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仮初
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「おめでとう。明麗郡主。」
永寧長公主は言った。
「勿体無い御言葉に御座います。東宮様。」
娘は言った。
明麗郡主というのは、永寧長公主の年の離れた従姉妹にあたる。今年、十六になった若々しい娘だ。
(長公主、郡主含め、降嫁していないのは、私だけ。十も年下の従姉妹に先を越されるなんて、複雑気分だわ。)
永寧長公主の心は、ずんと重かった。
「東宮様。どうかなさったのですか?」
そんな永寧長公主を、明麗郡主は心配そうに覗き込んでいた。
「何でもないわ。」
絹団扇を口元に添えて、ほほと優雅に笑って見せた。
明麗郡主は、永寧長公主を、東宮と呼んだ。身内でも、気を使っている方の人間だ。
第四長公主など、単細胞なので、行き遅れ長公主なんて呼んでくる。無礼なので、簪を投げつけてやった。
すっかり、涙脆くなってしまった。
(これを、使うことはもう、無いのだろう。)
暫く自棄酒を飲んでいたのだが、ふと、何かを思いついて、取り出したのは、刺繍の美しい衣裳だった。父が昔、自分の為に作らせた花嫁衣裳だった。
(着ることも無かったけどね。)
降嫁がお流れになった頃から、見るのも嫌になって、ずっとしまい込んでいた。
花嫁衣裳を召した自分を想像してみた。何てことだろう。全く似合わない。
(二十六の花嫁なんて。)
適齢期、十年近くも待ったのに、後にも先にも、櫖家以外の縁談は出なかった。憎い櫖家に嫁ぐならと、独り身のままでいた。
(何故櫖家は滅されないのか。)
仮にも、長公主を殺そうとした女がいた家である。潰されないの不思議で堪らない。
(それだけ、私が見放されていただけね。)
十年前に仕立てた花嫁衣裳。されど、一度も腕を通すこともなかった。棄ててしまおうか。二十六の年増女など、欲しがる物好きはいるまい。
何故だろうか。
役目を果たさずに棄てられる花嫁衣裳が哀れに思ったのか。一度だけ、着てみた。
(似合わない。)
綺麗に化粧もし、髪も豪奢に結って、簪やら宝玉やらで飾ってみたのに、違和感しか感じない。
永寧長公主は、昔、第三長公主の花嫁衣裳を前夜、切り裂いたことがあった。それを、誰も咎めなかったが、愚かな娘だと思われてしまった。
今思えば、立派な花嫁衣裳だった。永寧長公主の物とは比べられない程、立派な。
(さっさと死んでしまえば良かった。)
やはり、惨めさというのは、何歳になっても変わらない。寧ろ、昔よりも感じる。
(生まれて来なければよかった。)
劣等感を胸に、鏡の前で、ぽろぽろと涙を零した。
「姉さん。」
優しい、少し低い声だ。すぐに旲瑓の物だと分かった。
「如何したの?」
永寧長公主は鏡を卓に置いた。
「…………」
一言で言うと、哀れだと思った。
降嫁出来なかったことを、東宮という立場で正当化しようとしていたのも知っている。
花嫁衣裳を着た女を、美しいと言う者もいない。めでたいと思う者もいない。彼女は花嫁ではないのだから。
-仮初の花嫁姿-
妙に似合っていた永寧長公主、更に哀しくなる。
最早、永寧長公主を欲しがる人間はいないだろう。そうして、永寧長公主は徒花となって、朽ちていく運命なのだ。
「何て残酷な運命の徒なのだろう。」
旲瑓は永寧長公主の髪を指で梳る。艶々とした黒髪で、黒玉と喩えるのがぴったりだ。
「おめでとう。」
涙声だった。何に泣いているのかは、分からなかった。だが、永寧長公主も目尻にいっぱいの涙を浮かべていた。
「貴女は花嫁だ。」
旲瑓は卓に置いてあった酒と盃を二つ手にして、そのうちの一つを永寧長公主に持たせた。
「貴女は、私の花嫁だ。」
なんて美しい嘘なのだろう、赦されるはずのない、嘘なのだろう。
誓いにと、盃を交わした。
(貴方はとても残酷ね。)
一夜限りの花嫁。
一夜限りに、情を交わす。
仮初の宵夢に、叶わぬ仮初の夫婦。
これが、戯れなのか、本心なのか、理解をしようとは出来なかった。
目が覚めたら、寝台の帳の隙間から、明るい光が射していた。それは、隣の幼顔を照らしていた。
(この日を、永遠に変えて生きてゆくのだ、私は。)
そう思って、自分よりも少し大きな手を握り締めた。
(このまま、死んでしまったら、一番幸せなんだろうな。)
『一夜限りで構わない、仮初の夢を、私に頂戴。』
気がついたら、そう、口にしていた。
それを、この愛しい人は、何と思ったのだろう。
『心の片隅にでも良い。私の居場所をとっておいて。』
后の鳳冠を頭に抱くことは出来ない。例え、天地がひっくり返っても。
恋という物は、人に逢瀬を乞うから、“恋”と言うのじゃないか。ふと、そんな感じがした。
永寧長公主は言った。
「勿体無い御言葉に御座います。東宮様。」
娘は言った。
明麗郡主というのは、永寧長公主の年の離れた従姉妹にあたる。今年、十六になった若々しい娘だ。
(長公主、郡主含め、降嫁していないのは、私だけ。十も年下の従姉妹に先を越されるなんて、複雑気分だわ。)
永寧長公主の心は、ずんと重かった。
「東宮様。どうかなさったのですか?」
そんな永寧長公主を、明麗郡主は心配そうに覗き込んでいた。
「何でもないわ。」
絹団扇を口元に添えて、ほほと優雅に笑って見せた。
明麗郡主は、永寧長公主を、東宮と呼んだ。身内でも、気を使っている方の人間だ。
第四長公主など、単細胞なので、行き遅れ長公主なんて呼んでくる。無礼なので、簪を投げつけてやった。
すっかり、涙脆くなってしまった。
(これを、使うことはもう、無いのだろう。)
暫く自棄酒を飲んでいたのだが、ふと、何かを思いついて、取り出したのは、刺繍の美しい衣裳だった。父が昔、自分の為に作らせた花嫁衣裳だった。
(着ることも無かったけどね。)
降嫁がお流れになった頃から、見るのも嫌になって、ずっとしまい込んでいた。
花嫁衣裳を召した自分を想像してみた。何てことだろう。全く似合わない。
(二十六の花嫁なんて。)
適齢期、十年近くも待ったのに、後にも先にも、櫖家以外の縁談は出なかった。憎い櫖家に嫁ぐならと、独り身のままでいた。
(何故櫖家は滅されないのか。)
仮にも、長公主を殺そうとした女がいた家である。潰されないの不思議で堪らない。
(それだけ、私が見放されていただけね。)
十年前に仕立てた花嫁衣裳。されど、一度も腕を通すこともなかった。棄ててしまおうか。二十六の年増女など、欲しがる物好きはいるまい。
何故だろうか。
役目を果たさずに棄てられる花嫁衣裳が哀れに思ったのか。一度だけ、着てみた。
(似合わない。)
綺麗に化粧もし、髪も豪奢に結って、簪やら宝玉やらで飾ってみたのに、違和感しか感じない。
永寧長公主は、昔、第三長公主の花嫁衣裳を前夜、切り裂いたことがあった。それを、誰も咎めなかったが、愚かな娘だと思われてしまった。
今思えば、立派な花嫁衣裳だった。永寧長公主の物とは比べられない程、立派な。
(さっさと死んでしまえば良かった。)
やはり、惨めさというのは、何歳になっても変わらない。寧ろ、昔よりも感じる。
(生まれて来なければよかった。)
劣等感を胸に、鏡の前で、ぽろぽろと涙を零した。
「姉さん。」
優しい、少し低い声だ。すぐに旲瑓の物だと分かった。
「如何したの?」
永寧長公主は鏡を卓に置いた。
「…………」
一言で言うと、哀れだと思った。
降嫁出来なかったことを、東宮という立場で正当化しようとしていたのも知っている。
花嫁衣裳を着た女を、美しいと言う者もいない。めでたいと思う者もいない。彼女は花嫁ではないのだから。
-仮初の花嫁姿-
妙に似合っていた永寧長公主、更に哀しくなる。
最早、永寧長公主を欲しがる人間はいないだろう。そうして、永寧長公主は徒花となって、朽ちていく運命なのだ。
「何て残酷な運命の徒なのだろう。」
旲瑓は永寧長公主の髪を指で梳る。艶々とした黒髪で、黒玉と喩えるのがぴったりだ。
「おめでとう。」
涙声だった。何に泣いているのかは、分からなかった。だが、永寧長公主も目尻にいっぱいの涙を浮かべていた。
「貴女は花嫁だ。」
旲瑓は卓に置いてあった酒と盃を二つ手にして、そのうちの一つを永寧長公主に持たせた。
「貴女は、私の花嫁だ。」
なんて美しい嘘なのだろう、赦されるはずのない、嘘なのだろう。
誓いにと、盃を交わした。
(貴方はとても残酷ね。)
一夜限りの花嫁。
一夜限りに、情を交わす。
仮初の宵夢に、叶わぬ仮初の夫婦。
これが、戯れなのか、本心なのか、理解をしようとは出来なかった。
目が覚めたら、寝台の帳の隙間から、明るい光が射していた。それは、隣の幼顔を照らしていた。
(この日を、永遠に変えて生きてゆくのだ、私は。)
そう思って、自分よりも少し大きな手を握り締めた。
(このまま、死んでしまったら、一番幸せなんだろうな。)
『一夜限りで構わない、仮初の夢を、私に頂戴。』
気がついたら、そう、口にしていた。
それを、この愛しい人は、何と思ったのだろう。
『心の片隅にでも良い。私の居場所をとっておいて。』
后の鳳冠を頭に抱くことは出来ない。例え、天地がひっくり返っても。
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