6 / 29
第二章 奇妙で穏やかな生活
第五話 首枷
しおりを挟む
圧の抜けた表情を浮かべていたヴァート。しかし、彼の瞳はだんだんと冷ややかさを取り戻していく。油断してはならない、という風に。そして、小さく息を吐いて、また夜空に瞳を向ける。その瞳は、冷ややかさがあった。
「……お前が随分とおかしな奴だ、ということは分かった。しかし、私は、お前のことを信用している、というわけではないし、お前自身に何か情があるわけでもない。だから、万が一のために、保険を掛けさせてもらう」
ヴァートは冷ややかに夜空に言い放つ。その言葉は、絆されるな、と自身に言い聞かせるような響きが含まれていたのが、夜空にも感じ取れた。
「 」
そしてヴァートの口から、何かが唱えられた。先ほどまで夜空とコミュニケーションを取るために喋っていた言葉とは全く違う。外国語のような響き。夜空が何度も唱えたあの「魔法」とどこか似ているような響きではあった。けど、それよりもずっと冷たい響きだった。
目の前に、きらきらとした光が散る。先ほどよりも眩しさは弱いが、人間界からこちらに来た時のようなあの光と似ている。その光に気を取られている間に、夜空の身体に先ほどとは違う感覚が走った。
「……?」
首の辺りに無機質な冷たさと微かな重みを感じたのだ。指先で恐る恐るそれをなぞってみる。冷たさと、金属のような感触が走る。継ぎ目のない金属のチョーカーのようなものが、首に巻き付いていた。
「これは……」
フィクション作品でよくある。命令に背いたりすると電流が走る、とかそういうものだろうか。これから襲うであろう痛みに、夜空は少し恐怖を感じながら訊ねた。
「魔法の力を使って作った首枷だ。もしも、私に危害を加えようとしたり、逃げだそうとしたりするのならば、その首枷がお前の自由を奪う」
一時的に動けなくなるだけで、痛みもないし死にはしない。とヴァートは付け加えた。夜空は腑抜けた表情を浮かべる。その表情は先ほどヴァートが夜空に向けていた表情と似ていた。
「あの……」
「何だ。外せとでも言うのか? 30日後までこれは付けさせてもらう」
「そうじゃなくて、これって、動けなくなる以外に、何か痛みとかは……」
「先ほども言っただろう。一時的に動けなくなるだけだ」
「…………そう、なんですね」
「30日後にお前を殺すのだ。それまでに肉体に大きな傷がついたり、死なれたら困るからな」
「………………」
夜空は、もう一度、継ぎ目のない金属の首枷を、撫でるように触れる。動けなくなるだけで死にはしない。痛みもない。拘束にしてはあまりにも甘すぎる。とすら思ってしまった。
魔法の首枷で、自身は「贄」だったのだ。痛みを伴ったり、電流が走るといったものが来ると思っていたから、ひどく表紙抜けしてしまったのだ。
ヴァートが言った「30日後までに肉体に傷がついたり、死なれたりしたら困る」という言葉も正しいとは思う。けれども、「傷つけたくない」のような、どこか、情のようなものを感じてしまったのだ。本当にこの人に自身が殺せるのだろうか、とすら思ってしまった。
夜空の思考を察してか、凍てつくような瞳が、夜空に向けられた。圧のこもった瞳だ。
「魔力がない、とは言ったが、お前を簡単に殺せるくらいの力は持っている。見くびるな」
「す、すみません…」
「お前が何か怪しい真似をしたら、30日を待たずに殺す。多くの魔力を得ることは望めないが、魔法薬の材料くらいにはなるだろう」
「は、はい……」
夜空はヴァートに対して返事をする。しかし、一番最初に出会った時に感じたような、動けなくなるような圧を、ヴァートから感じることは出来なくなってしまった。下に見ている、とか見くびっている、というわけではない。
ヴァートの本当の姿は、家の話をしているときに見えてしまった寂しさの部分や、先ほど見せた情の部分にあるのでは、と思ってしまった。夜空にはヴァートが、「自分の利益のために残酷に人間を殺す悪い魔法使い」には到底思えなかったのである。
ヴァートは夜空に背を向け、地下室から上の階に繋がるであろう階段へと向かっていく。
「私についてくるんだ。これからお前が生活する場所に案内する」
「は、はい……」
夜空はこれからどこに行くかも分からないまま、ヴァートの後ろを歩くようにして着いていく。
高校時代の世界史の教科書の中で見た、遠い国の、古い建造物の中にあるような階段だった。それまでの生活の中で使っていた階段を歩く時には感じないような石の感覚が走る。
ヴァートは夜空が追いつくと、そこで歩みを止めた。夜空と隣り合ったまま、階段を上ろうとはしない。予想外の動きに、夜空は戸惑った。
「あ、あの……」
「隣を歩くんだ」
「え……?」
「後ろから襲われたりでもしたらたまったものではない。だから、隣を歩くんだ」
私も、30日後まではお前を殺すことはない。とヴァートは付け加える。念押しのためではあるだろうけれど、それは、夜空の警戒心を解くための言葉のように、聞こえてしまった。
「わ、分かりました」
夜空はヴァートの言う通り、隣に立ち、そして、歩き始めた。隣同士ではあるけれど、当たり前に、距離はあった。ヴァートの方が夜空を警戒している雰囲気がある。
30日後ではあるけれど、自身を殺そうとする人間の隣を歩いている。不思議な感覚だった。
恐怖も怒りも理不尽さも、殺意も感じない。かといって、心地よさ、というわけでもない。言語化することのできない、ただただ、不思議な感覚を味わっていた。同時に、媚びを売る以外で、誰かの隣を歩くなんて、随分と久しぶりのことのように思ってしまった。
夜空は歩きながら、ちらちらと、視線をヴァートに向ける。175センチの夜空が軽く見上げるくらいには背が高い。180センチ以上はあるのだろう。横顔も、高校時代、授業で入った美術室に置かれていた神様の石膏像のように整っている。
そして、夜空が視線を向けているうちに、気づいたことがあった。先ほどまでは、ヴァートの纏っている空気や、状況の混乱で先ほどはあまり意識が向いていなかったけれど、何か追い詰められているような、疲れているような表情をしている。迷信のような魔法に縋っているのだから、それは追い詰められていることには間違いないのだろう。目の下には隈があった。あまり眠れていないのかもしれない。なんとなく、不健康そうな雰囲気が見て取れた。
「……お前」
「は、はい……!」
ヴァートが視線を前に向けながら訊ねる。ヴァートを見ていたことを咎められるのかと思い、少し、声を震わせながら夜空は返事をする。
「名前はなんていうんだ」
「えっと、……、夜空、です」
いつものように名字から名乗ろうとしたものの、ヴァートが名前だけを名乗ったことを思い出し、夜空も下の名前だけを名乗った。それまでは必要だから名字も名乗っていたものの、自身の名字を名乗ることに、申し訳なさがあったから。
「そうか……」
ヴァートからはそれ以上の返答は返ってこなかった。名字を訊ねられることもなく、少しほっとした情報として知りたかっただけで、呼ぶことはないのかもしれない。30日後に殺される関係性であり、友達でも恋人でもない。今も「お前」呼びで事足りているだろうし、自身の名前を呼ぶ機会などほとんどないだろうから、別に知っていてもいなくても不便はしないだろう。
そんなことを夜空はぼんやりと思っていた。
階段を上りきった先に、南京錠が掛かった大きな扉があった。ヴァートはローブの中をごそごそとまさぐる。裏ポケットでもついているのかもしれない。と夜空は思った。そして、そこから鍵の束を取り出し、そのうちの一つを、南京錠に差し込み、解錠する。
「今日からお前にはここで生活してもらう」
ヴァートが扉を開ける。一体、どんな空間なのだろうか。ヴァートは情のようなものを見せてはくれたけれど、30日後に殺されるし「贄」なのだ。無意識に、自身が生活する場所は、シンデレラの屋根裏部屋のようなところを想像してしまっていたから。
「え……」
その空間を見た夜空から驚きを含んだ声が漏れる。
夜空の目の前には、想像もしていなかったような光景が広がっていた。
「……お前が随分とおかしな奴だ、ということは分かった。しかし、私は、お前のことを信用している、というわけではないし、お前自身に何か情があるわけでもない。だから、万が一のために、保険を掛けさせてもらう」
ヴァートは冷ややかに夜空に言い放つ。その言葉は、絆されるな、と自身に言い聞かせるような響きが含まれていたのが、夜空にも感じ取れた。
「 」
そしてヴァートの口から、何かが唱えられた。先ほどまで夜空とコミュニケーションを取るために喋っていた言葉とは全く違う。外国語のような響き。夜空が何度も唱えたあの「魔法」とどこか似ているような響きではあった。けど、それよりもずっと冷たい響きだった。
目の前に、きらきらとした光が散る。先ほどよりも眩しさは弱いが、人間界からこちらに来た時のようなあの光と似ている。その光に気を取られている間に、夜空の身体に先ほどとは違う感覚が走った。
「……?」
首の辺りに無機質な冷たさと微かな重みを感じたのだ。指先で恐る恐るそれをなぞってみる。冷たさと、金属のような感触が走る。継ぎ目のない金属のチョーカーのようなものが、首に巻き付いていた。
「これは……」
フィクション作品でよくある。命令に背いたりすると電流が走る、とかそういうものだろうか。これから襲うであろう痛みに、夜空は少し恐怖を感じながら訊ねた。
「魔法の力を使って作った首枷だ。もしも、私に危害を加えようとしたり、逃げだそうとしたりするのならば、その首枷がお前の自由を奪う」
一時的に動けなくなるだけで、痛みもないし死にはしない。とヴァートは付け加えた。夜空は腑抜けた表情を浮かべる。その表情は先ほどヴァートが夜空に向けていた表情と似ていた。
「あの……」
「何だ。外せとでも言うのか? 30日後までこれは付けさせてもらう」
「そうじゃなくて、これって、動けなくなる以外に、何か痛みとかは……」
「先ほども言っただろう。一時的に動けなくなるだけだ」
「…………そう、なんですね」
「30日後にお前を殺すのだ。それまでに肉体に大きな傷がついたり、死なれたら困るからな」
「………………」
夜空は、もう一度、継ぎ目のない金属の首枷を、撫でるように触れる。動けなくなるだけで死にはしない。痛みもない。拘束にしてはあまりにも甘すぎる。とすら思ってしまった。
魔法の首枷で、自身は「贄」だったのだ。痛みを伴ったり、電流が走るといったものが来ると思っていたから、ひどく表紙抜けしてしまったのだ。
ヴァートが言った「30日後までに肉体に傷がついたり、死なれたりしたら困る」という言葉も正しいとは思う。けれども、「傷つけたくない」のような、どこか、情のようなものを感じてしまったのだ。本当にこの人に自身が殺せるのだろうか、とすら思ってしまった。
夜空の思考を察してか、凍てつくような瞳が、夜空に向けられた。圧のこもった瞳だ。
「魔力がない、とは言ったが、お前を簡単に殺せるくらいの力は持っている。見くびるな」
「す、すみません…」
「お前が何か怪しい真似をしたら、30日を待たずに殺す。多くの魔力を得ることは望めないが、魔法薬の材料くらいにはなるだろう」
「は、はい……」
夜空はヴァートに対して返事をする。しかし、一番最初に出会った時に感じたような、動けなくなるような圧を、ヴァートから感じることは出来なくなってしまった。下に見ている、とか見くびっている、というわけではない。
ヴァートの本当の姿は、家の話をしているときに見えてしまった寂しさの部分や、先ほど見せた情の部分にあるのでは、と思ってしまった。夜空にはヴァートが、「自分の利益のために残酷に人間を殺す悪い魔法使い」には到底思えなかったのである。
ヴァートは夜空に背を向け、地下室から上の階に繋がるであろう階段へと向かっていく。
「私についてくるんだ。これからお前が生活する場所に案内する」
「は、はい……」
夜空はこれからどこに行くかも分からないまま、ヴァートの後ろを歩くようにして着いていく。
高校時代の世界史の教科書の中で見た、遠い国の、古い建造物の中にあるような階段だった。それまでの生活の中で使っていた階段を歩く時には感じないような石の感覚が走る。
ヴァートは夜空が追いつくと、そこで歩みを止めた。夜空と隣り合ったまま、階段を上ろうとはしない。予想外の動きに、夜空は戸惑った。
「あ、あの……」
「隣を歩くんだ」
「え……?」
「後ろから襲われたりでもしたらたまったものではない。だから、隣を歩くんだ」
私も、30日後まではお前を殺すことはない。とヴァートは付け加える。念押しのためではあるだろうけれど、それは、夜空の警戒心を解くための言葉のように、聞こえてしまった。
「わ、分かりました」
夜空はヴァートの言う通り、隣に立ち、そして、歩き始めた。隣同士ではあるけれど、当たり前に、距離はあった。ヴァートの方が夜空を警戒している雰囲気がある。
30日後ではあるけれど、自身を殺そうとする人間の隣を歩いている。不思議な感覚だった。
恐怖も怒りも理不尽さも、殺意も感じない。かといって、心地よさ、というわけでもない。言語化することのできない、ただただ、不思議な感覚を味わっていた。同時に、媚びを売る以外で、誰かの隣を歩くなんて、随分と久しぶりのことのように思ってしまった。
夜空は歩きながら、ちらちらと、視線をヴァートに向ける。175センチの夜空が軽く見上げるくらいには背が高い。180センチ以上はあるのだろう。横顔も、高校時代、授業で入った美術室に置かれていた神様の石膏像のように整っている。
そして、夜空が視線を向けているうちに、気づいたことがあった。先ほどまでは、ヴァートの纏っている空気や、状況の混乱で先ほどはあまり意識が向いていなかったけれど、何か追い詰められているような、疲れているような表情をしている。迷信のような魔法に縋っているのだから、それは追い詰められていることには間違いないのだろう。目の下には隈があった。あまり眠れていないのかもしれない。なんとなく、不健康そうな雰囲気が見て取れた。
「……お前」
「は、はい……!」
ヴァートが視線を前に向けながら訊ねる。ヴァートを見ていたことを咎められるのかと思い、少し、声を震わせながら夜空は返事をする。
「名前はなんていうんだ」
「えっと、……、夜空、です」
いつものように名字から名乗ろうとしたものの、ヴァートが名前だけを名乗ったことを思い出し、夜空も下の名前だけを名乗った。それまでは必要だから名字も名乗っていたものの、自身の名字を名乗ることに、申し訳なさがあったから。
「そうか……」
ヴァートからはそれ以上の返答は返ってこなかった。名字を訊ねられることもなく、少しほっとした情報として知りたかっただけで、呼ぶことはないのかもしれない。30日後に殺される関係性であり、友達でも恋人でもない。今も「お前」呼びで事足りているだろうし、自身の名前を呼ぶ機会などほとんどないだろうから、別に知っていてもいなくても不便はしないだろう。
そんなことを夜空はぼんやりと思っていた。
階段を上りきった先に、南京錠が掛かった大きな扉があった。ヴァートはローブの中をごそごそとまさぐる。裏ポケットでもついているのかもしれない。と夜空は思った。そして、そこから鍵の束を取り出し、そのうちの一つを、南京錠に差し込み、解錠する。
「今日からお前にはここで生活してもらう」
ヴァートが扉を開ける。一体、どんな空間なのだろうか。ヴァートは情のようなものを見せてはくれたけれど、30日後に殺されるし「贄」なのだ。無意識に、自身が生活する場所は、シンデレラの屋根裏部屋のようなところを想像してしまっていたから。
「え……」
その空間を見た夜空から驚きを含んだ声が漏れる。
夜空の目の前には、想像もしていなかったような光景が広がっていた。
10
お気に入りに追加
12
あなたにおすすめの小説
獣のような男が入浴しているところに落っこちた結果
ひづき
BL
異界に落ちたら、獣のような男が入浴しているところだった。
そのまま美味しく頂かれて、流されるまま愛でられる。
2023/04/06 後日談追加
食事届いたけど配達員のほうを食べました
ベータヴィレッジ 現実沈殿村落
BL
なぜ自転車に乗る人はピチピチのエロい服を着ているのか?
そう思っていたところに、食事を届けにきたデリバリー配達員の男子大学生がピチピチのサイクルウェアを着ていた。イケメンな上に筋肉質でエロかったので、追加料金を払って、メシではなく彼を食べることにした。
姫を拐ったはずが勇者を拐ってしまった魔王
ミクリ21
BL
姫が拐われた!
……と思って慌てた皆は、姫が無事なのをみて安心する。
しかし、魔王は確かに誰かを拐っていった。
誰が拐われたのかを調べる皆。
一方魔王は?
「姫じゃなくて勇者なんだが」
「え?」
姫を拐ったはずが、勇者を拐ったのだった!?
少年野球で知り合ってやけに懐いてきた後輩のあえぎ声が頭から離れない
ベータヴィレッジ 現実沈殿村落
BL
少年野球で知り合い、やたら懐いてきた後輩がいた。
ある日、彼にちょっとしたイタズラをした。何気なく出したちょっかいだった。
だがそのときに発せられたあえぎ声が頭から離れなくなり、俺の行為はどんどんエスカレートしていく。
【BL】SNSで人気の訳あり超絶イケメン大学生、前立腺を子宮化され、堕ちる?【R18】
NichePorn
BL
スーパーダーリンに犯される超絶イケメン男子大学生
SNSを開設すれば即10万人フォロワー。
町を歩けばスカウトの嵐。
超絶イケメンなルックスながらどこか抜けた可愛らしい性格で多くの人々を魅了してきた恋司(れんじ)。
そんな人生を謳歌していそうな彼にも、児童保護施設で育った暗い過去や両親の離婚、SNS依存などといった訳ありな点があった。
愛情に飢え、性に奔放になっていく彼は、就活先で出会った世界規模の名門製薬会社の御曹司に手を出してしまい・・・。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる