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ep0. 「真夏の夜の爪」 ㊲明日死んでもいい。

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なんでこんなに優しいのガックン、と喉まで出掛かった声を押し殺すのに必死だった。

ああ、どうしてもっと早くガックンに聞いてもらわなかったんだろう。

僕は訳が分からないままただ苛々してどうしようもなくてマサムネを撃ってしまった。

ガックンはいつだって僕の側に居てくれてたのに。どうして気付かなかったんだろう。

ぽたり、とちゃぶ台の上に雫が落ちる。

マコトは顔を上げて少年を見た。

泣いていたのは少年だった。

ちくしょう、楽しいよなぁ、と少年は呟いた。

俺、毎晩毎晩一人の夜がすごく寂しかったンだよ。一人で飯食うのも。

最近、お前とマサムネが居るから全然寂しく無ぇンだよ、と少年はジョッキの液体を一気に呷る。

ガックン、泣いてるの、とマコトは少年を抱き寄せた。

「悪ぃ、俺、この前嘘ついてたわ」

少年は酔いが回ったのか畳に仰向けになった。

嘘って何が、とマコトも隣に仰向けになる。

「……俺、この前早く大人になりてぇとか言ったけど多分嘘だ」

少年は天井を見つめて額を手で覆う。

「俺さ、炒飯作ってたじゃん。あれさ、母ちゃんの真似して作ってたンだ」

少年が六歳になる頃。

面倒を見てくれていた祖父が山に山菜採りに行った際に転落して骨折して入院する事になった時期があった。

祖父が不在の間、家を出ていた母が戻って来たのだ。

ほんの三か月程度のことであったが少年にとっては忘れられない出来事だった。

「いつも居ねぇ母ちゃんが家に居るんだ。俺さ、もう嬉しくて嬉しくてさ。母ちゃんは料理ほとんどしなくていつも惣菜か冷食か菓子パンかカップ麺かって感じだったンだけどよ。俺は母ちゃんが居てくれたら食い物なんか何でも良かったンだ。けどよ、ある日気まぐれで炒飯作ってくれてさ」

少年は懐かしそうに小さく笑ってみせた。

「俺、その時の母ちゃんの炒飯、多分一生忘れられねぇンだ。あんな旨い炒飯食ったの後にも先にもあの一回だけでさ」

あれから自分で何回作ってもあの時の母ちゃんの味にならねぇンだよな、なんでだろうなと呟いた少年の横顔をマコトはじっと見ていた。

「俺さ、もしもドラゴンボール七個集めて何か願いが叶うンなら一生六歳のままで生きていきてぇ。大人になんかなりたくねぇし。母ちゃんと爺ちゃん、それから……」

少年はカラーボックスの上に置かれたフォトフレームを手に取った。

少年が敬愛してやまない伝説のロックバンドのボーカリストの写真。

「こんな人が……チバさんみたいな人が父ちゃんだったらいいなってずっと思ってるンだ」

少年は黙って大切そうにフォトフレームの写真を見つめた。

「ああ俺……本当に……父ちゃんと母ちゃんが居てくれたら他にもう何も要らねぇ。明日死んでもいい。一瞬でもいい。もう一回だけ六歳のあの時に戻りてぇ……」

天井を見つめたまま少年は泣いていた。

マコトもマサムネを抱いたまま泣いていた。

マコトは知っていた。

古くてもいつも小綺麗にしてある少年の自宅。

いつ母親が帰って来てもいいようにと少年が毎日念入りに掃除している事を。

ガックンのお母さん、何故貴女は子どもを捨てて居なくなったのですか。

ひとしきり泣いた後に少年はふと横のマコトを見た。

マコトも少年を見つめていた。

でもいいんだ、と少年は涙を拭わずに呟いた。

今はお前もマサムネも居てくれるし、だから寂しくねぇし、と少年は少し笑った。

今度はマコトが激しくしゃくり上げて泣き始めた。

「……僕、一生このままガックンとマサムネとでここでこうしていたい」

マコトがひきつけを起こしたように激しく泣くので驚いた少年はマコトの肩を抱いてタオルで涙を拭ってやった。

マコトはずっと泣き止まなかった。

ビールのような液体の苦味は涙の味に変わっていった。
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