恋情を乞う

乙人

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『貴女のお母様は、化け物なんですよ。』
 少女は言葉を失った。

 夜。それも、月が美しく輝いていた。人々はそれを、愛でる。だが、少女-霛塋公主には、恐ろしく感じた。
 独りぼっち。窓の隙間から漏れる、月明かり。冷たく、刺すような。それに、恐怖を感じた。
 ほろほろと、涙が流れてくる。
 母が来たら、みっともないと、何故泣いていると、霛塋を口汚く嬲る。
 霛塋は母の榮莉鸞が恐かった。会いたくなかった。父に、会いたかった。
「お父様は、来られませんよ。」
 榮氏の侍女は、冷たくそう告げる。
(温かいものが欲しいな。)
 霛塋は身震いした。

 霛塋には、二人の妹弟がいた。それぞれ、圓家の後ろ盾を持つ、有力な人間だ。それに比べ、霛塋は何とも頼りない身の上だった。
 榮氏は貴妃の位を所有する。だが、それは、旲瑓からの寵愛のみを頼りにするため、失脚もしやすい。
 霛塋は、父に忘れられたのだと思った。
 記憶に残っている父は、優しい声をしていて、にこりと笑いながら、霛塋をあやしてくれた。可愛いね、と頬ずりをしていた。
 幼子を抱える夫を、母は鬼の形相で睨んでいた。それだけ、霛塋が嫌いだったのだろう。
『お母様は、憔悴する程に、お父様がお好きなんですよ。』
 意味は理解出来なかった。
 憔悴、気を病む程に、というらしいが、そもそも、霛塋には、愛や好きという感情はない。其れを、与えられなかったからだ。
 一度、妹を見たことがある。
 豪華な衣裳を身につけ、幸せそうにしていた。その母妃は真っ青だったが、霛塋は妹は幸せなんだと知った。
 一度、弟を見たことがある。
 刺繍の施された衣裳を身につけ、母に手をひかれ、よちよちと歩いていたのが、可愛らしかった。
 霛塋は、弟は幸せなんだと知った。
 自分を見つめた。
 白く、襤褸になった襖裙。裾は擦り切れている。髪の毛は手入れもされずに伸び、だらしない。まともに食事もならないため、肌もかさかさしている。
 悲しかった。
 妹弟とは、差をつけられていて。
 霛塋が持つ感情は、憧れ、そして、それを打ち消す絶望と悲しみ、そして、母親に対する恐怖だ。
 前向きになんて、なれない。
 年相応の幼さも、なかった。

「知っておられますか?霛塋様。」
 若い侍女が話しかけて来た。香油の臭いがぷんぷんと漂って、臭い。霛塋はその臭いに酔って、倒れそうになった。
「貴女のお母様は。」
 笑う。
「化け物あがりの、賤しい女です。」
 それは、正しいはずだ。だが、そこに憤りを感じた。母親を馬鹿にした侍女にでない。榮氏にだ。
 何故、妹弟とは一緒になれないのか。
 何故、此処にいるのか。
 霛塋と明媛の『公主』には、何の違いがあるのか。
 もう、何も分からなかった。
 ただ、ひとつ、理解した。
 自分は、霛塋は、妹弟と比べて、「いやしい」のだと。
 だから、こんなにも辛い生活をするのだと。
 その原因の、榮氏が憎かった。それを嘲笑う侍女も。
(お父様…………)
 己の本当の名、燕の様に、全てを捨てて逃げてみたい。

 霛塋は絶望しか知らなかった。齢五。
 そして、希望と人間らしさを手に入れるのは、十六年後の二十一となった時となる。
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