芸術という名の殺人

真白なつき

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第1章 幕開けの章

第16話 ようこそ、狂った世界へ。

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「……叔父、さん?」

 なぜここに、という言葉は喉に張り付いて出てこない。
 叔父が家を訪ねてくることはたまにあるけれど、こんな深夜まで家にいることは今まで一度たりともなかった。

 そんな僕の戸惑いを察しているのかいないのか、叔父は眼鏡の奥の目を細め、口角を柔らかく上げたまま表情を崩さない。

「え……っと」

 何か言おうとまごつく僕とは対照的に。
 流れるような自然な動作で、叔父の手によってパチリと玄関の照明のスイッチが押される。

 明るく照らされる室内。
 紳士然としてすらりと背筋を伸ばし、一人僕を出迎えた叔父。

 ほほ笑みを浮かべたまま手招きをする叔父に操られるように、僕は家の中へとぎこちなく入っていく。

「――あの、」

 ガチャリ。

 僕の言葉をさえぎるかのように、扉の閉まる音がやけに大きく響いた。

「お兄さん」

 一音一音ゆっくりと読み上げるように、叔父が僕に呼びかけてくる。
 眼鏡の奥にある目は相変わらず細められていて、そこから感情を読み取ることは難しい。

「ご友人の家に、泊まってくるはずでは?」
「――っ」

 丁寧な物言いにもかかわらずどこか冷たいその声に、思わず声をつまらせる。
 おそらく僕の外泊については妹に聞いたのだろうが。

 玄関土間にいる僕と廊下にいる叔父。
 妹相手なら土間にいてもなお目線が上であれたこの状況で、叔父相手に僕は当たり前のように見下ろされていた。

 本当のことを言うわけにはいかない。
 しかし沈黙を許さない――有無を言わせず口を割らせようとする重圧を、笑みを浮かべる叔父からは感じられた。

 男に廃ビルでやられたこめかみの傷はうまく髪で隠れたため、変に勘繰られることはないだろうが。

「いや、ちょっと予定が変わって……」

 歯切れ悪く答える僕に、叔父がすっと表情を無くした。
 開かれた目が眼鏡越しに眼下にいる僕を見据える。
 そして叔父は、こう口を開いた。

「たとえそうだとしても、こんな遅い時間に一人で出歩くなんて危ないでしょう。あなたは男だとはいえ、まだ高校生なんですから」
「……はあ」

 叔父からの、子どもの保護者として一般的であり模範的な、けれども思いがけないお叱りに僕は言葉を無くす。

 叔父は僕と妹の保護者として援助をしてくれているけれど、僕らの行いについては割と今まで不干渉だった。
 ましてや叔父から何か注意を受けるなんて、そんなことをされたことはもちろん想像したこともなかった。

「そもそもお兄さん。本当は今日あなたが夕飯を作る予定だったのでしょう? それを妹さんに任せておきながら連絡もせずになかなか帰らず、あげく泊まってくると告げたかと思えばこんな夜中に帰ってきて」
「は、い」
「遊びたい盛りなのは分かりますが、ほどほどにするように。お願いしますよ?」
「……すみませんでした」

 声を荒げるわけでも手をあげるわけでもない。
 ましてや終始丁寧な口調の叔父にとうとうと説教をされ、僕は思わず謝罪の言葉を述べていた。

 別に世間一般に想像されるような遊びにふけっていたわけではなく、ましてやそちらの方が僕の今日の行動と比べて健全ではあるのだが、そこを否定する必要はない。
 というか、今の叔父を前にしてそんな口答えができる隙もなさそうだった。

 そんな僕のうかがうような視線に気づいたのか、叔父がふっと相好を崩す。

「――いえ、私の方こそ申し訳ありません。あなたたちの保護者であるにもかかわらず、たまにしかここを尋ねることもできなくて、それらしいことはまったくしてあげられていないのに……こんなときだけ説教を垂らして」
「い、いえ……遠方に住んでいるのに仕事の合間をぬって様子を見に来ていただいたり、金銭面でも援助していただいたり、十分過ぎるくらいお世話になっていますから」
「いいんですよそれくらい。なんたって私は寂しい独身男ですからね。時間以外は十分余裕があるんです。それにこの家は私にとっては実家なので、尋ねるのも苦だとは思いませんし。
 まったく、お兄さんは優しいですね。優しすぎるくらいです」

 だから、と叔父は言葉を続ける。

「そんなお兄さんがちょっとくらい羽目を外すのは、私にとって実のところ少し嬉しいことだったりするわけです」
「いや、僕はべつに――」
「ただ」

 少し声を大きくした叔父が念を押すように言葉を紡ぐ。

「やっぱり心配もするわけです。そこのところ、普段そばにない私が言うのも何様かと思われるかもしれませんが、頭の片隅にでも覚えておいていただけると幸いです」
「……ありがとう、ございます」

 久しく向けられた記憶のない種類の言葉や感情に、戸惑いを覚えながらもなんとかお礼を返す。
 僕のその様子に柔らかく目を細める叔父。

 なんだかひどく落ち着かない気分だった。

「それと先程僕に向けた謝罪の言葉は、妹さんに言ってあげてください。帰りが遅いあなたのこと、心配していましたから」
「……分かりました」

 思わず素直にうなずく。
 そしてそういえば、と僕はここでようやっと始めに抱いた疑問を叔父にぶつけた。

「なんでこんな時間まで、叔父さんはここに?」

 ああそれなんですがね、と叔父は続ける。

「実は私も普段通りちょっとあなたたちの様子を見て帰るつもりだったのですが――帰り際に妹さんが体調が優れないというものですから、一人にしておくのも心配なのでこんな時間までお邪魔してしまいました」

 申し訳ありませんと頭を下げる叔父に慌ててやめてくださいと訴える。

「すみません、僕がいなかったばっかりにご迷惑をおかけしてしまって」

 僕が外泊を告げたメッセージに対する妹の返信がやけにシンプルだったが、なるほど体調不良だったのならうなずけると一人納得する。

「いえ、いいんですよ。たまにはそれらしいこと、させてください。さっきまで妹さんのお部屋にお邪魔させていただいていたのですが、今は落ち着いて眠っていますので、安心してください」
「そうですか」
「帰らないと言っていたお兄さんの姿が部屋の窓から見えたときは驚きましたけどね」

 それで思わずお出迎えを、と叔父は含み笑いをする。

「――さて、それでは私はそろそろおいとまさせていただきますね。こんな所で立ち話なんてさせてしまって、申し訳ありませんでした」

 そう言って靴を履き、土間に立つ僕の隣に並ぶ叔父。

 やはり見上げるところにある叔父の顔に目を向けると、ぽんと肩に手を置かれた。

「何かあったらいつでも連絡してくださいね。私はいつでも、あなたたちのことを見守っていますから」

 僕の肩から手を離し、扉の方へ手をかける叔父。

「妹さんのことは心配なさらず、お静かにしてあげてください。あなたも疲れているでしょうから、しっかり休んで」
「今から帰るんですか? もう遅いですし――」

 泊まっていってはどうかと告げようとする僕に、叔父はただ一言。

「大人ですから」

 と笑顔で家を出ていった。


 一人、玄関に取り残された僕。
 靴を脱ぎ、僕と妹の部屋がある二階へと上っていく。
 そうしながら僕は一日を振り返っていた。

 クラスメイトに不審がられたり、イカれた男と出会って軽くバトルしたり、死体となった父さんと再会したり、叔父さんに説教されたかと思えば心配されたり。
 せっかく死体と人殺しに初めて出会うことができたのに、その感動以上に調子を狂わされるようなことばかりの一日だった。

 そんな長かったような短かったような一日が、ようやっと、終わる。

 僕は二階に上がると一息つき、自分の部屋へと向かった。
 叔父に言われて疲れを自覚した途端、今まで感じていなかったことが不思議なくらいの睡魔が襲ってきていた。
 そんなふわふわとした状態で妹の部屋の前を通り過ぎる。

「――――、――」

 眠っているはずの妹の部屋から何か押し殺したような声が聞こえてきた気がしたが、僕は鉛のように重たくなった身体を自分の部屋まで引きずっていくのに必死で、そんな些細なことに気を配る余裕もない。

 やっとたどり着いた自室の扉を閉め、ポケットに入れていたナイフをしまい、ベッドへ潜り込んだ頃にはもう半ば意識を手放していた。

 眠るに落ちる直前、妹の部屋から聞こえていた声についてこんなことを思いついていたわけだが、それも夢の彼方へと消えてしまう。


「まるで泣いてるみたいな声だったな」


と。


――そして僕の日常は、この日を境にどうしようもなく狂っていった。

 
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