいていました。
部屋で寝かされぼんやり天井を眺めていましたが、ふと気がつきました。
そうだ、老人が言っていたじゃないか、二晩の夢が本物だと、ということは十九歳の僕と二十歳の僕はこの世にいるんだから今死のうとしても死なないんだ。だから風呂で沈んでも助けられたんだ。
そうだ、二十一歳までは生きられないけれど十九歳、二十歳の途中までは生きているんだから、その間、一所懸命に生きてみよう。確か十九歳の僕は旅をして日に焼けていたぞ、それはいい、旅をしよう。一文無しでも二十歳までは生きているんだから何とか食べて行けるんだろう、なんとかなるさ。
先ほどまで、死ぬことを考えていたのに気持ちの切り替えが早い早い。
両親に電話して「もう大丈夫、しばらく旅に出る。」と伝えました。
真っ青な顔の景司君を心配していた両親は一安心、毎日電話することを約束して旅を続けました。
ある公園で細い木の上の枝で降りられない猫を見かけました。まわりの大人も子どもも心配そうに見上げますが、人には枝が細いと誰も上がろうとしません。はしごも届きません。落ちたら怪我、下手したら死んでしまいます。でも景司君は死なないのは分かっているのでするすると木に登り猫を抱えて降りてきました。拍手の中、勇気があるねと言われましたが、なあにとだけ答えました。
景司君は確信しました。十九歳の間は不死身だと。
そうなると怖いものなしです。
恐怖といえば二十歳のときに訪れるだろう死だけです。
この一年は楽しもうと思いました。
あるところでサーカスの一座に出会いました。その日の出し物のひとつにナイフ投げがありましたが、的役の美女が急病になりました。ところが誰も代役をやりたがらないのです、というのもナイフ投げの道化師が的も近くに変えるほど腕が落ちていたからです。そんなところに顔色変えずに立っているなんて無理です。その話を小耳にはさんだ景司君は「なんなら僕がやりますよ。絶対微動だにしませんから。」と言いました。道化師は「いやいや、素人の方は今こう言っても実際ナイフを投げる際はブルってしまいますよ。ナイフ投げにとって動かれるのはとても困る。動かなければ危なくないんですが、いっそ目隠ししてもらえませんか。」と言いました。
景司君は「その心配は無用です。私の心臓は鉄でできています。ははは。その代わりギャラははずんでください。」と笑いました。
道化師は少しイラっとしました。そのせいか一投目、思いっきり外れてしまいました。観客は大喜び、道化師の芸だと勘違いしたのです。あわてたのは道化師とサーカスの仲間です。手がすべったじゃすまないぞ、景司君を早く的からはずさないといけないと団長が係に目配せをしました。ところが観客の声援と楽団のドラムロールが大きくて係が気づかず、道化師は残り四本のナイフを次々に投げました。最後の一投は景司君の襟に刺さりました。観客は悲鳴をあげましたが、景司君は少しも騒がず襟に刺さったナイフを抜き、皆に挨拶しました。
裏に戻ると道化師と団長が謝りました。
団長は「しかし、君ほど肝の据わった若者は見たことがない。怖くないのかね。」
景司君は答えました。
「全然。私は技術はないですけど恐怖を感じないのです。危なくないのが分かっていることなら何でもしますよ。」
団長は「それなら、この後、象の出し物で、人を踏みそうで踏まないというのがあるのだけれど、それをやってもらえないか。この出し物は少しはおびえた方が面白いのだけれど、おびえると象の演技にさわるから、今回は不死身の男で紹介しようと思うのです。」
ヒロオ君は快諾しました。踏まれるわけないと絶対の自信がありました。
「恐怖を感じない不死身の男、景司」のアナウンスが流れ芸は大成功でした。
そんな景司君を見つめている新聞記者がいました。サーカスを見に来ていたのですが、飛び入りで度胸の据わった素人が登場したと聞いて、本当は話題集めでサーカスが仕込んだのと疑いました。もしくは、体が不自由で恐怖が分からないのではないかと考えました。サーカスに取材を申し込み、景司君に会ってみると確かにごく普通の若者です。記者は景司君に興味を持ちました。そして新聞の企画で怖いものに挑戦してみないかと尋ねました。景司君は、どうせ暇だし、旅も目的があるわけでないからいいですよ、ただし二十歳になる前に企画は終了してくださいと頼みました。記者は変な条件だと思いましたが、了解し新聞記事の片隅で小さな挑戦コーナーが始まりました。地方の遊園地のジェットコースターを平気な顔してのる写真が掲載されました。落下のアトラクションも眉ひとつ動かしません。生まれて初めてのゴンドラに乗ったビルの窓掃除もベテラン社員が舌を巻きました。大きな天守閣のしゃちほこの掃除も平気です。ついにバンジージャンプに挑戦することとなってテレビ局が飛びつきました。果たして表情を変えずにバンジージャンプができるのか、今までは新聞紙面の写真だけだったので平気な顔の一瞬だと疑われてもいました。今度は映像です。本当は表情が変わるのではないかと何台もの望遠カメラ、ヘルメットのカメラが捕らえます。ところが景司君は顔色一つ変えずアナウンサーは「現代の鉄仮面」と絶叫しました。次にはスカイダイビングをしながら歌を歌うという離れ業をやってのけ、世間は「歌う鉄仮面」ともてはやしました。
挑戦はシリーズ化され、景司君は日本中を旅しました。飛び込みプールの十メートルにも挑戦しました。日本海側の断崖からも海に飛び込みました。手筒花火も平気です。大型ブランコや滑り台などは物足りないくらいです。山の吊橋を渡っていて揺らされても怖くありません。スピードレースカーや競走ボートに乗せてもらった時もかえって楽しいくらいでした。
春が来て景司君は十九歳になりました。その夜はなぜか寝付かれずぼんやりとしていました。そのうちうとうととしていると誰かに手をひっぱられる感じがしました。気がつくと目の前に十八歳の自分がいました。青白い顔した昔の自分を見て、そうだ今の自分を説明しなければと思いました。
今の自分は十九歳で、日本中を挑戦の旅していること、大学には行かなかったけど楽しい、来年には死んでしまうだろうと言おうとしました。
「十九歳の僕だよ。旅暮らしだが元気だよ。」
そのあとの言葉は届きませんでした。十八歳の自分が不服そうに叫んでいるのが見えました。そうだ、あのとき怒ってたっけ、少しおかしくなって笑いました。
ふと気づくと元の部屋でした。夢だったのか、それは分かりません。
そのとき、二十歳の自分が外国で井戸を掘っていることを思い出しました。今、自分は挑戦という名目で旅をしている。それなりに楽しいけれど、それで何か豊かになっているのだろうか、バラエティでみんなを楽しませているのだけれど、社会貢献と言えるのだろうか。自分は来年死んでしまう。それなのにこのままでいいのだろうか。そうだ、自分には時間がないんだ。なにかしなければ、もしそれが井戸掘りだったら、自分は行かなければならない、と。
そう思うと居ても立ってもいられなくなりました。記者はもう手を離れていましたが、記者とテレビ局のプロデューサーを訪ねて外国で井戸掘りをしたいと訴えました。頼み方が尋常でなかったので二人とも戸惑っていましたが、熱意に押されるまま、それでは路線を変えて、鉄仮面が外国で井戸掘り挑戦、社会貢献番組の企画を取り付けることになりました。国内のNPO法人と協議して、友好国で水事情の不便な地域に出発しました。景司君は今までの挑戦コーナーのギャラはほとんど使っていなかったので、このプロジェクトに全額を使うことにしました。もともとあと一年の命だから残してもしょうがない、役に立てるのならそれでいいという感情にあふれていました。
某国に到着し、現場に行ってみると想像を絶する状況でした。日本では蛇口をひねると当たり前に水が出るが当地では水道自体がない、洗濯どころか食事の準備も泥水、そんな衛生状態だから体を壊す子どもや老人、遠い丘の上の水汲み場まで子どもや女性が長い距離を運んでくる、自動車や台車が無いから抱えて歩かないといけない、子どもは遊びや勉強の時間が取れない状況でした。噂には聞いていたが大変なところだと思いました。
まず集落に水源がないか調べましたが残念ながら不発に終わりました。どうやら今の水源池の近くに井戸を掘って濾された水を汲むしかないようです。某テレビ番組にならい日本の技術で井戸を掘り当てました。村人は喜びました。子どもたちは夢中になって水を浴びました。これからは泥水でなく澄んだ水が飲める、そのことがうれしかったのです。景司君はその輝く子どもたちの目に癒されました。二十歳の自分が言った「充実」とはこのことかと思いました。水汲み場は整備されましたが、それでも水運びはたいへんです。子どもや女性の仕事は今までのままです。そこで景司君は大量のゴムホースを購入し連結して井戸と集落を結びました。
井戸と集落にそれぞれタンクを置いて、高低差で水を流そうという工夫です。ところが四キロ近くあるとホースが熱せられて水はお湯になってしまいました。景司君はタンクをいくつか買って、井戸のそばに二つ、集落に二つ据えました。昼間、ポンプで汲んだ水はタンクに貯めて、夕方から夜にかけて集落まで水を送りました。残りのタンクとホースで村のはずれにある学校まで水を送りました。今まで子どもや女性が行っていた水運びも今は当番で2人がポンプで汲み上げと集落や学校からの木を叩く合図で水を送るだけになりました。水が自由になると、集落で簡単な野菜作りが始まりました。トウモロコシ、イモ、瓜などが少しできるようになりました。
景司君の活躍は日本で放送され、景司君に対しても支援金も集まりました。しかし未来のない景司君にはテレビ局から支給される滞在費だけで十分です。景司君はテレビカメラを通じて、自分に対する支援は不要だと伝えました。皆さんのご好意には感謝し、いただいた支援金は独断ですが新たな井戸掘りと周辺作業の費用、そして地元の学校に寄付したことを伝えました。一部マスコミには偽善者、政治家へ転身かなどと中傷されましたが自分の命がもう長くないからなどとは誰にも話しませんでした。
井戸掘りを始めて六箇所目の村に着きました。暑い日でした。日本と違って一年中真夏に思える毎日でしたが、気がつくと二十歳の誕生日でした。その日の晩、また誰かに引っ張られるように十八歳の自分に会いに行きました。
そのときは、二十一歳を迎えられないことは、言わないと決め、近況だけを報告しました。十八歳の自分が不思議そうに何か言っているのは分かりました。景司君はそのときのことを思い出して、また少し笑いました。
そして、さらに五箇所に井戸を掘り二十一歳の誕生日が近づいてきました。景司君もさすがに落ち込んできました。初めから分かっていることとは言え、死ぬのはやっぱりこわい、周りのスタッフもどうしたんだろうと気になっているようです。気丈に振舞っているのが痛々しいと自分では思っていました。
はたして自分はどのように死んでいくのか、猛獣に襲われるのは痛そうだ、日本に一時帰国するときに交通事故で死ぬのか、それなら一瞬で死んでしまうのか、日射病で気を失ってそのまま死ぬのは苦しまないかもしれない、毒虫にかまれて、いや雷に撃たれて、あるいは政変が起こって、いろいろ考えていましたが、自分ほど死ぬ方法を考えている者はいないのじゃないかと思い始めると無駄なことのような気がしました。どんな死に方でもいいじゃないか、それでも今できること、井戸を掘ることに没頭しよう、と思いました。だって今自分は生きているんだからと。
それからも気にかけずに井戸掘りを続けていました。ある日、以前に作った井戸の調子を見ようと最初の井戸の村に出かけました。うれしいことに村では水当番の順番も守られ、わずかながら畑や家畜の水飲み場もできていました。ところが井戸のところに行ってたいへんなものを見つけました。「景司の井戸」の看板でした。あとで聞くと、テレビ局が用意したそうです。景司君は、看板は絶対に困ると主張し、村人の気持ちもあるので「日本の鉄仮面の井戸」に書き直してもらいました。
そうこうしているうちに、二十一歳の誕生日が来月に迫りました。このままだと、無事二十一歳の誕生日を迎えられるのではないか、そんな淡い期待感が出てきました。俄然、井戸掘りに励みました。無我夢中でした。しかし、そこは南国、日射病にかかり部屋で休んでいました。でもなんだか寒い、なぜ、南国なのに、暑いはずだ、でも寒い、寒い、そのうちに気が遠くなりました。
何かざわざわしています。話し声は聞こえます。ただ現地語ばかりで日本語がないので何を言っているのか分かりません。目は見えるのですが、その他の体はほとんど動きません。手の感覚があり、指が少しだけ動きます。でも、手や脚、首なども動きません。とても疲れているので、また眠ってしまいました。
二度目に目を覚ましたときは日本語が聞こえてきました。
「ああ、気がついた。よかった。景司さん、分かりますか?」
スタッフの声です。スタッフの顔です。手を握ってくれてます。景司君は弱々しく手を握り返しました。声も絞り出すように言いました。
「僕はどうしたんですか?」
スタッフが話してくれました。景司君は、熱病にかかり意識不明になったそうです。そして現地の病院で二年の間、意識不明で寝たきりだったと分かりました。体はやせて筋肉も落ち、腕や脚、首を動かすこともできない状態でした。それでも意識が戻ったことで少しずつリハビリすれば元に戻ると言われました。
井戸掘りの事業は次の若手タレントが引き継いでやってくれていると聞いて安心しました。病気ぐらいでこの大切な事業が中止になるなんてとんでもないことだと思いました。いや待てよ、二年間意識不明ってことは、自分は二十二歳か、二十三歳、日にちを聞くと誕生日を過ぎていたので二十三歳でした。
そうか、やったぞ。僕は二十三歳になったんだ、二十歳で死んでしまったんではない、景司君は快哉を叫びました。
景司君は体が治るまで、しばらくは井戸掘りができないとスタッフに告げました。ついては日本に帰りたいと無理を言い、翌月には機上の人となりました。
スタッフには秘密裏に帰国する旨、要望していましたが、一部のマスコミが嗅ぎ付け飛行場に現れました。それを何とかくぐりぬけ車椅子を利用し、テレビ局の用意した車で帰宅しました。
自宅で静養とリハビリを続け、ようやく一人で外出できるようになりました。
公園まで歩き、軽く運動をして帰る、日常生活は支障なく過ごせました。
二十三歳の若さで考えるのはおかしいかもしれないけれど、自分の人生とはなんだったんだろうかと思いました。もう終わったと思ったのに今も生きているし、今後も生き続けることができる、一度失った人生だから、これからの人生は神様からの贈り物じゃないか、めでたいことだ、でもそれはおかしいぞ、人生が終わったとは、自分で勝手に思い込んだだけだ、二十歳で死ぬと信じきっていたからだ、とんだ勘違いだ、早とちりだったんだ、などと次々に考えが浮かんできました。
十九歳と二十歳の自分は十八歳の自分に会いに行ったけれど、二十一歳と二十二歳の自分は会いに行けなかった、それだったら、気を利かせて三日目の夢に二十三歳の自分が会いに来てくれたらよかったのにとふてくされながらも、今さらそんなこと言っても仕方なかったのだけれど、と思った瞬間、そうだ、あの旅館、あの風呂に行かなけりゃと思いたちました。完全に分かったのです。
翌日、景司君は五年ぶりに旅館に行きました。なつかしい風呂に入るとあのなつかしい老人がにこにこしながら待っていてくれました。
景司君は言いました。
「すべて、分かりました。僕は、僕は・・・」
胸が詰まって言葉になりません。
老人は静かに問いかけました。
「何か願いがあるんじゃないか?」
景司君はうれしそうに言いました。
「はい、僕の願いは六十年後にこの旅館のこの風呂に来たいということです。そうすれば、十八歳の僕、そして二十三歳の僕に会えますよね?」
それを聞いて老人はうなずきながら消えて行きました。
元気になった景司君は再び外国に旅立って行きました。
六十年後はどうなるのか、それは六十年経たないと誰にも分かりません。
景司君は三月に十八歳になったばかりなのに、最悪の日々を送っていました。
高校の成績はまずまずだったのですが大学入試は全敗、仲の良い友達がみんな大学生になったのに、自分はなんてついていないんだろうと引きこもっていました。
受験勉強もせず、かといって専門学校に通ったり、就職活動もしてません。日永パソコンに向かい、あるいは読書をして過ごしていました。
両親や兄弟姉妹も遠巻きに眺めるだけです。腫れ物にさわるような扱いで景司君はますます閉じこもってしまいました。
昼夜反対の毎日、それでも社会は動いて行く、自分は何の役にも立っていない。いなくたって平気だ。もうどうにでもなれと景司君は密かに死を願うようになりました。
それでも自分から死ぬ勇気はありません。
悶々として布団に入り、それでも眠れず、いや眠っていたのかもしれないけれど、それが現実なのか、夢なのか、夢の中で夢を見ているのか、この夢が覚めてもまだ夢の中かもしれない、そんな錯乱状態に陥っていました。
そんな時、景司君は考えました。
そうだ、来年の自分がどうしているか夢の中なら行けるかも知れない。もし来年十九歳の自分が大学生になっていたら、今からでも受験勉強してみよう。いや大学生になっているのなら受験勉強なんかしなくても合格間違いないぞ、ふふふ。いや、待てよ、見に行くのは面倒くさいな、それより来年十九歳の自分がそれを教えに来てくれないか、毎年の自分が来てくれたらもっと便利だ、どっちも自分だから同じことかもしれないが、とにかく今は動きたくない。少しでも楽したいなあ。そんな横着なことをなんとなく考えていました。
けれど、簡単なことじゃない、むしろ現実離れしているんだ、でもまあいい、時間はいくらでもある。それまではのんびりと世間で話題のパワースポットにでも行って気分転換してこよう。そう考えました。
両親に旅行がしたいと相談したところ予想に反して大賛成、このまま引きこもりになるのを心配していたところだったので、十分な旅費を渡して喜んで送り出してくれました。
数日、各地のパワースポットで霊気を感じようとしましたが元来鈍感なのか何も感じません。そんな旅を続けていましたが、ある旅館の浴場で白髪の老人に出会いました。その老人は自分よりも少し背が低いくらいなので若いころは当時としては大柄だったんだろうと思いました。でも、どこかで会ったようななつかしい感じがしました。この旅で初めて自分から声をかけました。老人はにこにこしていましたが無口でした。それでも何というか気も合いました。相手がしゃべらないので、ただ気が合うと思っていただけかもしれません。問わず語りで入試に失敗して、自分探しという名目で旅に出たが、本当は未来の自分からの一言に巡り合いたくて旅をしていると話しました。他の人に話したら、何を夢みたいなことを考えているんだと笑われたり、そんなこと考えている暇があったら勉強するなり働きなさいと怒られるのがおちだと思っていました。だから誰にも話したことがなかったのです。なぜ、出会ったばかりの老人に自分の願いを話してしまったのか、景司君も不思議でした。ところが老人はそんな夢物語をうなずきながら静かに聞いていました。
湯気がもうもうとしている中、景司君は湯あたりがしたのか風呂から上がることにしました。ふと気づくと老人がいません。あれ、いつのまに、年寄りなのにすばやいなあと思っていました。ところが脱衣所にも老人の姿はありません。景司君はもしかしたら老人が風呂に沈んでいたらたいへんと再び風呂に入りましたが老人はいませんでした。
「私と話をしていたおじいさんを知りませんか?」
と周りの人にききましたが、
「おじいさんなんて見てないよ。君はさっきから湯船に浸かって独り言を言っていたじゃないか。」
景司君は驚きよりも恐ろしさを感じました。
大急ぎで風呂を出て部屋に戻り布団をかぶってがたがた震えていました。
こんな恐ろしい目に遭ったことはない、とても寝ちゃいられない、と繰り返しながら寝入ってしまいました。
夜中のことです。
夢なのか、それとも起きているのか、確かに自分の泊まっている旅館の部屋の片隅に風呂で会った老人がにこにこ微笑みながらこちらを見ているのに気づきました。
「申し訳ありません。申し訳ありません。」
景司君は恐ろしさのあまりただ謝罪を繰り返しました。別に何をしたということもないし、謝る意味も無いのは分かっていましたが、謝らずにはおられませんでした。
老人は静かに言いました。
「何も謝ることなんかないぞ。それより、よく訪ねてきてくれた。そのお礼が言いたくてまた出てきてしまったんだ。ささやかだけど、願いをかなえてあげよう。だけど、答えはいつも一言だけだから、それを心して聞くように。それから、もう願いがいらないなら、またこの旅館の風呂に来るといい。じゃあ元気で、あっ。」
老人は何かを言いかけた途中で消えていなくなりました。
景司君は何が何だか分からなくなりました。
朝ごはんを済ませると、その足で家に帰りました。
昨日あったこと、夢の話、こわかった思い、誰かに相談しようと思いましたが、そんな話を誰が信じてくれようか、一笑に付されると黙っておくことにしました。夜、夢に老人が出てきたらこわいと思いましたが、旅の疲れからか寝入っていました。
夜中のことです、「景司君」と名前を呼ばれた気がして目を覚ますと、日に焼けた自分が立っていました。そして自分が寝ている自分に語りかけました。
「十九歳の僕だよ。旅暮らしだが元気だよ。」
景司君は叫びました。
「え、僕は大学生になっているんじゃないの?」
十九歳の景司君は何も答えず微笑みながら消えていきました。
景司君はがっかりしました。受験に失敗したのか、もともと受験しなかったのか、もうどうでもいいや。大学に行かないのなら勉強はやめようと思いました。
意気消沈して、ぼんやりと一日を過ごしました。
その晩のことです。
今度は二十歳の自分が現れました。
「二十歳の僕だよ。今、遠い外国で井戸掘りをしているよ。毎日が充実して楽しいよ。」
そう言うとまた消えていきました。
景司君は思いました。
「なんで、僕が井戸掘り?それも外国で何やってるんだろう。絶対楽しくなんかあるもんか。」
もうやけだって感じでふてくされました。
まあ、それでも毎年どんなに成長していくのか、堕落して行くのか、今度は両親や兄弟のことを話してくれないかな、そんな気楽な気持ちになりました。楽しみではないけれど今晩はどんな夢か、どんな一言かと夜を待ちました。
三日目の夜が来ました。よい夢を見ますようにとつぶやいて目をつぶりました。目を開けると朝になっていました。しまった夢を見忘れた、もしかしたら見たのに忘れてしまったのかもしれない。そうだ、そうにちがいない。おじいさん、申し訳ない、今日見せてくれたんだろうけれど、ついうっかり見た夢を忘れてしまいました、今晩、再放送をお願いします。あれ、なんで変なことを言っているんだろうと笑ってしまいました。
四日目の夜、昨晩の夢をもう一度と意気込んで眠りにつきましたが、またしても夢は見ませんでした。あららと思い、少しあせってきました。夢を見たのを忘れたんじゃなくて見てないんじゃないかと思いました。そのうち、いやな考えが浮かんできました。夢で告げにくるはずの二十一歳の僕はこの世にいないんじゃないか、ぞっとしてきました。そうだ、そうにちがいない。僕は病気か事故か事件か分からないけれど二十歳で死んでしまうんだ。親よりも先に死んでしまうなんて、もっと人生を楽しみたかった。絶望だ。
景司君は悶々として朝を迎えました。
真っ青な顔の景司君を見て家族は心配しましたが、景司君は両親に申し訳ない気持ちでまともに顔を見られません。
景司君は朝から再びあの旅館に向かいました。
ああ、未来なんか知らなければ良かった、後悔しても仕方ない。もしあの老人が神様なら今までのことは無かったことにしてもらおう。あんな夢を見させてくれる力があるのだから神様に違いない。そうだ、最悪キャンセルしてもらおう。不幸になるのが分かっていて夢を見させるなんて神様の風上にも置けない、そんなことを言いながら旅館に着き、早めに風呂に入らせてもらいました。
「どうかお願いします。私がわがままでした、夢なんか見たくありませんでした。願いはいりません。勝手とは思いますが、どうかキャンセルでお願いします。」
すると湯気の中から老人が出てきました。
「そうか、願いはもういらんのか。だが今まで見た夢はほんものだ。」
老人は残念そうに消えて行きます。
景司君は必死で呼びかけました。
「待ってください。なんとかキャンセルしたいんです。もっと生きたいんです。」
景司君は絶望を感じました。あの老人も一言だけしか話してくれないのか。もう望みは無い。このまま死んでしまおう。
ぶくぶくぶく。
「おおい、誰かが風呂で溺れているぞ。」
気づいた入浴客が、風呂に沈んでいた景司君を助け出してくれました。
意識を取り戻した景司君は号泣しました。
どうして死ねなかったんだろう。こんなに死にたいのに、それまで、生きたいと言っていた真逆の言葉をつぶやいていました。
部屋で寝かされぼんやり天井を眺めていましたが、ふと気がつきました。
そうだ、老人が言っていたじゃないか、二晩の夢が本物だと、ということは十九歳の僕と二十歳の僕はこの世にいるんだから今死のうとしても死なないんだ。だから風呂で沈んでも助けられたんだ。
そうだ、二十一歳までは生きられないけれど十九歳、二十歳の途中までは生きているんだから、その間、一所懸命に生きてみよう。確か十九歳の僕は旅をして日に焼けていたぞ、それはいい、旅をしよう。一文無しでも二十歳までは生きているんだから何とか食べて行けるんだろう、なんとかなるさ。
先ほどまで、死ぬことを考えていたのに気持ちの切り替えが早い早い。
両親に電話して「もう大丈夫、しばらく旅に出る。」と伝えました。
真っ青な顔の景司君を心配していた両親は一安心、毎日電話することを約束して旅を続けました。
ある公園で細い木の上の枝で降りられない猫を見かけました。まわりの大人も子どもも心配そうに見上げますが、人には枝が細いと誰も上がろうとしません。はしごも届きません。落ちたら怪我、下手したら死んでしまいます。でも景司君は死なないのは分かっているのでするすると木に登り猫を抱えて降りてきました。拍手の中、勇気があるねと言われましたが、なあにとだけ答えました。
景司君は確信しました。十九歳の間は不死身だと。
そうなると怖いものなしです。
恐怖といえば二十歳のときに訪れるだろう死だけです。
この一年は楽しもうと思いました。
あるところでサーカスの一座に出会いました。その日の出し物のひとつにナイフ投げがありましたが、的役の美女が急病になりました。ところが誰も代役をやりたがらないのです、というのもナイフ投げの道化師が的も近くに変えるほど腕が落ちていたからです。そんなところに顔色変えずに立っているなんて無理です。その話を小耳にはさんだ景司君は「なんなら僕がやりますよ。絶対微動だにしませんから。」と言いました。道化師は「いやいや、素人の方は今こう言っても実際ナイフを投げる際はブルってしまいますよ。ナイフ投げにとって動かれるのはとても困る。動かなければ危なくないんですが、いっそ目隠ししてもらえませんか。」と言いました。
景司君は「その心配は無用です。私の心臓は鉄でできています。ははは。その代わりギャラははずんでください。」と笑いました。
道化師は少しイラっとしました。そのせいか一投目、思いっきり外れてしまいました。観客は大喜び、道化師の芸だと勘違いしたのです。あわてたのは道化師とサーカスの仲間です。手がすべったじゃすまないぞ、景司君を早く的からはずさないといけないと団長が係に目配せをしました。ところが観客の声援と楽団のドラムロールが大きくて係が気づかず、道化師は残り四本のナイフを次々に投げました。最後の一投は景司君の襟に刺さりました。観客は悲鳴をあげましたが、景司君は少しも騒がず襟に刺さったナイフを抜き、皆に挨拶しました。
裏に戻ると道化師と団長が謝りました。
団長は「しかし、君ほど肝の据わった若者は見たことがない。怖くないのかね。」
景司君は答えました。
「全然。私は技術はないですけど恐怖を感じないのです。危なくないのが分かっていることなら何でもしますよ。」
団長は「それなら、この後、象の出し物で、人を踏みそうで踏まないというのがあるのだけれど、それをやってもらえないか。この出し物は少しはおびえた方が面白いのだけれど、おびえると象の演技にさわるから、今回は不死身の男で紹介しようと思うのです。」
ヒロオ君は快諾しました。踏まれるわけないと絶対の自信がありました。
「恐怖を感じない不死身の男、景司」のアナウンスが流れ芸は大成功でした。
そんな景司君を見つめている新聞記者がいました。サーカスを見に来ていたのですが、飛び入りで度胸の据わった素人が登場したと聞いて、本当は話題集めでサーカスが仕込んだのと疑いました。もしくは、体が不自由で恐怖が分からないのではないかと考えました。サーカスに取材を申し込み、景司君に会ってみると確かにごく普通の若者です。記者は景司君に興味を持ちました。そして新聞の企画で怖いものに挑戦してみないかと尋ねました。景司君は、どうせ暇だし、旅も目的があるわけでないからいいですよ、ただし二十歳になる前に企画は終了してくださいと頼みました。記者は変な条件だと思いましたが、了解し新聞記事の片隅で小さな挑戦コーナーが始まりました。地方の遊園地のジェットコースターを平気な顔してのる写真が掲載されました。落下のアトラクションも眉ひとつ動かしません。生まれて初めてのゴンドラに乗ったビルの窓掃除もベテラン社員が舌を巻きました。大きな天守閣のしゃちほこの掃除も平気です。ついにバンジージャンプに挑戦することとなってテレビ局が飛びつきました。果たして表情を変えずにバンジージャンプができるのか、今までは新聞紙面の写真だけだったので平気な顔の一瞬だと疑われてもいました。今度は映像です。本当は表情が変わるのではないかと何台もの望遠カメラ、ヘルメットのカメラが捕らえます。ところが景司君は顔色一つ変えずアナウンサーは「現代の鉄仮面」と絶叫しました。次にはスカイダイビングをしながら歌を歌うという離れ業をやってのけ、世間は「歌う鉄仮面」ともてはやしました。
挑戦はシリーズ化され、景司君は日本中を旅しました。飛び込みプールの十メートルにも挑戦しました。日本海側の断崖からも海に飛び込みました。手筒花火も平気です。大型ブランコや滑り台などは物足りないくらいです。山の吊橋を渡っていて揺らされても怖くありません。スピードレースカーや競走ボートに乗せてもらった時もかえって楽しいくらいでした。
春が来て景司君は十九歳になりました。その夜はなぜか寝付かれずぼんやりとしていました。そのうちうとうととしていると誰かに手をひっぱられる感じがしました。気がつくと目の前に十八歳の自分がいました。青白い顔した昔の自分を見て、そうだ今の自分を説明しなければと思いました。
今の自分は十九歳で、日本中を挑戦の旅していること、大学には行かなかったけど楽しい、来年には死んでしまうだろうと言おうとしました。
「十九歳の僕だよ。旅暮らしだが元気だよ。」
そのあとの言葉は届きませんでした。十八歳の自分が不服そうに叫んでいるのが見えました。そうだ、あのとき怒ってたっけ、少しおかしくなって笑いました。
ふと気づくと元の部屋でした。夢だったのか、それは分かりません。
そのとき、二十歳の自分が外国で井戸を掘っていることを思い出しました。今、自分は挑戦という名目で旅をしている。それなりに楽しいけれど、それで何か豊かになっているのだろうか、バラエティでみんなを楽しませているのだけれど、社会貢献と言えるのだろうか。自分は来年死んでしまう。それなのにこのままでいいのだろうか。そうだ、自分には時間がないんだ。なにかしなければ、もしそれが井戸掘りだったら、自分は行かなければならない、と。
そう思うと居ても立ってもいられなくなりました。記者はもう手を離れていましたが、記者とテレビ局のプロデューサーを訪ねて外国で井戸掘りをしたいと訴えました。頼み方が尋常でなかったので二人とも戸惑っていましたが、熱意に押されるまま、それでは路線を変えて、鉄仮面が外国で井戸掘り挑戦、社会貢献番組の企画を取り付けることになりました。国内のNPO法人と協議して、友好国で水事情の不便な地域に出発しました。景司君は今までの挑戦コーナーのギャラはほとんど使っていなかったので、このプロジェクトに全額を使うことにしました。もともとあと一年の命だから残してもしょうがない、役に立てるのならそれでいいという感情にあふれていました。
某国に到着し、現場に行ってみると想像を絶する状況でした。日本では蛇口をひねると当たり前に水が出るが当地では水道自体がない、洗濯どころか食事の準備も泥水、そんな衛生状態だから体を壊す子どもや老人、遠い丘の上の水汲み場まで子どもや女性が長い距離を運んでくる、自動車や台車が無いから抱えて歩かないといけない、子どもは遊びや勉強の時間が取れない状況でした。噂には聞いていたが大変なところだと思いました。
まず集落に水源がないか調べましたが残念ながら不発に終わりました。どうやら今の水源池の近くに井戸を掘って濾された水を汲むしかないようです。某テレビ番組にならい日本の技術で井戸を掘り当てました。村人は喜びました。子どもたちは夢中になって水を浴びました。これからは泥水でなく澄んだ水が飲める、そのことがうれしかったのです。景司君はその輝く子どもたちの目に癒されました。二十歳の自分が言った「充実」とはこのことかと思いました。水汲み場は整備されましたが、それでも水運びはたいへんです。子どもや女性の仕事は今までのままです。そこで景司君は大量のゴムホースを購入し連結して井戸と集落を結びました。
井戸と集落にそれぞれタンクを置いて、高低差で水を流そうという工夫です。ところが四キロ近くあるとホースが熱せられて水はお湯になってしまいました。景司君はタンクをいくつか買って、井戸のそばに二つ、集落に二つ据えました。昼間、ポンプで汲んだ水はタンクに貯めて、夕方から夜にかけて集落まで水を送りました。残りのタンクとホースで村のはずれにある学校まで水を送りました。今まで子どもや女性が行っていた水運びも今は当番で2人がポンプで汲み上げと集落や学校からの木を叩く合図で水を送るだけになりました。水が自由になると、集落で簡単な野菜作りが始まりました。トウモロコシ、イモ、瓜などが少しできるようになりました。
景司君の活躍は日本で放送され、景司君に対しても支援金も集まりました。しかし未来のない景司君にはテレビ局から支給される滞在費だけで十分です。景司君はテレビカメラを通じて、自分に対する支援は不要だと伝えました。皆さんのご好意には感謝し、いただいた支援金は独断ですが新たな井戸掘りと周辺作業の費用、そして地元の学校に寄付したことを伝えました。一部マスコミには偽善者、政治家へ転身かなどと中傷されましたが自分の命がもう長くないからなどとは誰にも話しませんでした。
井戸掘りを始めて六箇所目の村に着きました。暑い日でした。日本と違って一年中真夏に思える毎日でしたが、気がつくと二十歳の誕生日でした。その日の晩、また誰かに引っ張られるように十八歳の自分に会いに行きました。
そのときは、二十一歳を迎えられないことは、言わないと決め、近況だけを報告しました。十八歳の自分が不思議そうに何か言っているのは分かりました。景司君はそのときのことを思い出して、また少し笑いました。
そして、さらに五箇所に井戸を掘り二十一歳の誕生日が近づいてきました。景司君もさすがに落ち込んできました。初めから分かっていることとは言え、死ぬのはやっぱりこわい、周りのスタッフもどうしたんだろうと気になっているようです。気丈に振舞っているのが痛々しいと自分では思っていました。
はたして自分はどのように死んでいくのか、猛獣に襲われるのは痛そうだ、日本に一時帰国するときに交通事故で死ぬのか、それなら一瞬で死んでしまうのか、日射病で気を失ってそのまま死ぬのは苦しまないかもしれない、毒虫にかまれて、いや雷に撃たれて、あるいは政変が起こって、いろいろ考えていましたが、自分ほど死ぬ方法を考えている者はいないのじゃないかと思い始めると無駄なことのような気がしました。どんな死に方でもいいじゃないか、それでも今できること、井戸を掘ることに没頭しよう、と思いました。だって今自分は生きているんだからと。
それからも気にかけずに井戸掘りを続けていました。ある日、以前に作った井戸の調子を見ようと最初の井戸の村に出かけました。うれしいことに村では水当番の順番も守られ、わずかながら畑や家畜の水飲み場もできていました。ところが井戸のところに行ってたいへんなものを見つけました。「景司の井戸」の看板でした。あとで聞くと、テレビ局が用意したそうです。景司君は、看板は絶対に困ると主張し、村人の気持ちもあるので「日本の鉄仮面の井戸」に書き直してもらいました。
そうこうしているうちに、二十一歳の誕生日が来月に迫りました。このままだと、無事二十一歳の誕生日を迎えられるのではないか、そんな淡い期待感が出てきました。俄然、井戸掘りに励みました。無我夢中でした。しかし、そこは南国、日射病にかかり部屋で休んでいました。でもなんだか寒い、なぜ、南国なのに、暑いはずだ、でも寒い、寒い、そのうちに気が遠くなりました。
何かざわざわしています。話し声は聞こえます。ただ現地語ばかりで日本語がないので何を言っているのか分かりません。目は見えるのですが、その他の体はほとんど動きません。手の感覚があり、指が少しだけ動きます。でも、手や脚、首なども動きません。とても疲れているので、また眠ってしまいました。
二度目に目を覚ましたときは日本語が聞こえてきました。
「ああ、気がついた。よかった。景司さん、分かりますか?」
スタッフの声です。スタッフの顔です。手を握ってくれてます。景司君は弱々しく手を握り返しました。声も絞り出すように言いました。
「僕はどうしたんですか?」
スタッフが話してくれました。景司君は、熱病にかかり意識不明になったそうです。そして現地の病院で二年の間、意識不明で寝たきりだったと分かりました。体はやせて筋肉も落ち、腕や脚、首を動かすこともできない状態でした。それでも意識が戻ったことで少しずつリハビリすれば元に戻ると言われました。
井戸掘りの事業は次の若手タレントが引き継いでやってくれていると聞いて安心しました。病気ぐらいでこの大切な事業が中止になるなんてとんでもないことだと思いました。いや待てよ、二年間意識不明ってことは、自分は二十二歳か、二十三歳、日にちを聞くと誕生日を過ぎていたので二十三歳でした。
そうか、やったぞ。僕は二十三歳になったんだ、二十歳で死んでしまったんではない、景司君は快哉を叫びました。
景司君は体が治るまで、しばらくは井戸掘りができないとスタッフに告げました。ついては日本に帰りたいと無理を言い、翌月には機上の人となりました。
スタッフには秘密裏に帰国する旨、要望していましたが、一部のマスコミが嗅ぎ付け飛行場に現れました。それを何とかくぐりぬけ車椅子を利用し、テレビ局の用意した車で帰宅しました。
自宅で静養とリハビリを続け、ようやく一人で外出できるようになりました。
公園まで歩き、軽く運動をして帰る、日常生活は支障なく過ごせました。
二十三歳の若さで考えるのはおかしいかもしれないけれど、自分の人生とはなんだったんだろうかと思いました。もう終わったと思ったのに今も生きているし、今後も生き続けることができる、一度失った人生だから、これからの人生は神様からの贈り物じゃないか、めでたいことだ、でもそれはおかしいぞ、人生が終わったとは、自分で勝手に思い込んだだけだ、二十歳で死ぬと信じきっていたからだ、とんだ勘違いだ、早とちりだったんだ、などと次々に考えが浮かんできました。
十九歳と二十歳の自分は十八歳の自分に会いに行ったけれど、二十一歳と二十二歳の自分は会いに行けなかった、それだったら、気を利かせて三日目の夢に二十三歳の自分が会いに来てくれたらよかったのにとふてくされながらも、今さらそんなこと言っても仕方なかったのだけれど、と思った瞬間、そうだ、あの旅館、あの風呂に行かなけりゃと思いたちました。完全に分かったのです。
翌日、景司君は五年ぶりに旅館に行きました。なつかしい風呂に入るとあのなつかしい老人がにこにこしながら待っていてくれました。
景司君は言いました。
「すべて、分かりました。僕は、僕は・・・」
胸が詰まって言葉になりません。
老人は静かに問いかけました。
「何か願いがあるんじゃないか?」
景司君はうれしそうに言いました。
「はい、僕の願いは六十年後にこの旅館のこの風呂に来たいということです。そうすれば、十八歳の僕、そして二十三歳の僕に会えますよね?」
それを聞いて老人はうなずきながら消えて行きました。
元気になった景司君は再び外国に旅立って行きました。
六十年後はどうなるのか、それは六十年経たないと誰にも分かりません。
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