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ep2 .

ep2 . 『蜜と罰』 これから負う火傷

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少年がふと目覚めると暗闇だった。

僅かな月明かりだけが差し込む部屋。

朧げながら視界に飛び込んで来た青白い室内は見覚えのない場所だった。

ここはどこだ、と少年は記憶の糸を辿る。

夕方、俺はジャムを作っただろうか。そんな記憶もある。

ふかふかとした大きなサイズの白いベッド。

少年が目にしたこともないような立派な調度品である。

上着である短ランも脱がずに俺は眠ってしまったのか。

にゃあ、とどこかで子猫の声がした。

この部屋のどこかに居るのであろう。

ぼんやりとした意識のまま身体を捻り、反対側を見る。

暗闇の中の瞳。

ベッドの隣には令嬢が横たわっていた。

一瞬見つめ合った二人の呼吸は止まる。

少年は狼狽した。

何故自分が令嬢と一緒のベッドで眠っていたのか。

その瞳は視線を逸らさず少年を見つめている。

あの、と言いかけた少年は言葉を詰まらせる。

その後に続く台詞は何も出てこない。

冷や汗が全身に流れる。

あら、目を醒まされたんですのね、令嬢は微笑んでその身体を起こした。

「俺はいつからここに?」

少年は躊躇いながら令嬢に質問した。

ここはあんたの部屋なのか、と少年は周囲を見回す。

初めて足を踏み入れた場所だった。

「夕方からうたた寝をしておられましたから、こちらにご案内したのですわ」

令嬢は静かに説明した。

少年は薄い月明かりの中で見えてきた時計の針の位置に驚きを隠せなかった。

真夜中の0時過ぎ。

他所様のお宅、ましてや御令嬢の寝室に居ていい時間帯では決してない。

勿論、どんな時間帯であっても御令嬢の寝室、ましてやそのベッドでうたた寝をするなどとは言語道断である。

少年は自分自身が恐ろしく不躾な失敗をしてしまった事を瞬時に理解し、令嬢に詫びた。

「悪ぃ、リセさん。いつもならこんな時間帯に寝落ちとか絶対しねぇんだけど……」

ベッド占領するとかめっちゃ図々しいな俺、もう帰るから、と少年は慌てて帰り支度を始める。

「まあ、お待ちになって」

令嬢はクスクスと笑いながら少年を引き留める。

こんな時間帯ですもの、家人が目を醒ましてしまいます、と少年の手を取る。

「そっか、見つかったらヤベぇんだよな……」

ここで少年は令嬢が周囲に内緒で自分を自室に招き入れた事を理解した。

変な時間帯に男が部屋から出て行く現場を目撃されるとあらぬ誤解を招くであろう事は少年にも容易に想像できた。

マジで悪ぃな、いつも迷惑かけちまって、と少年は心底済まなさそうに重ねて令嬢に詫びた。

「夜明けまでまだ時間がありますからお茶でも淹れましょうか」

令嬢は嫌な顔一つせず微笑む。

ロシアンティーにでもしましょうか、といつもの鈴のような声が月明かりの部屋に響く。

そうか悪りぃな、と少年はふとテーブルの上の瓶に目をやる。

「これって…夕方作ったっけ?」

梨のジャム。

少年は記憶の糸を辿るが思い出せない。

作った気もするが。

少年は更に周囲を見渡した。

先程まで少年と令嬢が眠っていた大きなベッドの横にはアンティーク風のキャビネットが鎮座していた。

そこにある円柱形のガラスドームに入った赤い花が目に留まる。

どこか見覚えのある花だった。

どこだったろうか。

少年はガラスの覆いを被せられた薔薇の花に近付く。

「これって……」

背後から令嬢が声を掛ける。

「あなたに頂いたお花ですわ」

依頼してプリザーブドフラワーにして頂きましたの、と令嬢は微笑んだ。

「プリザーブドフラワー?」

耳慣れない言葉に少年は思わず聞き返す。

「永遠に枯れないお花、とでも言いましょうか」

永遠。

その言葉の中に少年はどこか物悲しい意味を感じとった。

理由は解らない。

ただ、彼女がとても儚げに思えた。

どうして、と聞きかけて少年は躊躇した。

令嬢が今にも泣き出しそうな顔をしているように思えたからだった。

青白い月明かりの下に令嬢の姿が浮かび上がる。

黒のナイトドレスに大きめのショールを羽織った姿は少年が初めて目にする令嬢の一面だった。

昼間はゴシックロリータ風のドレスであったので気付かなかったが、薄手のエンパイアラインのドレスだと身体のラインが薄明かりにクッキリと輪郭を形作っていた。

陶磁器のように白い肌、幼さの残る表情には不釣り合いな大きな胸が呼吸で揺れている。

目のやり場に困った少年は思わず視線を逸らした。

ごめんなさい、こんなはしたない格好で、と令嬢は軽く羽織ったショールの端を両手で握り少年に背中を向けた。

少年は酷い自己嫌悪に陥った。

令嬢の自室でうたた寝をした挙句にベッドを独占、深夜の時間帯まで長居をする。

その上プライベートな時間と空間に割り込んで彼女をジロジロ見るなんて無礼にも程があるじゃないか。

「悪ィ、やっぱ帰るわ」

明け方まで平常心を保てそうにないと悟った少年は令嬢に背中を向けた。

少年自身も彼女に対し、どう接していいのか分からなくなる瞬間が多々合った。

無礼があってはいけない、傷つけることなんてもっての外だった。

無礼を働いて嫌われるのも怖かったのかもしれない。

そうなるくらいなら少し距離を置くのが適策に思えた。

しかし、令嬢から返ってきた言葉は意外なものだった。

「ふふ、わたくしったら……御免なさいね」

自分で自分が嫌になりますわ、と少し自嘲気味に彼女は笑った。

少年は慌てて振り返る。

「何言ってるんだリセさん?」

あんたは何も悪くねぇだろ、と思わず令嬢の顔を見る。

瞬間、少年はドキリとした。

令嬢は今にも零しそうな涙をグッと堪える表情で少年を見つめていた。

俺は何かやってしまっただろうか、と少年は自問した。

あの、と問いかけの言葉が口に出る前に令嬢が呟く。

「わたくしったら最低な人間ですわね、何もかも全部独り占めしたいなんて……」

一緒に眠る夜を過ごしたいなんて、わたくしの我儘なんですわ、と彼女は続けた。

部屋のどこかでチリンと鈴の音がした。

そうか、と少年は合点が行った。

この御令嬢が寂しがっている理由を少年は理解した。

俺が帰る時にコイツを連れて帰ると思ったのだろう、と少し安堵した。

少年は足元に居る黒い子猫を抱き上げると令嬢の目の前でこう言った。

「マジで悪ィ、今まで気がつかなくて」

俺ばっかり夜間コイツを独占してたもんな、良いとこ取りだったもんな。悪ィ、今日俺は一人で帰るからさ、コイツと一緒に寝てやってくれよ、と黒い子猫を彼女に差し出した。

にゃあ、と黒い子猫は少年の指に爪を立てる。

「馬鹿ね……そっちじゃありませんわ」

「え?」

少年にはその言葉の真意は理解出来なかった。

少年に背中を向けた令嬢は肩のストールをゆっくりと落とした。

その刹那。

少年は思わず息を飲んだ。

背中を覆う大きな火傷の跡。

初めて目にする令嬢の姿。

令嬢はゆっくりと振り返る。

肩から胸にかけて大きなケロイド状の傷跡が見て取れた。

驚いた少年の手から黒い子猫がすり抜ける。

「わたくし……身も心もなんて醜い存在なのかしら……」

悲しそうな令嬢はゆっくりとこう呟いた。





「こんな小さな子猫に嫉妬しているだなんて……」
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