烏と春の誓い

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最終章:因果は巡る

掴まる山野

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「くそう!一体どうなっているんだ!」

 楠尾たちからの連絡が途絶えてからもう丸一日。

 芦屋の倅を拉致して監禁場所までの移動距離を考えたとしても長すぎる。計画では港のほうにある廃屋の一室へと連れて行くと言っていたがどうやっても一日はかからない。

 最後にきた報告は昨夜の二一時頃。公衆電話から、「あ、おやっさんすか?これから動くんで、捕まえたらとりあえずすぐに連絡いれますわ」といつもの黄ばんだ歯が見え隠れしそうな下品な笑みが通話口からも想像できるような声を張り上げながら自信たっぷりな様子であった。

 奥にある中京間のゴテゴテと飾られている座椅子に座りながら、肘掛を指で叩いていた。

 弱点さえ手中に抑えてしまえばこちらのものであったのに……あの愚鈍なチンピラ共は何をしているのか。あれだけ金を与えてやってこれか。十年前に人を殺した!と宣い、興奮気味に電話してきたときはなかなかやるなと組への引き入れを考えた。

 だがそのあと、警察の追跡から逃れることができずにそのままパクられた。

「おい藤堂!おい、いねえのか!!」

 事態を重く見、焦りによって慎重な判断が出来なくなってきていた源三は、一番信頼のおける部下を呼びつける。

「おい!」

 部屋の外へ何度声を掛けても藤堂はやってこない。それどころか誰もやってこない。

 何かがおかしいと感じた源三は、廊下へと繋がる襖を力任せにばんっと開けて辺りを見渡すが誰も見当たらず、訝しむ。

 ガタッとどこかで音がしたかと思えば「何モンだ手前!」「やんのかああ!?」と組の若い衆の殺気立つ話し声がした。どうやら玄関の方から聞こえるそれに向かって源三は足を進める。

 近づくにつれて殴り合いの音も聞こえ、いよいよただ事ではないと気づく。

「おじき!お逃げ下さい!芦屋組のやつらがっ……ぐ、はッ」

 角を曲がったところで部下が忠告しに来たが、途中で横から蹴りを入れられて思いっきり吹っ飛んだ。

「あ、芦屋だと!?」

 目の前での突然の暴力沙汰に驚き腰を抜かす。『芦屋』と聞いて源三の顔は真っ青になり、見つかる前に逃げなければと慌てて四つん這いになりまるで這いずるように自室への道を戻る。

「ひ、ひっ。このわしがやられるなんぞ冗談じゃアないッ!」


 組の連中が足止めをしている間にすぐに逃げなければ。源三はなんとか自室へ入ると奥の金庫を開け始める。ガチャガチャとダイヤルを回す手が震えて全く開く気配はない。



「どうもー!お久しぶりです、山野組長!」


 
 場違いな明るい挨拶を聞いた瞬間、源三の身体が一瞬にして凍ったように固まる。

 指先すらも動ごかせない程の圧が開けっ放しであった襖の方から掛けられ、冷や汗が止まらず口の中に溜まっていた唾液をゴクリ、と呑み込んだ。

 
「あれ、どうしたんですか?金庫の前で固まっちゃって!もしかしてー……」

 声の主が言葉を発する度に源三のブルブルと震え始める。脳が現状を理解していくのと同時に身体が緊張状態へとシフトチェンジし、息が乱れる。


――― 逃げようとしてたとかじゃあ、ないですよね?


「ひっ、ひいいいいいっ、!たっ助けてくれ!誰か、……だだ、誰か!」

 その時源三は初めて声の主の方を向いて後ずさる。

 一八十センチと言う高身長に、優れた容貌。それは正しく阿良々木至、芦屋組の若頭であった。

「ふっ、くく……」

 必死な形相で助けを求める源三の哀れな姿に、まるでデカいブタが怯えているみたいだと思わず吹き出しそうになるのを堪える阿良々木。

「若頭、いいから進めて下さい」

 山野組へ乗り込むために東京から呼び寄せた芦屋組の部下の一人に咎められ、何とか耐える。

「ぶふっ……んんっ、ゴホン。……残念ながら、助けは来ませんよ」

 はあはあと必死に息を整えて伝えた阿良々木の最終通告に、源三は何を言っているのかと喚く。

「何を言ってる!!藤堂が帰ってこればお前らなんぞっ――」

 口から唾をまき散らしながら必死に逃げ道を探すように吐き出す言葉が、阿良々木の背後から隣へと並んだ男の姿を見て途切れる。

「おっお前、何故そんなところにいる!―― 藤堂」

「何故って……うんざりしたからですよ、貴方のやり方には。先代の頃はよかった、情の熱い方で道理から外れることはならさなかった。組員にも最低限の情けをかけ、居場所のない者には居場所を与え、仕事のない者には斡旋してくれました。それが……貴方はどうですか?己の私腹を肥やして下々の事など見もしない。まるで使い捨ての道具にしか思ってないではありませんか。やることも汚ければ見た目も汚い。そこに先代が築き上げてきた芦屋組との関係にも罅を入れ始め、薬に手を出しているだけならまだよかった。なのに芦屋組の血を継ぐ方にまで手を出そうなどと……」

 藤堂の止まらない源三批判に、最早笑い出すのを必死に抑えようとしている阿良々木の震えも止まらない。深刻な空気に水を差してはならないと二人に背を向けて静かに頑張っていた。

 芦屋組の組員たちはそんな上司の姿を生暖かい目で見ている。

 跡を継いでからずっと素直に自分に従ってくれていた腹心だと思っていた藤堂から出てくる言葉はすべてにおいて源三を否定しつくしていた。芦屋組が乗り込んできただけでもこれから自分がどうなるかと不安で仕方がなく、更には味方にまで匙を投げられているこの状況では、反論する気も萎れてきていた。

 だがここで引くわけにもいかず、源三は負け惜しみのように最後まであがく。

「お前ぇえ!わしが、こ、これまでどれだけお前にいい思いをさせてきてやったと……っ!」

「いい思いをしたと感じたことなど一度もありません」

 藤堂は最後の止めを刺す。

「因みに、芦屋組組長にはこれまでの経緯は全てご報告してありますので、覚悟なさって下さい」

 
 終わったな。


 この部屋にいる約二名以外の思考が一致した瞬間だった。

 やっと笑いが止まった阿良々木が振り返る。

「あれ、終わったの?」

 聞いてなかったんかい!と誰もが突っ込みたくなったが、空気が空気の為誰からも声が漏れることはなかった。

「まあどっちでもいいんだけどさ。止め刺されたところでボスの身内に手を出した落とし前、つけてもらおうか」


「わ、わしは何もしとらん!部下が勝手にやったことだ!」

 証拠を抑えた上でこうして最終通告をしに、わざわざ阿良々木が来たというのにも拘らず、往生際の悪い源三が言葉を吐き出した瞬間、場の空気が一転した。



      「あ?」



 それまでカラカラと明るい声を出していた阿良々木の纏う空気が重く暗いものとなる。

「舐めてんのかお前……俺がここに来たのはそれだけの為じゃねえ。お前、やっちゃってんでしょうが、ヤク。御法度の物に手を出すなんて……イカれてんなあ」

「どこにそんな証拠がっ」


「―――『港区にある倉庫』」


 そこにはある物が隠されていた。もし芦屋の人間に見つかれば、破滅を導くもの。

「見つけちゃった。白い粉」

 にこりと微笑みながら阿良々木が楽しそうに告げる。直後、開いたその目を見て、源三は悲鳴をあげた。自身を見下ろす男の目は明るい光がなく、射殺さんとするような冷え切ったものだったからだ。しかしその口元は弧を描いている。

「ああ、あと、おたくの先代の件。うちのボスがさあ、おかしいって言うんだよ。会ったときは確かに具合は悪そうだったけどまだ死にそうな面はしてなかったって。その後山野組の先代が亡くなったって聞いて不信がってた」

 先ほどから阿良々木の口から出てくる『雑談』に、源三の顔色は青を通り越して土色になり始めていた。

 山野組先代組長には、もともと持病があった。もはや現代病と言ってもいい糖尿病である。芦屋組の傘下に入るときには合併症を引き起こしており、病状は悪化の一途を辿っていた。しかし、きちんと医者に掛かり、現状を維持するための治療を行っていたはずなのだ。

 それが、一年ほどで急激に悪化しそのまま帰らぬ人となってしまった。

 当初、あまりにも可笑しい悪化の仕方だったため、先代の主治医をしていた医者が、調べた方がいいと忠告をした。だが源三がそれを頑なに拒絶した。

 これが一体どういう意味を持つのか、答えを知るのは源三ただ一人だ。

 梵の件に関しても、山野が手を出してくることはある程度予想はしていた。元々他人の気配には鋭かった梵は楠尾たちの尾行に気づき撒いたりはしていたようだが、念には念を入れて部下を使ってカモフラージュしたりもしていたのだ。

 これからこの男が辿る未来を知る阿良々木は、口元を歪める。

「愉快だねえ。……さてと、此方は片付いたけどマフィア組の方はどうかな」


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