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第7章:情報屋『円』
幸せ
しおりを挟むそれから間もなく、楠尾が≪烏≫から抜けたと春から知らされた。
そのすぐあとに秋路も氷見に後を託して抜けた、と。
どんな話し合いをしたかは誰も知らず。
春が言うには、その時の秋路は相当怒りを抑えているような様子だったらしい。
円義にとって秋路は苦手な存在であることには変わりはないが、それでも少しずつ認めてもらえてきたような接し方をしてくれていた。理不尽に怒るようなことは決してなく、楠尾の事を告げたときもまずはちゃんと話を聞いてくれた。
それが円義には嬉しかった。最初から否定することなく、証拠があれば対処してくれる、言外にそう言う意味だと考えて行動に移しただけだった。
それがまさか、リーダーである秋路が抜ける事態になるとは思ってもみなかったのだ。
「……ごめんなさい。俺が余計なことをしたせいで」
あの後病院へと連れていかれ、いつの間にか大事をとって数日間入院することになっていた。
退院するころには身体の傷も癒えていたが刃物による口元の傷は消えないと言われた。
整形手術で多少は改善することが出来ると言われたが、円義がそれを断った。別に気にしていなかったから。
そうして数日振りに≪烏≫の溜まり場へとやってきた結果が先ほどの春からの知らせだった。
「ちーちゃんは何も悪くないんだよ?だから謝っちゃだめ」
自責の念からいたたまれず、その日集まっていたメンバーに謝罪する。
「春の言う通り、謝る必要はないんだよ。悪いのは全部あのクズだから」
……今クズって聞こえたような。今まであまり聞いたことがなかった氷見の汚い言葉にポカンとしていると、それを見た夏島や他のメンバーが揶揄うように笑いながら教えてくれる。
「こいつは元々口悪い」
「クズをクズと言って何が悪い。しかも秋が抜けたせいで次のリーダ―をする羽目になっただろうが」
「「「それは仕方ない。全員の総意だから」」」
「ちっ」
『ひーちゃん本人は滅茶苦茶嫌がってたんだけど、多数決で即決だったの』
横から春が笑いながらこっそりと教えてくれる。
雪崩の如く崩れていく氷見の口調に驚きながらも、氷見が次期リーダーなのには納得だった。
「俺も、氷見さんがリーダーだと安心します」
「ほらね!」
春を筆頭に、メンバーたちがにやにやしながら氷見を見る。ちなみに夏島もあまり表情は変わらないが口元があがっていた。
「そうかそうか。じゃあこれからは『リーダー』である僕の言葉に従ってもらわないとね」
いじられているのを逆手にとって氷見がにこやかに仕返しをする。
「どこかの部活動みたいに名駅外周二十周とかやっとく?」
その一言に、メンバー全員が戦慄した。
「「「すみませんでした!」」」
氷見がリーダーとなった後は何度か楠尾が新しく作ったチーム≪KK≫が恨みがましくよく因縁をつけてきたがそれもあまり相手にせずひどい時には相手をするくらいに留まっていた。他のチームからもいちゃもんを付けられることはあったが持ち前の強さで蹴散らす日々。
そんな中で変わりつつあったのは春との関係。
年上しかいないメンバーの中で唯一の同い年という事もあり、誰よりも共有する時間が多かったし、なにより春と一緒にいると落ち着くのだ。
何処へ行っても何をしていても楽しかった。ナナちゃん人形の足の間を通って行った先にある十九シネマズで映画を見てお茶をしたり、タカシマヤや新しく出来たゲートタワーモールで買い物したり、名古屋港水族館や東山動物園にも行った。こんな風に誰かと遊んだりしたことがなかった円義にとって、これ以上ないくらい幸せな時だったことは確かだ。
いつもと同じように春と出かけていた時のこと、名古屋市科学館でプラネタリウムを見た帰りに白川公園内にあるベンチで少し休憩することになった。
「何かあった?」
今日は春の様子がどこかおかしかったので心配していたのだ。
体調が悪いならそろそろ帰る?と促すと、同じ方向を向いていた春が突然円義の方へと体勢を向ける。
「ねえ、ちーちゃん。私ちーちゃんに言いたいことがあるんだけど、聞いてくれる?」
「う、うん。どうしたの?」
円義を見る春の視線はまっすぐで、真剣なのがわかった。
「――― ちーちゃんが好きです。私と、お付き合いしてくれませんか」
「え……え?」
数秒、春の言葉の意味を考える。春が、自分を、好き?本当に?
「ちーちゃんは私の事、どう思ってる?」
ぐるぐると頭の中が回ってる間にも春が聞いてくる。
好きかと問われれば、『好き』だ。
出会った頃から春は特別で、その特別な気持ちが少しずつ違うものへと変わっていると気づいたのはいつの頃だろうか。円義の中で、春は特別をぶち抜いた場所にいる。
恋愛なんて勿論したことがなく、興味もなかった。毎日生きるのに必死だったから。
自分の懐に初めて入り込んできた春の事を考えていると、心が温かくなるのに気付いた。
今何してるのだろう、なんて誰かの事が気になるなんてありえなかった。
でも≪烏≫に入って少しずつ自分の中の何かが変わってきていることに気づき、そのきっかけを作ってくれたのは間違いなく春だ。
これが誰かを『好き』になると言う気持ちなのだろうかと気づいた時、同時に考えた。汚い場所から生まれ育った自分にとって、春は眩しすぎる。きっと釣り合わない。春には自分以外の誰かと一緒にいた方がきっと幸せだと思った。だからこの気持ちを伝えることはせず、近くで見ていることに満足していたのだ。ずきずきと胸の痛みに気づかないふりをして。
「答えは『はい』か『イエス』でお願いね!」
「うん……え、『はい』か『イエス』?それ以外は?」
「許さないよ。だってちーちゃん、私のこと好きでしょ?」
「……好きじゃな「嘘」――― 返事を遮らないでよ……」
「ちーちゃんの目を見てたらわかるもん。でも、絶対ちーちゃんから告白してきてくれることはないんだろうなと思ったから、私からしたの」
「……」
「自分なんて、って思ってるでしょ?」
図星だった。う、と言葉に詰まる円義を見て、「ほら当たった」と悲しそうに微笑む。
「だ、って……俺には学もなければ教養もない。底辺で生きてきたような人間だから」
「……じゃあ聞くけど、もしちーちゃんが逆の立場だったらどうする?」
「逆?」
「もしちーちゃんが私の立場だったら、どう思う?私が生い立ちを気にして、最初から諦めてるようにしてたら」
「っ……そんなこと気にしない!」
「私は今そんな気持ちなんだよ。好きだから一緒にいたい。ちーちゃんがどんな生まれだろうと、関係ないよ。今ここにいるちーちゃんが好き。だから、余計なことは考えずに、今のちーちゃんの気持ちに素直になって付き合うって言ってよ、ほら!」
これは、春が一枚上手だった。気持ちが見破られていたなんて、恥ずかしい。
でもお陰で心が決まった。円義自身がこれから変わっていけばいい、春を守れるように。
「――― 俺も好きです。春の事幸せに出来るように頑張るから、よろしくお願いします」
人生で初めての告白に返事をした円義の顔は真っ赤だった。受け入れられたことと、初心な反応に嬉しくなった春がばっと抱き着いてくる。
「やった!嬉しい~~!これからもよろしくね、ちーちゃん」
「うん」
春の勢いに、背後に倒れそうになった円義が必死で踏ん張りなんとか持ちこたえると、その背中に手を回して抱き締め返す。
めでたくお付き合いを始めた二人は、順調にデートを重ねていた。デートの最中に、ちょっとしたアクセサリーショップがあり春が入りたいと言うので寄ったら、流れでペアリングを買おうという事になった。「どれがいいかなあ」と悩む春に、こういうアクセサリーを一度も身に着けたことがなかった円義は、「春が決めていいよ」と言うしかなかった。
少しむっとしながらも、円義が疎いことは予想していたようで店員さんにお勧めを聞き、その中から選ぶことにしたようだ。
それから十分。まだ決まらずに唸っている春の横から、円義も同じように覗き込む。
「すみません、長々と……」
パッと目があった店員さんに何だか申し訳なく謝ると、にこやかに対応される。
「大丈夫ですよ、色々なデザインの物があるので悩みますよね」
「こうやって見ると本当に色々ありますね……」
ふと他の場所に展示されている指輪を見に行くと、一つ凄く目についた指輪があった。
シンプルなちょっと太めの輪が目立つデザインだが、微かな少し捻りのある部分が寄り添うように中心でくっついているものだった。近くで見なければわからないくらいの装飾。
「ねえ春、これとかどう?」
見つけた指輪はどうかと春に提案してみると、目をキラキラさせながら賛成してくれる。
「可愛い!これにしよ!」
「ほんと?」
「うん!こういうシンプルなの好きだよ!」
「それならよかった」
決まったペアリングを購入して、その場でつけた。
以来デートの時はお互いに必ずつけていたし、無くさないように大事に大事にしていた。
≪烏≫のメンバーに見つかって揶揄われたりもしたが、二人が付き合い始めたと知って盛大なパーティを開いてくれて祝福をしてくれた。
一番きちんと報告に行きたかった春のお兄さんである前のリーダーとは忙しいらしく、まだ会えていないが、春が伝えたら興味なさそうにしながらも「おめでとう」と言ってくれたと教えてくれた。
でも、順風満帆な幸せな時間には、必ず終わりがくる。
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