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第六章:メランコリー
真実の始まり
しおりを挟む氷見たちとの戦いに負けた楠尾は、未だ倉庫の中にいた。気絶させられた後、楠尾含め仲間全員が動けないように腕と胴をぐるりと巻かれているだけではなくご丁寧に手首も固定されていた。
しかも倉庫の鉄製の太い柱にその縄が一緒に括り付けられているため、その場から動く事すら出来ないため、楠尾は胡坐をかいて座ることしかできないでいた。
「くそ、次に会ったときは絶対ぶっ殺してやる」
あの薄暗く辛気臭い檻にいて十年、やっと出てきたというのに、このままでは再びあそこへと連れ戻されることは間違いない。それは絶対にごめんだった。
十年前も、警察の介入前に逃げようしていたところ、氷見や夏島に見つかって気絶させられ、気づいた時にはそのまま警察へと連行されていた。
いつも自分の邪魔ばかりする≪烏≫の連中に、楠尾は苛立っていた。
だから痛い目を見ればいいと、あの女を殺ってやったんだ。
「くそ……くそっくそう」
怒りの収まらない楠尾は、目を血走らせながら、俯く。何とか警察が来る前に逃げなければ。
冷静になれと心を落ち着かせるように自分自身に言い聞かせていると、前のほうから歩いてくる靴が地面を蹴る音がする。
今この場にいる人間は限られている。そのことから、氷見が来たのかと思った楠尾が顔をあげ、罵倒を浴びせようと口を開く。
「っ手前、覚えてろよお、今度会ったらブッ殺――」
がしかし、歩いてきた者の正体は氷見ではなかった。そのことに気づいた楠尾が言葉に詰まるのと、歩いてきた人物が言葉を発するのはほぼ同時だった。
「久しぶり、楠尾公平」
随分と若い声。楠尾は声音を聞いて男と判断する。その背後にある月の明かりによって、フードを被っている上に服も陰になっていて、影のように全身が黒かった。よって、背格好も顔も窺い知ることは出来ない。
「……誰だお前」
「あーわかんないか」
「顔が見えなきゃ誰かなんてわかる訳ねぇだろうが!馬鹿かてめぇ!」
遠巻きに同じように縛られている仲間のチンピラはただ黙って見ているだけだ。
「くっ……ククッ、そりゃそうだ。じゃあ――」
その男は不気味に笑ったかと思えば、更に無言で近づいてくる。近くに来たことによって段々とその服装や服の色、フードによって顔だけは未だに見ることは出来ないが、チンピラたちの中にはその姿を見たことがある者がいた。
『おいあれって……情報屋の円じゃねえの』
『まじかよ。円ってあんなんなの』
『俺一回だけ会ったことあるけど確かにあんな服装してた』
『ちゃんと指輪もしてるしな』
『うえ、お前あれ見えんの?』
『視力だけはいいんだ俺』
つい先ほどまで緊張感に包まれ、静かだった場所が、こそこそと賑わいかける。しかしそれも楠尾の前にしゃがんだと同時に再び静まった。
「いいからよお、そのフード取れや!」
騒々しい会話の間に、フードの男は楠尾のもとにたどり着き、同じ目線になるようにしゃがみこんだ。
楠尾には周りの会話が聞こえていなかったようで、誰だと質問しているのに答えず、己で遊んでるかのような態度を取る相手に、冷静になろうとしていた気持ちが再び苛立ち始める。
楠尾の様子に気づいたのか、目の前の男がフードの淵に指をかけ、上げる仕草をする。素顔を知る者一人もいないと言われる情報屋円の顔がまさかここで見れるのか、と沸き立つチンピラたちであったが、そうは問屋が卸さなかった。
フードの男は、楠尾だけに顔の一部が見えるようにフードに掛けた指をぐっと動かした。
「これならわかりますか?」
現れたのは口の端をまるで縦に裂くように走る切り傷。
つけられた傷跡を見て楠尾が僅かに目を見開いた。楠尾の表情を観察していたフードの男は想像通り、とばかりにニヤァと口元を歪めて浮かべて笑った。
「ククっ、思い出したぁ?」
目的を終え、フードに掛けていた指を離したため、見えていた口元がまた黒で覆われる。
フードの男は楠尾の見知った人間だった。
「お前……円義、か」
「ぴんぽーん」
「何でここに……」
楠尾は唖然と口を開いた。
何故こんな所に元≪烏≫のメンバーである円義がいるのか。全く予想していなかった人物像に、一瞬戸惑う。口元の傷を見た瞬間に、十年前のあの日が脳裏を過る。
円義にとって、楠尾は決していい存在ではないはずだ。あの事件から十年、ただ周りに守られているだけだった存在が、まだ裏の世界の住人でい続けていたなんて誰が思おうか。
刑務所にいる間、最初の一年は自分をこんな所に入れた≪烏≫のメンバーたちを恨み、あいつは今どうしてる、のんきに外で生活してるんだろ、と考えただけで反吐が出た。
しかし恨みの対象として一番頭の隅にあったのが円義と言う男だった。戦えない弱く、使えない男。実質≪烏≫の中で一番弱かった。必然的に、裏の世界からは足を洗っているものとばかり考えていた。
そんな男が何故―――。
その時、ふと楠尾の視界に、月の反射光によって光る物が入った。
切っ先の鋭いそれは、円義が片手に持っているナイフ。ドクリと楠尾の鼓動が脈打つ。あの気弱だったこいつが、何故ナイフなど持っているのか。
早くこの場から離れたかった楠尾は、賭けてはならないほうへ賭けてしまった。
「な、なあ……」
突然殊勝な態度になり、攻撃的だった楠尾が窺うような声を出す。
「それでこの縄、切ってくれよ……俺等、仲間、だったろ……?」
ブスリ―――とまるで効果音が聞こえたような気がした。
そして激痛。
「ぐあ……ぁ?」
円義の方を向きながら話していた楠尾は、痛みの箇所である己の腹を見た。
―――― 刺さってる?ナイフが?
血を滲ませる服の中心には、ナイフの先が数センチ埋まっていた。
「やましたはる。覚えてる?」
痛みに喘ぐ楠尾に、円義が冷静に問う。
だが耐えるのに必死で、名前を聞かれたと理解は出来ても、まともに思い出すことも出来ない状況かであった楠尾はろくに考えもせず答えた。
「……誰だ……ソレ」
ナイフの先を更にぐっと押され、痛みに慣れ始めていた楠尾をまたもや激痛が襲う。まるでもっとよく思い出せと言わんばかりの行為に、円義が先ほど言った言葉を頭の中で繰り返す。
――― やましたはる。やましたはる。
そして思い出す。十年前、全てのきっかけとなった女。
「あの女か……ッ」
「――― 覚えてたんだ?あんたらが、殺した女」
「当たり前だ!この俺が十年間を棒に振ることになったきっかけを作った女だからなあ。刑務所から出たらどうしてやろうかと思ってたが、まさかあのまま死んでたとは思わなかったぜェ。はは……はっッあぁあああああぐッ!ううううぅ」
突如この場所一帯に響き渡った楠尾の絶叫に、黙ってみていたチンピラたちが驚き、身体をびくつかせた。ナイフの刃先を数センチ入れられても耐えていた楠尾の叫びに、視線の先で何が行われているのかが少しずつ想像できる。
「どの口が……ッ」
何を言われても飄々を会話を続けていた円義の口調に、怒りや苛立ちといった変化がみられた。
黙って見聞きしていることしか出来ないチンピラたちは、そのうち自分の方向にナイフの矛先が向けられるのではないかと恐怖にかられ続ける。
だが実際に矛先を向けられているのは楠尾で、今まさに、腹に少しずつナイフが飲み込まれていく途中であった。
「痛いですか?」
誰がどう見ても、その刺し方は長く痛みを味合わせるためのものだった。
楠尾の周りにいた手下のチンピラたちは、あまりにも惨い仕打ちに対して顔を青くし、中には吐く者までいた。
「ううううっ、ぐあ、あああああ」
そしてついに刃の部分が全て見えなくなったとき、円義はグリップから手を離した。
幾度も与えられる想像を絶する激痛に、もはや息も絶え絶えの楠尾も悶え苦しむしかない。縄によって少しで痛みが逃げるような体勢にすることも出来ず、ただひたすらに耐えるしかなかった。
「安心していいよ。殺しはしない、精々生きて苦しんでもらわないといけないから」
楠尾が痛みに耐えながら円義を血走る目で睨みつける。
「まだそんな余裕あるんだ……流石だね」
腹にナイフが刺さったままだと言うのに、泣き叫ぶこともせず、意識を失うこともせず頑なとしてガンを付けてくる楠尾に、先ほどまで楽しそうにしていた円義は思わず関心する。
「で、めぇっ……おぼえ。で、ぐ、ごほ」
自分が死にそうだというのにも関わらず、殺す、殺すと呪いの言葉を吐く楠尾の口から、傷ついた内臓による吐血がゴポリと垂れる。
「春はさあ、もっと痛かった。たった一人で大勢の男に囲まれて、殴られて、撃たれて、殺されたんだ。その痛みがあんたにわかる?本当はあんたのこと殺してやろうかと思ったけど……やめた。死んで楽になんかさせない。精々――― 生きて、苦しめよ」
サイレンの音が、近い。パトカーや救急車がもう間もなく此方にも来るだろう。
立ち上がり、背後でぜえぜえと息をする楠尾を一瞥もすることなく、円義はその場を後にした。
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