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ep6
ep6『さよなら小泉先生』 機能しない解剖台の上の偶然
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『ささやかだけど幸せな生活を送っているっていうのなら……おれはこのままそっとしておいてあげたいんです』
あの時、シンジの言った言葉の意味が痛いほど解った。
小泉はこの世界で────夫に愛されて満たされている。
誰にもそれを壊す権利なんて持ってないんだ。
これ以上、小泉に何が必要だって言うんだろう?
何も要らない。
小泉自身がそれを望んではいないんだ。
誰にも介入できない世界。
それが例え──────小泉の本当の旦那であったとしても。
目の当たりにした圧倒的な事実に俺は言葉を失った。
俺には何もできない。他でもない小泉自身にそれを突きつけられたような気がした。
俺は黙って立ち去る事しか出来ないんだろう。
必死で言葉を探すも、何も思い浮かばない。
軋んだ乳母車の車輪の音は誰かの悲鳴のようにすら聞こえる。
もう帰ろう。
これ以上小泉と話していても─────リスクしか無いだろう。
万が一にも小泉が何かのきっかけで“現実”を思い出さないとも限らない。
小泉自身の為にも、俺は目の前から消えた方が良さそうに思えた。
焦点の全く合わない小泉は微笑を浮かべたまま乳母車を押して歩く。
その横を歩きながら俺は、ヤケクソ気味に最後にこんな質問を投げかけた。
「……素敵なご家族で羨ましいです。ところで、ご主人はどんな方なんですか?」
どうせなら─────少しでもいい、鬼怒川豪志の情報を入手しておきたいと思ったんだ。
今更、それを知ってどうなるって訳でもないんだけどさ。
「主人は……同級生なんです。趣味が同じという事で意気投合して」
「趣味……ですか?」
思わず俺は聞き返す。
ハイエースするしか能のないあの鬼怒川豪志と小泉に共通の趣味があったなんて予想外過ぎた。
ええ、と微笑を浮かべた小泉は頷いた。
「……主人は格闘ゲームが得意なんです。以前はよく対戦したりしてたんですよ」
いつも私が負けてたんですけど、と小泉は少し笑った。
鬼怒川豪志が格ゲー?
意外な趣味だが、DQNであればそう不自然ではないかもしれない。
シンジの話だと確か、小泉が繁華街にあるゲーセンに急に通い始めたって事だったもんな。
そんな場所にたむろしてる連中なら格ゲーをガチっててもおかしくないし──────
「なるほど、そうだったんですね」
俺はもっともらしく相槌を打った。
「主人はパッと見は素行が悪そうな風貌で言葉遣いも悪いんですけど……根は素直で優しい人なんです」
そんなところが好きなんです、と小泉は小さく呟いた。
あのDQNの鬼怒川豪志が?
優しい人?
にわかには信じられない話だったが、小泉がそう言うのならそうなんだろう。
小泉と結婚して父親になって、運命や未来、性格まで変わったのかもしれない──────────
そうだといいんだが、と俺は祈るような気持ちでそう思った。
「……この子も父親似だってよく言われるんですよ」
惚気るように小泉は優しい視線を乳母車に送る。
そういえば、子どもは全員施設に預かって貰ってるって話だったよな────────?
じゃあ、ここに乗ってるのは“誰”なんだ?
「あの、お子さんを見せて貰ってもいいですか?」
俺は恐る恐る小泉の顔を見た。
「ええ、もちろん」
小泉はニッコリと笑うと乳母車に付いている幌を開いて中にある物を抱き上げる。
それを見た俺は思わず悲鳴を上げそうになった。
乳母車の中で横たわっていたのは────────古びたミシンだった。
あの時、シンジの言った言葉の意味が痛いほど解った。
小泉はこの世界で────夫に愛されて満たされている。
誰にもそれを壊す権利なんて持ってないんだ。
これ以上、小泉に何が必要だって言うんだろう?
何も要らない。
小泉自身がそれを望んではいないんだ。
誰にも介入できない世界。
それが例え──────小泉の本当の旦那であったとしても。
目の当たりにした圧倒的な事実に俺は言葉を失った。
俺には何もできない。他でもない小泉自身にそれを突きつけられたような気がした。
俺は黙って立ち去る事しか出来ないんだろう。
必死で言葉を探すも、何も思い浮かばない。
軋んだ乳母車の車輪の音は誰かの悲鳴のようにすら聞こえる。
もう帰ろう。
これ以上小泉と話していても─────リスクしか無いだろう。
万が一にも小泉が何かのきっかけで“現実”を思い出さないとも限らない。
小泉自身の為にも、俺は目の前から消えた方が良さそうに思えた。
焦点の全く合わない小泉は微笑を浮かべたまま乳母車を押して歩く。
その横を歩きながら俺は、ヤケクソ気味に最後にこんな質問を投げかけた。
「……素敵なご家族で羨ましいです。ところで、ご主人はどんな方なんですか?」
どうせなら─────少しでもいい、鬼怒川豪志の情報を入手しておきたいと思ったんだ。
今更、それを知ってどうなるって訳でもないんだけどさ。
「主人は……同級生なんです。趣味が同じという事で意気投合して」
「趣味……ですか?」
思わず俺は聞き返す。
ハイエースするしか能のないあの鬼怒川豪志と小泉に共通の趣味があったなんて予想外過ぎた。
ええ、と微笑を浮かべた小泉は頷いた。
「……主人は格闘ゲームが得意なんです。以前はよく対戦したりしてたんですよ」
いつも私が負けてたんですけど、と小泉は少し笑った。
鬼怒川豪志が格ゲー?
意外な趣味だが、DQNであればそう不自然ではないかもしれない。
シンジの話だと確か、小泉が繁華街にあるゲーセンに急に通い始めたって事だったもんな。
そんな場所にたむろしてる連中なら格ゲーをガチっててもおかしくないし──────
「なるほど、そうだったんですね」
俺はもっともらしく相槌を打った。
「主人はパッと見は素行が悪そうな風貌で言葉遣いも悪いんですけど……根は素直で優しい人なんです」
そんなところが好きなんです、と小泉は小さく呟いた。
あのDQNの鬼怒川豪志が?
優しい人?
にわかには信じられない話だったが、小泉がそう言うのならそうなんだろう。
小泉と結婚して父親になって、運命や未来、性格まで変わったのかもしれない──────────
そうだといいんだが、と俺は祈るような気持ちでそう思った。
「……この子も父親似だってよく言われるんですよ」
惚気るように小泉は優しい視線を乳母車に送る。
そういえば、子どもは全員施設に預かって貰ってるって話だったよな────────?
じゃあ、ここに乗ってるのは“誰”なんだ?
「あの、お子さんを見せて貰ってもいいですか?」
俺は恐る恐る小泉の顔を見た。
「ええ、もちろん」
小泉はニッコリと笑うと乳母車に付いている幌を開いて中にある物を抱き上げる。
それを見た俺は思わず悲鳴を上げそうになった。
乳母車の中で横たわっていたのは────────古びたミシンだった。
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