恋情を乞う

乙人

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太后

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 太后は煙管を片手に、長椅子カウチに寝転がっていた。
(永寧が吾子と…………)
 信じたくなかった。
(永寧は、長公主なのよね。)
 永寧長公主は旲瑓の異母姉。二十六歳。太后とは六歳違う。
(おかしい。)
 旲瑓の父は、太后より四つ上の三十六。娘とされる永寧長公主とは、十も変わらない。かなり、えぐい。
 そう言えば、永寧長公主の母、櫖淑妃は、生きていれば五十路になるらしい。夫婦で年が離れ過ぎている。
(まさか………)

 初めて見た永寧長公主-当時の永寧公主-は、七つか八つだった。幼い顔立ちに、似合わない、人を見透かす様な目をしていた。
 公主と言うには似つかない、地味な格好をしていた。髪は結って、銀の簪を挿していたが、まともなのはそれだけだ。お付もおらず、見放されていた。
 母である淑妃は疾うに死んだと聞いた。今は、その母が住んでいた離宮に住んでいるらしい。
『誰ですの?彼処に居る娘は。女童かしら。』
 そうお付に聞くと、
『永寧公主様ですよ。』
 と返ってきた。あんなのが、と言ってしまい、すぐさま永寧公主に睨まれた。
 一番最初の妃は自分だと思っていたのに、公主がいるということは、先の妃がいたのだろう。
 それが分かると、永寧公主が酷く憎くなった。

「永寧の母、櫖淑妃はいつの妃なの?」
 女官の中で、一番古参なのに聞いてみると、思惑通りの答えが返ってきた。
「先の先のお妃ですわ。」
 やはり、と太后は笑った。
(永寧長公主は、永寧大長公主だったとのぉ。)
 大長公主は、一番尊い人の伯叔母にあたる人である。つまり、永寧長公主は旲瑓の姉ではなく、叔母に当たる人と言うことだ。
「面白くなりそうねぇ。」
 太后はふっと煙を吐いた。

 人を偽った罪人。
 永寧長公主は太后にそう呼ばれた。
 既に、先の主上に話を聞き、永寧長公主が長公主ではなく、大長公主であることを認めさせた。
 永寧長公主-いや、永寧大長公主-は離宮に監視を付けられ、更に制限された生活を送っていた。
(バレたの…………)
 一番秘していたこと。それは、身分だった。
 櫖淑妃は、三十五年前に、後宮に嫁いだ。夫は位を息子に渡し、隠居生活を楽しんでいたが、櫖淑妃だけは、後宮に残り、義理の息子の妃になることを強いられた。しかし、櫖淑妃を忘れられなかったのか、度々密会をしていたらしい。そして、生まれたのが永寧大長公主である。
 櫖淑妃は先の主上と示し合わせて、永寧大長公主を長公主として育てさせることにした。
(莫迦な女だ。)
 親の私欲の為に、こうやって窮屈な生活を営んでいるのは、何て莫迦らしい。
(死ねば、秘密を隠し通せたのに。)
 降嫁失敗後、永寧大長公主が自殺しようとしたのは、それもあった。
 生まれた時から秘密を背負って生きている。それがどんなに辛いことか、父は分かっているのだろうか。

『永寧公主様。そのお衣裳では、後宮では見栄えがしないでしょう。差し上げますわ。』
 まだ入内して間もない頃、永寧公主に贈り物をしたことがあった。
『徳妃。嬉しいことですが、お断り致します。』
 幼いのに、確りとした娘だ。
『だって、布には、毒が塗ってあるのでしょう?』
 にやりと永寧公主が笑った。
 それを見て、太后はゾクッとした。何故分かるのか。歳に合わない。もっと莫迦だと思っていた。
『下がって、徳妃。気分が悪いの。』
 贈り物を避けた手は、右手だった。別に変な訳では無い。だが、左腕はぷらりとたれていて、動かさない様にしていた。
 永寧公主は、左腕の筋を切れて、動かせない。それは、十数年経っても変わらない。
 太后は知っていた。
 永寧大長公主の秘密を、幾つも。
 命をこの手に握れる程の。

 永寧は、一本の簪を手にしていた。長公主の証であるこの簪。もう、使うこともないのだろう。何故か。自分は大長公主だから。それがどういう意味をするか、分からぬ者もいるだろう。
 何も苦労をせずに生きてきた、他の長公主達には分かるまい。誰にも守られず、何度も殺されかけた。
 癇癪持ちの妃達には、下女の様な扱いをされたこともある。たとえ、相手が公主だと分かっていても、それでも、永寧公主が憎いのだ。
 逆戻りしてしまう。あの、虐げられた頃に。

 九つの頃だった。
 太后の侍女が離宮まで来て、永寧を連れて行った。
 太后は笑っていた。幼心にも、ゾッとした。
 太后は手を伸ばして来た。衣裳の襟を掴まれ、剥がれた。代わりに着せられた衣は、麻で出来た粗悪品だった。
 公主と呼ばれることもなくなり、下女の真似事をさせられた。
 他の下女と共に雑魚寝していると、知らない人が入って来て、永寧を襲った。
 太后は永寧の左腕が悪いと知っていたので、悪化させる様なことばかりさせた。お陰で、暫く動けなくなった。
 まだ、永寧が公主に戻れたのは、太后に夫である父-本当の兄-が説得したからだ。
 永寧は公主に戻れた時、泣いた。初めて泣いた。どんなに苦しくても泣かなかったのに。
 知ってしまった。知らなくて良かった。母が不義を起こして生まれたのが、永寧だった。
 父とやたら歳が近いのは何となく勘づいていたが、態と気にしていなかった。

 弱みを握られた。
 永寧大長公主にとって、それは命取りになることだ。あってはならないことで。
 外がザワザワと騒がしい。足音が聞こえる。誰か、来る。
 隠れなくてはいけない、そう、頭では分かっていたのに、足が動いてくれなかった。
「永寧大長公主様!共に、来て頂きたい!」
 嗚呼、時、既に遅し。
 太后のお付は笑っていた。
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