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第二章

47『老婦人の治療と遅れた箱馬車』

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「お白湯は残っている?」

 老婦人が握ったままでいるカップを覗き込む。

「ちょっと足りないかな……
【ウォーター】」

 差し出された指先から、細い水の筋が注がれる。

「これは酔い止めの薬。
 もし気に入ったら、明日からは買ってね?」

 5mmほどの丸薬が1つ渡される。
 老婦人は素直にその丸薬を飲み込んだ。

「手荷物はこれだけ?
 横になった方がいいから、馬車に戻りましょう」

 小さな身体からは想像出来ない力で老婦人を支え、馬車に戻ると皆に向かって言った。

「こちらの方が気分を悪くされて、横になられた方が良いので場所を空けてもらえますか?」

 薬師に逆らうものなどいない。
 それに、旅の間はお互い様なのだ。

「ちょっと待ってくれな。
 今、横になれるように設える」

 ゲルトが、ちょうど老婦人が座っていたところに敷物を敷き、毛布の用意をしている。場所は夫婦者が少し端に寄るだけで事足りた。
 靴を脱がせて横たわらせる。
 胸元をくつろげてから毛布を掛け、あたりを見回して枕がない事を確認すると、アイテムバッグから取り出すふりをして、以前に自分が使っていた枕を取り出した。

「んん~ 足も上げといた方がいいかな~?
 このバッグ、しっかりしてそうだから足乗せに使っていいですか?」

「ええ……」

 了承はしたものの訝しげだ。

「脚がむくみはじめてるでしょ?
 少しでも血が、身体の方に戻りやすくするために足を高くするの。
 あとでむくみに効くハーブを煎じてあげる」

 若く健康な男女ならともかく、この歳での旅……それも普段よりペースの速い移動で負担がかかっているのだろう。
 アンナリーナの言葉に頷いて、言われるままにバッグの上に足を乗せた。

「嬢ちゃん、ちょっと退いてくれ」

 そう言ったゲルトが何をするつもりなのか見ていると、ベンチの、ちょうどふくらはぎの裏にあたる辺りに触れて持ち上げた。
 シャキンと音がして30cmほどの柵が立ち上がる。

「おおっ!」

 アンナリーナがびっくりして見ていると、ゲルトが笑って説明してくれた。

「止まっているならこのままでもいいが、動き出したら揺れるだろう?
 振動で放り出されるかもしれないからこうやって身体を固定するのさ」

「ほおぉ……っ」

 アンナリーナは感心しきりである。

「元々乗り合い馬車は、緊急の時この中で夜を明かすこともある。
 だからちゃんと寝れるようになってるのさ」

 通りで毛布などが準備してあるはずだ。

「え……っと、おばさま?」

「ごめんなさい、私はマチルダと言います」

 老婦人改め、マチルダは弱々しく微笑んだ。

「私はリーナ。遅くなったけどよろしくね。
 あのね、この枕は気分が落ち着いて眠りやすくなるハーブが入っているの。
 ゆっくり休んで下さいね」

 ゲルトが、マチルダの横になっている側の窓に戸を落とし、余分な光が入らないようにする。
 そうして2人は定位置に戻った。


 外ではようやく到着した箱馬車の御者とザルバが揉めていた。

「もう、すぐにでも出発しないと日暮れまでに夜営地に到着出来ない!
 そっちはこのまま俺たちと一緒に出発するか、置いていかれるか選んでくれ」

「そんな! 食事はともかく、女性なんだからそれなりの休憩もあるし、馬も休ませなければ」

 馬車に乗っていた護衛が素早く飼葉と水の入った桶を持って走っている。

「こっちだって乗客に快適な旅を提供しなきゃいけない。
 現に馬を急がせたせいで、いつもより馬車が揺れ、体調を崩した御婦人が出たんだ。
 今回の事は組合から “ 頼まれて ”はいるが絶対じゃあないんだぞ!」

 ザルバは返事を待たずに背を向けた。
 残されたのは、顔色が真っ青な御者と戸惑う護衛たち。
 女は馬車の窓から顔を出し、また喚いている。

「せめてお客を預かってはもらえ……」

「死んでも御免だ!」

 ザルバの怒鳴り声が中継地に響き渡った。

「いいか?あの女を俺の客に近づけたらタダじゃおかない。
 何があっても俺の馬車に乗せることもない!
 嬢ちゃんに対するあの態度。
 碌でもない奴だ!」


 乗り合い馬車では御者同士の遣り取りを見ていたアンナリーナがポットを取り出し、杯に注いだ。
 ゆっくりとステップを降り、御者台に登ろうとするザルバに声をかける。

「ザルバさん、大声出して喉が渇いたでしょ?これは気持ちを鎮める効果のあるハーブ茶なの」

「聞かれていたのか」

 ザルバはバツが悪そうだ。

「庇ってくれてありがとう。
 ちょっとだけ一服して、そして出発しよう」

 ポットを持った手はそのままに、空いた左手をアイテムバッグに入れて、茶巾に包んだ紙を取り出した。

「これなら一口で食べられるから。
 見られないように食べてね」

 アンナリーナがにっこりと笑う。
 ザルバはそれを見ただけで癒される思いがした。

「じゃあ、後ろに乗るね。あ、その杯はあげる」

 その時、金切り声に近い声であの女が叫んだ。

「あのポットを取り上げてきて!
 早く!」

 なんというものの言いよう。

「お茶が飲みたいわ。
 そこの子、早く給餌しなさい!」

 侮蔑に満ちた目で睥睨して、アンナリーナは素早く馬車に乗り込んだ。
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