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第一話 扇丸登場
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「現下の情勢をおもんみるに日本全国六十余州相争わざるこれなく、挙げて世は戦国乱世である。当家はいうまでもなく武をもっぱらとする家柄。常日頃より弓箭の儀(合戦)に備えるところは少しもやぶさかではない。よって新規の侍をも抱えるべく、ここに武芸大会を開催することとする。
我と思わん者こそ名乗り出で候え」
桐島城主桐島源心入道は斯くの如く高らかに宣言し、桐島家主催の武芸大会に勝ち抜きさえすれば高禄以て召し抱える旨を内外に告知したことがきっかけといえばそもそものきっかけであった。
かかる告知を得て、桐島家への仕官を志す武勇自慢の諸国牢人数多――ある者は七尺(約二メートル)にもなんなんとする野太刀をこれ見よがしに背負い、また全体を鉄でしつらえた五尺(約一・五メートル)の金棒を抱える毛むくじゃらの見るからに力自慢と、こういった連中が城下に押し寄せ練り歩いたものだから、街区がたちまち一触即発の不穏な空気に包まれたのは必然であった。
「こらっ! そこの二人、仕合う前からやり合ってなんとする! やめんか!」
「参加しようという者は各々神妙に並んで奉行に氏名と流派を申告せよ! これっ、列を乱すでない!」
鼻息荒い牢人同士の無意味ないさかいを収めようと割って入り、或いは参加者名簿を作成しようという桐島家中の奉行衆が汗みどろになりながらそこかしこで大声を上げているなかでのことだ。
「なんだなんだ、見物人はあっちへ行ってろ!」
受付業務で多忙を極める桐島家の奉行のひとりが、目の前にちょこんと立つ、見るからに身形の小さい男子を、まるで蚊か蠅でも追うように手で払いながら言った。
「なんでだよ。心得さえあれば誰だって参加して良いって言ってたろ! おいら参加者だよ! 見物人なんかじゃないよ!」
参加者名簿を作成するために何事か書き付けていた奉行が、その声の主を改めてまじまじと見ればその身の丈は、先ほどの毛むくじゃらが抱えていた金棒にさえも三寸(約十センチ)ほど届かぬ身の丈。いまだ前髪を落としておらず、長く伸びた後ろ髪を束ねて頭頂部で巻き付ける唐輪の頭、女物とも見紛う深紅の襦袢に身を包む見るからに小身である。
言葉遣いは下賤そのものではあるが、白くきめの細かい肌が玉のようにみずみずしくまた美しい。その白面に墨で塗ったような弓形の眉と、長い睫毛が映える面相は、見る者が見ればはっと息をのむほどの幽玄の佇まいといえた。
しかし幽玄ではあっても武勇に長けているようにはとても見えない。このような者が決闘参加者の行列に並んでいるのだから奉行が訝しむのも無理のない話であった。
「子供同士の石合戦じゃないんだぞ。見物人はあっちへ行った行った!」
「見物人じゃないよ! お父もお母も死んで、ひとりぽっちのおいらが生きていくには高名のお侍に仕官するよりないんだ! 心得だったらあるよう! 追い出さないでくれよ!」
もとより辺りは酷い喧噪に包まれてはいたが、場違いとも聞こえる甲高い声が響けば嫌が応にも衆目を集めるというものだ。
「ええい、きかん坊はこうだ!」
手に余った奉行は男子の首根っこを掴んだ。力尽くででも放り出そうというのだ。
「どうした。なにをやっておるか」
そこに響いたのは、腹の底にずんと来る野太い声。此度武芸大会を主催した桐島源心入道その人であった。
齢還暦に達して、剃髪する必要もなくなった頭に頭髪の一本もありはしないが、ところどころ白髪の交じった眉や髭の一本一本は太くたくましく壮健そのもの。あまつさえ朱を主体にした絹の法衣に、綺羅をあしらった黄金色の袈裟をまとう身は、着ぶくれと評するには不自然なほど中身が詰まっており分厚く見える。
ある家老など冗談交じりに
「大殿など放っておけばいつまで生きるか知れたものではない。殺しても死なんとは大殿のことぞ!」
などと言って呵々と大笑したらしいが、なるほどそう言われても一向不思議ではない溢れんばかりの生命力を満身漲らせている。
加えて幾多の芝(戦場)を踏む過程で自然と身についたのであろう周囲を圧する源心入道特有の威厳を前に、さしも一癖も二癖もある牢人どもが言われる前からしんと静まりかえるほどだから相当のものだ。
源心入道が嫡男弾正忠是久に家督を譲ったのはもう十年も前の話であった。しかしこれなど名目上のことで、兵馬の権はいまだ源心入道がガッチリ掌握しているというのが桐島の実情であった。弾正是久のカリスマ性が、屈強の侍どもを采配ひとつで縦横に操る源心入道ほどには足りていないと目されていた証拠である。これで当代是久の面白かろうはずがない。
なお家老が冗談を言った場に弾正是久も同席していたらしいが、一同がどっと笑い声を揃えるなか、彼ひとりニコリともしなかったという噂話に、知る人ぞ知る桐島父子の不和の一端を垣間見る向きもあったがそれは余談でしかない。
兎も角も実質的な桐島の棟梁が、牢人どもの一堂に会する壮観をひとめ見んとして喧噪の中に姿を現したものだから、奉行はまるで鞠かなにかでも投げ捨てるように男子の襟首を手放し、慌ててその場に折り敷いた。不意に打ち捨てられ、男子は尻餅をついた。
奉行がかしこまって
「ははっ、申し訳ございません。実はその、このような小身の者が武芸大会に参加したいなどと世迷い言を申しておりましてこれを追い払おうと……」
そこまで言うや、男子はすかさず
「世迷い言なんかじゃないやい!」
とムキになって言い返す。
「控えよ、御前であるぞ!」
奉行が男子の頭を押さえつける。無理やりにでも頭を下げさせようというのだ。
桐島源心入道は豊かなあごひげをしごきながら切り出した。
「ふむ……。よいか小僧。見よ」
源心入道が辺りにたむろする異形の牢人どもを顎でしゃくって指し示す。
「ここはな。己が腕ひとつを恃みに立身出世を志すつわものどもがこれより生死を賭して争わんとする場である。そちのような小身の者がしゃしゃり出て来ては何事かなすことの出来る場ではない。そのことは分かるか」
諭すような源心入道の口調であったが、発する言葉の一つひとつが血生臭い。しかしそれでも男子は物怖じせずなおも参加を懇願する。
「小僧じゃないやい! おいらには扇丸っていうちゃんとした名前があるんだ!
大殿様、お願いだよ! おいら親が死んで、仕官できなきゃ飢え死ぬしかないんだ。そりゃ大人と仕合ってもおいら勝てないかもしれない。殺されるかもしれない。
でも、なにもしないで飢え死にを待つくらいなら戦って斬られた方がまだマシだよ!
だからお願いだよ。参加させてくれよ大殿様!」
「無礼者、もはや捨て置けん!」
奉行は大殿源心入道の眼前も憚らず、当の大殿に無礼の口を叩いた扇丸を斬り捨てんと打刀の柄に手をかけたが、それを制したのは他ならぬ源心入道自身であった。
「なるほど気に入ったぞ扇丸とやら。同じ死ぬにしても座して死を待つより足掻けるだけ足掻いてから死ぬと申すのだな? その齢にして殊勝なる心懸けよ。
者ども、この一廉の侍に優る決意を聞いたか。いかさま、討ち死にを恐れぬ心は侍に通ずるものがある。この者はたまたま小身だっただけで、その心根は侍そのものである。そうと分かれば禁ずる理由は何もない。参加を認めるよう急ぎ取り計らうべし」
「し……しかし!」
「分かったな」
「ははっ!」
源心入道の鶴のひと声により、扇丸は桐島家への仕官をかけた武芸大会への出場を急遽認められたのであった。
我と思わん者こそ名乗り出で候え」
桐島城主桐島源心入道は斯くの如く高らかに宣言し、桐島家主催の武芸大会に勝ち抜きさえすれば高禄以て召し抱える旨を内外に告知したことがきっかけといえばそもそものきっかけであった。
かかる告知を得て、桐島家への仕官を志す武勇自慢の諸国牢人数多――ある者は七尺(約二メートル)にもなんなんとする野太刀をこれ見よがしに背負い、また全体を鉄でしつらえた五尺(約一・五メートル)の金棒を抱える毛むくじゃらの見るからに力自慢と、こういった連中が城下に押し寄せ練り歩いたものだから、街区がたちまち一触即発の不穏な空気に包まれたのは必然であった。
「こらっ! そこの二人、仕合う前からやり合ってなんとする! やめんか!」
「参加しようという者は各々神妙に並んで奉行に氏名と流派を申告せよ! これっ、列を乱すでない!」
鼻息荒い牢人同士の無意味ないさかいを収めようと割って入り、或いは参加者名簿を作成しようという桐島家中の奉行衆が汗みどろになりながらそこかしこで大声を上げているなかでのことだ。
「なんだなんだ、見物人はあっちへ行ってろ!」
受付業務で多忙を極める桐島家の奉行のひとりが、目の前にちょこんと立つ、見るからに身形の小さい男子を、まるで蚊か蠅でも追うように手で払いながら言った。
「なんでだよ。心得さえあれば誰だって参加して良いって言ってたろ! おいら参加者だよ! 見物人なんかじゃないよ!」
参加者名簿を作成するために何事か書き付けていた奉行が、その声の主を改めてまじまじと見ればその身の丈は、先ほどの毛むくじゃらが抱えていた金棒にさえも三寸(約十センチ)ほど届かぬ身の丈。いまだ前髪を落としておらず、長く伸びた後ろ髪を束ねて頭頂部で巻き付ける唐輪の頭、女物とも見紛う深紅の襦袢に身を包む見るからに小身である。
言葉遣いは下賤そのものではあるが、白くきめの細かい肌が玉のようにみずみずしくまた美しい。その白面に墨で塗ったような弓形の眉と、長い睫毛が映える面相は、見る者が見ればはっと息をのむほどの幽玄の佇まいといえた。
しかし幽玄ではあっても武勇に長けているようにはとても見えない。このような者が決闘参加者の行列に並んでいるのだから奉行が訝しむのも無理のない話であった。
「子供同士の石合戦じゃないんだぞ。見物人はあっちへ行った行った!」
「見物人じゃないよ! お父もお母も死んで、ひとりぽっちのおいらが生きていくには高名のお侍に仕官するよりないんだ! 心得だったらあるよう! 追い出さないでくれよ!」
もとより辺りは酷い喧噪に包まれてはいたが、場違いとも聞こえる甲高い声が響けば嫌が応にも衆目を集めるというものだ。
「ええい、きかん坊はこうだ!」
手に余った奉行は男子の首根っこを掴んだ。力尽くででも放り出そうというのだ。
「どうした。なにをやっておるか」
そこに響いたのは、腹の底にずんと来る野太い声。此度武芸大会を主催した桐島源心入道その人であった。
齢還暦に達して、剃髪する必要もなくなった頭に頭髪の一本もありはしないが、ところどころ白髪の交じった眉や髭の一本一本は太くたくましく壮健そのもの。あまつさえ朱を主体にした絹の法衣に、綺羅をあしらった黄金色の袈裟をまとう身は、着ぶくれと評するには不自然なほど中身が詰まっており分厚く見える。
ある家老など冗談交じりに
「大殿など放っておけばいつまで生きるか知れたものではない。殺しても死なんとは大殿のことぞ!」
などと言って呵々と大笑したらしいが、なるほどそう言われても一向不思議ではない溢れんばかりの生命力を満身漲らせている。
加えて幾多の芝(戦場)を踏む過程で自然と身についたのであろう周囲を圧する源心入道特有の威厳を前に、さしも一癖も二癖もある牢人どもが言われる前からしんと静まりかえるほどだから相当のものだ。
源心入道が嫡男弾正忠是久に家督を譲ったのはもう十年も前の話であった。しかしこれなど名目上のことで、兵馬の権はいまだ源心入道がガッチリ掌握しているというのが桐島の実情であった。弾正是久のカリスマ性が、屈強の侍どもを采配ひとつで縦横に操る源心入道ほどには足りていないと目されていた証拠である。これで当代是久の面白かろうはずがない。
なお家老が冗談を言った場に弾正是久も同席していたらしいが、一同がどっと笑い声を揃えるなか、彼ひとりニコリともしなかったという噂話に、知る人ぞ知る桐島父子の不和の一端を垣間見る向きもあったがそれは余談でしかない。
兎も角も実質的な桐島の棟梁が、牢人どもの一堂に会する壮観をひとめ見んとして喧噪の中に姿を現したものだから、奉行はまるで鞠かなにかでも投げ捨てるように男子の襟首を手放し、慌ててその場に折り敷いた。不意に打ち捨てられ、男子は尻餅をついた。
奉行がかしこまって
「ははっ、申し訳ございません。実はその、このような小身の者が武芸大会に参加したいなどと世迷い言を申しておりましてこれを追い払おうと……」
そこまで言うや、男子はすかさず
「世迷い言なんかじゃないやい!」
とムキになって言い返す。
「控えよ、御前であるぞ!」
奉行が男子の頭を押さえつける。無理やりにでも頭を下げさせようというのだ。
桐島源心入道は豊かなあごひげをしごきながら切り出した。
「ふむ……。よいか小僧。見よ」
源心入道が辺りにたむろする異形の牢人どもを顎でしゃくって指し示す。
「ここはな。己が腕ひとつを恃みに立身出世を志すつわものどもがこれより生死を賭して争わんとする場である。そちのような小身の者がしゃしゃり出て来ては何事かなすことの出来る場ではない。そのことは分かるか」
諭すような源心入道の口調であったが、発する言葉の一つひとつが血生臭い。しかしそれでも男子は物怖じせずなおも参加を懇願する。
「小僧じゃないやい! おいらには扇丸っていうちゃんとした名前があるんだ!
大殿様、お願いだよ! おいら親が死んで、仕官できなきゃ飢え死ぬしかないんだ。そりゃ大人と仕合ってもおいら勝てないかもしれない。殺されるかもしれない。
でも、なにもしないで飢え死にを待つくらいなら戦って斬られた方がまだマシだよ!
だからお願いだよ。参加させてくれよ大殿様!」
「無礼者、もはや捨て置けん!」
奉行は大殿源心入道の眼前も憚らず、当の大殿に無礼の口を叩いた扇丸を斬り捨てんと打刀の柄に手をかけたが、それを制したのは他ならぬ源心入道自身であった。
「なるほど気に入ったぞ扇丸とやら。同じ死ぬにしても座して死を待つより足掻けるだけ足掻いてから死ぬと申すのだな? その齢にして殊勝なる心懸けよ。
者ども、この一廉の侍に優る決意を聞いたか。いかさま、討ち死にを恐れぬ心は侍に通ずるものがある。この者はたまたま小身だっただけで、その心根は侍そのものである。そうと分かれば禁ずる理由は何もない。参加を認めるよう急ぎ取り計らうべし」
「し……しかし!」
「分かったな」
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