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第三章:五月女梵の冒険
梵と氷見のとある朝
しおりを挟む目の前で映像が流れ始めたとき、氷見はまたか、と思った。
灰色がかる背景の中に四人。大きな雨粒の降る中のこと。一人は倒れ、一人は倒れる人物を支えながら泣き、他の二人は後方から見守っていることしか出来なかった。
ジジッ という雑音が鳴りながらも映像は滑らかに動いていく。
その内倒れていた一人が息絶える。
死したその人はその場にいた三人にとって大事な存在だった。残された三人の眼からは涙とも雨ともとれぬ水滴が伝い流れていく。
そうして雨音の雑音の中に、大きな咆哮が混ざるのだ。
そこまで行くと、いつもだいたい目が覚める。
「氷見さん、起きた?」
「あー……」
「僕これから友達と遊んでくるね。朝ごはん、テーブルの上に準備してあるから適当に食べて」
まるでどこぞの主婦のような台詞を言いながら、梵はガチャリ、と家を出て行った。
梵がこの家に居候を始めてから早一ヶ月が過ぎた。もう大学に友達が出来たのかと思うと、若者のコミュニケーション能力の高さを感じる。名古屋での生活に少しずつ慣れようとしている梵の頑張りも感じるし、あの物おじしない性格ならば半年後にはもはや名古屋民みたいになっていることだろう。
十分ほどぼーっとした後にようやく思考がはっきりしてきた氷見は、潜っていたベッドから抜け出し洗面台の方へと向かう。
シャコシャコと鏡の中にいる自分を見ながら歯を磨く。
それにしても毎日毎日懲りないな、我が髪の毛ながら爆発のレベルが尋常じゃない。寝返りが凄いのだろか。
……今度ナイトキャップでも買おうかと本気で悩んでいる。
磨き終わり、リビングへ向かうと、ほのかないい匂いがした。
食卓の上にはパンとスクランブルエッグにケチャップ、野菜の入った具沢山のコンソメスープが置いてあった。シンプルながらも食欲のそそられる内容である。
椅子に座り、「いただきます」と手を合わせ、氷見はもぐもぐと咀嚼し始めた。
この家事能力……流石叔母さんの息子だけあるなあ、と思う。
叔母はお転婆で、家事をやろうものなら何故か食器類がいつの間にか割れていることもあるらしく料理から掃除までおおかた梵が行っていたと聞いている。
そもそも、梵が何故この家に居候することになったかは、梵の母親が関係していた。
氷見は、梵の父親の兄の子、という立ち位置になる。つまりは正真正銘のいとこ。氷見の父親は結婚が早く、その後すぐに子供が出来て氷見が産まれた。だから十歳程の年の差がある。
幼い頃から年齢差もあって本当の兄弟のように遊んでいたが、それも梵が八歳になるくらいで終わってしまった。
梵の父親は所謂ヤクザ者でそれなりに地位の高いところにいるような男だ。他の組から命を狙われるようなこともあった。八歳の時までは家族で過ごしていたが、息抜きに別荘地へと出かけたときに襲撃を受けた。
丁度その場にいた氷見も必死で敵を倒しながら、拉致されそうになっていた梵を救出した。パニックになりながらも必死で抵抗し、時間を稼いでいた梵の頭を撫で、落ち着かせようとする。『よく頑張ったね』『大丈夫、大丈夫』と暫く声を掛け続けていた。
しかしその後、目の前で自身の母親が撃たれるところを直視してしまった梵は、それ以前の記憶が欠落してしまう。辛うじて命が助かった叔母は、梵の精神面を心配して夫に別居を申し入れ、そのまま母子家庭と偽りながら生活していた。それ以降は思い出させないようにと関わりのあった人間との接触も控えており、梵は氷見と遊んでいた時のことを全く覚えていなかった。
叔母が今回梵のことを氷見に託したのも、親心故。何かあったときの保険だ。
昔の記憶を無くし、忘れられていたのは悲しかったが、何よりも一番大事なのは梵自身が無事に過ごしているかどうかだ。久々に会ったときはよそよそしさもあったがちゃんと幼い頃の面影があって安堵した。
「ご馳走様でした」
ぱん、と手を合わせて食べ終わると、自分も出かける準備をするべく食器の片付けを始めた。
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