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甥が生まれた日~初めて出産日に立ち会った体験談~
しおりを挟む「空気が違う」
肌でそう感じたのは初めての経験だった。
あれは数年前の秋。
たまたま会社から長期休暇をもらい、実家に帰省していた時だ。
前年に結婚した義姉の陣痛が始まったと知らされた。
年に2回ほどしか帰ったことのない実家。まさかこのタイミングで!? と思ったものの、とりあえず急いで着替えて病院に向かうことにした。
ちなみに、家には義姉の夫である兄は仕事でおらず、母しかいない。
慌ただしく出ようとすると母が言った。
「本持ってったほうがいいよ」と。
は? と思った。
本って何?
だって、今まさに陣痛が始まって生まれようとしてるんでしょ?
しかし母はのんびりと病院に向かう準備をして自身も分厚い本をバッグに入れていた。
母は読書家だ。
常になんらかの本を持ち歩いている。だからその時もその癖のようなものだと思っていた。
僕は仕方なく近くにあった市川拓司さんの本を片手に母の運転する車に飛び乗った。
病院までは片道約20分。
夜中だったこともあり車通りは少なかったが、ずいぶん遠く感じた。
こんなことしてる間にも生まれてるんじゃないか。
もしかしたら義姉は一人で辛そうにしてるんじゃないか。
いろんな想いが駆け巡り、そわそわしてしまった。
よく、陣痛が始まった妻の夫がそういう状況に陥るのをテレビで見かけるが、家族なら誰だってそうなるものなんだ、と初めて気づかされた。
病院につき、母はこれまたのんびりと看護師に場所を尋ね分娩室へと向かった。
薄暗い病院の廊下。
かすかに灯る明かりが不安感を高める。
たどり着いた分娩室は大きな扉に閉ざされていた。
とても静かで、本当に義姉が中にいるのか疑ってしまった。
しかしすぐに看護師が慌ただしく扉から出てきて、今まさに義姉は中で頑張っているのだと知った。
母は看護師と少し話をしたあと、近くのベンチに腰かけて持ってきた分厚い本を開き始めた。
え? と思った。
何してんの? 生まれるんでしょ? 赤ちゃんが。
ポツン、と突っ立ってる僕に母は言った。
「あんたも座って本でも読んで待ってなさい」
理解に苦しんだ。
てっきり、母も僕も分娩室に入って義姉に手を差し伸べるのだとばかり思っていた。
実際のところ、他の家族はどうなのかわからない。
けれども、少なくともうちの母は「本を読んで待つ」という選択肢を選んでいた。
仕方なく僕も母とは違うベンチに座って本を開いた。
しかし、ちっとも文字が頭に入ってこない。
書かれていることはわかる。
だけど想像力が追いつかないのだ。
時折、看護師が慌ただしく扉を開けて走っていく。
その度に、僕は本を閉じて立ち上がった。
端から見たら、まるで僕が夫のように映っていたかもしれない。
どれくらい待っていただろう。
時計で計ったわけではないが、感覚的に3時間以上待った気がする。
やがて、正真正銘の夫である兄が仕事着のまま駆けつけてきた。
駆けつけながら、最初に出た言葉は
「どう?」
だった。
母は言う。
「まだ」
兄は分娩室の前に立ち、じっと扉を見つめていた。
「兄ちゃん」
「おう、来てたんか」
「うん」
「わりいな、休みなのに」
「ううん」
たったそれだけの会話だったけれど、僕はいまだに強烈に覚えている。
いつも冷静沈着な兄。
何事にも動じない兄。
そんな兄が、そわそわしている。
分娩室の前を行ったり来たりしている。
まるでドラマのようだと思った。
それから、看護師と一言二言会話したあと、兄はそのまま分娩室へと入って行った。
「無事に生まれました」
と看護師から伝えられたのは、それからさらに時間が経ってからだったと思う。
正直、あまり覚えていない。
覚えているのは「長かった」という思いだけだ。
もしかしたら、時間にしたら短かったのかもしれない。
けれども、当時の僕にとってはとてつもなく長く感じた。持ってきた本は、三分の一以下しか読んでいなかった。
分娩室に通され、出産した直後の義姉と対面した。
空気が違う。
そう思ったのは、その時だ。
義姉の腕には赤ん坊が抱かれていた。
その髪の毛は汗でべったりと額に張り付き、頬はどれだけ頑張ったんだと思えるくらい真っ赤に染まっていた。
正直、僕はなんて言っていいかわからなかった。
「おめでとう」と言えばいいのか。
「よく頑張ったね」と言えばいいのか。
夫の弟としてかける言葉が思いつかなかった。
義姉はそんな僕に「来てくれたんだ、ありがとう」と言ってくれた。
嬉しかった。
自分の方が大変だったのに、僕のことも気にかけてくれたのが、すごく嬉しかった。
そうして、その胸に抱かれる赤ん坊を見て、僕は不覚にも涙を流した。
人は人から産まれる。
当たり前のことなのに、当たり前には思えなかった。
「生命(いのち)ってすごいな」
本気でそう思った。
世界で一番、神聖な場所。
出産に立ち会う人の話を聞くとたまにそういう言葉を耳にする。
おそらくそれは真実だろう。
僕が今まで生きてきた中で、後にも先にもあれほど強烈に神々しいと思ったことはない。
肌でそう感じたのは初めての経験だった。
あれは数年前の秋。
たまたま会社から長期休暇をもらい、実家に帰省していた時だ。
前年に結婚した義姉の陣痛が始まったと知らされた。
年に2回ほどしか帰ったことのない実家。まさかこのタイミングで!? と思ったものの、とりあえず急いで着替えて病院に向かうことにした。
ちなみに、家には義姉の夫である兄は仕事でおらず、母しかいない。
慌ただしく出ようとすると母が言った。
「本持ってったほうがいいよ」と。
は? と思った。
本って何?
だって、今まさに陣痛が始まって生まれようとしてるんでしょ?
しかし母はのんびりと病院に向かう準備をして自身も分厚い本をバッグに入れていた。
母は読書家だ。
常になんらかの本を持ち歩いている。だからその時もその癖のようなものだと思っていた。
僕は仕方なく近くにあった市川拓司さんの本を片手に母の運転する車に飛び乗った。
病院までは片道約20分。
夜中だったこともあり車通りは少なかったが、ずいぶん遠く感じた。
こんなことしてる間にも生まれてるんじゃないか。
もしかしたら義姉は一人で辛そうにしてるんじゃないか。
いろんな想いが駆け巡り、そわそわしてしまった。
よく、陣痛が始まった妻の夫がそういう状況に陥るのをテレビで見かけるが、家族なら誰だってそうなるものなんだ、と初めて気づかされた。
病院につき、母はこれまたのんびりと看護師に場所を尋ね分娩室へと向かった。
薄暗い病院の廊下。
かすかに灯る明かりが不安感を高める。
たどり着いた分娩室は大きな扉に閉ざされていた。
とても静かで、本当に義姉が中にいるのか疑ってしまった。
しかしすぐに看護師が慌ただしく扉から出てきて、今まさに義姉は中で頑張っているのだと知った。
母は看護師と少し話をしたあと、近くのベンチに腰かけて持ってきた分厚い本を開き始めた。
え? と思った。
何してんの? 生まれるんでしょ? 赤ちゃんが。
ポツン、と突っ立ってる僕に母は言った。
「あんたも座って本でも読んで待ってなさい」
理解に苦しんだ。
てっきり、母も僕も分娩室に入って義姉に手を差し伸べるのだとばかり思っていた。
実際のところ、他の家族はどうなのかわからない。
けれども、少なくともうちの母は「本を読んで待つ」という選択肢を選んでいた。
仕方なく僕も母とは違うベンチに座って本を開いた。
しかし、ちっとも文字が頭に入ってこない。
書かれていることはわかる。
だけど想像力が追いつかないのだ。
時折、看護師が慌ただしく扉を開けて走っていく。
その度に、僕は本を閉じて立ち上がった。
端から見たら、まるで僕が夫のように映っていたかもしれない。
どれくらい待っていただろう。
時計で計ったわけではないが、感覚的に3時間以上待った気がする。
やがて、正真正銘の夫である兄が仕事着のまま駆けつけてきた。
駆けつけながら、最初に出た言葉は
「どう?」
だった。
母は言う。
「まだ」
兄は分娩室の前に立ち、じっと扉を見つめていた。
「兄ちゃん」
「おう、来てたんか」
「うん」
「わりいな、休みなのに」
「ううん」
たったそれだけの会話だったけれど、僕はいまだに強烈に覚えている。
いつも冷静沈着な兄。
何事にも動じない兄。
そんな兄が、そわそわしている。
分娩室の前を行ったり来たりしている。
まるでドラマのようだと思った。
それから、看護師と一言二言会話したあと、兄はそのまま分娩室へと入って行った。
「無事に生まれました」
と看護師から伝えられたのは、それからさらに時間が経ってからだったと思う。
正直、あまり覚えていない。
覚えているのは「長かった」という思いだけだ。
もしかしたら、時間にしたら短かったのかもしれない。
けれども、当時の僕にとってはとてつもなく長く感じた。持ってきた本は、三分の一以下しか読んでいなかった。
分娩室に通され、出産した直後の義姉と対面した。
空気が違う。
そう思ったのは、その時だ。
義姉の腕には赤ん坊が抱かれていた。
その髪の毛は汗でべったりと額に張り付き、頬はどれだけ頑張ったんだと思えるくらい真っ赤に染まっていた。
正直、僕はなんて言っていいかわからなかった。
「おめでとう」と言えばいいのか。
「よく頑張ったね」と言えばいいのか。
夫の弟としてかける言葉が思いつかなかった。
義姉はそんな僕に「来てくれたんだ、ありがとう」と言ってくれた。
嬉しかった。
自分の方が大変だったのに、僕のことも気にかけてくれたのが、すごく嬉しかった。
そうして、その胸に抱かれる赤ん坊を見て、僕は不覚にも涙を流した。
人は人から産まれる。
当たり前のことなのに、当たり前には思えなかった。
「生命(いのち)ってすごいな」
本気でそう思った。
世界で一番、神聖な場所。
出産に立ち会う人の話を聞くとたまにそういう言葉を耳にする。
おそらくそれは真実だろう。
僕が今まで生きてきた中で、後にも先にもあれほど強烈に神々しいと思ったことはない。
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