1 / 3
メイドと偉そうな妖精と嫌な奴ら
しおりを挟む
――スペンサー分家の女中は途方に暮れていた。
都市中央部にほど近い、煤け古ぼけたマンション。
そんなマンションの外観とは不釣り合いで派手な調度品に囲まれた客間で女中はその老紳士と対峙していた。
趣味の悪いソファーに身を預ける老紳士は顔や手には年齢相応に皺が刻まれていたが、その眼光の鋭さと圧力は女中のメアリを委縮させるばかりか、客間の空気さえ重苦しいものにしていた。
メアリは深く静かな呼吸で決壊せんとする気持ちを宥め、老紳士が先ほど口にした言葉を反芻した。
「先日、私は君に命を救われた。あの時、君が私の窮地に察してくれなければ、今頃は墓の下だっただろう。これはあまりにも大きすぎる恩義だ」
「そこで私は考えた。幼い頃に読み聞かされた妖精を気取って、君の願いを一つ叶えるというのはどうだろうか」
メアリのサラリとした前髪が僅かに揺れた。
やっぱり駄目!何て答えれば良いかなんて全然!思い浮かばない!一つの願い!?なんてそんな面倒臭いことを!黙って小遣いと一週間の休暇とか、好物のアップルパイをどっさりくれた方がどんなに良かったか!
堂々巡りな考えはもはや何巡目だったか。
それは、どんな答えをしても自身に不幸が訪れることをメアリは知っているからだった。
口を開かない、願いを言おうとしない女中に痺れを切らしたのは彼女が返答に窮する理由を作った、彼女に不幸をもたらす者たちだった。
老紳士の右手前のソファーに座ったでっぷりと太った中年男が老紳士の様子を伺いながら恐る恐るメアリに声をかけた。
家主のスペンサー氏。メアリの雇い主である。
「どうしたんだい?本家の大爺様がこう仰っておられるんだ。私が今までお前の働きに報いた報酬など霞んでしまうほどの幸せを授けてくれるだろう。大爺様は言ったことは必ず実行される。さぁ、願いを言いなさい」
メアリはスペンサー氏に視線を向けた。
ドロリとした汗をかきながら脂ぎった顔に引きつった笑みを浮かべている。
しかし、スペンサー氏の目は笑っていなかった。
(このウスノロ!俺に願いを譲るとなぜ言わん!気まぐれジジイの気がまた変わったらどうしてくれるんだ!?気の利かないお前を我慢して雇ってやっている俺への感謝を今返す時なんだぞッ!)
スペンサー氏の眼光が鋭くなり、メアリを刺し貫く。
(もし、俺に譲らなかったら…借金負わせて一生こき使ってやる。)
追従する様に老紳士の左手前のソファーに座った化粧と装飾が過剰な中年女が口を開いた。
スペンサー夫人である。
「大爺様は大変な資産家でいらっしゃるのよ。遠慮はいらないわ、お金でも、物でもお好きな願いを言いなさい。可愛がっていたあなたに舞い込む幸せを我がことのように嬉しく思っているの。さぁ、早くお願いをしてちょうだい」
メアリは夫人に視線を向けた。
厚手の化粧をしていても紅潮が見てとれる顔に引きつった笑みを浮かべている。
しかし、夫人の目は笑っていなかった。
(もう、早く私に願いを譲るって言ってしまいなさいよ。アレだけキツく言い聞かせたのにグズグズして!ドケチなジジイから絞り取るチャンスなんだよ!?こうして無能なお前が家に居られるのも私が仕事を言いつけてるからでしょッ!)
夫人の眼光が鋭くなり、メアリを刺し貫く。
(もし、私に願いが廻らなかったら…血尿出るまでイジメ抜いてあげるわ。)
夫人の発言に食い気味で夫人の脇に立ったずんぐりとした体格の若い男が口を開いた。
スペンサー分家の長男である。
「折角のチャンスだよ。大爺様は義理堅く、受けた恩は必ず何倍にもして返す凄い方だ。僕は君と共に育ったような兄妹みたいなものだからね。君の行いは誇らしいよ。さぁ、大爺様のお申し出に応えなきゃ」
メアリは長男に視線を向けた。
母親似の顔立ちにそばかすと脂にまみれた顔に引きつった笑みを浮かべている。
やはり、長男の目も笑っていなかった。
(だから、バカは嫌いなんだよ。僕に願いを譲るの一言さえ満足に言えずにキョドりやがって。前から嫌いなクソジジイにおべんちゃらを言うのも疲れんだよ。お前の足りない仕事っぷりをあれこれ指摘してやっている恩があるだろうがッ!)
長男の眼光が鋭くなり、メアリを刺し貫く。
(もし、馬鹿な事を口走りやがったら…お前をボロボロにしてやる。)
スペンサー分家の三人の凄まじい表情が見えない位置にいる老紳士は鋭い眼光をふと緩ませ、諭すようにメアリに言う。
「困惑するのも無理はないだろうが、年寄りの戯言にひとつ付き合ってくれんかね」
しかし、メアリは口を堅く閉ざし、固まったままだった。焦燥と不安を取り繕った表情も限界に近い。首筋には汗がジットリと滲む。
都市中央部にほど近い、煤け古ぼけたマンション。
そんなマンションの外観とは不釣り合いで派手な調度品に囲まれた客間で女中はその老紳士と対峙していた。
趣味の悪いソファーに身を預ける老紳士は顔や手には年齢相応に皺が刻まれていたが、その眼光の鋭さと圧力は女中のメアリを委縮させるばかりか、客間の空気さえ重苦しいものにしていた。
メアリは深く静かな呼吸で決壊せんとする気持ちを宥め、老紳士が先ほど口にした言葉を反芻した。
「先日、私は君に命を救われた。あの時、君が私の窮地に察してくれなければ、今頃は墓の下だっただろう。これはあまりにも大きすぎる恩義だ」
「そこで私は考えた。幼い頃に読み聞かされた妖精を気取って、君の願いを一つ叶えるというのはどうだろうか」
メアリのサラリとした前髪が僅かに揺れた。
やっぱり駄目!何て答えれば良いかなんて全然!思い浮かばない!一つの願い!?なんてそんな面倒臭いことを!黙って小遣いと一週間の休暇とか、好物のアップルパイをどっさりくれた方がどんなに良かったか!
堂々巡りな考えはもはや何巡目だったか。
それは、どんな答えをしても自身に不幸が訪れることをメアリは知っているからだった。
口を開かない、願いを言おうとしない女中に痺れを切らしたのは彼女が返答に窮する理由を作った、彼女に不幸をもたらす者たちだった。
老紳士の右手前のソファーに座ったでっぷりと太った中年男が老紳士の様子を伺いながら恐る恐るメアリに声をかけた。
家主のスペンサー氏。メアリの雇い主である。
「どうしたんだい?本家の大爺様がこう仰っておられるんだ。私が今までお前の働きに報いた報酬など霞んでしまうほどの幸せを授けてくれるだろう。大爺様は言ったことは必ず実行される。さぁ、願いを言いなさい」
メアリはスペンサー氏に視線を向けた。
ドロリとした汗をかきながら脂ぎった顔に引きつった笑みを浮かべている。
しかし、スペンサー氏の目は笑っていなかった。
(このウスノロ!俺に願いを譲るとなぜ言わん!気まぐれジジイの気がまた変わったらどうしてくれるんだ!?気の利かないお前を我慢して雇ってやっている俺への感謝を今返す時なんだぞッ!)
スペンサー氏の眼光が鋭くなり、メアリを刺し貫く。
(もし、俺に譲らなかったら…借金負わせて一生こき使ってやる。)
追従する様に老紳士の左手前のソファーに座った化粧と装飾が過剰な中年女が口を開いた。
スペンサー夫人である。
「大爺様は大変な資産家でいらっしゃるのよ。遠慮はいらないわ、お金でも、物でもお好きな願いを言いなさい。可愛がっていたあなたに舞い込む幸せを我がことのように嬉しく思っているの。さぁ、早くお願いをしてちょうだい」
メアリは夫人に視線を向けた。
厚手の化粧をしていても紅潮が見てとれる顔に引きつった笑みを浮かべている。
しかし、夫人の目は笑っていなかった。
(もう、早く私に願いを譲るって言ってしまいなさいよ。アレだけキツく言い聞かせたのにグズグズして!ドケチなジジイから絞り取るチャンスなんだよ!?こうして無能なお前が家に居られるのも私が仕事を言いつけてるからでしょッ!)
夫人の眼光が鋭くなり、メアリを刺し貫く。
(もし、私に願いが廻らなかったら…血尿出るまでイジメ抜いてあげるわ。)
夫人の発言に食い気味で夫人の脇に立ったずんぐりとした体格の若い男が口を開いた。
スペンサー分家の長男である。
「折角のチャンスだよ。大爺様は義理堅く、受けた恩は必ず何倍にもして返す凄い方だ。僕は君と共に育ったような兄妹みたいなものだからね。君の行いは誇らしいよ。さぁ、大爺様のお申し出に応えなきゃ」
メアリは長男に視線を向けた。
母親似の顔立ちにそばかすと脂にまみれた顔に引きつった笑みを浮かべている。
やはり、長男の目も笑っていなかった。
(だから、バカは嫌いなんだよ。僕に願いを譲るの一言さえ満足に言えずにキョドりやがって。前から嫌いなクソジジイにおべんちゃらを言うのも疲れんだよ。お前の足りない仕事っぷりをあれこれ指摘してやっている恩があるだろうがッ!)
長男の眼光が鋭くなり、メアリを刺し貫く。
(もし、馬鹿な事を口走りやがったら…お前をボロボロにしてやる。)
スペンサー分家の三人の凄まじい表情が見えない位置にいる老紳士は鋭い眼光をふと緩ませ、諭すようにメアリに言う。
「困惑するのも無理はないだろうが、年寄りの戯言にひとつ付き合ってくれんかね」
しかし、メアリは口を堅く閉ざし、固まったままだった。焦燥と不安を取り繕った表情も限界に近い。首筋には汗がジットリと滲む。
0
お気に入りに追加
1
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる