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第2章 地球活動編
第87話 嫉妬
しおりを挟む近衛師団一番隊隊長――マティアは聖槍を肩に担ぎ、周囲を見渡す。
ここはたった今制圧が完了した《オスクリタ皇堂》の正門前。
レベル200~300の5柱とレベル150~200の総員402名で構成される最精鋭の部隊が守護する場所であり、まさに敵の中枢を意味する。
敵も決死の抵抗をするであろうし、本来、激戦が繰り広げられてしかるべき場所のはずだ。それがものの数分もせずに《オスクリタ皇堂》の正門は陥落した。
『やり過ぎた』
それが今のマティアの偽らない本心だ。
正直、頭が冷え冷静になった今、この惨状を視界に入れ胃がキリキリと痛くなっている。確実に後で思金神の旦那にこってり絞られる。
ゲオルクの死による憤怒に支配されていたとはいえ、敵吸血種達の外道さを見た直後で、あの発言はあり得まい。
よりにもよって一番隊の面々に『我らのマスターと朽ちた戦士の誇りに賭けて』なんぞ口にすればどうなるかなど目に見えていた。
一番隊は二番隊、三番隊と比較して極めて規律や倫理に五月蠅く、戦士として誇りをこの上なく重視する。特に碌な力を有しないゲオルクが一番隊の隊長であるマティアに肉薄したことは少なからず一番隊の面々の心に感嘆という現象を引き起こしていた。そんな状況で卑劣極まりない攻撃でゲオルクは命を落としたのだ。怒りが爆発しないはずがない。
さらに極め付けはマスターの存在だ。
崇敬のマスターによる初めてともいえる戦闘の直々の命令。近衛師団を初めとする戦闘職の面々のモチベーションは極限まで高まっている。
勿論、その気持ちは痛い程理解できる。なにせマティア達のマスターは今までメンバーの命に危険がある任務には戦闘の許可を出さず、天と地ほどの力の差があることが明らかな場合に限り茶番を演じることを許してきた。何よりベリアルとの戦闘ではよりにもよってマスターの足枷にすらなってしまった。近衛師団の皆に無力な自身に対する強烈な憤りが蔓延していたのだ。まさにそんな状況でのマスターのこの度の命令だ。自重しろという方が無理な相談といえよう。
とは言え、先発隊はマティア率いる近衛師団最強の一番隊。一番隊は天族を中心とする部隊。一番隊の大半が同化者ではない純粋な天族。天族はプライドが五界のどの種族よりも高く、他の者の下につくことをこの上なく嫌う。現に隊長のマティアの指示さえ無視しかねない危うさがある。それが一召喚者に過ぎない人間のマスターを生涯で仕える主と認め絶対の忠誠を誓っている。これは明らかに異常だ。この現象が《神王軍化》を初めとするマスターのスキルによるならまだ話はわかる。
だがあれだけ他者の意思を捻じ曲げるのを嫌うマスターが精神支配系のスキルや魔術を使うことはありえない。仮にマスターが最も信頼している思金神の旦那でもそれをすればマスターは決して許すまい。
おそらくこうも天族達が崇拝するのはマスターの身の内に有する性質故だろう。言い換えればカリスマと言えばよいだろうか。この陳腐な言葉もことマスターに関しては実にぴったり当てはまる。
マスターの非常識な有無を言わせぬ強さ、様々な奇跡を実現する超常性、メンバーを我が子のように接する優しさは勿論、その稀に見せる脆さ危うささえも天族達を魅了してやまないのだろう。自らの命を賭しても傍で辿り着く先を見てみたいと思う程に。
兎も角、一番隊のマスターに対する忠誠は他の隊を圧倒する。その上で、マスターの価値を認める発言をしたゲオルクをあの馬鹿は卑劣な手段で殺した。
あっさり、怒りのパラメーターを振り切った一番隊は、既に存在したモチベーションの高まりも相まって、そのボルテージを限界まで上げてしまう。
結果この闇帝国にとって悪夢に近い惨状となる。
最初、怒りに頭が占拠されていたマティアも周囲の自制心をなくしている姿を目にし、逆に真っ先に冷静になってしまう。
大きく肺から空気を吐き出し、武器を放り投げ地面に正座し真っ青の顔で子兎のように震える吸血種達へと視線を落とす。
一番隊の隊員達はギルド会議の決定である『殺すな』という命を一応守ってはいる。代わりに奴らの抵抗心等を一切消失させることに成功しているようだ。
マティアも一歩マスターと出会うタイミングを間違えば今の《妖精の森》と衝突していたのかと思うと体中の血が凍るような心地になるくらいだ。この吸血種達にはその意味では同情を禁じ得ない。
それにもう一つ一番隊の面々のボルテージを上げる大きな原因がある。
「隊長、皇堂への突入の指示を!」
背に四枚の白色の翼を持つ金髪の天族の青年が苛立ちげにマティアを急かす。
ここは闇帝国の首都の中心、《オスクリタ皇堂》。皇堂に走る一際大きなメインストリートに天族の青年の視線の先は向いていた。
「マティア、新参者にこれ以上好き勝手させる気か!?」
一番隊副隊長であり、金髪の幼女の天族カリスがマティアの胸倉を掴む。その爪先立で掴む様はコントにしか見えない。
(一応、俺達は今命を懸けた戦争をしているんだがな……)
急に阿保らしくなり、肩を竦めるマティア。
今、マティア達が先走って皇堂に突入することは得策とは言えない。そんなことは聡いカリスならば十分すぎる程理解しているはずだろうに……恐らくカリス達は嫉妬しているんだ。あの存在に――。
まあ確かにあれは反則だ。
マティア達の視線の先のメインストリートにはゆっくり、ゆっくりと皇堂の方へ近づいてくる三頭の巨人の魔力を持つ新入り――《スリー》がいる。
当初、敵の吸血種の兵士達は震えながらも果敢にも武器を手に巨人に向かっていった。
しかし、巨人の周囲に幾つもの光の筋が走り、その武器や鎧を粉々の欠片まで分解する。
巨人が右手に握る大剣を振るったのだろう。マティアでさえ視認さえできないのだ。レベル、所持スキル・魔術の全てが劣る吸血種に贖う術などない。
今や吸血種の兵士達は完璧に戦意を喪失しペタンと地面に腰をつけて無人の野を行くがごとく歩を進める巨人をぼんやりと眺めている。
《スリー》は遂に《オスクリタ皇堂》の正門前にいるマティア達の傍まで到着する。
「隊長殿、露払い礼をいう。儂は先に行かせてもらう」
《スリー》の言葉に血の気の多い一番隊の面々は顔の底に憤りを湛える。
特にカリスは屈辱で小さな肩を震わせていた。
カリスも《妖精の森》。ギルドメンバーは皆家族。それくらい彼女も頭では理解している。
彼女達がこの《スリー》への敵愾心を沸かせる理由にも容易に見当がつく。《スリー》にマスターが本戦争で唯一単独行動を許したからだ。
ギルドメンバーに対し過保護ともいえるマスターがそれを許可したのは後にも先にも刈谷のおっさんくらい。他の者は常にチームによる行動を義務付けられている。まあ、カリスがここまで躍起になる理由はマスターに頭を撫でてもらいたい。そんな俗物まみれた理由もあるようだが……。
「ああ、ご苦労さん。思う存分暴れてくれ。
俺達は捕らわれた者達の救助に向かう」
「マティア!」
カリスが怒りで顔が火のように火照らせつつもマティアに食って掛かる。地団駄を踏む姿は外見通りの餓鬼にしか見えない。
「カリス、これはマスターの命だぞ?
それに投獄された者達の救助こそがこの戦争の肝だ。忘れたか?」
これは真実だ。幹部会議ではいくつかの事が優先事項として定められた。それは政治犯として投獄されている闇帝国第一王女及びその仲間の救助と食料として捕縛された人間の子供達の保護。仮に失敗すればそれこそマスターの信頼は揺らぐ。
「…………」
奥歯をギリギリと噛みしめ、遂にそっぽを向くカリス。カリスも今は少し拗ねているだけだ。この幼児のような嫉妬も時が氷解してくれる性質。問題はない。
《スリー》は通り過ぎる際にマティアとカリスを横目で見ると片側の口角を上げ悠然と皇堂に入って行く。
耳を弄する爆音と悲鳴が徐々に遠ざかって行く。
「お前ら、行くぞ。向かうは地下3階の独房と倉庫だ!」
「「「「「おうっ!」」」」」
《スリー》の姿が消失し皆の顔から今まであった吸血種共に対しあった怒りも無駄な焦燥さえも消失し、冷静さを取り戻している。カリス達は少しやる気が空回りしてしまっていただけ。もう心配はいるまい。
マティア達も皇堂内へ侵入する。
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