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ep0. 「真夏の夜の爪」 ㊱永遠に埋まらない穴
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ああ、いいぜ、と少年は頷いた。
二人のジョッキは相変わらずその水位を下げてはいなかった。
あのね、本当にどうでもいい事なんだ、と前置きしてからマコトは話し始めた。
「……ガックンの学校でも絵の具道具みたいなのあるよね。美術の時間に使うやつ。あれさ、僕の持ってる絵の具の箱、一色無いんだよね。欠けてるの」
使い切ったンか?という少年の問いにマコトは小さく首を横に振った。
「……ううん、あったんだよ全色。使ってない新品なの。入学式の直後の最初か二回目の美術の授業でさ。好きな色でこの枠内を塗ってみましょうみたいな課題があってさ。僕、塗ろうと思ってたんだ。新品のアクリル絵の具でさ」
少年は黙ってジョッキの液体をちびちびと飲みながらマコトの話に耳を傾けていた。
「……そしたらさ、今は僕の友達なんだけど……その子が僕に言うんだ、“ごめん、ちょっと絵の具貸して”って。その子さ、絵の具の箱ごと床にばら撒いちゃってさ、間違って横を通った子が踏んづけちゃって、一色ダメにしちゃったんだって。だから僕、貸したんだ。コバルトブルーの絵の具。一番好きな色だけど。その日の課題はそんなに好きじゃない色のイエローオーカーで塗って提出したんだ」
マコトもジョッキに口を付けて少し液体を飲んだ。
「……その日の授業が終わっても絵の具は返ってこなくてさ。その次の授業でも返ってこなくて。それでずっと時間が過ぎていってさ。今に至るの」
「え、じゃあお前の絵の具箱ってそのブルーがずっと無いって事なンか?一年の時からか?もう俺ら二年だし夏休みだぜ?」
少年が怪訝な表情でマコトを見た。
「直に返してくれっつったらダメなンか?」
マコトは少し視線を落としてジョッキの水滴を見た。
「……毎日顔を合わせてても言いにくくてさ。なんか、そのままここまで来ちゃった」
少年はまた黙ってジョッキの液体を口に流し込んだ。しかし減らない。
「……大した事ないんだ。絵の具のチューブの一本なんて。買おうと思えば購買部でも売ってるんだ。別に一色足りないからってどうって事ないんだ。他の色でも代用できなくもないんだし」
けどさ、とマコトは少し悲しそうに呟いた。
「……僕の友達にとっては僕の事なんてどうでもいいって事の証明みたいな気がするんだ。ぽっかり空いたそのコバルトブルーのあった箇所の絵の具箱の凹みが」
絵の具の箱は紙箱で出来ているが中敷きのトレイは薄手の白いプラスチックのような素材で出来ていた。
15色の絵の具が鎮座する為の凹みには空席になった一色があった。
「……その空いた部分を見るたびに僕の心も同じように空っぽだって思っちゃうんだよね」
マコトの心にぽっかり空いた穴。
その“友達”は一生気付かないし思い出さないであろうことは少年にも感じ取れた。
永遠に埋まる事のないコバルトブルー不在の心の穴。
マコトの心を不安たらしめていたものの正体を知った少年はゆっくりとマコトの目を見た。
「……ふふ、僕って馬鹿みたいだし子どもっぽいよね。絵の具の一つや二つで世界の終わりみたいに悲嘆に暮れてるなんてさ。本当に馬鹿だよ」
均等な友人関係のつもりだった。
けれど、向こうにとってはマコトはそうでないのだ。
見るたびに思い知らされる不均衡さ。
こちらがいくら向こうを思っても尽くしても向こうはそうではないのだと思い知らされる現実そのものが具現化した存在が欠けたコバルトブルーの絵の具のチューブだった。
良かれと思って貸した結果、それがマコト自身を苦しませる存在になっていた。
いや、馬鹿じゃ無ぇだろ、と少年は呟いた。
「相手に気にかけて貰えねぇってのは辛ぇよな。わかるぜ、俺もずっと一人だからよ」
孤独さにおいては少年の方が圧倒的に重く深刻であった。
しかし、少年は自らの孤独さとマコトの孤独さの中に同じものを見出していた。
けどよ、と少年は淀みなく続けた。
「お前の心に穴が空いてるってンなら俺が埋めてやんよ」
なんとかブルーだ?それなら俺の絵の具やるよ。お前に。少年は少し笑ってちゃぶ台に突っ伏した。少しずつ酔いが回って来たようだった。
ガックン、とマコトは言葉を詰まらせた。
なんだか泣きそうだった。
夏休み中だからよ、学校に全部ブン投げてンだよ。教科書も絵の具道具も習字道具もリコーダーとかも。ジャージだけ洗うから持って帰ってっけどよ、と少年は続けた。
「夏休み明けたらお前に俺の絵の具やるよ。だからさ」
泣くんじゃねぇよ、と少年はマコトの頭をぐしゃぐしゃと撫でた。
なんだよ、とマコトは泣きそうになるのを悟られまいとパーカーのフードを引っ張って誤魔化した。
二人のジョッキは相変わらずその水位を下げてはいなかった。
あのね、本当にどうでもいい事なんだ、と前置きしてからマコトは話し始めた。
「……ガックンの学校でも絵の具道具みたいなのあるよね。美術の時間に使うやつ。あれさ、僕の持ってる絵の具の箱、一色無いんだよね。欠けてるの」
使い切ったンか?という少年の問いにマコトは小さく首を横に振った。
「……ううん、あったんだよ全色。使ってない新品なの。入学式の直後の最初か二回目の美術の授業でさ。好きな色でこの枠内を塗ってみましょうみたいな課題があってさ。僕、塗ろうと思ってたんだ。新品のアクリル絵の具でさ」
少年は黙ってジョッキの液体をちびちびと飲みながらマコトの話に耳を傾けていた。
「……そしたらさ、今は僕の友達なんだけど……その子が僕に言うんだ、“ごめん、ちょっと絵の具貸して”って。その子さ、絵の具の箱ごと床にばら撒いちゃってさ、間違って横を通った子が踏んづけちゃって、一色ダメにしちゃったんだって。だから僕、貸したんだ。コバルトブルーの絵の具。一番好きな色だけど。その日の課題はそんなに好きじゃない色のイエローオーカーで塗って提出したんだ」
マコトもジョッキに口を付けて少し液体を飲んだ。
「……その日の授業が終わっても絵の具は返ってこなくてさ。その次の授業でも返ってこなくて。それでずっと時間が過ぎていってさ。今に至るの」
「え、じゃあお前の絵の具箱ってそのブルーがずっと無いって事なンか?一年の時からか?もう俺ら二年だし夏休みだぜ?」
少年が怪訝な表情でマコトを見た。
「直に返してくれっつったらダメなンか?」
マコトは少し視線を落としてジョッキの水滴を見た。
「……毎日顔を合わせてても言いにくくてさ。なんか、そのままここまで来ちゃった」
少年はまた黙ってジョッキの液体を口に流し込んだ。しかし減らない。
「……大した事ないんだ。絵の具のチューブの一本なんて。買おうと思えば購買部でも売ってるんだ。別に一色足りないからってどうって事ないんだ。他の色でも代用できなくもないんだし」
けどさ、とマコトは少し悲しそうに呟いた。
「……僕の友達にとっては僕の事なんてどうでもいいって事の証明みたいな気がするんだ。ぽっかり空いたそのコバルトブルーのあった箇所の絵の具箱の凹みが」
絵の具の箱は紙箱で出来ているが中敷きのトレイは薄手の白いプラスチックのような素材で出来ていた。
15色の絵の具が鎮座する為の凹みには空席になった一色があった。
「……その空いた部分を見るたびに僕の心も同じように空っぽだって思っちゃうんだよね」
マコトの心にぽっかり空いた穴。
その“友達”は一生気付かないし思い出さないであろうことは少年にも感じ取れた。
永遠に埋まる事のないコバルトブルー不在の心の穴。
マコトの心を不安たらしめていたものの正体を知った少年はゆっくりとマコトの目を見た。
「……ふふ、僕って馬鹿みたいだし子どもっぽいよね。絵の具の一つや二つで世界の終わりみたいに悲嘆に暮れてるなんてさ。本当に馬鹿だよ」
均等な友人関係のつもりだった。
けれど、向こうにとってはマコトはそうでないのだ。
見るたびに思い知らされる不均衡さ。
こちらがいくら向こうを思っても尽くしても向こうはそうではないのだと思い知らされる現実そのものが具現化した存在が欠けたコバルトブルーの絵の具のチューブだった。
良かれと思って貸した結果、それがマコト自身を苦しませる存在になっていた。
いや、馬鹿じゃ無ぇだろ、と少年は呟いた。
「相手に気にかけて貰えねぇってのは辛ぇよな。わかるぜ、俺もずっと一人だからよ」
孤独さにおいては少年の方が圧倒的に重く深刻であった。
しかし、少年は自らの孤独さとマコトの孤独さの中に同じものを見出していた。
けどよ、と少年は淀みなく続けた。
「お前の心に穴が空いてるってンなら俺が埋めてやんよ」
なんとかブルーだ?それなら俺の絵の具やるよ。お前に。少年は少し笑ってちゃぶ台に突っ伏した。少しずつ酔いが回って来たようだった。
ガックン、とマコトは言葉を詰まらせた。
なんだか泣きそうだった。
夏休み中だからよ、学校に全部ブン投げてンだよ。教科書も絵の具道具も習字道具もリコーダーとかも。ジャージだけ洗うから持って帰ってっけどよ、と少年は続けた。
「夏休み明けたらお前に俺の絵の具やるよ。だからさ」
泣くんじゃねぇよ、と少年はマコトの頭をぐしゃぐしゃと撫でた。
なんだよ、とマコトは泣きそうになるのを悟られまいとパーカーのフードを引っ張って誤魔化した。
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