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05.双子達はすれ違う---紗雪・漆姫の場合
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雲一つない昼下がり、紗雪は角を曲がった所でよく見慣れた後ろ姿を発見した。
「漆姫、どこに行くの?」
遠くに見つけた双子の片割れの背中は、心なしか何か楽しみな事があって踊っているように見えた。
駆け寄るには少し遠い程度の距離があり、普段なら紗雪もそれほど離れていれば無理に声をかけないのだが、それほどの距離があってもはっきり分かる程肩が弾んでいる後ろ姿に、いささか興味を抱いた。
紗雪が張りのある声で妹を呼べば、すぐにその相手が振り返ってきた。
「姉さん」
紗雪の姿を視認したが、遠目でも分かるくらいぱっと表情を綻ばせる。たたたっと姉に駆け寄り、勢い余ってその胸に飛び込んだ。
「っと……走ったら危ないわ、漆」
「えへへ。ごめんなさい」
なんとか妹を抱き止めてそう諭せば、漆姫は全く反省の色を見せないまま口だけの謝罪をしてきた。自分と違ってひどく愛嬌のある笑顔に、紗雪も相好を崩す。
涼介と流之介は全く似ていない双子だが、その妹である彼女達もそれは同じだった。冷静沈着という言葉を着て生まれたような紗雪は滅多に表情を崩さず、言葉を荒げる事もない。ひどく整った面立ちは、透き通るような銀髪と凍て付く蒼穹色の瞳によって鋭さを増している。その外見と違わぬ冷徹な言葉を口にする事も少なくない為、陰で可愛げがない、子供らしくないと言われる事もあった――陰でそう言われる一方、兄妹の前ではひどく感情豊かで口数も多いのは特に親しいごく一部の侍従しか知らない事実である――。
そんな姉と正反対の見た目、性格をしているのが妹の漆姫だった。長く伸ばした髪は闇夜のような漆黒色で、紗雪と比べてひどく愛嬌のある目は僅かに桃色がかった赤い瞳だ。年不相応な程に整った顔立ちをしている姉に対し、漆姫はあどけなさが残る面立ちをしている。よく変わる豊かな表情が、やや幼さを際立たせているようにも思えた。まだ成人していない彼女は年頃の娘そのものといった少女であり、大人びた双子の姉と並ぶと相乗効果もあっていつも以上に幼く見える。
抱き止めた妹を離し、それで、と紗雪は僅かに首を傾げた。
「どこかへ向かう途中だった?」
「ええ。ちょっとね……ふふ」
姉さんには教えてあげない、と漆姫は楽しそうに口元を両袖で隠す。意地悪というよりも、秘密の企みはまだ教えられないといった口調だ。笑顔でそんな事を言う妹に愛おしさを感じながらも、それ以上彼女の内に踏み込む事が出来なくて紗雪はほんの少しだけ表情を強張らせる。
紗雪の変化に、漆姫は気付かなかったらしい。
「姉さんは? これからどこか行くの?」
僅かに首を傾げ、やや上目がちに聞いてくる。気を取り直して紗雪は妹の問いかけに頷いた。
「図書館へ行こうと思ったら、ちょうとあなたを見かけたのよ。なんだかひどく楽しそうだったから、つい呼び止めてしまったの」
紗雪の言葉に、漆姫はえっと息を飲む。
「そ、そんなに分かりやすかった……? そんなつもりなかったんだけど、ううん……」
きゅっと眉間にしわを寄せ、顎に指をかけて考え込む。紗雪はそんな妹の額を軽く小突いた。
「本当に分かりやすかったわよ。変わらないわね」
「そっ、……そんなぁ。侍女さん達はちょっとおしとやかになったって言ってくれるのに」
「どのあたりの事を言っているのかしら。きっとお世辞でしょ」
「もう!」
紗雪がからかえば、漆姫はむきになって突っかかって来る。あと数年で成人を迎えるとは思えないあどけなさに、紗雪は笑みを零した。どの辺が分かりやすいのよ! ねえ! と肩を揺すってくる漆姫をほらほら、と笑っていなす。
「その大事な所へ早く行かなくていいの? 恋人かしら?」
「違うわよ! 姉さんのばぁか!」
真っ赤になって怒る妹がひどく可愛い。
そうやって少しじゃれたのち、漆姫はじゃあね! と姉に手を振って廊下を進んで行ってしまった。
一人ぽつんと残される。紗雪は静かに吐息を付いた。心なしか胸の辺りが少し楽になった気がする。
双子の片割れとは距離を測りかねている。普通の双子だったら迷う事なく秘密を教えてくれたのだろうか、などと意味のない事を考えてしまった。
つい先日、一週間の地方巡回から戻ってきたのだが、漆姫は紗雪が想像していた程帰還を喜んでくれなかった。おかえりなさいと笑顔で迎えてはくれたのだが、その調子は毎日顔を合わせている時と大して差はなかった。
――私から歩み寄れないんだもの。歩み寄ってくれるはずもないわよね。
紗雪は小さくため息を付いた。
◇
――あーあ。
――また、姉さんとしっかり話せなかった。
廊下を足早に進みながら、漆姫はふうとため息をつく。
兄達が交流を断裂されていた期間、彼女達もまた違う理由で顔を合わせる機会が激減していた。呪術の才に恵まれた紗雪は長兄の涼介と共に現王派の厳重な保護の下でその才能をひたすらに磨き、王族派はこぞって涼介と紗雪にかかりきりになっていた。
その間、漆姫は放任され侍女に囲まれて育った。当然紗雪と遊んだりゆっくり会話したりする時間は与えてもらえず、双子というより近所の幼馴染のような距離感で思春期を過ごした結果、双子の片割れの奥深くに踏み込む方法を知らずに育ってしまった。一瞬曇った姉の表情が、嫌に鮮明に思い出される。
自分と比べて、美しく、才能に恵まれた姉。呪術も勉学の才もない漆姫にとっては、今も昔も羨望の的である。ただでさえ埋める事の出来ない才能の差があるというのに、多感な時期をほとんど会わずに過ごす事になったのは一層彼女達の距離を遠のかせた。
――やっと姉さん、帰ってきたのに。おかえりしか言えなかった。
本当は地方の話をもっと聞きたかったのに。
――仕方ないよね。姉さんは、忙しいもの。
漆姫が勝手に遠慮しているのもあるが、帰城後すぐに兵に囲まれて仕事の打ち合わせを始める姿を見たらゆっくり話したいなどと言い出せるはずもなかった。視界の隅で揺れる自分の黒髪に、今日はいつも以上に嫌悪感を抱く。
紗雪のような神秘性は欠片もない、長く重苦しい黒髪。慣習に則って漆姫も腰ほどまで伸ばしているが、王族らしさを欠片も持たない彼女が外見だけそれらしくしている事を影で笑う侍従がいる事は知っていた。
周りにちやほやされた幼少期の環境も、整った顔立ちも、溢れる程の才能も。姉の持っているものを漆姫は何一つ持っていなかった。
ふるふる、と首を振って漆姫は気分を切り替える。
今日は、一か月に一度だけ会える大切な友達と会える日だから。姉との関係について悩むのは今でなくても良い。
気を取り直し、漆姫は廊下を駆け抜ける。そうして辿り着いたのは、王族が訪れるには似つかわしくない地下牢の入口であった。
今は滅多に使われる事がないが、昔はここで反逆者や他国との内通者の拷問も行われていたらしい。薄暗い回廊はところどころに茶色く固まった血液が付着しており、王制継続の裏で行われた凄惨な粛清に体が震えてくる。誰も寄り付かないそこはあかりも灯っておらず、鉄格子の並ぶ薄暗い廊下は不気味なことこの上ない。
いくら通い慣れた漆姫でも、この雰囲気にはいつも背筋が凍るような恐怖を覚える。今にも鉄格子の奥から成仏しきれない死者の腕が伸びてきそうで、とても恐ろしかった。
ふるりと体を震わせ、漆姫は手っ取り早く松明に火を付ける。ぼう、と明るくなった回廊には当然ながら人の姿も異形の影もない。漆姫は全くもう、とため息をついて回廊を足早に進んでいった。
――彼女はなんでこんな薄気味悪い場所を選んだのかしら。
回廊をずんずん進んでいく。そうして一番奥から二番目の鉄格子の前で立ち止まり、錆びて朽ちたそれに手をかけた。金属のきしむ不快音を立てながら扉を開け、意を決して中に入る。
四畳もない狭い牢だ。長年使われていないそこには当然寝具の一つさえなく、血塗れの床と天井が広がるばかりである。
暗がりで何かが動いた。ぎょっとして灯りを向ければ、光に驚いた大蜘蛛がかさかさと光の届かない奥へ逃げていく。漆姫はまた一つため息をついた。
数歩更に中へ進み、壁と向かい合うように立つ。血にまみれた汚い壁を一瞥し、一つ息をついて指を伸ばした。指先が壁に触れるか触れないかという所で、漆姫は大きく一歩踏み出す。
漆姫の体は、壁にぶつからなかった。
漆姫の指先が触れた壁は水面のように波打ち、彼女の来訪を歓迎するように壁の中へ誘う。踏み出した足も、同じように壁の中へ吸い込まれる。
少女の姿は、一瞬で地下牢から消え去った。
次の瞬間、漆姫は夕日に照らされる草原に立ち尽くしていた。
見渡す限りのすすきの群生。漆姫の胸ほどの高さもあるすすきの原の向こうには、あまり大きくない古民家が一軒建っている。夕日に照らされて、遠くの方で紅蓮色の曼珠沙華がきらきらと輝いていた。
風が漆姫の頬を撫でる。さらさらとすすきのそよぐ音がひどく耳に優しい。
地下牢の面影は一切なかった。それどころか、つい先程まで地下にいたというのに今は外にいるし、高く上っていた太陽は西の空に沈みかけている。
ここは、現実の世界からは切り離された別の空間だった。
このような別空間を作り出す呪術は確かに存在するが、これだけの広さ、これだけの完成度を誇る空間を作るのは常人にはほぼ無理な話である。漆姫は呪術に疎い為この空間の異様さが全く分かっていないが、少しでも呪術の心得がある者ならば白目を剥いて倒れるような完成度だった。
この空間を作り出した主が、漆姫のお目当ての人物である。
すすきをかき分け、漆姫は目的地である古民家を目指す。駆け寄って縁側に両手をつき、中に大きな声で呼びかけた。
「蒼琉(ソル)さぁーん! いるー?」
漆姫の言葉に、奥の方から返答があった。
「いますよ。私の居場所は、ここだけですから」
水流で洗われて角の取れた石のような、優しくて穏やかな女声。
数秒の沈黙ののち、声の主が奥から姿を現した。
このではあまり見かけない異国風の装束に身をまとっており、この古民家という背景にはそぐわなかった。手足が見えない程に長い袖と裾を引きずる女性は、海のように深い青の瞳を親しみを込めて細める。控えめな笑みを浮かべた彼女は、漆姫の来訪に対し穏やかに喜びの意を示していた。腰まである青銀色の長い髪が風に吹かれてふわりと広がり、良い匂いがした。
「お久しぶりですね。月に一度という約束、守っていただけて嬉しい限りです」
歓迎するように僅かに首を傾げて、蒼琉と呼ばれた妙齢の女性はゆったりと言葉を紡ぐ。来る直前に姉との間にあった出来事などすっかり忘れ、ふふ、と漆姫は上機嫌に笑みを零した。
「だって、守らないならもう来ちゃだめって言ったじゃない」
「ええ。なので私も安堵していますよ、数少ない友人を失う事になりかねませんから」
右手の袖口で口元を抑え、蒼琉もつられて笑みをこぼす。
遠慮なく縁側に座った漆姫の横に、蒼琉が腰を下ろした。
「貴女も変わり者ですね。このような何もない所に、何度も足を運ぶなんて」
「蒼琉さんと話すだけで楽しいからいいの! それに、こんな寂しい所にずっといるなんて気が狂いそうじゃない」
漆姫の裏表のない言葉に、蒼琉は相好を崩した。
「ありがとう……これは私が選んだ事だから、気にしなくて良いのに。それに私は」
「知ってる。お供の人がいるんでしょ?」
何度もここに足を運んでいる漆姫も見かけた事がないが、身の回りの事を全てしてくれる侍従が一人いるらしい。確かに室内はひどく綺麗に整頓されており、このような動きづらい格好をしている彼女が一人で全て片付けているとは到底思えなかった。
そう、と蒼琉が小さく頷く。
「彼女にはいつも助けられています。いつか貴女にも会わせてあげたいですね」
「ふふ。楽しみに待ってるわ」
蒼琉の侍従は、何やら理由があるらしく漆姫の前に姿を現す事が出来ないらしい。ごめんなさい、と申し訳なさそうに眉尻を下げる蒼琉に気にしないでと言ったのはどのくらい前の事だろうか。
「そうそう、ずっと聞こうと思ってたんだけど、なんであんな所にここの入り口を作ったの? 毎回地下牢に来るのすごく怖いんだけど!」
漆姫がむすっと頬を膨らませて不満を伝える。怒っても全く怖くない漆姫にふふ、と蒼琉は小さく笑みを零した。
「ごめんなさい。でも、私が罪を償うには血に濡れた地下牢が一番だと思ったから。それに、余程の事がなければ誰も近寄らないでしょう?」
「人と会いたくなかったの?」
漆姫のはっきりした物言いに、蒼琉は躊躇う様子も見せずにゆっくり頷いた。
「そうですね……会いたくないというよりも、誰にも会わずに、みなから忘れられて一人で朽ちていく事が私に出来る罪滅ぼしだと思って、ね」
蒼琉は穏やかな口調でそう言ったのち、口を噤む。彼女は決して拒絶の言葉は口にしないが、こうやって態度で自分の意思を告げる事が多い。これ以上は聞かれたくないのだと察した漆姫はその話題を終わりにする。
漆姫がこの空間を見つけたのは、度重なる<神下ろし>に疲弊したある日だった。元老院の呼び出しから逃れるように朽ち果てた地下牢を訪れ、偶然壁に寄りかかり――気付いたら、ここにいたのである。初めて来た時こそ蒼琉はひどく驚いていたし、突然の来訪者に警戒しているようだったが、警戒するに値しないただの娘だと判断したのかそれ以降は漆姫の訪問を穏やかに歓迎してくれる。
それ以来足しげくここに通っているのだが、この蒼琉という女性が何者であるのか、この空間がどういった理由であるのか、何故ここに自分が立ち入れるのか、そういった深い理由を考えた事がない。単純とも言えるそんな漆姫に、ずっとその辺りの事を考えないでいてほしいと蒼琉は心の奥底で願っていた。
漆姫にまだ伝えていない蒼琉の正体は、<強き者>である。すなわち、蒼琉という名の神子の体を借りてこの世に来臨した神。神としての名は癒し手・母賀比売尊命(オモカヒメノミコト)。流之介と交流がある紅玉こと新田比売命の姉妹に当たる。
紅玉と同様、蒼琉も強制的に現世へ下ろされ、誓約の刻印によってこの世に繋ぎ止められた哀れな神の一柱だ。汚らわしい刻印を押された左手の甲を、無駄と知りながら何度切り裂いた事か。
自分が<神下ろし>された理由はすぐに分かった。傷付き疲弊した兵を癒す、あるいは度重なる拷問によって死にかけた犯罪者を回復させる事が目的である。癒し手という異名が示すように、神の系譜でも随一の癒しの力を持つ彼女は条件さえ整えば死者をも蘇らせる事が可能だ。元老院はそんな彼女を人の体に閉じ込め、ただひたすらに傷付き憔悴した兵を癒させ、あるいは残虐な拷問によって死にかけた犯罪者を回復させる。そうやって治癒した兵を再び死地へ投げ込み、または生き長らえた罪人に更なる拷問を与えていく。そんな様を、蒼琉はずっと見てきた。
それが嫌になったのである。癒された兵は一瞬の猶予も与えずに戦場へ送り出され、満身創痍になって戻ってくると再び蒼琉の癒しを受けた。そうして傷が完治すれば、また戦場へ連れ出される。無実の罪で捕らえられた国民は何も知らないと叫び、そのたびに鞭で打たれた。死の淵を彷徨う頃に治療させられ、意識を取り戻すと再び鞭打ちや水攻めといった拷問が再開される。生きながら死んでいるようなものだ。体の傷がどれだけ癒されても、そんな事を繰り返していれば人の心は徐々に壊れていく。人格が破綻し頭が狂った人々を何百何千と見るにつれ、蒼琉は自分の力が恐ろしくなって逃げ出したのだった。
蒼琉は物理攻撃の手段を持たないが、最高峰の呪術を持っている。そもそも呪術という異能を人間へ授けた神というのが、彼女であった。呪術の生みの親とも呼べる彼女にかかれば、異空間を作り出す、肉体の成長を止めるなどの高難度の異能など造作もない。蒼琉は誓約の刻印の力をも遮断するこの異空間を作り出し、何人たりとも通さない封印をして閉じこもった。あえて地下牢に出入り口を作ったのは、自分の罪を忘れない為。少しでも人の目から逃れる為。
この空間を飛び出せば、誓約の刻印は元老院の命令を無視したと判断し一瞬で彼女を煉獄へ送るだろう。それは自分が受けて良い罰ではないと、彼女は考えていた。
<強き者>には寿命がないが、世界が終わる時になれば共に死ぬ事が出来る。その時までこの孤独な空間で永遠の命を紡ぐ事が人の命を弄んだ自分がなすべき贖罪だと考えていた。地獄に送られるなどという一瞬で終わる罰では、自らが犯した大罪は決して償えないと固く信じていた。
――でも、彼女は入ってきてしまった。
この一ヶ月にあった事を楽しそうに報告する漆姫を、蒼琉は静かに見やる。
全人を阻む結界を、彼女は簡単に越えてきてしまった。初めて会った時は驚いたが、会う回数を重ね彼女の身の上話を聞くうちに蒼琉は理解した。
――皮肉なものですね。
――体が、作り変えられているのかしら。あるいは、お母様の恩恵か。
異形しか通さないはずの結界を超える事ができるという事は、体が<強き者>として多少の変化を生じているのか、あるいは<神下ろし>による主神の強い恩恵が結界の力を弱めているのか。どちらにせよ元老院が彼女に課した<神下ろし>の儀式が、蒼琉と漆姫の邂逅を実現させた。
会うたびに少しずつ成長しているから、完全に体が作り変えられているというわけではないのだろうが、<神下ろし>の途中で生きたままその任を下りた娘は今までにおらず、従って神である蒼琉にしてもよく分からなかった。
漆姫が頻繁にここへ通うようになれば、元老院に目を付けられるかもしれない。並みの人間がこの結界を越えられるとは考えていないので自分の身は心配していないが、ここに通っている事を感付かれた後の漆姫が心配である。だから、月に一回だけにしてとお願いした。彼女は不満そうにしつつも理由を聞こうとはせず、素直にその約束を守っている。そんな素直さが蒼琉は好きだった。
「こうしてるとよく思うんだけどね、蒼琉さんってお母さんみたい。私ね、十歳くらいでお母さんが死んじゃったのよ。だから記憶も曖昧なんだけど……生きてたら、こんななのかしら」
黙って自分の話を聞いてくれる蒼琉に、漆姫がふふっと笑いかけた。言いながら甘えるように寄りかかってくる漆姫を、蒼琉はそっと抱き止める。
漆姫は、蒼琉が何者かなど全く気にせず、故にその力を求める事もない。<強き者>としての力でなく、穏やかな友人関係を求めてくる図太い神経が蒼琉は嫌いではなかった。
「漆姫、どこに行くの?」
遠くに見つけた双子の片割れの背中は、心なしか何か楽しみな事があって踊っているように見えた。
駆け寄るには少し遠い程度の距離があり、普段なら紗雪もそれほど離れていれば無理に声をかけないのだが、それほどの距離があってもはっきり分かる程肩が弾んでいる後ろ姿に、いささか興味を抱いた。
紗雪が張りのある声で妹を呼べば、すぐにその相手が振り返ってきた。
「姉さん」
紗雪の姿を視認したが、遠目でも分かるくらいぱっと表情を綻ばせる。たたたっと姉に駆け寄り、勢い余ってその胸に飛び込んだ。
「っと……走ったら危ないわ、漆」
「えへへ。ごめんなさい」
なんとか妹を抱き止めてそう諭せば、漆姫は全く反省の色を見せないまま口だけの謝罪をしてきた。自分と違ってひどく愛嬌のある笑顔に、紗雪も相好を崩す。
涼介と流之介は全く似ていない双子だが、その妹である彼女達もそれは同じだった。冷静沈着という言葉を着て生まれたような紗雪は滅多に表情を崩さず、言葉を荒げる事もない。ひどく整った面立ちは、透き通るような銀髪と凍て付く蒼穹色の瞳によって鋭さを増している。その外見と違わぬ冷徹な言葉を口にする事も少なくない為、陰で可愛げがない、子供らしくないと言われる事もあった――陰でそう言われる一方、兄妹の前ではひどく感情豊かで口数も多いのは特に親しいごく一部の侍従しか知らない事実である――。
そんな姉と正反対の見た目、性格をしているのが妹の漆姫だった。長く伸ばした髪は闇夜のような漆黒色で、紗雪と比べてひどく愛嬌のある目は僅かに桃色がかった赤い瞳だ。年不相応な程に整った顔立ちをしている姉に対し、漆姫はあどけなさが残る面立ちをしている。よく変わる豊かな表情が、やや幼さを際立たせているようにも思えた。まだ成人していない彼女は年頃の娘そのものといった少女であり、大人びた双子の姉と並ぶと相乗効果もあっていつも以上に幼く見える。
抱き止めた妹を離し、それで、と紗雪は僅かに首を傾げた。
「どこかへ向かう途中だった?」
「ええ。ちょっとね……ふふ」
姉さんには教えてあげない、と漆姫は楽しそうに口元を両袖で隠す。意地悪というよりも、秘密の企みはまだ教えられないといった口調だ。笑顔でそんな事を言う妹に愛おしさを感じながらも、それ以上彼女の内に踏み込む事が出来なくて紗雪はほんの少しだけ表情を強張らせる。
紗雪の変化に、漆姫は気付かなかったらしい。
「姉さんは? これからどこか行くの?」
僅かに首を傾げ、やや上目がちに聞いてくる。気を取り直して紗雪は妹の問いかけに頷いた。
「図書館へ行こうと思ったら、ちょうとあなたを見かけたのよ。なんだかひどく楽しそうだったから、つい呼び止めてしまったの」
紗雪の言葉に、漆姫はえっと息を飲む。
「そ、そんなに分かりやすかった……? そんなつもりなかったんだけど、ううん……」
きゅっと眉間にしわを寄せ、顎に指をかけて考え込む。紗雪はそんな妹の額を軽く小突いた。
「本当に分かりやすかったわよ。変わらないわね」
「そっ、……そんなぁ。侍女さん達はちょっとおしとやかになったって言ってくれるのに」
「どのあたりの事を言っているのかしら。きっとお世辞でしょ」
「もう!」
紗雪がからかえば、漆姫はむきになって突っかかって来る。あと数年で成人を迎えるとは思えないあどけなさに、紗雪は笑みを零した。どの辺が分かりやすいのよ! ねえ! と肩を揺すってくる漆姫をほらほら、と笑っていなす。
「その大事な所へ早く行かなくていいの? 恋人かしら?」
「違うわよ! 姉さんのばぁか!」
真っ赤になって怒る妹がひどく可愛い。
そうやって少しじゃれたのち、漆姫はじゃあね! と姉に手を振って廊下を進んで行ってしまった。
一人ぽつんと残される。紗雪は静かに吐息を付いた。心なしか胸の辺りが少し楽になった気がする。
双子の片割れとは距離を測りかねている。普通の双子だったら迷う事なく秘密を教えてくれたのだろうか、などと意味のない事を考えてしまった。
つい先日、一週間の地方巡回から戻ってきたのだが、漆姫は紗雪が想像していた程帰還を喜んでくれなかった。おかえりなさいと笑顔で迎えてはくれたのだが、その調子は毎日顔を合わせている時と大して差はなかった。
――私から歩み寄れないんだもの。歩み寄ってくれるはずもないわよね。
紗雪は小さくため息を付いた。
◇
――あーあ。
――また、姉さんとしっかり話せなかった。
廊下を足早に進みながら、漆姫はふうとため息をつく。
兄達が交流を断裂されていた期間、彼女達もまた違う理由で顔を合わせる機会が激減していた。呪術の才に恵まれた紗雪は長兄の涼介と共に現王派の厳重な保護の下でその才能をひたすらに磨き、王族派はこぞって涼介と紗雪にかかりきりになっていた。
その間、漆姫は放任され侍女に囲まれて育った。当然紗雪と遊んだりゆっくり会話したりする時間は与えてもらえず、双子というより近所の幼馴染のような距離感で思春期を過ごした結果、双子の片割れの奥深くに踏み込む方法を知らずに育ってしまった。一瞬曇った姉の表情が、嫌に鮮明に思い出される。
自分と比べて、美しく、才能に恵まれた姉。呪術も勉学の才もない漆姫にとっては、今も昔も羨望の的である。ただでさえ埋める事の出来ない才能の差があるというのに、多感な時期をほとんど会わずに過ごす事になったのは一層彼女達の距離を遠のかせた。
――やっと姉さん、帰ってきたのに。おかえりしか言えなかった。
本当は地方の話をもっと聞きたかったのに。
――仕方ないよね。姉さんは、忙しいもの。
漆姫が勝手に遠慮しているのもあるが、帰城後すぐに兵に囲まれて仕事の打ち合わせを始める姿を見たらゆっくり話したいなどと言い出せるはずもなかった。視界の隅で揺れる自分の黒髪に、今日はいつも以上に嫌悪感を抱く。
紗雪のような神秘性は欠片もない、長く重苦しい黒髪。慣習に則って漆姫も腰ほどまで伸ばしているが、王族らしさを欠片も持たない彼女が外見だけそれらしくしている事を影で笑う侍従がいる事は知っていた。
周りにちやほやされた幼少期の環境も、整った顔立ちも、溢れる程の才能も。姉の持っているものを漆姫は何一つ持っていなかった。
ふるふる、と首を振って漆姫は気分を切り替える。
今日は、一か月に一度だけ会える大切な友達と会える日だから。姉との関係について悩むのは今でなくても良い。
気を取り直し、漆姫は廊下を駆け抜ける。そうして辿り着いたのは、王族が訪れるには似つかわしくない地下牢の入口であった。
今は滅多に使われる事がないが、昔はここで反逆者や他国との内通者の拷問も行われていたらしい。薄暗い回廊はところどころに茶色く固まった血液が付着しており、王制継続の裏で行われた凄惨な粛清に体が震えてくる。誰も寄り付かないそこはあかりも灯っておらず、鉄格子の並ぶ薄暗い廊下は不気味なことこの上ない。
いくら通い慣れた漆姫でも、この雰囲気にはいつも背筋が凍るような恐怖を覚える。今にも鉄格子の奥から成仏しきれない死者の腕が伸びてきそうで、とても恐ろしかった。
ふるりと体を震わせ、漆姫は手っ取り早く松明に火を付ける。ぼう、と明るくなった回廊には当然ながら人の姿も異形の影もない。漆姫は全くもう、とため息をついて回廊を足早に進んでいった。
――彼女はなんでこんな薄気味悪い場所を選んだのかしら。
回廊をずんずん進んでいく。そうして一番奥から二番目の鉄格子の前で立ち止まり、錆びて朽ちたそれに手をかけた。金属のきしむ不快音を立てながら扉を開け、意を決して中に入る。
四畳もない狭い牢だ。長年使われていないそこには当然寝具の一つさえなく、血塗れの床と天井が広がるばかりである。
暗がりで何かが動いた。ぎょっとして灯りを向ければ、光に驚いた大蜘蛛がかさかさと光の届かない奥へ逃げていく。漆姫はまた一つため息をついた。
数歩更に中へ進み、壁と向かい合うように立つ。血にまみれた汚い壁を一瞥し、一つ息をついて指を伸ばした。指先が壁に触れるか触れないかという所で、漆姫は大きく一歩踏み出す。
漆姫の体は、壁にぶつからなかった。
漆姫の指先が触れた壁は水面のように波打ち、彼女の来訪を歓迎するように壁の中へ誘う。踏み出した足も、同じように壁の中へ吸い込まれる。
少女の姿は、一瞬で地下牢から消え去った。
次の瞬間、漆姫は夕日に照らされる草原に立ち尽くしていた。
見渡す限りのすすきの群生。漆姫の胸ほどの高さもあるすすきの原の向こうには、あまり大きくない古民家が一軒建っている。夕日に照らされて、遠くの方で紅蓮色の曼珠沙華がきらきらと輝いていた。
風が漆姫の頬を撫でる。さらさらとすすきのそよぐ音がひどく耳に優しい。
地下牢の面影は一切なかった。それどころか、つい先程まで地下にいたというのに今は外にいるし、高く上っていた太陽は西の空に沈みかけている。
ここは、現実の世界からは切り離された別の空間だった。
このような別空間を作り出す呪術は確かに存在するが、これだけの広さ、これだけの完成度を誇る空間を作るのは常人にはほぼ無理な話である。漆姫は呪術に疎い為この空間の異様さが全く分かっていないが、少しでも呪術の心得がある者ならば白目を剥いて倒れるような完成度だった。
この空間を作り出した主が、漆姫のお目当ての人物である。
すすきをかき分け、漆姫は目的地である古民家を目指す。駆け寄って縁側に両手をつき、中に大きな声で呼びかけた。
「蒼琉(ソル)さぁーん! いるー?」
漆姫の言葉に、奥の方から返答があった。
「いますよ。私の居場所は、ここだけですから」
水流で洗われて角の取れた石のような、優しくて穏やかな女声。
数秒の沈黙ののち、声の主が奥から姿を現した。
このではあまり見かけない異国風の装束に身をまとっており、この古民家という背景にはそぐわなかった。手足が見えない程に長い袖と裾を引きずる女性は、海のように深い青の瞳を親しみを込めて細める。控えめな笑みを浮かべた彼女は、漆姫の来訪に対し穏やかに喜びの意を示していた。腰まである青銀色の長い髪が風に吹かれてふわりと広がり、良い匂いがした。
「お久しぶりですね。月に一度という約束、守っていただけて嬉しい限りです」
歓迎するように僅かに首を傾げて、蒼琉と呼ばれた妙齢の女性はゆったりと言葉を紡ぐ。来る直前に姉との間にあった出来事などすっかり忘れ、ふふ、と漆姫は上機嫌に笑みを零した。
「だって、守らないならもう来ちゃだめって言ったじゃない」
「ええ。なので私も安堵していますよ、数少ない友人を失う事になりかねませんから」
右手の袖口で口元を抑え、蒼琉もつられて笑みをこぼす。
遠慮なく縁側に座った漆姫の横に、蒼琉が腰を下ろした。
「貴女も変わり者ですね。このような何もない所に、何度も足を運ぶなんて」
「蒼琉さんと話すだけで楽しいからいいの! それに、こんな寂しい所にずっといるなんて気が狂いそうじゃない」
漆姫の裏表のない言葉に、蒼琉は相好を崩した。
「ありがとう……これは私が選んだ事だから、気にしなくて良いのに。それに私は」
「知ってる。お供の人がいるんでしょ?」
何度もここに足を運んでいる漆姫も見かけた事がないが、身の回りの事を全てしてくれる侍従が一人いるらしい。確かに室内はひどく綺麗に整頓されており、このような動きづらい格好をしている彼女が一人で全て片付けているとは到底思えなかった。
そう、と蒼琉が小さく頷く。
「彼女にはいつも助けられています。いつか貴女にも会わせてあげたいですね」
「ふふ。楽しみに待ってるわ」
蒼琉の侍従は、何やら理由があるらしく漆姫の前に姿を現す事が出来ないらしい。ごめんなさい、と申し訳なさそうに眉尻を下げる蒼琉に気にしないでと言ったのはどのくらい前の事だろうか。
「そうそう、ずっと聞こうと思ってたんだけど、なんであんな所にここの入り口を作ったの? 毎回地下牢に来るのすごく怖いんだけど!」
漆姫がむすっと頬を膨らませて不満を伝える。怒っても全く怖くない漆姫にふふ、と蒼琉は小さく笑みを零した。
「ごめんなさい。でも、私が罪を償うには血に濡れた地下牢が一番だと思ったから。それに、余程の事がなければ誰も近寄らないでしょう?」
「人と会いたくなかったの?」
漆姫のはっきりした物言いに、蒼琉は躊躇う様子も見せずにゆっくり頷いた。
「そうですね……会いたくないというよりも、誰にも会わずに、みなから忘れられて一人で朽ちていく事が私に出来る罪滅ぼしだと思って、ね」
蒼琉は穏やかな口調でそう言ったのち、口を噤む。彼女は決して拒絶の言葉は口にしないが、こうやって態度で自分の意思を告げる事が多い。これ以上は聞かれたくないのだと察した漆姫はその話題を終わりにする。
漆姫がこの空間を見つけたのは、度重なる<神下ろし>に疲弊したある日だった。元老院の呼び出しから逃れるように朽ち果てた地下牢を訪れ、偶然壁に寄りかかり――気付いたら、ここにいたのである。初めて来た時こそ蒼琉はひどく驚いていたし、突然の来訪者に警戒しているようだったが、警戒するに値しないただの娘だと判断したのかそれ以降は漆姫の訪問を穏やかに歓迎してくれる。
それ以来足しげくここに通っているのだが、この蒼琉という女性が何者であるのか、この空間がどういった理由であるのか、何故ここに自分が立ち入れるのか、そういった深い理由を考えた事がない。単純とも言えるそんな漆姫に、ずっとその辺りの事を考えないでいてほしいと蒼琉は心の奥底で願っていた。
漆姫にまだ伝えていない蒼琉の正体は、<強き者>である。すなわち、蒼琉という名の神子の体を借りてこの世に来臨した神。神としての名は癒し手・母賀比売尊命(オモカヒメノミコト)。流之介と交流がある紅玉こと新田比売命の姉妹に当たる。
紅玉と同様、蒼琉も強制的に現世へ下ろされ、誓約の刻印によってこの世に繋ぎ止められた哀れな神の一柱だ。汚らわしい刻印を押された左手の甲を、無駄と知りながら何度切り裂いた事か。
自分が<神下ろし>された理由はすぐに分かった。傷付き疲弊した兵を癒す、あるいは度重なる拷問によって死にかけた犯罪者を回復させる事が目的である。癒し手という異名が示すように、神の系譜でも随一の癒しの力を持つ彼女は条件さえ整えば死者をも蘇らせる事が可能だ。元老院はそんな彼女を人の体に閉じ込め、ただひたすらに傷付き憔悴した兵を癒させ、あるいは残虐な拷問によって死にかけた犯罪者を回復させる。そうやって治癒した兵を再び死地へ投げ込み、または生き長らえた罪人に更なる拷問を与えていく。そんな様を、蒼琉はずっと見てきた。
それが嫌になったのである。癒された兵は一瞬の猶予も与えずに戦場へ送り出され、満身創痍になって戻ってくると再び蒼琉の癒しを受けた。そうして傷が完治すれば、また戦場へ連れ出される。無実の罪で捕らえられた国民は何も知らないと叫び、そのたびに鞭で打たれた。死の淵を彷徨う頃に治療させられ、意識を取り戻すと再び鞭打ちや水攻めといった拷問が再開される。生きながら死んでいるようなものだ。体の傷がどれだけ癒されても、そんな事を繰り返していれば人の心は徐々に壊れていく。人格が破綻し頭が狂った人々を何百何千と見るにつれ、蒼琉は自分の力が恐ろしくなって逃げ出したのだった。
蒼琉は物理攻撃の手段を持たないが、最高峰の呪術を持っている。そもそも呪術という異能を人間へ授けた神というのが、彼女であった。呪術の生みの親とも呼べる彼女にかかれば、異空間を作り出す、肉体の成長を止めるなどの高難度の異能など造作もない。蒼琉は誓約の刻印の力をも遮断するこの異空間を作り出し、何人たりとも通さない封印をして閉じこもった。あえて地下牢に出入り口を作ったのは、自分の罪を忘れない為。少しでも人の目から逃れる為。
この空間を飛び出せば、誓約の刻印は元老院の命令を無視したと判断し一瞬で彼女を煉獄へ送るだろう。それは自分が受けて良い罰ではないと、彼女は考えていた。
<強き者>には寿命がないが、世界が終わる時になれば共に死ぬ事が出来る。その時までこの孤独な空間で永遠の命を紡ぐ事が人の命を弄んだ自分がなすべき贖罪だと考えていた。地獄に送られるなどという一瞬で終わる罰では、自らが犯した大罪は決して償えないと固く信じていた。
――でも、彼女は入ってきてしまった。
この一ヶ月にあった事を楽しそうに報告する漆姫を、蒼琉は静かに見やる。
全人を阻む結界を、彼女は簡単に越えてきてしまった。初めて会った時は驚いたが、会う回数を重ね彼女の身の上話を聞くうちに蒼琉は理解した。
――皮肉なものですね。
――体が、作り変えられているのかしら。あるいは、お母様の恩恵か。
異形しか通さないはずの結界を超える事ができるという事は、体が<強き者>として多少の変化を生じているのか、あるいは<神下ろし>による主神の強い恩恵が結界の力を弱めているのか。どちらにせよ元老院が彼女に課した<神下ろし>の儀式が、蒼琉と漆姫の邂逅を実現させた。
会うたびに少しずつ成長しているから、完全に体が作り変えられているというわけではないのだろうが、<神下ろし>の途中で生きたままその任を下りた娘は今までにおらず、従って神である蒼琉にしてもよく分からなかった。
漆姫が頻繁にここへ通うようになれば、元老院に目を付けられるかもしれない。並みの人間がこの結界を越えられるとは考えていないので自分の身は心配していないが、ここに通っている事を感付かれた後の漆姫が心配である。だから、月に一回だけにしてとお願いした。彼女は不満そうにしつつも理由を聞こうとはせず、素直にその約束を守っている。そんな素直さが蒼琉は好きだった。
「こうしてるとよく思うんだけどね、蒼琉さんってお母さんみたい。私ね、十歳くらいでお母さんが死んじゃったのよ。だから記憶も曖昧なんだけど……生きてたら、こんななのかしら」
黙って自分の話を聞いてくれる蒼琉に、漆姫がふふっと笑いかけた。言いながら甘えるように寄りかかってくる漆姫を、蒼琉はそっと抱き止める。
漆姫は、蒼琉が何者かなど全く気にせず、故にその力を求める事もない。<強き者>としての力でなく、穏やかな友人関係を求めてくる図太い神経が蒼琉は嫌いではなかった。
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