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第二章 奇妙で穏やかな生活

第八話 寝室

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 食事を食べ終えた夜空。その後、彼から告げられた。

「これから、お前には私と一緒の部屋で睡眠を取ってもらう」
「一緒の部屋、ですか……?」
「ああ、お前に逃げ出されたりしたら困るからな」

お前が何かしなければ、危害を加えるつもりはない、と彼は言い、寝室へと案内された。場所は先ほど案内されていたけれど、鍵が掛かっていて中に入ることは出来なかった。彼が扉を開ける。

一番最初に目に入ったのは上質そうな机と椅子。その上には先ほど見たような分厚い本がいくつも置かれている。作業中という雰囲気があった。寝室だけ、というよりは彼の書斎も兼ねた部屋なのだろう。寝室に置かれていたのは大きめの一人用のベッド。無理すれば二人で眠ることができるかもしれないけれど、それにしてはやや狭そうなベッド。おそらく、ヴァートがここで眠るのだろう。そして壁には時計が掛かっている。元いた世界ではアナログ時計と言い表せるもの。あと15分ほどで日付が変わるくらいの時刻。

 ヴァートは夜空を部屋に入れた後、机の方へ向かい、そして、椅子に座って作業を始めた。そして、夜空に「そこで寝るんだ」と告げる。

 夜空はきょろきょろと辺りを見回す。そことはどこを指しているのか。ヴァートがあのベッドに寝るとして、自身はどこで寝るのだろうか。床とかだろうか。と戸惑った様子だった。

「あの、俺、どこに、寝れば……」
「何を言っているんだ。見れば分かるだろう? そこのベッドで寝るんだ」

 ヴァートは視線を書き物の方に向けたまま、ベッドを指さした。

「え……?」

 夜空の口から、驚きの声が漏れた。

「えっと、俺が、あそこで寝るんですか?」
「そうだ。明日の服もすぐそばにある。少し大きいかもしれないが新しいものだ」

ベッドのすぐ側には台のようなものがあり、そこの上にきちんと畳まれた服が置いてあった。白い襟なしシャツのような服とズボンのようなものが。

「あ、ありがとうございます……。じゃあ、ヴァートさんは、どこで?」
「……別に寝なくともいい」
「え?」

夜空が「どうして」と問いかけようとした時だった。

「お前に寝込みを襲われたり、逃げようとした時にすぐに対応出来るようにするためだ」
「あ、はい……」

夜空の問いかけを先制するように彼は言った。椅子に座って、机の上で、カリカリと音を立てながら、ペンを走らせている。それ以上は訊ねるな、とばかりに。
ヴァートが言ったことも、理由としては納得出来る。けれども、他にも理由があるように、夜空は感じ取れてしまった。先ほどの食事の場面とどこか似ているように感じた。
じっとヴァートの方を眺める。あの口ぶりだとおそらく食事も摂っていないし、寝てもいなさそうだ。随分と無理をしているように感じる。
 夜空は、なんとなくベッドの上に行くのに気が引けて、その場に立ち往生してしまった。

「何をしている。さっさと寝るんだ。お前が何かしなければ、私はお前の寝込みを襲うことはない」
「すみません、それじゃあ、失礼します……」

 恐る恐る、夜空はベッドの上に乗る。柔らかくてふわふわとしたベッドであった。シーツは清潔なもの。普段夜空が眠っている布団とは全然違う柔らかな布団であった。
本当にどこまで気を配ってくれるのだろうか。

「逃げようとしても、何をしても無駄だからな」
「はい……」
「お前には首枷がある。もし、私に危害を加えようとならば、お前のことをすぐに殺すからな。人間の身体だ。万が一あの魔法が失敗したとしても、多少の魔力源にはなるだろうし魔法薬の材料くらいにはなるだろう」

 念を押すように、ヴァートは夜空に言った。随分と惨い事を言っているとは思った。けれども、そこから恐怖は感じ取れなかった。無理矢理夜空を怖がらせようとしているようにすら思えてしまった。テレビで見た、寝ない子どもに対して「夜に寝ないとお化けや鬼が来る」と言うのと同じレベルの脅かしに聞こえてしまったのだ。

「はい……。あの、逃げません。その、いろいろ、ありがとうございます」
「……別に、お前のためじゃない」
「……でも、こんな風に、されたこと、あんまりないので……」
「……だから、お前に好かれるためにしているのではない」

 私がされたくなかったことをしたくないだけだ。それに、お前はただの贄でしかないのだ。と彼は再び言う。それは、やはり言い聞かせるような口調だった。

 やはり、優しい人だ、と思った。一切の見返りなく、夜空に優しくしてくれている。
昔は「子どもだから」という理由で優しくしてもらっていた。けれども、ある程度の年齢になってから、夜空に優しくしてくれる人は、大抵が夜空に何かを求めていた。夜空もそれを分かっていて、その優しさを享受していた。
だから、こんな風にされるのは、初めてだと思った。

「……おやすみなさい」

 夜空は呟いた。カリカリとペンが走る音が聞こえてくるだけで、返ってくる返事はなかった。柔らかなベッドの上。自然と、眠気が襲ってくる。
30日後に、殺されるというのに、妙な安心感がここにはあった。カリカリとしたペンの音と共に、夜空は眠りへと落ちていった。

―――

「……、しないで……」

 夜空が目を覚ましたのは、自身以外の声だった。低い声。けれども、その響きはひどく幼い響きがあった。ゆっくりと目を開け、そっと身体を起こす。見えた時計の針は、日付が進んだ。けれども、今の夜空はそれよりもヴァートの様子の方が気になってしまった。
窓から入るわずかな月灯りで、彼の姿が見えた。椅子に座った状態で、腕組みをしながら俯いている。寝落ち、の状態。長めの髪に隠れて表情は見えない。けれども、聞こえてくる息づかいはひどく荒い。随分と具合が悪そうだ。

 夜空はベッドから降り、足音を立てないように彼に近づく。そっと彼の様子をうかがう。具合が悪い、というよりは、何か夢に魘されているようだった。

「ヴァートさん……」

 小さく声を掛ける。大きい声を出してしまうと、警戒されてしまうかもしれないという恐れがあって。けれども、彼が起きる気配はない。
 恐る恐る、夜空は、ヴァートの身体に手を伸ばした。

「っ……!」

夜空の動きが、ヴァートの身体に触れる寸前で止まる。止まる、というよりも動けなくなってしまった。起こす目的でヴァートに手を伸ばしたけれど、ヴァートに、危害を加える、と首枷に判断されてしまったのかもしれない。夜空はゆっくりとヴァートから手を遠ざけようとすると、夜空は再び動けるようになった。
今の夜空が出来ることはただ彼の苦しげな声を聞くことだけのようだ。ヴァートの側に立って、彼の様子を眺める。彼も疲労が溜まっていて、目を覚ますことが出来ないほどに、深く眠ってしまっているのだろう。

「ひとりに、しないで……」

出てきた口調は随分と子どもっぽいもの。彼が、子どもの頃の夢を見ているのかもしれない。

「……おねがい」
「……いやだよ」
「さびしいよ」

 ヴァートの口から漏れる声に、苦しくなった。これ以上近づくことは出来ず、起こすことも出来ない。夜空が出来ることは、ただ彼の姿を眺めていることだけだった。

 大声で起こすのも、警戒されてしまうかもしれない。もしこの場でヴァートが目を覚ましたら怪しまれてしまうかもしれない。
どうすることも出来ずに、夜空は再びベッドに戻るしかなかった。柔らかなベッドの感触が、夜空を包む。

――されたくなかったことをしたくないだけだ。

 ヴァートが夜空に対して言った言葉が頭を過る。ヴァートが抱えているものは、夜空自身が抱えている寂しさよりもずっとずっと深刻で、それは、今でも彼を縛り付けているのだろう。

「もしかして、俺と、似てる人なのかもしれないな……」

 つい、呟いてしまった。自身とヴァートが似ている、と夜空は思ってしまったのである。
迷信のような魔法に縋っているところ。心の奥底に、寂しさを抱えているところ。埋まらない過去の埋め合わせをしようとしているところ。夜空には、ヴァートが「自分の利益のために夜空を殺す残酷な魔法使い」だとは到底思えなかった。

 そして、夜空の中にある想いが沸いてくる。

「……どうせだったら、やっぱり、楽しく、過ごせた方が、いいよね」

ヴァートが例の魔法を使う――夜空が殺されるまでに、あと29日の猶予はある。だから、少しでも、彼に快い暮らしをしてほしいと思った。「贄」という目的ではあるけれど、自身を、代わりの効かない存在、として呼び出した彼に対して。そして、自身に対して温かな施しをしてくれたヴァートに、何かを返したい、とも思った。

 ヴァートさんは、何が好きで、何をされたいんだろうか。うとうととしながら、夜空は、彼が幸せに過ごせるかを考えていた。食事を作る。仕事を手伝う。誰かと一緒に過ごす……。
ヴァートが幸せになる方法を考えている、というのに、考えていることは、自分がかつてされたかったことであった。考えながら、夜空の意識は再び眠りへと落ちていった。
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