恋情を乞う

乙人

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「どうして、帰って来てくれないの?」

 さて。暫く独りだった女は毎日の様に愚痴をこぼしていた。
 榮氏である。
 最近、夫は来てくれない。
 独りで見る月は、なんとも虚しいし、独りで飲む酒は、なんと不味いことか。
 それを、あの人は知っているのだろうか。

 一月が経った。
 春が来て、また、一つ歳をとった。二十四になる。
(あぁ、早いこと)
 確か、死後、後宮に入ったのは、十七の終わり頃だったから、六年、七年経つ。その間に、全てのことが変わった。
 娘が産まれた。后になった。
 九泉と現し世の境で彷徨う化物だったくせに、ここまで成り上がるとは、我ながら驚きである。
 宴には、旲瑓はいなかった。そして、永寧大長公主も。
(どうして?)
 春―年始の宴に出ないだなんて、おかしい。後宮の主たる旲瑓の予定が合わず、この日参加できなかったならば、そちらに合わせればよかったのに。
 そして、永寧がいないのも………。この二人が合わせて出席しないだなんて、裏がありそうだ。

「皇后陛下に拝謁致します。」
 丁寧に頭を垂れて、礼をするのは、圓准后。
 この人は、賢妃だったのに、准后となった。どうやら、永寧大長公主が弱みを握られた、とか、なんとか。
 別に、どうでも良い。
 この人は、自分の敵にはならない。それが、一番ともに居て楽。
 青い衣裳に、珍しく、銀の飾りだった。彼女の髪飾りは、月を表すとか、なんとか聞いたことがあった。腰の翡翠の玉は光を受けて、輝いている。
 美しい女だ。
 それなのに、世捨て人の様。
 後宮の后であるのに、後宮での寵愛争いに興味を全く示さない。心は何処かの路傍に置いてきてしまって、此処には無い。随分と前に死んだ想い人を裏切らない。
 羨ましい。
 一人の人を、こんなに長く、一途に愛すことが、出来るだなんて。
 愛すのは、辛い。
 そう、涙したくなる。

「准后………」
「どうかなさったのですか。皇后様。」
 榮氏は准后に縋る。
「あの方は、何処へおられるの?」
「あの方。」
「旲瑓様よ………どうして、今日、此方にいらっしゃらないの?」
 准后は何かを言いかけて、口を閉じた。
「皇后様。申し訳御座いませんが、私は、何も存じ上げません。」
「でも、後宮の主人たる方がいらっしゃらないなんて、おかしいでしょう!?」
「ごめん遊ばせ。何も、知らないのです。」
 榮氏は俯いた。「そう………」とぼやくと、背を向けた。
 嘘である。
 本当は、旲瑓が何処にいるか、知っている。
 知っているが、言わなかった。それは、傷心の榮氏には、厳しい現実だった。

 ふわりと領巾が舞う。薫る、香。華やかに着飾った女達が、笑っている。楽。金銀の簪、玉に光を纏う。
 隣には、誰もいない。居るべき御方は、今、何をしているのだろう。
 榮氏はぼんやりと、宴を眺めていた。
 詩人が詠う。美しき光景。
 何も感じなかった。隣が寂しかった。
(知らないなんて、嘘よ。)
 圓准后との会話。
(あの人が、知らないわけ、ないじゃない!)
 圓家は権門。数多の密偵を放っている。恐らく、榮氏の侍女にもいるだろう。と言うか、何処の后妃の侍女にも……。後宮での身の振り方で、家の運命は決まってしまう。外戚として振る舞いたいならば、それくらいしているだろう。そんな家のお嬢様が、『知らない』なんてことは…………
「どうして?あの女の………あの女の味方をするの………?」
 あるいは、知ったところで、傷つくから、教えなかったのか。

(貴方様は、莫迦よ……、主上。)
 准后は、榮氏の隣の空席―皇后の隣―、旲瑓が座るべき席を見つめていた。
 分かっている。
 密偵は何も言わなかった。だが、恐らく、永寧大長公主の離宮にいるのだろう。産後の肥立ちが悪かったのだろうか。そして、彼はそれを心配したのだろうか。
(莫迦ね。)
 何も考えないことにした。榮氏がひどく可哀相に見えた。
(貴方様は、すべからく、話すべきだわ。)

(愛を、金で買う。)
 父がよく、そうしていた。そんな父を、愚かと思っていたが、成る程、分からなくもなくなった。
(楽なのね。)
 金の分は、仕えてくれる。貶されることも、傷つかされることも、ない。心を痛めることもない。
 人を愛すのは辛い。その人に裏切られたり、去られたら、心を壊してしまうくらいには。
 形だけでも、愛されていたい。大事にされていたい。愛されているという、自覚が欲しい。
 たとえ、それが、心とは別な、贖われた偽りの想いでも。
「笑ってしまうわ。今更分かるなんて。」
 榮氏は心を壊している。
 また、人の魂を食らう化物に成り下がるやもしれぬ。
 愛というのは、恐ろしい。
 心からの愛は、とても虚しい。
「破滅に向かってしまうかもしれないわね。」
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