烏と春の誓い

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第五章:夕刻

楠尾と氷見と

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 梵を助けるため、あれからバイクを飛ばしてまずは夏島と合流した。トークグループでの会話の後に個別で助力すると言うチャットを送ってきてくれていたためだ。

 目的の場所へと着き、倉庫のような建物に近づく。外には見張りはいなかったが、陽動の気配もする。しかし一刻を争うときに様子を窺うなんて言う選択肢はなかった。

 氷見よりも体格の大きい夏島が前に出て、硬い扉に手を掛けてギギッと開く。

 人が通れるくらいまで開いた後、すぐに二人はその隙間から侵入した。

「来やがったか。待ってたぜぇ……氷見、夏島よォ」

 暗がりの中数歩進むと、倉庫内の電気が付けられ、明るくなった。

 いたのは楠尾とその手下。

 氷見と夏島が何も言わずにいると、楠尾がペラペラとしゃべり始める。

「俺はこの十年間、ずっとお前らに復讐するために生きてきたんだ。ここでケリをつけさせてもらうぜ」

「逆恨みはやめて欲しいな。身からでた錆でしょ」

「お前らさえ……お前らさえいなければッ、俺は刑務所にぶち込まれることもなかったんだ!」

「御託はいいから、さっさと梵を返してもらおうか」

「ハハッ。あのガキを助けたけりゃあ俺等を倒して行けばいい!だが氷見、お前は俺が直々に手を下す。……いいかお前ら!これは男と男のタイマン勝負だ、手を出すなよ」

 楠尾が周りにいた数十の仲間にそう宣言した瞬間、バキッとどこかで音がした。

 「ガッは、ぁ」

 次に聞こえたのは誰かの呻き声。

 その場にいた全員が音の方向へと視線を向ける。

 するとそこにいたのは、手下の一人の襟元を掴み、殴っている夏島であった。

「は、あ?お前何やってんだ!」

 数秒沈黙していた空気が、楠尾の怒声によって雲散した。

「え、今からそっちでタイマンするって聞いたから、周りは周りで殴り合いしていいんじゃないの?」

「いやここはタイマンを見守ってからだろ!?」

 楠尾たちからの総ツッコミを受けた者の、当の夏島は首を傾げている。

「雪、とりあえず大人しくしてて。何かしてきたらその時は遠慮しなくていいから」

「わかった」

 このままだと楠尾との会話が進まないと考えた氷見が、一度場を収める。

 頷く夏島を見て、視線を前方に立つ楠尾へと戻す。

「本当に……お前はどうしようもないクズだね」

 氷見の口調が少し変わった。

「ああ!?誰がクズだ!」

「だってしょうがない、実際にお前クズなんだから」

「お前の、お前ら≪烏≫の連中の……そういう人をバカにするような目が気に入らなかったんだよずっと!!!!」

「……馬鹿にしてたのはお前でしょ。勝手に歪曲してたのはそっち。少なくともメンバーは皆お前を受け入れてた」

「うるせえ!!!」

 聞く耳を持たぬ楠尾に、昔からこんなやつだったか、とほんの少し思考を巡らせる。前はもう少し大人しかったが、刑務所の中でどうやら短気になって帰ってきたらしい。

「悪事身にかえるって言葉、知ってる?」

「はあ?」

「あの時お前がやってことは決して忘れない。あれから少しは反省してるかと思えば、ただの馬鹿になって帰ってきたみたいだね」

「馬鹿は手前だろ!あの事件のせいで俺は刑務所に入れられた。そこで『罪』を償い終わったから今ここにいるんだ」

「償いに終わりなんてある訳ないでしょ。春の命を奪っておいて ――― 死ねよ、お前」

 勝手なことばかり述べる楠尾に、沸点の高いはずの氷見の思考が怒りへと染まり始める。

「それはこっちの台詞だ……のこのこと敵の陣地に入ってきておいて無事に帰れるとでも思ってんのか?」

 氷見と夏島二人に対して楠尾側の人数は数十。いくら二人がそれなりに強いと言われていようとも数による勝算は楠尾たちの方が上だった。

 ずっと負かしてやりたいと思っていた相手に勝る条件が今ここに全て揃っている状況が、楠尾の優越意識を助長させている。

 しかし次に放たれた氷見の一言が、楠尾の神経を一瞬で逆なでする。
 

「思ってるけど」


 ぴきぴきと楠尾の額に血管が浮き出る。

 思えば氷見と言う男はいつもそうだった。チームの中で一番冷静で焦る所など一度もみたことがない。例え圧倒的不利な状況下に置かれていたとしても決してその余裕を崩さない。


「くそが……っぁ、死ぬのは、」


 楠尾の怒りが天辺を超え、手に持つ鉄棒を力の限りに握りしめる。力の強さで指先への血の流れが止まり、紫色になるほど。

 鉄棒の端を両手で握り直して感情のままに氷見の方へと走り始めた。

 目は血走り、先ほどから浮き出続ける血管が切れてしまいそうなほど赤くなっており、傍から見ればまるで思考がイッてしまってるやばい人間にも見える。

「てめえだああああああああっ」

 助走をつけ、両手を振り上げて、下降する勢いのままに楠尾は持っていた鉄棒を振り下ろした。

 ビュンッという空気の切れる音がし、それは真っ直ぐに氷見の頭上に迫る。コンマ数秒、氷見は横に飛んでかわした。

 ガツンとコンクリートの地面に叩きつけられた鉄棒によって抉られ、破片が辺りに転がる。

「ちっ、避けたか」

 殺す気で武器を振り回してきているのに、避けないはずはない。すぐさま氷見が避けた先に向かって方向転換し、また向かってくる。その応酬が幾度も続く中で、鉄棒の起動を見切れずに掠った部分からは血が滲む。対して氷見が使うのは総合格闘術。打撃系の格闘技を使用しながら、腕や脇腹を狙って僅かな打撃を与え、楠尾の身体が悲鳴を上げるのを待っていた。

 少しずつ蓄積されるダメージによって鈍ってきた動きを見切るのは簡単だ。幾度目かの接近で訪れたそのチャンスで氷見は振り被る楠尾の胴に蹴りを叩きこむ。

 腹部への衝撃によってせりあがる胃液を吐きながら吹き飛ばされながらも、足で勢いを殺して倒れるのを阻止した楠尾に、意外とやるな、と感心している氷見の頭からは血が垂れてきていた。

 鉄棒が側頭部をかすめたときに少し切れたのか、止まらない血を拭う。

 視界が良好ならそれでいい。目の前にいる楠生尾も口中が切れたのか血の唾を吐き出す。口周りを胃液や血で汚しながらも笑む楠尾にはまだ最終手段があった。

「ぅッ……はあ、……ははッ、こうやって俺等を相手にしている間に、芦屋のガキはどうなってんだろうなあ!」

 そもそもの氷見たちの目的は梵を助け出すことだ。ここで油を売っている暇があるならばそれは楠尾の仲間たちにも梵に危害を加えられる時間があると言うこと。楠尾からすれば脅しのつもりだろうが、氷見は視界に入ってきた人物を見つけ、その正体がわかるとほっと安堵する。

 勿論心配はしていた。しかし梵は戦える術を持っていることを知っていたからそう簡単にやられるとも思っていなかった。

「どうって……ああなってるけど」

 ほら、と視線を動かして氷見がある方を指さす。

「あ?」

 氷見の言葉が理解出来ず、楠尾は氷見の指の先を見た。

「ああああ?バカな!あいつには十人もつけたんだぞ!」

 そこにいたのは、ふうふうと肩で息をしながら、奥の方から出てきた梵だった。

 異様なのはその姿。

 服には所どころ血がこびり付き、よほど激しい戦いでもした後かのように多分ナイフによって出来た切込み。顔も泥や返り血のようなものがついていた。その中でひと際目に入るのはその瞳である。錆びれた建築物であるこの建物のコンクリート製の天井部分には罅が入り、そこから差し込む月の光に照らされて反射する眼光は、ただ見つめただけの者でさえも身が竦むような鋭いものだった。

「っ、何だあいつ……っ」

「……梵?」

 あまりにも異様な光景もそうだが、始めは遠目で見えなかった部分が少しずつクリアになり、普段の姿からは想像のできない梵のいで立ちに、氷見自身も驚きを隠せなかった。

 何かがおかしい。

「おい、その血はなんだ……? まさかあいつらの?」

 よく見ると、梵の手の指先にも赤いものが見えた。

「うう、あああああっ」

 まるで獣のように声を上げながら、梵が眼前に立っている楠尾に向かって行く。

( 記憶が戻ってる……?これはまずいッ )

 氷見が咄嗟に梵と楠尾の間に入ると、懐へ飛び込んでこようとする梵の攻撃をガードしながら動きを止めると、頭上に思い切り拳骨を叩きこんだ。

「痛ったああああッ!うぅ~……」

 拳骨の衝撃でどこかへ行っていた意識が戻ってきた梵が頭を押さえながら崩れ落ちる。

「梵」

「へあ……あれ、何でここに氷見さんが」

「梵が拉致されたのを突き止めて助けにきたんデス」

「そう、だったんだ……迷惑かけちゃった」

「気にしない気にしない。無事でよかったよ。よく頑張ったね」

 梵の頭をポンポンして手を放すと、梵が氷見の方を見ながら目を真ん丸に見開く。

「氷見さん、前にもこうやって頭撫でてくれた?」

「ん?……多分したことあるよ」

梵が記憶をなくすきっかけとなったあの時。しかしその時の記憶は今の梵にはないだろう。だが今そのことを考えるよりもこの状況から抜けることが先決だ。拉致されてからずっと気を張っていたであろう梵は、疲労困憊の様子だった。

 立っているのもやっとの梵を支えていると、背後から恨みのこもる声が聞こえてきた。

「氷見ィ、忘れてんじゃねえぞ、まだ決着はついてねえってことをなア!」

「別に忘れてないけど……甥の心配するの当たり前」

 何を言ってるんだこいつと言う目で見ていると、それが余計癪に障った楠尾が片膝をついていた状態から立ち上がっている氷見に向かって来る。しかし間に人影が現れたかと思えば次の瞬間には楠尾が吹っ飛んでいた。

 おや、と目を丸くしながら状況を確認しようと辺りを見渡してみると、あれだけ大勢いた楠尾の仲間たちが皆地面に伸びていた。  
      
 そして人影の正体は、―― 夏島だ。

「いつの間に……」

「二人が戦い始めて少ししてから。暇だった」

 武器を構えながら突っ込んできた相手もなんのその、思い切りのグーパンを楠尾の右頬に食らわせていた。

 気絶している楠尾へと近づいてみると、頬には大きな痣が出来ており、へこんでいた。

「おお……」 

 夏島の力の強さに感心しながらもスマホで警察へと通報する。

 次に持ってきていたカバンを探し、中からロープを取り出した。

「雪ー、これで全員縛って支柱に張り付けるから手伝って」

「わかった」


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