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第七話 決勝の行方や如何
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日は傾き始めていた。早朝に始まった大会はいよいよ佳境を迎えようとしていた。決勝戦である。
たった二戦勝ち上がっただけで……と仰る向きに説明しておきたい。確かに桐島家が募った参加者は多数に渡っていた。しかし前述のとおり待機中に逃げ散る者数多、また勝利したとしても酷い手傷を負って次戦を辞退する者も続出し、長引くかと思われた大会は存外早く決勝のときを迎えることになったのであった。
ここで決勝戦出場者を紹介しておかねばなるまい。
かたや言うまでもなく我らが扇丸。自らが手傷を蒙らなかったのみならず、相手を二人まで無傷のまま戦意喪失に追い込んだと聞けば、その小身たるの見た目も相俟って
「どんな怪しの術を使うものか」
と人をして警戒せしめるプロフィールといえよう。
決勝戦まで勝ち上がってきたのだから相当の手練れ……といいたいところだが、ご存じのとおり扇丸に限っていえば武道の心得は皆無。色香を以て敵を籠絡しながらここまで辿り着いたのであり、武芸大会の趣旨をつらつらおもんみればその経歴は異色、文字どおりの色モノというべきであった。
しかし武というものを、改めてその本質に立ち帰り定義し直してみた場合、扇丸が得物とする色香は武の本質を体現している。いみじくも鞍山禅師が摘示したように、戦うより先に敵の戦意を挫き、自ら戈をおかせるこれぞ武の奥義というべきだからである。
大会参加者のうちで、最も武道の心得に欠く扇丸が、最もその本質に近いところにいたわけだから皮肉なものだ。事実、この血生臭い武芸大会のなかで、戈に拠らず次々と平和を成し遂げていく扇丸を前に、主催者たる桐島家首脳陣は瞠目していた。
「かかる平和こそ、日本全国大小名が争って求める極致なのではないか」
と。
ただ、その首脳陣のなかに弾正是久を欠いていることに、迫る事変のきな臭さを嗅ぎ取る者は決して多くない。
扇丸の紹介はこれくらいに止めおいて次はこなた、梟聞坊である。長脇差を得物とする居合の達人だ。
坊、と称するからには何処かの寺に身を寄せていたようだか本人は多くを語らぬ。語れば本寺に迷惑がかかるからと頑なである。
扇丸が現にその道を志しているように、この時代、窮した人々にとって有力者の被官人になることが窮乏脱出の近道であった。扇丸のように大身の武士を頼るのが一般的であったが、有力寺社を頼ろうという人々も多かった。いかさま、広大な荘園を保有し在地の人々から搾取する支配者層という意味では武士も寺社も変わりがない。そういった人々は有力寺社の敷地に住み着き、一朝事あらば寺社被官人として課された役割を果たすべく、得物を取って最前線に躍り出たのである。
ご存じのとおり戦国期には北陸を中心として畿内、東海地方に一向一揆の猛威が吹き荒れた。大名勢力と寺社勢力が軍事的に衝突した事例は枚挙に暇がない。
このことは、これら寺社被官人の存在を前提として当時の寺社勢力が大名勢力に勝るとも劣らぬ武力を保有していたこと、さらには同じ支配者層として互いの利害が競合していた当時の社会情勢を如実に物語っていよう。
余談が過ぎたが、梟聞坊はそういった有力寺社の僧坊に居住する被官人だったことが、その名から知り得るのである。
梟はふくろうと読むが、猛禽類の一種を指すとおりこの字には「強い」の意も含まれている。梟聞坊が抽んでた武力を売りとして寺社被官人になり得たことをはしなくも示しているが、同時に梟首の語もある。つまりさらし首のことである。
通常、戒名法名の類いに聖獣ではない畜生の字を使うことはなく、またさらし首を指すような凶字を用いることもない。梟聞坊が本寺において決して歓迎される存在ではなかったなによりの証拠だ。殺生を重ねた者の特有する血生臭さが、寺社としての本能的忌避感を呼び起こした末の授戒であろう。梟聞坊が本寺との関係を語りたがらず、あまつさえ武家への仕官を望んで桐島の武芸大会に出場している事実と、妙に符合しているように思われるのである。
とりわけ人を驚かせたのは、どうやら梟聞坊が視力を失っているらしい点であった。梟聞坊が自ら語ったのではない。白濁した瞳、不随意的にあらぬ方向を向く焦点といった諸現象が、梟聞坊の全盲である証拠と思われた。
しかしそれにしても梟聞坊が長脇差を振るって敵と渡り合う姿は、その全盲であることを忘れさせるほどであった。
敵の繰り出す技をかいくぐって凶刃を振えば、梟聞坊の寸鉄は人体構造を知り尽くしたものの如く主要な血管を即座に断ち切った。これまでのどんな牢人よりも出血量が多いのが梟聞坊の仕合の特徴であった。
かといって自慢の長脇差の切れ味が一向衰えないのは、血糊や脂が刃体に付着するより先に人体を通過する太刀筋の鋭さゆえであった。
(相手を油断させるために盲いたふりをしているのではないか)
白濁した瞳がそんな邪推を即座に打ち消す。それがまた、梟聞坊が全盲であることに油断し、かさにかかって攻め寄せる敵の勇み足を誘うのである。
「禅師どうか」
決勝を前に、桐島源心入道が勝敗の行方を鞍山禅師に訊ねた。
「拙僧には武の心得はござらぬ。生き死にを賭した争いの行方は長く戦陣に身を置いた大殿こそ知るに如くなし」
ほっほっほ、とはぐらかす禅師。
しかしにわかに真顔に返ると、
「この決勝、かたや全盲にこと寄せて敵の攻撃を誘い、その武力を敢えて呼び起こす梟聞坊と、こなた敵に戈を捨てさせ敵ではなくしてしまう扇丸の争いであり、いうなれば武の対極にいる者同士の争い。
とは申せこの鞍山、当代に兵法の理を説き百戦百勝は善の善なるものにあらざるなりなどと知ったような口を利きましたが、敢えて敵に戈を取らせる表裏比興もまた兵法。
加うるに、いかな艶肌を誇る扇丸といえど、盲いた梟聞坊には通じますまい。此度ばかりは扇丸の不利を否めぬかと……」
判官贔屓を排して、容赦なく扇丸不利の事前予想を披露したのであった。
たった二戦勝ち上がっただけで……と仰る向きに説明しておきたい。確かに桐島家が募った参加者は多数に渡っていた。しかし前述のとおり待機中に逃げ散る者数多、また勝利したとしても酷い手傷を負って次戦を辞退する者も続出し、長引くかと思われた大会は存外早く決勝のときを迎えることになったのであった。
ここで決勝戦出場者を紹介しておかねばなるまい。
かたや言うまでもなく我らが扇丸。自らが手傷を蒙らなかったのみならず、相手を二人まで無傷のまま戦意喪失に追い込んだと聞けば、その小身たるの見た目も相俟って
「どんな怪しの術を使うものか」
と人をして警戒せしめるプロフィールといえよう。
決勝戦まで勝ち上がってきたのだから相当の手練れ……といいたいところだが、ご存じのとおり扇丸に限っていえば武道の心得は皆無。色香を以て敵を籠絡しながらここまで辿り着いたのであり、武芸大会の趣旨をつらつらおもんみればその経歴は異色、文字どおりの色モノというべきであった。
しかし武というものを、改めてその本質に立ち帰り定義し直してみた場合、扇丸が得物とする色香は武の本質を体現している。いみじくも鞍山禅師が摘示したように、戦うより先に敵の戦意を挫き、自ら戈をおかせるこれぞ武の奥義というべきだからである。
大会参加者のうちで、最も武道の心得に欠く扇丸が、最もその本質に近いところにいたわけだから皮肉なものだ。事実、この血生臭い武芸大会のなかで、戈に拠らず次々と平和を成し遂げていく扇丸を前に、主催者たる桐島家首脳陣は瞠目していた。
「かかる平和こそ、日本全国大小名が争って求める極致なのではないか」
と。
ただ、その首脳陣のなかに弾正是久を欠いていることに、迫る事変のきな臭さを嗅ぎ取る者は決して多くない。
扇丸の紹介はこれくらいに止めおいて次はこなた、梟聞坊である。長脇差を得物とする居合の達人だ。
坊、と称するからには何処かの寺に身を寄せていたようだか本人は多くを語らぬ。語れば本寺に迷惑がかかるからと頑なである。
扇丸が現にその道を志しているように、この時代、窮した人々にとって有力者の被官人になることが窮乏脱出の近道であった。扇丸のように大身の武士を頼るのが一般的であったが、有力寺社を頼ろうという人々も多かった。いかさま、広大な荘園を保有し在地の人々から搾取する支配者層という意味では武士も寺社も変わりがない。そういった人々は有力寺社の敷地に住み着き、一朝事あらば寺社被官人として課された役割を果たすべく、得物を取って最前線に躍り出たのである。
ご存じのとおり戦国期には北陸を中心として畿内、東海地方に一向一揆の猛威が吹き荒れた。大名勢力と寺社勢力が軍事的に衝突した事例は枚挙に暇がない。
このことは、これら寺社被官人の存在を前提として当時の寺社勢力が大名勢力に勝るとも劣らぬ武力を保有していたこと、さらには同じ支配者層として互いの利害が競合していた当時の社会情勢を如実に物語っていよう。
余談が過ぎたが、梟聞坊はそういった有力寺社の僧坊に居住する被官人だったことが、その名から知り得るのである。
梟はふくろうと読むが、猛禽類の一種を指すとおりこの字には「強い」の意も含まれている。梟聞坊が抽んでた武力を売りとして寺社被官人になり得たことをはしなくも示しているが、同時に梟首の語もある。つまりさらし首のことである。
通常、戒名法名の類いに聖獣ではない畜生の字を使うことはなく、またさらし首を指すような凶字を用いることもない。梟聞坊が本寺において決して歓迎される存在ではなかったなによりの証拠だ。殺生を重ねた者の特有する血生臭さが、寺社としての本能的忌避感を呼び起こした末の授戒であろう。梟聞坊が本寺との関係を語りたがらず、あまつさえ武家への仕官を望んで桐島の武芸大会に出場している事実と、妙に符合しているように思われるのである。
とりわけ人を驚かせたのは、どうやら梟聞坊が視力を失っているらしい点であった。梟聞坊が自ら語ったのではない。白濁した瞳、不随意的にあらぬ方向を向く焦点といった諸現象が、梟聞坊の全盲である証拠と思われた。
しかしそれにしても梟聞坊が長脇差を振るって敵と渡り合う姿は、その全盲であることを忘れさせるほどであった。
敵の繰り出す技をかいくぐって凶刃を振えば、梟聞坊の寸鉄は人体構造を知り尽くしたものの如く主要な血管を即座に断ち切った。これまでのどんな牢人よりも出血量が多いのが梟聞坊の仕合の特徴であった。
かといって自慢の長脇差の切れ味が一向衰えないのは、血糊や脂が刃体に付着するより先に人体を通過する太刀筋の鋭さゆえであった。
(相手を油断させるために盲いたふりをしているのではないか)
白濁した瞳がそんな邪推を即座に打ち消す。それがまた、梟聞坊が全盲であることに油断し、かさにかかって攻め寄せる敵の勇み足を誘うのである。
「禅師どうか」
決勝を前に、桐島源心入道が勝敗の行方を鞍山禅師に訊ねた。
「拙僧には武の心得はござらぬ。生き死にを賭した争いの行方は長く戦陣に身を置いた大殿こそ知るに如くなし」
ほっほっほ、とはぐらかす禅師。
しかしにわかに真顔に返ると、
「この決勝、かたや全盲にこと寄せて敵の攻撃を誘い、その武力を敢えて呼び起こす梟聞坊と、こなた敵に戈を捨てさせ敵ではなくしてしまう扇丸の争いであり、いうなれば武の対極にいる者同士の争い。
とは申せこの鞍山、当代に兵法の理を説き百戦百勝は善の善なるものにあらざるなりなどと知ったような口を利きましたが、敢えて敵に戈を取らせる表裏比興もまた兵法。
加うるに、いかな艶肌を誇る扇丸といえど、盲いた梟聞坊には通じますまい。此度ばかりは扇丸の不利を否めぬかと……」
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