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第三章:五月女梵の冒険
サトシと幽霊
しおりを挟む深夜一時。鈴木サトシは綺麗な女性たちに見送られながらキャバクラを後にする。
既に終電は去り、自宅への帰り道を歩いていた。ここから三十分程の道のりの先にある。結構な距離ではあるが電車がないので仕方がない。
店を出てすぐにタクシーを拾おうかとも思ったが、なかなかつかまらず、苛立ちによって思わずちっと舌打ちをする。
「仕方ねえ」
このまま徒歩で帰るかと歩みをすすめた。辺りには自分と同じような人間が沢山いた。
居酒屋で飲んだくれたらしいの千鳥足サラリーマンにキャバクラ嬢を横に添えていちゃいちゃしている二人組、更にはホストクラブの前で「貴方がこなかったら私ここで死んでやるから!」と半狂乱で叫んでいる多分ちょっとやばめの女。
そんな個性豊かな人間たちの一面が景色の一部としてサトシの目に映っていく。
いつもなら自分もしこたま飲んで先ほどのサラリーマンのようにふらふらとするのだが、今日は何故かあまりの向きになれず、意識がはっきりしていた。
歩みを進める度に、様々な酔っ払いストーリーがこの通りで展開されてゆくが、それもそのうち減り始め、今はもう一人、二人とたまにすれ違うくらいの人通りになっていた。
サトシは元々、どちらかと言えば臆病な性格の男であった。
大人しく内向的、どこのクラスにも必ず一人はいる、そんなタイプだった。
――― ある出来事に巻き込まれるまでは。
曰く、『女神に微笑まれた』とサトシ本人は後に言う。(注※個人的な危ない妄想である)
勉強がそこまで苦ではなかったサトシは頭がよく、その学力から今の大学に入った。そして二年生のとき、他国にある姉妹校との交換留学生に選ばれたのだ。学校側から提案をされたとき、サトシは行く、と即答した。それには行先の国がどこかという事が関係するのだが、なんとずっと行きたいと思っていたイタリアだったのだ。
行きたいと思ってはいたが、いかんせんサトシの家庭はそこまで裕福ではなかった。勿論バイトはしていたしが、家族のことを考えると、海外旅行に行きたいから費用を少し工面してくれなどとは言えない。
だからサトシにとって海外にあるいくつかの姉妹校の中で、そこへ行けることとなったのは非常に幸運なことであった。
それからパスポート申請や書類などの色々な手続きをし、一つ学年が上がった三年の四月から半年間、サトシはイタリアの地へと赴いたのである。
留学を希望したのには憧れ以外にもう一つ理由があった。己を変えるためだ。今まで目立たぬひっそりとした人生を歩んできたことはサトシ自身が一番よくわかっていた。だからこの選択によって何か変われるきっかけがあればと考えたのだ。
大学ではイタリア語を選択しており、成績も悪くはなかったが、流石本国、実際は聞き取るのに手間取り会話にすらならなかった。
すぐにバイリンガルデビューをして自分を変えるなんて芸当はサトシには出来なかったのだ。
それからあっという間に時間は過ぎ、留学期間の終わりまであと一週間後に迫っていた時、サトシはあってはいけない事件に遭ってしまうのである。
その日サトシは最後の思い出にと、シチリア島へと観光に来ていた。
シチリアは、古代ギリシャやイスラム、ノルマンなどの様々な文化が融合して出来た街として、王国としても繁栄してきたことで知られる島。歴史を感じさせるような古く美しい街並みも多数現存しておりそれらは観光地化している場所もある。
サトシはいくつかに目星をつけて計画的に回ることにした。古都である首都のパレルモを発としてサンジョルジョ大聖堂や、観光地化していないラグーサイブラなどにも足を延ばした。
風情のある場所も多く、異世界気分で観光を満喫していると、いきなり目の前で銃撃戦が始まったのだ。
ダダダダッと銃が連射される音に加えて、きっといい意味ではないであろうスラングが沢山飛び交っている。
恐怖に動けなかったサトシを近くにいた若い地元民がとっさに庇ってくれ、建造物の陰に隠れるように、ただひたすら頭を抱えながらしゃがみこんでいるしかなかった。
弾丸が地面を抉り、建物の壁を傷つけながらだんだんと辺りに土煙が広がり始める。何故か銃声が少しずつ収まっていっているようにも思えるが、ここは危ない、早く逃げねばと頭ではわかっていても身体が動かない。ふと目を開けるとサトシの前には、庇ってくれた若い地元民が弾丸によって傷を負い、倒れていた。
「ひっぃ」
日本ではまず起こることのない事態に、サトシの頭の中はもはやパニック状態だった。早く助けを呼ばなければと思いスマホを取り出そうとする。
だがその瞬間、その地元民の腕の中にあったカバンの中にお札のようなものが大量に入っているのが見えた。
そう、見えてしまったのだ。
最初は手間取っていた買い物も、もう困ることはなく、見ればどの程度の価値なのかはわかるようになっていたサトシにとってただとんでもない額のユーロ札がいくつもの束になって顔を出していた。
ゴクリ、と唾を飲み込む。
異国の地で突如として銃撃戦に巻き込まれ、死の恐怖とともに謎の高揚感があった。ふつふつと湧き上がるむず痒い何か。
小さな戦場と化したそこは騒然とし、今この場にいる人々は他人のことなど気にする余裕もないほどに逃げまどっている。幸いサトシと倒れる地元民の周りには誰もいない。今なら……今なら、『たった一つの小さなカバン』が消えた所で、誰も気にしないのではないか?
しかし、これを持ち去ればその瞬間から犯罪者となる。悪い事だと考えながらも、サトシの身体は無意識に動いていた。腕をカバンの方へと伸ばし、気が付いたときには指先でカバンの持ち手を掴んでいた。ぎゅっと胸のあたりにカバンを押し付け、
――― そして、駆け出した。
あの時の事を思い出す度、ふと怖くなる。
確かに気分が高まっていた、今まで犯罪などとは無縁のところで生きてきた。いや、臆病な自分には到底できることではなかったのだ。なのにあの一瞬、たった一度、悪事を働いた。
だが不思議なことに、後悔はしなかった。寧ろ喜びを覚えた。罪を犯すことが、大金を得ることがこんなにも楽しい事だったとは思ってもみなかったのだ。
サトシは変わった。
性格も見た目も、留学先から変えてきてから素行も悪くなり、大学の中では悪い意味で有名になっていた。非公式の大学の裏サイトのスレッドには暴力行為や恐喝、危ないやつらともつるんでるなど悪評が書き込まれているが、変わる前のサトシを知る者からは信じられないと言った書き込みもあった。
サトシは決して『女神に微笑まれた』のではない。カバンを盗んだあの瞬間から――『悪魔に魅入られて』しまったのだ。
それからは金遣いも荒くなり、今やキャバクラ通いの毎日。
家族は変わってしまったサトシのことを心配しているものの、暴力を振るわれたらと怖がって強くは言ってこなかった。ただじっと、涙を浮かべた目で伺いをたてるだけ。その視線がサトシを苛立たせることもあり、そんな日の夜はキャバクラで『暴れて』しまう日もあった。
そう考えると、今日は何故か穏やかな気持ちだ。
歩いて二十分ほど経った時、まばらに居た通行人は、今や一人もいない。
この時間に出歩くことは珍しくなく、いつも立ち並ぶ一軒家やマンションの窓から零れる僅かな明かりと等間隔で立っている電灯の光たちが帰り道を照らしてくれている――はずだった。
しかし今日は視界の全てがどこか薄暗く、バチバチと消えたりついたりする電灯があるだけだった。まるで何かが出そうな雰囲気を醸し出している。周りに人っ子一人いないこともあって不安と疑惧に挟まれ始めた。
サトシは耐えられず、歩くスピードを速めてさっさと通り抜けようとするが、背後から聞こえ何かの音が聞こえてきた。
ネタヲクレェ、ネタヲクレェ
それは人の声。少し掠れ気味な、枯れた声だった。
ふと、サトシは以前聞いた話を思い出した。都市伝説化している徘徊する幽霊がいるという話。
その時は作り話だろうと気にも留めず、幽霊なんて存在するわけがないと笑い飛ばしていた。確か、目を合わせると余計に近づいてくると聞いたことがある。このまま行けば、何事も起こらないだろうか。しかし逃げたと思われるのも癪だと感じたサトシは正体を確かめてやろうと強がり、くるりと振り向いた。
―― 白い、何かがいる。
ふわふわと布の様なそれには、足がないように見える。『幽霊』と言う言葉がサトシの頭の中に過ぎり、後ずさろうとした瞬間に白い何かの中に二つのギラりとした光がサトシの方を向いた。
( 気づかれた!? )
徐々に白い何かはサトシの方へと近づいてくる。逃げようとするが、何故か足が動かずまるでその場に釘でも打たれて固定されているようだった。既になすすべはなく、ただ襲われるのを待つ事しかできない。
すぐそこまで来た所で、恐怖によるパニックからサトシが叫んだ。
「ああああああああああああああ~~~っ」
そして、サトシはこの日飛んだ。
あごへの衝撃と激痛を感じながら。
切れることのない己の声を聴きながら、キャパシティの限界領域を超えたことにより意識がプツンとブラックアウトしたのである。
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