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【00】聖女の終わる日
赦さなくていい。
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この世には輪廻転生という概念がある。しかしそれは万人万物共有の事項ではなく、とある任に就いた者にのみ許可された所謂"首輪"の様なものだ。
その輪に囚われた者は主の言葉を世に広め、更には己よりも他を優先して救わねばならない。それが自身の命に関わる事でも、だ。
帝国の辺境にて産まれたマナは、父親を持たなかった。それは戸籍や縁としてではなく、文字通りの意味である。
存在しない父親、産み落とした瞬間に息を引き取った母親。それが何を意図しているかは、帝国人の誰もが知っていた。
―― 神の子、聖女マナ の誕生。
マナの母親は、マナを授かった事を誰にも言わなかった。誰とも経験がないのに懐妊したと知られれば、産んだ途端に引き離されると分かっていたからだ。
"神の子は帝国神殿で国の聖女となるべし"
反逆と捉えられても構わない。父が誰であろうと、自身の子は愛して育てたかったからだ。
しかし、それは叶わぬ願いになってしまう。
聖女は輪廻転生を繰り返す。
つまりは、先の聖女が息を引き取ったと共に、次の聖女が懐妊する。というサイクル。
皇帝は血眼になって次を宿した人間を探し出す。
いくら身寄りがなく、息を潜めたとしても、人の口に戸は立てられない。
どこからか、様子がおかしい引きこもりの女がいると噂が漏れてしまったのだ。
…その後の展開は、想像に易しい。
聖女として生を受けたマナは、神殿で孤児として育てられる事となった。
「帝国の聖女マナ!貴様は神の子でありながら人々を惑わし、国家転覆の種を植え付けた!神のお告げを騙る反逆の魔女として、斬首刑と処す!」
冷ややかに、そして重苦しい判決が人々の耳に届く頃、泥と埃にまみれ痛々しい痣をいくつも持つ少女マナの瞳は、かつての希望に満ちた光を失っていた。
「(どうして…)」
歩を進める度に骨を叩く重い足枷、手首に食い込み血が滲んだ縄、日々の尋問で一気に痩せ細り、賞賛を浴びていたあの頃の姿はどこにも無かった。
マナが聖女から魔女へ転落したのは、つい半月前の事だ。
厳しい修道院生活を終え、聖女として正式に神殿へ入る事となったマナは、すっかり淑女として成長していた。
その姿は人々に安寧と期待を齎し、帝国人の信仰心を更に強める要因となったのである。美しく、神々しい彼女に心を奪われたのは、国民だけではない。
現皇帝の第一子、トリエル皇太子。
奔放で皇族とは到底思えない素振りを見せる彼の婚姻式が、マナの初仕事だった。
彼のお相手は貴族の中でも五爵最高位三大公爵の一人、南部領を統治するガリャータ公爵の愛娘。
南部領はなにかと問題のある地域で、裕福な土地ではあるものの、貧困の差が激しい事で有名である。
そんな南部領の愛娘を皇太子妃に選んだのは、一重に皇太子の奔放極まりない生活と噂に歯止めをつける為と、南部領との事実上のつなぎ止め。
そんな政略結婚丸出しの婚姻式に、何の穢れもない神が愛した美少女が関与した事が運の尽きだった。
皇太子が、聖女に暴行を働いた。
そんな大スクープを帝国が許すわけが無い。
身の潔白と糾弾をする間もなく、一気に帝国内へ流れた代わりのスクープがこうである。
聖女が皇太子を誘惑し婚姻解消寸前。
愛する娘の婚姻式を壊され、腹を立てたガリャータ公爵と南部領が皇室に反旗を翻したのだ。
そのまま、マナの言い分は一切通ること無く、処刑前日の判決へと繋がる。
暗く黴臭い牢獄で、マナは虚空を見つめるしか出来なかった。
今まで聞こえていた神からのお告げも、皇太子に暴行された時からフィルターが掛かったように聞き取れない。聖力が薄れた証拠なのだろうか。婚姻式後の披露宴で、顔だけはいい皇太子の口車に乗せられ、悩みを聞くという戯言を信じた時から、神には見放されていたのかもしれない。マナがもっと世間を見ていれば… 母親がマナを渡すまいと反抗し殺されなければ今頃は乳母としてマナに様々な事を教えていたかもしれない。
しかしそんな事をマナが知る由もない。
皇太子の暴行の最中、婚約相手が乗り込んできた時、皇太子はこう嘯いた。
「聖女が無理やり…!」
刻一刻と近づく朝焼け。 マナはもう枯れたと思っていた自身の瞳から涙が流れていた事に気づいた。
神は自身の子を何故苦しめるのか
神に選ばれ見放される理由とは
あまりにも身勝手な神に対し、ふつふつと湧き上がるこの感情は、きっと聖女として持ってはいけないものなのだろう。
ふと、聖女の転生について読んだ本を思い出した。
聖女はその生で全うすべき事柄を終えると生命を神に返し新たな神の子が宿る。
「(つまり、わたしが全うすべき事柄は、処刑の前に起きる…?)」
なら、それが起きる前に死んでしまえばどうなるのだろう。
神殿に仕える人間は、してはならない事がいくつかある。
その中の一つ。"自害"
神へ仕える身ながら、己の意思で生死を決めてはいけない。という理由だったが、裏を返せば己で生死を決めるのは神の意思に反するということでは無いだろうか?
「ふふ、ふははッ」
何故こんな簡単な事に気付かなかったんだろうか。
物心ついた時から神を盲目的に信じ過ぎたせいで、危うく裏切った相手に一矢報いるチャンスすら失うとこだった。
「ねぇ神様、赦さなくていいわよ」
私も赦してあげないから。
ぶちりと鈍い音が響き、ぼとりと舌先が落ちる。マナは崩れ落ちた。美しかった金色の髪が赤黒い血に染まっていく。
いつだか、金色の髪と金色の瞳が天使の様だと褒められた事を思い出しながら、マナは虚ろな目を閉じた。
その輪に囚われた者は主の言葉を世に広め、更には己よりも他を優先して救わねばならない。それが自身の命に関わる事でも、だ。
帝国の辺境にて産まれたマナは、父親を持たなかった。それは戸籍や縁としてではなく、文字通りの意味である。
存在しない父親、産み落とした瞬間に息を引き取った母親。それが何を意図しているかは、帝国人の誰もが知っていた。
―― 神の子、聖女マナ の誕生。
マナの母親は、マナを授かった事を誰にも言わなかった。誰とも経験がないのに懐妊したと知られれば、産んだ途端に引き離されると分かっていたからだ。
"神の子は帝国神殿で国の聖女となるべし"
反逆と捉えられても構わない。父が誰であろうと、自身の子は愛して育てたかったからだ。
しかし、それは叶わぬ願いになってしまう。
聖女は輪廻転生を繰り返す。
つまりは、先の聖女が息を引き取ったと共に、次の聖女が懐妊する。というサイクル。
皇帝は血眼になって次を宿した人間を探し出す。
いくら身寄りがなく、息を潜めたとしても、人の口に戸は立てられない。
どこからか、様子がおかしい引きこもりの女がいると噂が漏れてしまったのだ。
…その後の展開は、想像に易しい。
聖女として生を受けたマナは、神殿で孤児として育てられる事となった。
「帝国の聖女マナ!貴様は神の子でありながら人々を惑わし、国家転覆の種を植え付けた!神のお告げを騙る反逆の魔女として、斬首刑と処す!」
冷ややかに、そして重苦しい判決が人々の耳に届く頃、泥と埃にまみれ痛々しい痣をいくつも持つ少女マナの瞳は、かつての希望に満ちた光を失っていた。
「(どうして…)」
歩を進める度に骨を叩く重い足枷、手首に食い込み血が滲んだ縄、日々の尋問で一気に痩せ細り、賞賛を浴びていたあの頃の姿はどこにも無かった。
マナが聖女から魔女へ転落したのは、つい半月前の事だ。
厳しい修道院生活を終え、聖女として正式に神殿へ入る事となったマナは、すっかり淑女として成長していた。
その姿は人々に安寧と期待を齎し、帝国人の信仰心を更に強める要因となったのである。美しく、神々しい彼女に心を奪われたのは、国民だけではない。
現皇帝の第一子、トリエル皇太子。
奔放で皇族とは到底思えない素振りを見せる彼の婚姻式が、マナの初仕事だった。
彼のお相手は貴族の中でも五爵最高位三大公爵の一人、南部領を統治するガリャータ公爵の愛娘。
南部領はなにかと問題のある地域で、裕福な土地ではあるものの、貧困の差が激しい事で有名である。
そんな南部領の愛娘を皇太子妃に選んだのは、一重に皇太子の奔放極まりない生活と噂に歯止めをつける為と、南部領との事実上のつなぎ止め。
そんな政略結婚丸出しの婚姻式に、何の穢れもない神が愛した美少女が関与した事が運の尽きだった。
皇太子が、聖女に暴行を働いた。
そんな大スクープを帝国が許すわけが無い。
身の潔白と糾弾をする間もなく、一気に帝国内へ流れた代わりのスクープがこうである。
聖女が皇太子を誘惑し婚姻解消寸前。
愛する娘の婚姻式を壊され、腹を立てたガリャータ公爵と南部領が皇室に反旗を翻したのだ。
そのまま、マナの言い分は一切通ること無く、処刑前日の判決へと繋がる。
暗く黴臭い牢獄で、マナは虚空を見つめるしか出来なかった。
今まで聞こえていた神からのお告げも、皇太子に暴行された時からフィルターが掛かったように聞き取れない。聖力が薄れた証拠なのだろうか。婚姻式後の披露宴で、顔だけはいい皇太子の口車に乗せられ、悩みを聞くという戯言を信じた時から、神には見放されていたのかもしれない。マナがもっと世間を見ていれば… 母親がマナを渡すまいと反抗し殺されなければ今頃は乳母としてマナに様々な事を教えていたかもしれない。
しかしそんな事をマナが知る由もない。
皇太子の暴行の最中、婚約相手が乗り込んできた時、皇太子はこう嘯いた。
「聖女が無理やり…!」
刻一刻と近づく朝焼け。 マナはもう枯れたと思っていた自身の瞳から涙が流れていた事に気づいた。
神は自身の子を何故苦しめるのか
神に選ばれ見放される理由とは
あまりにも身勝手な神に対し、ふつふつと湧き上がるこの感情は、きっと聖女として持ってはいけないものなのだろう。
ふと、聖女の転生について読んだ本を思い出した。
聖女はその生で全うすべき事柄を終えると生命を神に返し新たな神の子が宿る。
「(つまり、わたしが全うすべき事柄は、処刑の前に起きる…?)」
なら、それが起きる前に死んでしまえばどうなるのだろう。
神殿に仕える人間は、してはならない事がいくつかある。
その中の一つ。"自害"
神へ仕える身ながら、己の意思で生死を決めてはいけない。という理由だったが、裏を返せば己で生死を決めるのは神の意思に反するということでは無いだろうか?
「ふふ、ふははッ」
何故こんな簡単な事に気付かなかったんだろうか。
物心ついた時から神を盲目的に信じ過ぎたせいで、危うく裏切った相手に一矢報いるチャンスすら失うとこだった。
「ねぇ神様、赦さなくていいわよ」
私も赦してあげないから。
ぶちりと鈍い音が響き、ぼとりと舌先が落ちる。マナは崩れ落ちた。美しかった金色の髪が赤黒い血に染まっていく。
いつだか、金色の髪と金色の瞳が天使の様だと褒められた事を思い出しながら、マナは虚ろな目を閉じた。
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